定年再出発  


懐かしい空
by yamato-y
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子供の力

子供の力

なにげなくテレビをつけたら不思議な番組が流れていた。保育園の4,5歳の子供たちが泥んこ遊びをしている。保育園の園庭に水溜りを作って、泥だらけで遊んでいる。本当にこどもたちは楽しそうだ。木更津の保育所での出来事だそうだ。この保育所が近くの里山を利用して保育している様子をほぼ一年にわたって取材した番組らしい。ネットの番組表で確かめると、2007年に放送されたETV特集「里山保育が子どもを変える」の再放送だったようだ。

とにかく画に力がある。あるいじめっ子でありいじめられっ子のシュウタが、変容していくさまをきわめて自然に撮っている。あの「はじめてのお使い」のように幾つもクルーをカムフラージュして撮るケレンの映像ではなく、低いカメラのまなざしでしっかり記録している。つい、最後まで見入った。この保育園では小さな怪我は怖れずに子供に刃物を持たせたり、田んぼのなかに入らせたりする方針なのだ。この映像を見ながら、赤塚不二夫のちび太の世界を思った。赤塚が子供たちに伝えたかった世界とは、こういうことではないだろうか。

昨日、藤子不二雄Aこと安孫子素雄さんを取材した。今では、伝説のトキワ荘を知る貴重な人物だ。先生は、赤塚とトキワ荘の時代もスタジオゼロの時代もともにしている。そのゼロの時代を懐かしそうに話してくれた。そのスタジオには赤塚、藤子、つのだじろうの3つのプロダクションが同居していて、赤塚チームはいつもお祭り騒ぎだったという。銀玉鉄砲を撃ち合って騒ぐのだ。いい大人が自分の部屋で飽き足らず、藤子部屋やつのだ部屋まで駆け込んできた。真面目な藤子F不二雄は、最後に切れて「うるさーい」という。しゅんとしながら、部屋を出て行ってまた撃ち合いをやっていたという。安孫子さんは、赤塚マンガの秘密はそういう子供の心を失わないところから来ていると、証言した。この子供の心というのは、今夜見た里山保育の子供たちのものと同じだ。

そして、本日の午後、あの「キャップテンウルトラ」や「仮面ライダー」を作った東映の伝説的なプロデューサー平山亨氏に話を聞いた。80歳になる平山さんはおみ足が不自由だが、弁舌は少しも衰えていない。
「キャップテンウルトラ」や「仮面ライダー」の時代を3時間にわたって、滔々と語っていただいた。その平山さんも、子供をバカにしちゃいけない、こどもの見抜く力はすごいのだということを、繰り返し強調していた。平山さん自身、幼いときにこんな経験をしている。あるとき、注射をされることになり「ヤダ、ヤダ」と泣き叫んだ。医者や看護師らは「痛くない、痛くないよ」といって、捕まえて平山さんに注射した。すると、やっぱり注射は痛かった。裏切られたと思った平山さんはそこにいた看護師たちのスカートをパーッとめくったそうだ。あまりに頭に来たのだ。これぐらい、こどもというのは凄い力やプライドがあるもので、その子供をなめてはいけない、自分が担当した特撮ドラマでも、ジャリ向けのドラマかなんていう役者はどんなに有名でも、ぜったいに起用しなかったと、鼻の穴を膨らませて語ってくれた。そのお顔はチビ太に似ていた。その顔と、今夜見たシュウタの顔がさらに重なった。

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by yamato-y | 2009-01-31 22:45 | 少年誌の青春時代 | Comments(0)

グスン

グスン

少年サンデー5代目編集長の高柳さんを取材した。とにかく面白い。話を聞いていると、創刊から10年ほどの少年週刊誌の神話時代は漫画家も編集者も読者も熱くユニークで純情だ、ということを実感する。ベビーブーマーの私はこのカテゴリーの中の読者に含まれることを光栄に思う。

