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by yamato-y
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夜の山道

夜の山道

午後9時に紅葉山を登る。道の曲がり角には街灯が点いているものの、人気のない山道は少し不気味だ。でも、この季節には木々には葉がないので森の中は明るい。だから、夏の生い茂った森に比べれば怖さは薄い。

 麓に山桜がある。夜目にも白く大きな花をつけていた。花影という言葉を思い出す。
早春のツヴァイク道は清清しい。肌寒い気候だから、坂を登っても汗をかくこともない。山自体は静かだが、何かがこれから始まりそうな気配を漂わせている。

山道の中ほどまで来ると、前方に人影のような黒い塊がある。今年になって大きくなった杉の苗かなと思っていたが、近づくと少年だった。少年が山道に座り込んで、顔を伏せている。どうやら泣いていたようだ。
「大丈夫ですか」と声をかけると、「大丈夫です」と返事した。うつむいたままである。
これ以上かまうのもよくないと思い、私は彼を後にして再び坂を登った。
頂まであがって、後ろを振り向くと、少年はまだじっとしていた。

 少年はどんな悩みをかかえているのか分らないが、なぜか羨ましい気がした。人を恋うるにしろ、友のことで悩むにしろ、その苦しみそのものが彼の“魂”のように思えた。

 ツヴァイク道の夜は、梶井基次郎の「闇の絵巻」の冒頭を思い起こさせる。ましてや、今夜のように理由ありの少年が佇んでいたりすると、その興趣はことさら深い。

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by yamato-y | 2009-03-30 23:14 | Comments(0)

A先生

A先生

藤子不二雄Aさんの取材に立ち会った。お会いして、早速昨夜の番組のお礼を申し上げると、いい番組に仕上げていただいてよかったよと声をかけられた。ETV特集の構成要素に、A先生の詳しい証言は大きな意味をもった。75歳という年齢を感じさせない記憶力である。
本日の収録は5月特番「ザ・ライバル」の取材だ。

考えてみれば、50年前にサンデー・マガジンが創刊されたのだが、創刊号に執筆した漫画家で存命なのは両誌とも、A先生しかいない。あのちばてつやさんも創刊から2年ほど経ってからの登場だ。手塚治虫、寺田ヒロオ、益子かつみ、横山隆一、らみんな鬼籍に入っている。その意味で、A先生は貴重な当事者にして証言者である。

 少年サンデーの依頼を受けたときの話はよく知られているが、あらためて証言として聞いた。

藤子不二雄の二人は、手塚が出て行ったあとのトキワ荘に入居したことは知られている。当時、手塚のようなモダンな丸い線を描く漫画家は少なかったから、新人ではあったが藤子に依頼が殺到した。二人はいい気になってすべて受け、そのため身動きとれない状態に陥った。A誌を描けばB誌が遅れる。どこから手をつけていいか分からなくなり、二人は完全に描けなくなった。そして、正月休みを兼ねて田舎の富山に帰省した。講談社の「なかよし」からも別冊付録の64ページを依頼されていたが、筆が進まず遅れていた。愚図愚図していた。そこへ、「ゲンコウ オクルニオヨバズ マキノ」という電報が舞い込んだ。編集長からの注文取消しだ。二人はそう思わず、仕事が減ってよかったと喜んでいた。
そして、正月が明けて東京に戻り、手塚治虫を訪ねた。そこで藤子不二雄が原稿のアナを空けたと評判になっていることを知る。このダメージがどれほど大きいことになるか、若い二人にはまだ分からなかった。

それから3年ほど、講談社からの注文は止まり、他誌の仕事も減り藤子不二雄にとって苦しい時代が続くことになる。漫画の月刊誌の仕事はほとんどなく、小学館の学年誌に細々と描いていた。この頃、A先生は昼間から銭湯に行くと、見知らぬ爺さんから「いい若い者が昼間から風呂か」とどやされる。「今、受験中なもので」と苦しい言い訳をするようなことも起こる。このあたりは「漫画道」や「・・・愛を知りそめし頃」に描かれている。

