定年再出発  


懐かしい空
by yamato-y
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裏白洲次郎

裏白洲次郎

今夜のNHKドラマスペシャル「白洲次郎」は、久しぶりに大人の鑑賞に耐える作品を提供していた。
白洲夫妻については、ここ数年”異常”な人気があったから、ある意味で時宜を得たのかもしれない。ドラマのレベルは高いと思った。
今、私自身ドラマを研究しているから、このテレビドラマがどれほど凝っているかは理解できた。私がやろうとするドラマなど、予算において一桁いやもっと低いかもしれない。相当贅沢な番組だった。それと配役がよかった。主役の白洲夫妻を演じた伊勢谷裕介と中谷美紀は見事な演技と存在感だった。晩年の次郎の神山繁はいただけない。

伝記のドラマだから、登場する人物は実在している。だから、すべて事実かというとそうはならない。次郎のリベラルなヒーローぶりは格好良すぎではあった。それが悪いというわけではないが、歴史の事実を知らない若者たちが見れば、宮中反戦グループはさもレジスタンスを貫いたようにみえ、リーダーたち貴族のあり方にも無批判になってしまうかもしれない。
ドラマの最後に、「これは事実にもとずいたフィクションである」とテロップが出ていたのは、まあ順当な措置だろう。

さて、本日、大伴昌司の母四至本アイさんを訪ねた。100歳の傑女だ。夫は四至本八郎。20年ほど前に亡くなっている。この八郎は、実は白洲次郎のように表には出なかったが、同じ軌跡を歩いた人物だということを、アイさんは教えてくれた。
八郎も次郎同様アメリカの大学を卒業してアメリカでジャーナリストの腕を磨く。そこでルーズベルト人脈との交流を深めて帰国。その政策を報告した『ブレーントラスト』は戦前のベストセラーとなる。その米国通をかわれて、八郎は近衛内閣のブレーンとなる。やがて、政府からメキシコとの貿易振興の斡旋所の所長となってメキシコへ派遣される。

戦後の八郎の活躍(暗躍)こそ裏次郎にふさわしい。
昭和25年クリスマスイブの日に副総理の上原とともに羽田を立ってアメリカに向かう。時の首相吉田茂から直々に依頼されたのだ。日米講和条約の根回しにワシントンに向かったのだ。講和は大統領が認めるだけでは成立しない。上下両院の議員の同意も必要なのだ。その議会への働きかけを、八郎は上原とともに3ヶ月にわたり行った。
帰国したのは翌年の3月3日、ひな祭りの日だったから、アイさんはよく記憶している。それから半年後、吉田茂は白洲次郎を連れて、条約調印に向かったのだが、八郎は表には出ないでその達成を裏で動いていたのだ。

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by yamato-y | 2009-02-28 23:47 | 大伴昌司の遺産 | Comments(0)

初めの頃

初めの頃

「ヒトラーの贋札」は80回アカデミー外国語映画賞の受賞作だということで期待して見たが、つまらなかった。思わせぶりな映像と演技がハナについた。最後まで見れば仕掛けがあったのかもしれないが、物語の前半で見る気が失せた。

 ということで、映画を見るのをやめて、藤子不二雄Aの「愛・・・しりそめし頃に・・・」の4巻から6巻までを読んだ。今取材している「赤塚不二夫論」と「少年週刊誌」の番組と連関する”文献”だと思って購入した青年コミックだが、すっかり魅せられている。現在8巻まで発売されているが、すべて手にいれた。残りの7、8巻を読むのが楽しみだ。この作品は、藤子の自伝的な漫画で、これに先行する「まんが道」の青春編ともいえるものだ。

 富山から出てきた若い漫画家満賀道雄がトキワ荘に住んで、仕事とともに人生を学んで行くというビルディングスロマンだ。
漫画というメディアがどうやって発達していくかが、満賀とその友人たち、そして手塚治虫のウゴキからよく分かる。分かるという情報だけでなく、貧しい青年が志を必死で守り抜いていく姿に、ちょっぴり感動する。

自伝漫画ではあるがむろんフィクション化されていることもある。すべて事実だととらえるべきではないとは承知しているが、トキワ荘仲間のトモガキとはこうであったのだろうなあと彷彿させる。