その当時のぼくらはどんな読者だったかを、想起させる絵があの石原豪人画伯によって描きとめられているのを発見。題して「昔の子供はいろいろ苦労した」。
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家にやってきたテレビはむろん白黒で14インチ。小さかったが現在のテレビの500倍ぐらい面白かった。テレビを見すぎると目を悪くするから、3メートルは離れてみなさいとしつけられた。一人に一部屋なんて身分の子供は周りを見ても誰もいない。弟や兄たちと混じる相部屋で勉強机があって蛍光灯のスタンドを立てて宿題をやっている、ふりをしながら引き出しにサンデー・マガジンを忍ばせて読んでいた。母親が近づいてくるとさっと引き出しを閉めた。それを弟が言いつけて、おかげでぼくは叱られる。母親がいなくなったあと、弟の頭をごつんとやる。泣く。ふすまが開いて「また、弟を苛めて」と再び説教をくらう。豪人先生の絵とキャプションは当時のぼくらの様子を活写している。「マンガばかり読んでいると叱られるので勉強をしてるふりをしてサンデーを読んだ。」

この記事は、実は高柳さんから借りた少年サンデー創刊30周年記念号の中にあって、1989年4月に発行されている。この記念号に飛び切りのネタがあった。それは、「おそ松くん」の一家のその後が作者赤塚不二夫によって描かれていたのだ。実に彼らは劇的に早死にしていたのだ。
6つ子一家(父も母も含む)は昭和45年3月6日に、はじめて食べたふぐ料理で全員中毒死。ぼくが会社へ入る直前、実家でだらだらしているときに、おそ松一家は死んでいたのだ。グスン。翌年の1月8日、私は大阪にいたその日、イヤミは歯槽膿漏で死んでいる。昭和50年の12月8日9日と連続して名優が死す。ダヨーンのおじさんとハタ坊だ。ハタ坊の場合、ハタに落雷して黒こげになったという。53年のエープリルフールにあのトト子ちゃんが拒食症になり体重3キロにまでなって餓死。グスン。デカパンは55年の8月6日ヒロシマの日に、金属パンツをはいたために傷が出来破傷風で死亡。そして、作者の赤塚不二夫は昭和63年1月1日、つまりこの記念号の年の正月にアル中でマンガが描けなくなって自殺した、とある。昭和の終わりとともに「おそ松くん」の人々はみんな昇天した。
少年時代、夢中になって読んだ「おそ松くん」の登場人物たちの悲惨な運命を、連載が始まった昭和37年から47年も経って知ることになった、嗚呼。
c0048132_015382.jpg

・・・と思って、よく考えたのだが、ちび太がこのなかに入っていないぞ。ひょっとすると、われらがちび太は、世紀を越えてまだ生きているのじゃないか。


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by yamato-y | 2009-01-30 00:13 | あしたのジョーの、あの時代 | Comments(0)

老いの小文

老いの小文

2週間毎に通っているタケ先生の鍼を、ローテーションを変えて昨夜行った。体が冷えているらしい。少しきついお灸をすえてもらった。1月生まれで元来寒さにはつよいほうだったが、年々こたえるようになってきている。さらに、老眼がすすんだようだ。パソコンの文字のフォントが標準のサイズでは読みづらくなっている。昔、福祉番組を制作しているときに行った実験を思い出した。

20年前になるか。障害をもった人たちや高齢者と共生する社会をめざそうというキャンペーンの番組を何本か作った。そのなかで、若者が障害体験をするという実験の番組を作った。アイマスクをして目の不自由な人の境遇を体験したり、脚におもりをつけて高齢者の衰えた筋肉を実感したりする実験だ。いろいろなレベルで小学生たちに体験してもらうなかで、私もいくつかをやってみた。度が合わない老眼鏡をかけて町を歩く、ということをやったときに、老人というのはずいぶん不便をかこっているものだと感じた。

感じた、と思っていた。ところが、実際にその年齢に近づき、老眼になってくると、あのときの理解していたことはまったく実態と離れたところにあったなと思う。現象的にはずれてはいない。たしかに目がぼやけてモノが見づらい。が、それ以外の感覚は鋭いから、不自由な視覚をおぎなっていた。今は、視覚のみか聴覚も身体感覚もぜんたいに鈍重になっていて、老眼の見辛さだけではいえない、かすみがかかったような感じが全体に押し寄せてくる。