そして、昭和34年の2月、藤子不二雄の部屋を小学館の編集者が訪れる。新しく始まる少年週刊誌に連載漫画を描いてほしいというのだ。月刊誌ですら多忙に負けたのに、週刊誌という4倍速に耐えられるだろうか、二人は悩んだ。その末にこのチャンスを活かそうという結論に達し、サンデーに承諾を告げる。その二日後に講談社の編集者が訪れ、前の失敗は時効にして、新しく始まる週刊誌「マガジン」への執筆をお願いしたいと依頼される。嬉しい申し出ではあるが、2誌も週刊誌を受け持つことは到底無理と、断った。

 「もし、マガジンの側が先に来ていたら、どうしましたか」と尋ねると、
「受けたでしょう。でも、マキノさんのところでは一年で切られていたでしょうね。サンデーと違って、マガジンの編集者は漫画の内容や細部にかなり細かく注文してくるのですが、それにぼくらは耐えられなかったかもしれません。」と愉快そうにA先生は語る。

黎明期において、すでに少年マガジンと少年サンデーのカラーがくっきりと浮き彫りになり、その後の熱い戦いの礎を築いていくことになる。

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by yamato-y | 2009-03-30 17:15 | 少年誌の青春時代 | Comments(0)

脳みそが雲丹のようで

脳みそが雲丹のようで

10時過ぎに目が覚めた。昨日のスタジオ立ち会いの疲れがどっと出たようだ。
昨日、一昨日と寒い日が続いたが、どうやら今朝は暖かさがもどったようだ。まさに三寒四温だ。

昨夜から、ミシェル・フーコーの伝記を読み、その「えぐさ」のようなものに取り憑かれたか、妙な感覚が胃のあたりに漂っている。
エイズで死んだフーコーが、内なる暴力性と闘うなかで、そのセクシャリティを浮き彫りにしていくという話。簡単にいえば、ホモセクシャルとSMプレイのことだ。以前から、その噂は聞き知っていたが、それを具体的に記述するストラザーンの伝記はえぐい。

幼い頃、フーコーは金魚になる夢をよくみた。そのことをストラザーンは意味ありげにふれている。フロイド派にとって、これは重要なことだったっけ。金魚とは、いつも儚く死ぬものというイメージしか、私にはないが。
とまあ、咀嚼できないまま、フーコー伝を読み終える。なにせタイトルは「90分で分かる」だ、半日で読める。

トイレに入って、阿部宵人の『俳句』を読む。これが、分かりやすい入門書なので、つい30分も夢中になる。
俳句とはどんづまりの表現をめざすもので、冗漫な連想表現は排除されるべきと、著者はいう。

秋の月を思い眺めて思い千々

最悪の句だという。まず、俳句で月とは秋にきまっているから、秋は無駄。他の季節であれば夏の月というが、秋は蛇足。さらに眺めるも、月であれば眺めるも仰ぐも当たり前のこと。雨は降るものであり、風は吹くものであり、日や月は照ものであり輝いたり冴えたりするものだと、阿部は説く。だから、月とか風と指示すれば、その属性をはらんでいるから、そういうものを極力省けというのだ。
とにかく、この俳論は現代的な説明で分かりやすい。駄目な俳句を類型化している。
セロファン俳句、説明俳句、たがなし俳句、難読俳句、新造語俳句、骨董俳句、馬面俳句、めそめそ俳句、センチ語俳句、などなど。

一番気になったのは、センチ語俳句だ。感傷主義に流れるのは浅い孤独感で、流行歌によく出て来るような語彙、発想だとばっさり切り捨てている。ひとり、ほのか、ひそやか、よるべなし、そこはかとなく、などの言葉を用いないと、詠い上げた気にならないのだろうと、センチな作者を阿部は指弾する。その駄目な例。
春愁や激しきものを「秘めて」佇つ
こういう句こそ、初心者のやりかねないことだそうだ。耳が痛い。
でも、この句をカリフォルニアのバークレーで教えることになったフーコーの心境と思って読んだら、どうだろう。フランスで禁じられていた性が堂々と行われていたことを知ったフーコーが・・・、というおバカな解釈。こんなへりくつをいったら、阿部宵人にどやされるに違いない。