 この漫画の節目に、詩が出て来る。藤子は詞と記しているのは、照れているからだろう。ちょっとセンチな詞がなかなかいいのだ。その詞には作者名があって、いろいろなものがある。ホイットニー、サトウ緑郎、ヨド・ハルナガ、三好徹司、白季などなど。あきらかにモジっているから、すべて藤子作だろう。
例えば、石森章太郎が長い旅に出かけてもどってきたときの場面。トキワ荘の2階から、石森が帰って来るのをみつけた満賀が叫ぶ。「おーい、石森氏が帰ってきたぞ!」仲間たちが駆けつける足元。そして玄関で出迎える。この最後のコマはロングショットで、石森の背中ごしにテラさんや満賀、赤塚の顔が並ぶ。そこに白季の詞「友帰る」が四角の吹き出しに記される。(映像でいえばナレーションのように)

帰ってきた 帰ってきた
友だちが 帰ってきた
長い旅の末に・・・

さあ 今夜は
宴をはろう
彼をかこんで・・・
盃をくみかわし

つもる話を
しようじゃないか

この詞という演出が実にうまくはまっている。この「愛・・・しりそめし頃に・・・」を読んでいると、市川準の映画を見ているようなほのぼの感がある。

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by yamato-y | 2009-02-28 10:12 | Comments(0)

青いラグーナ

青いラグーナ

夢をみた。海辺だが小高い丘などがあって林もあった。その土地は乱開発され少し痛んでいた。その土地を癒しながら保全していく。夜の作業で、土地も林も青いうす闇のなかにあった。月明かりが青かったのか、林も青い光のなかに立っていた。修復作業が2日ほどで終わり、その様子をながめる。海辺に近づいても海自体は見えない。海が、葉っぱの下にあるということだけを知覚する。葉っぱは芭蕉の葉のように大きなものが幾重にも重なっている。どうやら、その地形はラグーナのようだ。

ラグーナとは「潟」のこと。英語ではラグーン。イタリアにかつて行ったときに知った言葉だ。イタリア国土が河川によって削られ、その土砂が海辺にまで流されて出来上がった湿地帯、ラグーナ。そのラグーナのような地形の日本のどこかに、ぼくは立っている。その形はDを二つ重ねたBが全体のようだ。最初のD形のほうが後のより大きい。その最初のDを映像で計ろうと起点からカメラが回る。そこにベンチがあって、ベテランカメラマンのMさんがどっしりと座って海のほうを眺めている。そこから、カメラは全速力で、Dの一番下まで移動していく。そのトラックショットはおそらくバイクか車に乗っているのだろう。すごいスピードだ。

ふっと気がつく。起点にMさんがいたということは、これは誰が撮影しているのだ。
あ、亡くなったコダカちゃんじゃないか。名状しがたいものが胸をかけめぐる。

一つ目のDが終わって、次のDに移る。そこの最初の地点には小高い丘があって、貧しい家が並んでいる。その大半は空き家と化している。「これを村八分、二分ともいう」とコメントされる。こういう状況を村八分とはいわないだろう。もっと適切な表現を考えるべきと、ぼくはつぶやく。

ラグーナに立っている。海らしいものは見えない。だけど、海の近くにいることは体感している。夜の青いラグーナ。

と、夢から覚めて、すぐに書いてみた。ぼくには、読み返してもおおよそのイメージが立ち上がってきて、分かるが、はたして他の人には「何のこっちゃい」ということだろう。
青白い痩せた土地に生えるひょろひょろとした木々。昨夜読んだ、村上春樹の「壁と卵」。このふたつが、ちびくろサンボの虎たちのように溶けて、だんだんバターになっていく。

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by yamato-y | 2009-02-27 08:21 | Comments(0)

西部劇に夢中だった頃

ローン・レンジャーがやってきた


クラシック音楽が苦手な私はときどき大勘違いをする。その一つがロッシーニだ。中学生の頃、音楽の時間にロッシーニの有名な曲を聞かされ。流れたのが“ウィリアム・テル序曲”。曲名を問われて、私は思わず『ローン・レンジャー』のテーマと答えたことがある。

 1960年代前半、アメリカ製テレビ映画が流行った。週に20本ほどあった。当時、5社協定などがあって、日本の映画界はテレビに対して非協力だった。テレビのソフト(番組)が不足していたということもあって、海外からの作品で補っていたわけだ。なかでも西部劇はテレビの主役だった。毎日、どこかのチャンネルで必ず西部劇が放送されていた。「ガンスモーク」「ララミー牧場」「ローハイド」「ボナンザ」と並ぶ西部劇のなかで、好きだったのが、「ローン・レンジャー」。白い帽子に黒いマスク、腰には二挺拳銃を下げていた。いつも白馬のシルバーにまたがり従者のトントを連れていた。その姿は怪傑ゾロに似ていた。