昨日の昼食は、映画の大プロデューサーのMさんとごいっしょした。
不況は映画界にも当然押し寄せている。しかも、世間的な経済不況の上に日本映画の構造的な不況が重なってたいへんなことになっているようだ。
この3年間、日本映画は好調だった。ハリウッドの凋落もあって、毎年400本ほどの日本映画を製作してきた。それまでは200本程度だから倍の規模で謳歌してきた。数千万円のVシネマに近い映画から30億50億の大作まで、年400本作っても一応需要はあった。映画の興行が成功しなくても、その後のDVD化で利益を確保できるという方式が一応うまく機能していた。玉石混淆の作品群が出現した。悪貨は良貨を駆逐していく。だんだん、映画の質が落ちてきた。しかも、映画の興行成功させるためのスキームばかりが追求されるようになった。製作委員会方式は、映画会社とテレビ局と商社と銀行が中心に収益回収の仕掛けとなって、リスクがあるときだけ外部の資本を導入するという、映画のネオコン状態になった。加えて、世界的不況である。

映画製作じたいは、機材の進展などもあって昔より少ない予算でも出来るようになり、雨後のタケノコ状態で、年400本も作られるようになった。一日に1本の割合で日本映画が出来ているのだ。この映画をどこで見せるか、映画の”出し場”が問題となる。当然、映画館をもっている大手映画会社の立場が大きくなった。映画興行の成功パターンはテレビを通じて宣伝ということで、テレビ局の関わらない映画はだんだん見離されるようになった。

現在、映画を製作することがきわめて難しい状況となっている。数十億の大作であれば逆に作れる可能性は高いが、1億以下の小さな作品は仮に撮影できても、その映画を掛ける映画館がないのだ。今、映画館はシネマコンプレックスで系列化されていて、評判をとったり成功した映画にばかり並ぶようになっている。客の入りが悪い映画はすぐ打ち切りとなり、話題作にすぐ切り替えられるのだ。

Mさんは現在2つの企画を持っている。一つは数千万の洒落た映画、もう一つは50億ほどの大作。洒落た映画の製作は見通しが立たず、断念することにしたそうだ。では大作かというと、これは3、4年かけて、各界と交渉の必要があり、容易には実現しない。きわめて厳しい状況にMさんはある。
私が昨日会ったのは、Mさんが春から東大で教鞭をとることになって、その相談で来られたのだ。私が5年間大学で教えているので、そのノウハウをちょっと知りたいということで、食事をしながら話し合った。

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by yamato-y | 2009-01-29 09:37 | 登羊亭日乗 | Comments(0)

今の時代気分って

今の時代気分って

テレビ番組の企画を考えるコツとして、私は「1ヒト、2ウゴキ、3ジダイ」ということを挙げた。とにかく面白い(むろん、興味深いという意味)人物を探せ、その人物をとりまく状況が動いている人物を。そして、それは時代の気分とマッチするような、ということを、かつて『テレビ制作入門』(平凡社新書)で記したことがある。