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by yamato-y | 2009-03-29 13:10 | Comments(0)

テッペンまで

テッペン

昨日、今日、明日とスタジオで、私のチームがドラマを撮っている。
昨日は、マガジンの編集部の場面。本日は編集者たち行きつけのバーのシーン。明日はサンデー編集部の場面となっている。
主役の二人がすごくいい。マガジン編集者真壁の伊藤淳史さん、サンデー編集者三条の成宮寛貴さん。この二人が少年週刊誌の幼年期に活躍した編集者たちの姿を演じてくれるのだ。ドラマとして、両誌のライバル関係を描いている。もちろん、ドキュメンタリー畑出身の私が担当するのだから、ドラマオンリーではない。このドラマにドキュメントを織り交ぜて、表現しようと考えている。

かつて、広島時代に、夏の原爆に関する番組で、これとよく似た手法を用いたことがある。「ヒロシマに一番電車が走った日」というドキュドラだ。このときはドラマというのでなくアニメを作り、そのアニメとヒバクシャの証言を織り交ぜて構成したのだ。その手法にかなり近い。

 2日間、間近でドラマ作りを見ながら(プロデューサーの私は直接演出はしない)、ドキュメントとは違う苦労がたくさんあることを改めて知る。例えば照明。いかに、らしく画が上がるかはかなり照明に負うところが大きいのだ。それと、カメラは4台のマルチで撮影するから、そのカメラ割りということに「監督」はかなりエネルギーを割く。その監督の意向をスタッフに伝えたり、役者たちのコンディションを維持したりすることに、必死で努めているのが、3人の助監督たちだ。彼らがスケジュールの進行をたしかめながら、撮影をすすめるのだ。テキパキしていて気持ちがいい。

本日は13時から始めて現在21時。順調に推移しているが、それでも収録終了は24時になるだろう。
技術のスタッフたちが帰りの時刻を確認しあっている。
「今夜はテッペンだよな」
「そう、終電にギリだよね」
午前0時をギョーカイではテッペンというのだ。30人ほどの役者、スタッフは一丸となってテッペンを目指す。そういう仕事というのは、船乗り同様、運命の共同体だなと思える。
それにしても、今週は実に目まぐるしく動いた。「赤塚不二夫」の仕上げと放送、「ザ・ライバル」のドラマの収録。「ザ・ライバル」のドキュメント部分の取材の確認。加えて、あらたに「マンガのタカラ」という43分の番組のスタジオの出演者選びと取材。
半年ほど、番組をじかに触ることがなかったのに、ここへ来て3本が並行して走ったのだ。
忙しくて疲れるが、心は高揚している。

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by yamato-y | 2009-03-27 21:17 | 少年誌の青春時代 | Comments(0)

全身漫画家

全身漫画家

やっと完成した。「全身漫画家~真説・赤塚不二夫論」
放送は、3月29日(日) 午後10時から90分。いや精確には89分です。
冒頭に、電気グルーヴのピエール瀧さんが登場して、自分のポリシーを語る。
「電気の場合、すべて遊びですから」と。
この精神こそ、全身漫画家が若い世代に遺した業績のひとつではないだろうか。そんな仮説を立てて番組はスタートした。それからおよそ5ヶ月にして、やっとカタチになったというわけだ。

今回は、かなりたくさんの人にインタビューした。その記録は膨大で、内容をチェックするだけでも時間がかかるものだった。この貴重な証言をすべて聞き取って、赤塚不二夫という人物像を少しずつ刻んでいく、気の遠くなるような仕事であった。でも、面白い話をいっぱい聞くことができた。

赤塚漫画がどれほどラジカルで時代をリードしていたかということを、今回の取材を通じて私はあらためて知った。そのことを、番組を見てくれる人たちに伝えたい。
証言者に、一人娘の赤塚りえ子さんと、手塚治虫の娘手塚るみ子さんが登場する。意外にも二人は大の仲良しだったのだ。
 「これでいいのだ」とは、どういう意味を赤塚はこめたのだろうか・・・。
ごらんください。