元々、「ローン・レンジャー」はアメリカンコミックスから始まり、1930年代にラジオドラマになっていた。スーパーマンと並ぶほどの人気があった。戦後、クレイトン・ムーアの主演でテレビ・シリーズとなりテレビでも人気番組となったのだ。西部の開拓民の家族が悪漢に襲われて危機が迫ったとき、どこからともなく現れて救出するヒーローがローンレンジャーだった。このレンジャーが登場するときに流れるのが小気味のいい”ウィリアム・テル序曲”だった。ハイヨー シルバー!という掛け声、シルバーが嘶(いなないて前足を高く揚げ、次に疾駆する。この一連のアクションにウィリアム・テル序曲が伴奏するのだ。格好いいなあと憧れた。

番組の最後に懸賞募集があって、弟と二人で応募した。数日後、選外となった通知が絵葉書で届いた。それはシルバーにまたがったレンジャーが微笑む姿だった。番組宣伝用の葉書だったかもしれないが、私には大事な宝物となった。箪笥の上のラジオの横に立てかけて、いつもうっとり見ていた。

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by yamato-y | 2009-02-26 11:48 | 少年誌の青春時代 | Comments(0)

お家に一直線

お家に一直線

湘南ホームライナー、7時半に乗って大磯へ向かっている。朝からの雨も上がり、気持ちのいい夜半だ。電車に乗る前に東急本店の地下でうなぎ弁当とグラッパ「ポリ」を買っておいた。イタリアの強い酒グラッパのポケット瓶である。ホームライナーという呼び名はお家に一直線という意味から付けたのだろう。

さて、電車に乗ると、やおら弁当を広げ、酒を口にして、読書となる。今夜、読むのは赤塚不二夫本とトキワ荘本だ。このところ、私はすっかりトキワ荘の伝説の漫画家たちに心を奪われている。とにかく、登場する人物の誰もいい。寺田ヒロオ、藤子不二雄の二人、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、鈴木伸一、森安なおや、水野英子・・・。信じられないほど善意の若者たちだ。そこで育まれた友情、同士愛、トモガキは何度読み返してもジンと来るものがある。名編集者丸山昭曰く、「トキワ荘はいわば旧制高校の寮生活のようなものであった。メンバーはここで人生を知り、漫画というものを学んだのだ」

トキワ荘には手塚治虫が住んでいるという噂が、トキワ荘がある椎名町界隈には広がっていた。近所の少年たちは手塚のサインが欲しいと、トキワ荘にこぞって出掛けた。現在、お米屋を営んでいるYさんも、当時中学一年生で、トキワ荘に出掛けた一人だ。

トキワ荘のみしみし言う階段を上がって、2階でキョロキョロしていたら、色の白い青年が声をかけてくれた。
「どこに行きたいの」。手塚治虫さんと答えると、その青年は「先生は、もうここにはいないよ。サインが欲しいなら書いてあげようか」といった。
その青年に導かれて、ある部屋の中に入ると、もう一人小太りのベレー帽をかぶった人が寝ていた。
「おい、石森。この子達にサインしてあげようよ」と色の白い青年が言うと、ベレー帽はのそのそおきてきてサインした。ネズミのキャラクターを描いてくれた。
色の白い青年は、いたずらっ子が寝転ぶ姿の漫画を描いて、その色紙に「ナマちゃん」と書き添えてくれた。少年Yは、今も、そのときに描いてもらった赤塚の漫画を大事に取って保管している。色の白い優しい青年が、今おもえば赤塚不二夫だったのだと、Y少年は還暦を過ぎた今になって感動している。

Y少年は当時中学一年生になっていたが、小学校の頃、よくトキワ荘の敷地のなかへ遊びに入った。庭先に使い古したようなGペンが落ちていたのだ。それを拾って学校へ持って行くと、クラスメートに自慢できた。それはいいけど、トキワ荘の評判は悪かった。というのは深夜遅くまで騒いだりおしゃべりしていることが絶えなかったのだ。近所から「うるさーい、今何時だと思っているのだ」と怒鳴る声が聞こえた、そうだ。

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by yamato-y | 2009-02-25 21:25 | 少年誌の青春時代 | Comments(0)