新しい番組の企画を考えるよう要請があって、今がどんな時代気分なのか知ろうと二つの作品を参照にした。1つはアメリカ映画「セックス・アンド・ザ・シティ」、もう一つは今期直木賞を受賞した天童荒太の小説『悼む人』。二つとも完全に見終わっていない、映画は早回しで見て小説は3分の一読書といった段階だから正確なことはいえないかもしれない。が、この段階で感じたことをメモしておこう。
まず、映画は最初の10分をノーマルスピードで見て飽きた。物語の仕込みの段階だから説明的な登場人物紹介となるのだが、あまりに常套で饒舌。物語の奔流がまったくない。当方も酒を飲んでいたせいか眠くなり、寝てしまった。今朝、早回しでざっと見ただけの感想になると前置きしておく。
物語の構造は30代女性(これをアラサーというのか)4人組の恋模様、バブルの時代に流行った「金曜日の妻たち」と似ている。あれよりもっとセックスが露骨に出ているが。その恋模様にニューヨークの華麗なライフスタイルが加味された、ファッショナブルな映画とでもいえるのだろうか。
去年の流行語に「アラサー」か「アラフォー」が選ばれたのは、この映画のせいだったのかと、迂闊にも今頃になって思う。いまどきの女性の”欲望”というものは、これほどまでに大きいと知って辟易するのは、当方が完全に時代遅れかジジイになったか、どちらかのせいに違いない。が、もう一つの可能性は、この映画の背景がアメリカのサブプライムローン破綻以前の時代だったからということもある。アメリカがノー天気に消費社会を楽しんでいた時代だったということ。つまり、今の時代気分とは本場アメリカですらも違ってきてるのじゃないだろうか。昨日もアメリカで6万人のリストラが行われていると、報じているから。

まあ、この映画を前提に、日本の視聴者を対象の番組を企画しても見てくれる可能性は低いのではないかと思った。

小説『悼む人』は少し気になる。悼むとは亡くなった人の冥福を祈ること。なんらかの不幸で亡くなった人を探して、その人のために悼んであげる人物、坂築静人が主人公だ。まだ物語の前半しか読んでいないから早計なことはいえない。ただ、映画「送り人」が話題になったり、この小説が受賞したりで、なんとなく今の関心が「死」に向いているような気がする。普段、テレビや映画でたくさんの死を見ているのだが、実際の死もしくは死体はほとんど見ることがない。死のリアリティが薄れていて、逆にそれを掴みたがっているのだろうか。この死というある意味で後ろ向きなことへの関心は、今の不況が覆い尽くす日本社会の気分とシンクロしているような気もする。

では、ここからどんな企画が構想できるかというと、ない。あまり、そんな気分をすくいあげて番組を作りたいと、私は思わない。むしろ、今人生の後半にさしかかって、自分の歩いて来た道を後悔して虚脱しているような人たちのための番組を作ってみたい。これは他人事ではない。自分自身も含めて、高度成長時代疾走してきた男たちの現在の無力感。そこから来る空白を埋めるような主題を見つけたいと思ってしまった。

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by yamato-y | 2009-01-28 09:18 | 新しい番組を構想して | Comments(0)

テラさんの親切

豊かな知性

泉麻人の『シェーの時代』を読んでいると、この著者は本当に「おそ松くん」を愛していたことがよく分かる。その漫画のもつ「前代未聞性」を具体的に指示している。昨年夏に赤塚が死んで、いろいろ毀誉する人は多いが、本当にリアルタイムで読み面白がっているという人は少ないのじゃないだろうか。破壊的でアナーキーなギャグ、人情的なペーソス、ユニークなキャラクターといったことを大雑把に語るというのがだいたいの線だ。それに比べて、泉は「おそ松くん」の物語に伴走しながら、腹の底から味わっている。彼は赤塚が住んでいた新宿の西のはずれと同じ地域で育ったいうこともあって、とりわけ親近感もあったようだ。たしか、泉は我々ベビーブーマー世代より、一つ下の世代のはず。いわゆるシラケ世代になるのか。

昨夜、いっしょに食事をした人も55歳。やはり、少年サンデー/少年マガジンを創刊の頃から愛読していて、赤塚や寺田ヒロオや桑田次郎の話におおいに盛り上がった。彼は山口県、防府の本屋さんの息子だったので、とりわけ、少年週刊誌2誌に愛着あったようだ。

で、話は飛ぶというか、赤塚に戻るのだけれど、赤塚不二夫がマザコンということは、トキワ荘の連中はみんな知っていたことだ。かあちゃんが新潟から出て来て狭いアパートに同居しながら赤塚の面倒をみ、石森章太郎や水野英子らの食事の世話をしていた。赤塚の自伝『これでいいのだ』で、赤塚は自分はマザコンだと公言している。ガキの頃はかあちゃんから薪ではたかれたにもかかわらず、大好きだったと広言しているのだ。