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by yamato-y | 2009-03-26 18:26 | 少年誌の青春時代 | Comments(0)

わが心のアルカディア

わが心のアルカディア

 牧星加藤謙一の自伝を読んだ。戦前の名雑誌『少年倶楽部』の編集長である。戦後は公職追放となり、個人で『漫画少年』を立ち上げ、手塚治虫を見いだし、寺田ヒロオや石森章太郎らを育てた人物でもある。
講談社から発行された『少年倶楽部』は、戦前軍国主義に協力したとして”戦犯”扱いとなり、社長の野間省一とともに加藤も職を追われた。が、実際には罪は疑いの段階でとどまり早期に追放は解除されている。

 「敵中横断三百里」などという軍事小説が評判をとり「のらくろ」のような兵隊漫画が人気を集めたという表層だけみれば、そういう「罪」があったようにみえても不思議ではない。が、それは時代がもっていた気分や情勢がそうであったことに起因するのであって、ことさら『少年倶楽部』が軍国主義の旗を振ったというのは言いすぎかなと、牧星の本を読んで思った。例えば、「のらくろ」。これは駄目な野良犬がイヌの軍隊に入って功績を挙げて、一年ごとに進級していくという物語ではあるが、実際には軍部からにらまれており、戦争が始まる昭和16年には突然終了させられている、というようなことがあるのだ。むろん、戦争協力という問題は軽々には語れない。だが、戦後民主主義はあまりに一面的に捕らえすぎていたのかと思うことが最近多い。

 『少年倶楽部』の傑作は、吉川英治の「神州天馬侠」、佐藤紅碌の「ああ玉杯に花うけて」と大仏次郎の物語だ。加えて、佐々木邦のユーモア小説があった。この雑誌の素晴らしいのは物語をサポートする挿絵だ。高畠華宵、伊藤彦造、樺島勝一ら一流の画伯が筆をとっていた。
山中峯太郎の「敵中横断三百里」や南洋一郎が書いた「吼えろ密林」などの冒険小説における樺島の絵などは出色だった。まるで映画のような精緻な表現と美しい構図である。当時の少年たちの空想心をおおいに刺激したと推測される。

物語の挿絵だけでなく、口絵もたくさん描かれた。いろりばたでの団欒や春の野路を子馬に乗って帰る少年といった光景がある。これらは、”少年時代”という牧歌的な気分を思い起こさせる原イメージ(この表現は好きではないが、他に思いつかないので)として、私のなかにある。

 今朝、早春のツヴァイク道を降りながら味わった気分。その原形のようなものは、戦前の『少年倶楽部』から戦後の『少年サンデー』『少年マガジン』へとつながっていく少年誌の系譜にあるのかなと思った。幾重にも折れ曲がる山道、亭々たるケヤキの美しい枝ぶり、足元に咲くたんぽぽ、すみれ。森の奥から聞こえて来る鳥の声、重なるように鶯の声。峰を振り仰げば悠々と流れていく白い雲。
 この風景を目の当たりにしながら、いつか見た景色だと思い出そうとしていた。おそらく、それは営々と伝えられてきた日本人としてのイメージではないかな。それを構築している要素として、『少年倶楽部』があったと思ってしまうのだが。

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by yamato-y | 2009-03-23 13:01 | 少年誌の青春時代 | Comments(0)

早春の嵐

早春の嵐

朝のうちは光があって、鶯が鳴いていた。いい日曜日だなと思って、再寝して目が覚めると小雨が来ていた。風がひどい。轟轟と鳴っている。

昼過ぎ、雨が小止みとなり山を降りて大磯図書館へ本を返却しに行く。期限が1週間ほど過ぎていたのだ。今日は返すだけにして借りずに帰ろうと思ったが、つい書架をのぞいてしまった。
そして借り出した本。『妖花』(半村良)、『持統女帝と皇位継承』、『鶴見和子を語る』、『カバラ』、『自足して生きる喜び』(中野孝次)、『忘れないでね、私のこと』(内館牧子)、『歴史認識を乗り越える』(小倉紀蔵)、『エトルリア人』、『ポスト戦後社会』(吉見俊哉)、『一年有半』(中江兆民)。
普段、自分でお金を出して買わない本や縁遠いジャンルを、できるだけ図書館で借りるようにしている。
1時間ほど、図書館に屯してから、帰路につく。