出会いと人柄

出会いと人柄

ちょうど、南長崎で撮影するときだけ薄日がさした。80歳に近い丸山昭さんと水野英子さんをお連れして、トキワ荘のあった場所と近所のラーメン屋松葉で収録となった。赤塚、石森コンビに紅一点の水野さんが加わって、3人合作で作品を描いていた時期がある。このコラボレーションを仕掛けたのが、少女クラブの編集者、丸山昭さんだ。3人で使ったペンネームはドイツ人風U・マイヤー。(もちろん、うまいやをモジッテイル)
とにかく、赤塚、石森は本当に仲がよかった。女子の水野さんが参加しても、妙な感情もなく、同士のような付き合いが続いたという。
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トキワ荘から3人で近くの銭湯に行くことがあった。風呂嫌いの石森を赤塚が引っ張っていく。風呂屋の前で男女に別れて、帰りを待ち合わせる。水野さんが遅れて出てきても、赤塚石森は玄関で楽しそうにしゃべっていた。いつも二人はいっしょだった。
3人で徹夜して漫画を描くこともあった。夜中の2時を過ぎた頃から、二人は(特に赤塚)は下ネタを話しはじめる。下関から出てきたばかりの18歳の少女は、内心ぎょっとしながらできるだけ平然としてみせた。でも、これで鍛えられたから、男社会の出版社でも全然平気になったわ、と楽しそうに語る。

トキワ荘というのは、誰でも入れたわけではない。「漫画少年」で入選とか佳作になったような才能がある程度そろっていた。みんな漫画が好きだったから、一日中、漫画と映画のことだけ話していても楽しかった。ここは、旧制高校の寮のような「同じ釜の飯」仲間が醸成されたと、丸山さんはみている。

さきほどのU・マイヤー3人合作の話。ストーリーとコマ割は石森が担当し、主人公の男女を水野が描き、背景や草花、レタリングと仕上げを赤塚が担当した。その当時の、赤塚のペンタッチは細く繊細で緻密だ。なかなかの画力を感じさせる。後年、オイラは絵が描けないから高井研一郎にまかせた、なんて赤塚語録が流布されたが、水野さんに言わせると、赤塚の絵はなかなかのものだったという。シャイで口数が少なかったけど、ちょっとHだったしサービス精神は人一倍旺盛だった。
「おそ松くん」で小学館漫画賞を受賞したときごろから、赤塚は自信に溢れたようになっていったと丸山さんは分析する。でも、他者が赤塚に期待することを、精一杯やりとげようとサービスに徹した。
水野さんは赤塚の誰と会っても同じ対応をとることの見事さを評価した。けっして威張らない見下さないのだ。どんな人と会っても、自分のほうが一段低いところに置いて対応する癖は終生変わらなかった。

とにかく、二人から面白い話が一杯出た。これから、編集に入っていくのだが、どうやって短縮するか、かなり大変だぞ。と、嬉しい悲鳴。

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この塀の後ろにトキワ荘はあった
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by yamato-y | 2009-02-24 20:22 | 少年誌の青春時代 | Comments(0)

椎名町へ

椎名町へ

午後に旧椎名町の二股交番へ行く。トキワ荘跡地での撮影が行われる。
3月の特番「赤塚不二夫」の取材である。
大事な二人の人物がその現地に来てくれる。漫画家の水野英子さんと編集者の丸山昭さんだ。
二人ともトキワ荘を知悉している。水野さんはおよそ1年間住んだことさえある。トキワ荘グループの紅一点。
丸山さんは「少女クラブ」の編集者として、そのアパートに出入りした。後に編集長時代、例のちばてつや傷害事件が起きた。穴を埋めるために原稿をトキワ荘に持ち込んだその人である。二人はどんな話をしてくれるだろうか。

さて、準備のため丸山昭著『トキワ荘実録』を読んだ。そこでどきっとすることを発見した。
平成元年に手塚治虫、2年に寺田ヒロオ、8年に藤子F不二雄、10年には石ノ森章太郎が死去している。いずれも60歳か61歳だ。なんと、今の私と同年じゃないか。早い。本当に早い。

昨年、赤塚不二夫が72歳で亡くなったときに早いと思われたが、他のメンバーに比べればずっと長生きしていたんだ。

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by yamato-y | 2009-02-24 09:45 | 少年誌の青春時代 | Comments(0)