だが、いまどきの若者のように親離れしていないのかというと、然にあらず。彼は新潟で中学を卒業すると映画の看板屋に勤め、19歳で上京して江戸川の化学工場に住み込みで働くようになる。そして、暇があれば朝から晩まで映画を錦糸町で見ていた。飲まず食わずで映画代を捻出しながら映画館にはりついている赤塚。チャップリン映画のキッドのように健気でインディペンデントだ。この映画三昧は彼の知性を作った。
「ぼくの頭のなかの部屋はがら空きだったから、新しく覚える知識や言葉は次々と貯蔵することができた」と先の自伝で赤塚は書いている。なんと素敵な言葉だろう。

トキワ荘に移ってから、石森のそばでメシスタントをしている頃の赤塚の心中。にこにこしながら、劣等感と不安感に押しつぶされそうになっていたのだろう。漫画では食っていけない、新宿でキャバレーのボーイになろうと、寺田ヒロオの部屋を訪ねたこともあった。そのとき寺田は3万円わたして、これが無くなるまでこのアパートにいろと忠告してくれた。この時飲んだのが涙のチューダーだ。
ここで注。メシスタントとは石森の飯の支度をしながら漫画のアシスタントをしていたこと。チューダーとは焼酎をサイダーで割ったもので貧しかったトキワ荘の連中が好んで飲んだもの。いわずもがなだが、寺田が3万渡すときにチューダーを出してくれた。そこに、赤塚の涙がポチョンとこぼれて落ちた。

ところで、この寺田のエピソードはずっと彼の客気だと思っていた。ところが、サンデー初代編集長の豊田さんから直接こんな話を聞いた。寺田は小学館の学年誌でカットを描いていて、豊田さんとは「付き合いがあった。その健康的な絵柄が小学館の週刊誌にふさわしいと思って、サンデー創刊のときに、連載漫画を依頼する。そして出来上がったのが「スポーツマン金太郎」だ。この漫画の打ち合わせを兼ねて、豊田さんは寺田と何度か飲んだ。そして、寺田に尋ねた。「君が住んでいるアパートで誰かいい漫画家はいないかなあ」寺田は即答「藤子不二雄」。豊田さんはすぐにこの藤子という人物をマークする。まさか二人で描いている人格とは知らない。この藤子もサンデー創刊から「海の王子」で連載を始めることになる。

他にはいないかと豊田さんが聞くと、「石森章太郎と赤塚不二夫。今はまだそうでもないが、将来はきっとたしかなものになるでしょう。この二人は覚えておいたほうがいいですよ」と寺田は語ったというのだ。テラさんこと寺田ヒロオは赤塚の才能をみつけていたのだ。だから3万円渡したのだ。単なる人情話ではなかったのだ。
トキワ荘の兄貴テラさんは不二夫より10歳ほど年長だと思っていた。ところが今調べてみると、不二夫21歳、寺田24歳、だ。ついでに石森18歳。

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by yamato-y | 2009-01-27 10:35 | Comments(0)