ツヴァイク道はすっかり春の貌になっていた。木々の梢には芽が吹き、葉が茂っている。根方にはぜんまいの葉が大きく腕をもたげている。むらさきはななは可憐な花をあちこちに見せ、タンポポは力強く咲いていた。
海から吹いてくる風が轟轟と鳴る。潮を含み、そこに草花の匂いがまじって、春らしい嵐となる。強い風が背中を押し上げてきて、気持ちがいい。どこかで見た風景だ。

「風の又三郎」だ。50年ほど前に見た大映映画の一場面。
「どっどど どどうど どどうど どどう
 青いくるみも吹きとばせ
 すっぱいかりんも吹きとばせ
 どっどど どどうど どどうど どどう」
というような歌を又三郎は歌っていたはずだ。

 黒いレインコートを着て、右手に本をつめたディズニーバッグ、左手にこうもり傘を振り回していると、へっぽこ先生になった気分で、私は又三郎の歌を口にする。へっぽこ先生とは川上澄生の版画に出てくる主人公。昔、サントリーの宣伝で使われていたことがあり、その後『銀花』で特集を読んでからすっかり好きになった。

 紅葉山の台地まであがり、ぶらぶらと我が家を目指す。それぞれの庭には白や黄色の花が咲き乱れている。白く大きな花は辛夷か。
 わが庭を外から見ると、水仙が4,50本咲いている。こでまりのような白い花もある。桃木には青い芽がびっしりと並んでいた。雨があがって、からすが鳴いている。

静かな、日曜日の昼下がり。


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by yamato-y | 2009-03-22 15:07 | 登羊亭日乗 | Comments(0)

1ダースなら安くなる

1ダースなら安くなる

 赤塚不二夫は1935年に6人兄弟の長男として満州で生まれた。そして、敗戦でソビエト軍の侵攻となり、父はシベリアに抑留され、母と兄弟たちだけで、必死で逃げる。この途次、次女が病死。弟は養子となっていく。残された4人の子と母は命からがら日本へ引き揚げてきた。母の実家のある大和郡山に暮らすことになる。だが、この家にたどりついて30分後、一番下の妹は息をひきとる。生後6ヶ月だった。
 赤塚が、後年この大和郡山の家を訪ねたときの映像を見た。そこでインタビューを受けて、赤塚はこう答えている。「妹が死んだのは、親孝行だと思う」・・・
幼い子ども4人をかかえ、父はいない。そんな家計を支えるには、母が外に出て働くしかない。だが乳飲み子がいてはそれもできまい。赤ん坊がいなければということを、考えれば妹は親孝行をしたと思わざるをえない、と赤塚はいつになく神妙な顔で答えている。が、ことさら赤塚が悲痛な顔もしていないところが、彼の悲しみの深さを感じさせて、見る者の心を揺さぶる。

 漫画家として、赤塚はずっと芽が出なかった。石ノ森章太郎の影に隠れていた。その彼の才能をいち早く見つけていたのは石ノ森ではある。ギャグの才能をかぎとっていたのだ。
そして、画期的な「ナマちゃん」という作品を、石ノ森の導きによって生み出すのだ。ここからナンセンス・ギャグの世界に、赤塚は飛び出していく。

 次に大きな転機は「おそ松くん」だ。1962年に少年サンデーで始めた連載で、赤塚はブレイクする。6つ子の兄弟が起こすドタバタだ。この漫画のギャグというものは、それまでの日本の漫画になかったもの。この物語のヒントは、かつて見た映画「1ダースなら安くなる」だったと、赤塚は語っている。