なーんだ知っていたくせに

なーんだ知っていたくせに

本日は有休をとった。年度末になって、気がつくと20日ほど有休が残っている。たしか、3年前の第一次定年をむかえたときも、40日ほどの休みを捨てたことがあった。だいたい仕事人間だからすぐ会社へ行くくせがついてしまったのだ。昨日のロミさんの話で、有休はサラリーマンの大切な権利です、という言葉を思い出した。一昨日もロケに出て、昨日も終日外出していたから1週間休んでいない。ここでちょっと休むことにした。といっても出社して昼までオフィスにいたが、なんとなく映画を見たくなって、「今日は休みにするわ」と言いおいて退社した。渋東シネタワーでやっていた「チェンジリング」でも見ようかなと、駅まで歩く。

昼からの興行が13時45分。それまで1時間あるから、ツタヤに入る。店内放送で、今日は半額日とアナウンスされると、DVDが借りたくなった。で借りた。「アメリカを売った男」「ヒトラーの贋金作り」「長い長い物語」の3本。これを借りたら映画を見る気が失せた。ツタヤ地下一階のコミックスコーナーへ回る。すると、今私が調べている赤塚不二夫本、藤子不二雄本がずらりと並んでいた。興奮して、単行本とコミックスを1万円ほど購入。そのなかに、藤子不二雄Aの「愛・・・知りそめし頃に・・・」の一巻から5巻までがある。意味深なタイトルだなと思って開いた最初の一巻、冒頭に、愛・・・知りそめし頃にのエピソードが出て来る。主人公の満賀道雄こと藤子不二雄A21歳。彼が暇そうに写生をしているトキワ荘、昭和31年2月から物語で始まる。そのアパートの廊下でとびきり美しい女性と出会う。このとき藤子不二雄Aはドキっとしてハートマークが浮き出る。掃き溜めにツルではないかと、仲間の藤子F不二雄とも話し合う。この女性こそ小野寺由恵19歳、石ノ森章太郎の美しい姉だった。

石ノ森章太郎はこの三つ違いの姉のことが大好きでありせつない存在でもあった。というのは、彼女は幼い頃からひどい喘息で、そのため高校を行くことも断念したほどだ。病弱であったが、読書が好きで短歌をよくした彼女は、石ノ森章太郎の一番の読者であった。石ノ森は深く姉を愛した。シスコンだ。この姉は、ときどき上京して石ノ森章太郎の面倒をみるためにトキワ荘にやってきた。そして、次第に寺田ヒロオ、藤子不二雄、赤塚不二夫らと交友し、時には富士五湖までピクニックに出かけることもあった。トキワ荘グループのまさに紅一点だった。

この姉がある夜枕を並べて眠る石ノ森章太郎に、このアパートに好きな人がいるということを告白する。それを聞いた石ノ森は憤然と「そんなことを考えるより、病気を治すことのほうが先だろう」と姉を説諭する。石ノ森は少し妬いたのかもしれない。姉はさめざめと泣いた。その泣き声を石ノ森章太郎は後に思い出して、自分を責めるのだ。
姉はそれから半年もしないうちに、トキワ荘で突然発作を起こして急死した。
このことを記した石ノ森章太郎のエッセーには姉の思い人の名前は××さんとしかなかった。今回、「赤塚不二夫」特集を制作するにあたり、私は関係者にこの件についても訊いて回った。「それは我孫子素雄さんしか考えられない」という確証を、関係者から私は得た。
 
10日ほど前に、私は藤子不二雄Aさんにインタビューした。「石ノ森氏のお姉さんが好きだった人を知っていますか?」「え、誰ですかねえ」「藤子不二雄A先生、あなたですよ」「ええ恥ずかしいですよ、そんな40年も前のことを」といって藤子不二雄Aさんはおおいに照れていた。そのときは、この「愛・・・知りそめし頃に・・・」を読んでいなかったから、藤子さんも意外なことでびっくりしたんだなと思っていた。藤子さん自身はお姉さんのこと以外の別の人を懸想していたので、お姉サンの思いには気づいていないのだと思っていた。

ところが、「愛・・・知りそめし頃に・・・」では、満賀道雄はしっかり小野寺由恵を意識していたではないか。私がインタビューしたとき、藤子不二雄A先生は照れてトボケていたのだ。ということを今発見した。あのとき、事務所でのインタビューだったから、アシスタントや関係者が部屋の端っこで聞き耳を立てているから、おおいに照れたにちがいない。でも、この恋物語、なんとか形にしたいなあと思っている。

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by yamato-y | 2009-02-23 19:23 | 少年誌の青春時代 | Comments(0)