埴生の宿

埴生の宿

日が長くなった。つい、この間までは午後4時過ぎには暗くなったのだが、昨夜は5時半を回っても余光が空に広がっていた。久しぶりに高田公園まで散歩した。もみじ山の尾根にまず上がる。そこに夕焼けに染まる富士山があった。張り詰めた寒気のなかに、富士は凛と聳えていた。夕暮れの林を歩いているとイノシシ注意の看板があちこちにある。南天の赤い実が冷え冷えと光っていた。林を抜けると、眼前に相模灘。真鶴や大島がよく見える。
 夜、ある少年の手記を読んだ。9歳の少年は学童疎開で、広島の市街地を離れて田舎の三和町のお寺に学童疎開していた。市内には父と母と妹が残った。そして、20年の8月6日に父たちは被爆し瀕死の状態で郊外の鈴張村に逃れた。そこで、父と母は20日後の8月26日に亡くなり、さらに一週間後の9月2日に5歳の妹が亡くなった。
少年は戦争に負けた直後に、この村を訪れ、3人の遺骨を受け取っている。3つの白木の箱にはそれぞれ命日が書かれてあった。父、母は8月26日、妹は9月2日である。少年は胸を強く打たれた気がした。実際、痛みを感じた。
《両親の遺骨を胸にした悲しみのそれではなく、妹が、幼い5歳の妹が、父母の死後数日を独りでいきていかなくてはならなかったということがどうしようもなく不憫に思えてならなかったのである。》
爆死したという日付が、こういう意味をもつということは、迂闊にも私には気がつかなかった。当事者しか把握できない悲しみと痛みであった。
《いたいけない幼児が、また自分の死に際して、どんなにか淋しく思い、どんなにか苦しみ、誰にそれを訴えることができたのだろうか。》少年は、5歳の妹の心中を思って慟哭する。

少年自身、戦災孤児となり、親戚をたらい回しにされた挙句、施設に引き取られ、苦心の末に音楽の先生となった。その施設に送られる直前に開かれた音楽会で、一人の少女が歌った「埴生の宿」が心に残り、なんとしても音楽の先生になりたいと苦学をして、目的をはたしたのだ。その人の人生を思い、夜遅くまで寝付かれなかった。 


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by yamato-y | 2009-01-26 15:25 | Comments(0)

文士の年齢

文士の年齢

昨夜は遅くから降った雨が霙になったようだが、明け方にはあがった。大阪では明け方に雪が降ったと、大阪女子マラソンの中継アナウンサーが報じている。よく晴れたので、庭に出てみて落ち葉をはらう。落ち葉をめくると小さな霜が残っていた。

車谷長吉選の短編集『文士の意地・下』を読む。中島敦の「文字禍」が面白かった。古代アッシリアを舞台にした作品だが、「少年倶楽部」の面白読み物を読むようなわくわく感がある。
ところで、この選集は車谷の好みで作られているが、巻頭に編集付記があって、本書は作者の生年順に作品を配列したものである、とある。
大岡昇平(1909~88)、花田清輝(1909~74)中島敦(1909~42)埴谷雄高(1909~97)松本清張(1909~92)と並んでいる。5人は同年生まれで、今年生誕100年にあたる人物ばかりだ。同じ生年であれば、この順番はどういう理由からだろう。月日の早いもの順にしたのであろうか。ただ、生きながらえた年齢は、大岡79、花田65、中島33、埴谷88、松本83となる。松本清張と中島敦が同年とは思わなかった。世に出た年があまりに隔たっているから、二人は結びつかない。松本の名前が世に知られるようになるのは、中島が死んで10年も経た頃だから。

おこがましいが、私が50代の初めは作家がデビューした年齢が気になったものだ。松本清張や藤沢周平、須賀敦子らが40代から50代にかけての遅い出発だと知ると、まだ自分にもチャンスはあるかもしれないなどと、妄想することもあった。しかし、還暦を越えるとそんな夢のようなことは砕け散り、むしろ死没年齢に関心が向くようになった。

先の5人の作家で、今の私より早く亡くなったのは、中島敦のみ。次に近い作家は花田で、彼の享年まであと4つ。ただ、驚くのは、この人たちは何と早くから才能を開花させたことかということ。二人とも、卓絶した文体を早々と確立させ、明晰な理路をうちたてているのだ。空を仰いで長嘆するのみ。

この車谷の人選で、ちょっと気がついたことがある。生誕100年の五人衆は意図的だとすると、一人洩れているのがいる。太宰治だ。彼も1909年生まれ、本年が100周年になるのだが、なぜ車谷は選外にしたのか。単に、彼の好みの問題だけなのだろうか。文士の意地を表すような作品は、太宰にはいくつもあるのに。

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by yamato-y | 2009-01-25 13:54 | 登羊亭日乗 | Comments(0)