この映画を、昨夜見た。1950年のハリウッド映画だ。おそらく日本で公開されたのは52年ごろではなかっただろうか。当時、赤塚は新潟から上京して、小松川の化学工場で工員として働いていたはずだ。たまの休みの日に、近くの繁華街で見たのだろう。
 映画は60年前のものにしては、カラーできちんとした作品に仕上がっていたが、とりたてて面白い話ではない。何が、赤塚をひきつけたのだろうか。
――私は、11人家族というホームコメディに赤塚はわくわくしたのではないかと思うのだ。それは、ジフテリアで死んだ妹、引き揚げてきてすぐ死んだ妹、養子となってもらわれていった弟。そんな弟妹たちを噛み締めながら、少年赤塚は、場末の映画館のスクリーンを見つめていたのじゃないか。
(この項つづく。というのは、映画を最後まで見ていないから。)

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by yamato-y | 2009-03-21 12:13 | Comments(1)

アナザー

残酷な一言

ウディ・アレンの『アナザーウーマン』を見た。邦題は、「私の中のもうひとりの私」とある。そう訳したい気持ちは分かるけど、ちょっとニュアンスが違うような気もする。いずれにしても、久しぶりに見たアレン映画はとても面白かった。

哲学の教授で、50歳になった主役のマリオンはジーナ・ローランズ。あのジョン・カサベデスの夫人である。 見ているうちにどんどん彼女の心に惹かれていく、うまい。マリオンは学部長まで勤め、ハイデッガーに関する本を執筆するというとてつもない才媛である。とここまで見ると、なんとなくハイデッガーと不倫の関係のあったあの人のことを思い出す。そう、ハンナ・アーレントだ。私はマリオンをアーレントと重ねて見てしまった。

哲学教授のマリオン(ジーナ・ローランズ)は、50代になり、ハイデッガーに関する本を執筆することになる。そのために、アパートを借り執筆に入るマリオンだったが、ある時から、隣の部屋からの声が聞こえてくるようになる。声は、精神科医とカウンセリングを受ける妊婦(ミア・ファロー)の会話。マリオンはだんだんその会話が気になってくる。その会話を盗み聞きするうちに、マリオンは次第に自分の過ぎ去った人生に目を向けていく。若いときから才媛としてチヤホヤされてきた自分が、どれほどたくさんの人を傷つけてきたかということを思い知ってくるのだ。

その一つが、最初の夫とのことだ。彼はマリオンの恩師で、年齢の離れた男だった。おそらく夫はラジカルな思想の教師であったろう。その思想がマリオンには輝いてみえた。二人は結婚した。数年後、マリオンは妊娠する。だが、学究の徒として野心をもつマリオンには子どもをもうけることは、仕事ができなくなることと考えて、中絶をする。それを、夫は事後に知らされて、マリオンに怒りをぶつける。中年に達していた夫にとって、子どもを得ることは、残された人生のなかで、奇跡としかいいようのないものだったのだ。
おれはもう子供をつくる機会がないとなじる夫に対して、マリオンは言葉を発する。「私はこれから学問をめざさねばならぬ身。赤ん坊の世話などできない.」
そして、実に残酷な言葉を継ぐのである。「あなたは、人生なんて意味がないって、普段説いているじゃない。そのあなたが子どもを欲するなんて」
その言葉を聞かされた夫の顔は写らない。ただ、後姿の脚ばかり。しかし、どれほど残酷な言葉であったか、観客には痛いほど伝わる。
この後のシークエンスで、夫はその後酒びたりとなり、睡眠薬と酒の量を間違えて事故死する。それは、ひょっとすると自殺だったかもしれないと、マリオンの友人の口を通して明かされる。

この場面のことが、ずっと心に残った。
撮影はスペン・ニクピスト。あのベルイマンの「野いちご」のカメラマン。

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by yamato-y | 2009-03-21 01:05 | 登羊亭日乗 | Comments(0)