言葉のアンチエイジング

言葉のアンチエイジング

久しぶりに忙しい日曜日となった。午前11時に家を出て千葉の八千代へ行った。あのコダカカメラマンの四十九日の法要があったのだ。暖かい日差しで穏やかな法要を終えることができた。30人近い同僚がわかれを惜しんだ。車椅子のご母堂の背中が小さく淋しげだった。

3時半過ぎ、西船橋から大急ぎで東西線から日比谷線を乗り継いで、都立大学前まで。目黒通りのインテリア専門学校にあるイベントホールだ。ここで、6時からトークセッションが行われた。敬愛するロミさんが出演した。世代を超えて、新しい仕事を作り上げるとはという主題だった。そこで面白いことを聞いた。

年齢を重ねると、ものの言い方が権力的になってくる。つい命令口調だったり断定的だったり、人を裁くような口調になってしまう。こういう言い方では若い者は口を噤むことになる。そっぽを向くことになる。
命令ではなく誘うような表現にしたらどうかと、ロミさんは提案する。言葉のアンチエイジングだそうだ。なるほどと合点する。明日から実行してみようかなあ。

そして、9時過ぎに帰宅して、このパソコンを開いた。二人からメールが入っていた。一人は京都の大学の教え子で結婚したというニュース。もう一人は、このブログへコメントをしていただいたニルスさん。二人とも、ワタシのブログを読んでいてくれるという。嬉しいかぎりだ。特にニルスさんはワタシと同世代のようだ。出来たら、読後感などをときどき聞かせていただけると嬉しいのだが。

ワタシの大学での授業は年間4単位だけなのに、それでもワタシを「先生」と呼んでくれることは嬉しいものだ。それや、これやで、今夜はいささか心楽しい。  

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by yamato-y | 2009-02-23 00:21 | Comments(1)

喪失した町で

喪失した町で

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荻窪にある杉並アニメーション・ミュージアムに行ってきた。館長の鈴木伸一さんのインタビューに立ち会うためだ。鈴木さんは1年だけトキワ荘に住んで、寺田ヒロオ、藤子不二雄の二人、石森章太郎、赤塚不二夫と新漫画党を結成した人物。最初は漫画を描いていたが、アニメーションを志望して、鎌倉にある横山隆一のおとぎプロへ行ったため、他のメンバーと少し生き方がずれている。トキワ荘を出ても、仲間との交流を絶やさずよく会っていた。アニメーターになった鈴木さんは小池という家に下宿した。当時ラーメンばかり食べていた。その姿が、藤子・F・不二雄によって捉えられ、「オバケのQ太郎」に「ラーメン大好き小池さん」というアバターが生まれる。

取材の第一の目的は、赤塚不二夫についての鈴木さんの感懐であったが、次第に、トキワ荘の兄貴寺田ヒロオのことに移っていった。

ミュージアムでは、赤塚不二夫展と石ノ森章太郎展を開催していた。杉並のやや不便な場所にあるが、会場にはかなりおおぜいの人がいた。ここで、赤塚と石ノ森のトキワ荘時代の珍しい2ショットが見ることができる。

取材を終えて、私はスタッフとは別れて、一人で四面道から日大通りへ向かった。今から30年前に私は天沼2丁目に住んでいたことがあり、久しぶりに昔のアパートを見たくなったのだ。日大通りは昔とあまり変わってはいないが、店屋のシャッターがずいぶん下りていた。昔通った3つの銭湯は健在だった。杉並第5小学校の裏にあった2階建てのアパートに私はいた。6畳一間で外風呂だった。いつも仕舞い湯に駆け込んだ。

杉並第5小学校は壊されていた。だだっ広い空き地となり、工事が行われていた。この辺りのランドスケープで、緑の森だった学校がばっさりなくなっていた。胸が苦しくなった。裏に回ってアパートの前の路地に入った。アパートもなかった。草がぼうぼうの空き地だけとなっていた。それから、天沼八幡を抜けて教会通り、荻窪駅前までどうやって歩いたか、はっきりとしない。町があまりに変わっていて、風景が目にしっかりとどまらなかった。変わり果てた姿を見たくないという思いもあった。昔よく通った古書店も3軒潰れていた。代わって、ブックオフが大きな顔でのさばっていた。

なんとなく、敦賀や金沢、長崎、広島といった場所は、過ぎ去った地と思っていたが、荻窪はまだ私の近い過去と考えていた。だが、現実の荻窪は私の荻窪ではなかった。
夕方になって、斜陽のさす駅前商店街をとぼとぼと歩くしかなかった。


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by yamato-y | 2009-02-21 23:15 | 魂のこと | Comments(1)


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