シャイな青年の変身

シャイな青年の変身

「全身漫画家」の編集は最終局面に入っている。土曜日にクリーンピクチャー(テロップ、ナレーション、音楽の入っていない白素材)が出来上がる予定で、最後の追い込みとなっていて、昨夜も六本木の編集室に私は詰めた。本編89分に対して、まだ95分ぐらいある。あと7、8分ほど尺詰めの必要がある。そういう段階だが、おおよその「物語」はみえてきた。とは言いながら、別班はまだ昨夜もロケ撮影をしている。最後までいい画を撮りたいということだ。

 とにかく、赤塚不二夫という人は若い頃はシャイだった。しかもハンサムである。往年の酒毒によって、むくんだような顔しか知らない若い読者からみれば、別人のようだ。中学を出ると、町の映画館の看板を描いていた”少年”が一念発起して、東京にやってきて、小松川の化学工場で働きながら、貸本漫画をコツコツ描くことになる。この頃をよく知る友人よこたとくおさんは、彼の底にコンプレックスがあったと指摘する。それは、学歴であり、優秀な年少の友人石ノ森章太郎へのものである。

 この小松川時代は、やがて椎名町トキワ荘の時代へと移っていく。ここで、「少女フレンド」の名編集者丸山昭さんと少女漫画の旗手水野英子さんの二人に、現在の椎名町を歩いてもらう。この椎名町という町名は今はない。トキワ荘の建っていた場所も、今では鉄筋モルタルのオフィスに変わっているが、近所のラーメン屋松葉はまだあった。そこで、二人はあの時代のことを懐かしく振り返るのだ。この辺が、最近私が愛読している、藤子不二雄A氏の『愛・・・しりそめし頃に・・・』に登場するエピソードの数々だ。お金のなかった赤塚が台所のシンクに水を溜めて体を洗ったという話は有名だが、石ノ森氏がふろ嫌いだとは知らなかった。その彼を赤塚はひっぱって、銭湯に行く。そのとき水野さんもいっしょだ。3人で行って、帰りは「神田川」のように銭湯の前で待ち合わせをするのだった。その光景を思い浮かべると、胸熱くさせるものがある。

 貧しくシャイな青年の人生が大きく変わるのは、それまで少女漫画を描いていたところから大きく転身するときだ。ある事情で漫画のアナがあいた。埋める原稿が必要ということで、石ノ森のところへ話が来たとき、彼はそれを赤塚に振る。いつもの少女漫画でなく好きなものを描いていいと言われて、赤塚はギャグ漫画に一歩踏み出すのだ。そのキャラクターの名前は石ノ森がつけてくれた。「ナマちゃん」。
これが好評となり、単発でなくなり連載となる。ここから、赤塚の人生は大きく変化し、かつシャイだった青年がどんどん口を開くようになっていく。コンプレックスの対象であった石ノ森氏は、一方で赤塚の人生に大きな役割を果たしている。今回の番組を制作するなかで、私は石ノ森章太郎という人物を見直した。漫画作家として優秀なことは言うまでもないが、人間としての振る舞いが実にディーセントで、かつ繊細なのだ。この二人の若い日の写真が実にいい。鈴木伸一さんのところからお借りしたものだ。あぐらをかいている石ノ森の髪を赤塚がぱーっと立てて悪戯している2ショットだ。二人の信頼が現れている。ぜひ、番組でごらんいただきたい。

 番組の構成は3つの章に分かれている。1章は「おそ松くん」でブレイクするまで。2章はナンセンス・ギャグマンガというこれまでなかった世界はどうやって作られたかをみつめる。そして、3章が、ここが一番難しく、今も悩んでいる部分だが、彼のひととなりと作品のからみについての検証となる。

 ポスターだけ出来上がった。来週の館内ポスターの原紙を本日届けるべく、昨夜納品してもらった。猫菊千代を抱いている赤塚に「全身漫画家」というアラーキーさんの題字が重なる洒落たものだ。これがあがってくると、まもなく編集もアップ、来週はいよいよナレーション段階となる。連休もほとんど仕事となるだろう。

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by yamato-y | 2009-03-19 08:23 | 少年誌の青春時代 | Comments(0)


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