ウィークエンドの密かな

ウィークエンドの密かな

大磯のパソコンはVAIOのデスクトップ。スピーカーが結構いいのだ。
4時過ぎ、家には誰もいないと、Youtubeで擬似カラオケと化す。
本日は、昭和40年代歌謡曲から始まった。あの頃歌ってばかりいた西郷輝彦と舟木一夫を検索していたら、本間千代子にはまった。よかったなあ、「若草の丘」。いかにも青春の女子高生だった。この歌を経由して、西島三重子の「池上線」、そして、最近ずっと気にいっている森高千里の「渡良瀬橋」。

ふっと気が向いて、荒井由美にシフトする。松任谷ではない。「ルージュの伝言」と「中央フリーウェイ」。うーむ、名曲だ。
このYoutubeには映像がなくて、音楽だけのものがあるが、それでいい。別に画がなくても懐かしい歌は、それだけで十分だ。
おしまいに、槙みちるの「若いってすばらしい」がひっかかった。これは青春ポップスの名曲だ。槙さんとは一度仕事でごいっしょしたことがある。大阪出身のきさくな人だった。たしか、私と同年だ。やがて、結婚して、ご主人とゴールデン街で飲み屋をやるようになり、私もときどき通った。その店もたたんで20年以上となったか。

小一時間、楽しんで、屋上から相模湾を見下ろす。冷たい風に、蒼ざめた海があった。
しかし、本間千代子なんて可憐な少女も今では60代半ばか。青春のシンボルだった人はどんな後年を送ったのかな。たしか、大滝詠一が言ったと思うが、団塊の世代は最初からビートルズにいかれたわけではなく、橋幸夫や西郷、舟木らの青春歌謡から始まったというのは、私の場合、しっかり同意する。海に向かって、「バカヤロー」と叫ぶ青春が青春だと思っていた。

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by yamato-y | 2009-01-24 17:07 | Comments(1)

滋賀の都

滋賀の都

 久しぶりに、代島治彦ディレクタープロデューサーに会った。彼とは3年前に映画監督黒木和雄のドキュメントをいっしょに制作した仲である。
ちょうど、黒木監督が戦争4部作の、今となってみれば最後の作品となる「紙屋悦子の青春」にクランクインした頃のことだ。『TOMORROW 明日』『美しい夏キリシマ』『父と暮せば』、と一環して戦争をみつめてきた黒木の映画を、あらためて考えるという番組を作ろうということだった。映画がクランクアップして、これから公開に入るといった段階で、黒木は急死した。そのこともあって、戦争4部作だけでなく、黒木映画そのものも検証しようと、制作の流れを大きく変えた。当初の意図を変更して、ドキュメントを作り替えるというのはたいへんなエネルギーのいるものだ。このとき、代島ディレクターは、私の無理な要求によく応えて最後まで粘って作ってくれた。こうしてETV特集「戦争へのまなざし〜映画作家・黒木和雄の世界〜」は出来上がり、放送されると高い評価を得ることになる。その月のギャラクシー奨励賞を受賞した。

 代島ディレクターは元来映画のプロデューサーである。数々のドキュメンタリー映画にも関わっており、ドキュメンタリー学校の講師も勤めている。最近は何をやっていますかと尋ねると、国内のアウトサイダーアートを撮っているということ。

正規の美術教育を受けていない独学の作り手たちの作品「アウトサイダーアート」。今世界的に注目されている。1900年代初めにヨーロッパの精神科医たちによって発見された芸術ジャンルであり、20世紀のアーティストに多大な影響を与えている。近年、日本でも注目が集まっており、さまざまな場所から「誰も知らない天才たち」が発見されている。そんな国内のアウトサイダーアートの作家たち16名の制作現場を記録したドキュメンタリー作品『日本のアウトサイダーアート』。これが代島さんの現在の活動ということだった。

このアウトサイダーアートは昨年「日曜美術館」でも紹介されて、私も見て心に残っていたが、どうやら、その日曜美術館のコンテンツも代島さんの作品だった。このアートの活動が一番盛んな滋賀県に通うことが、現在多いという。
滋賀県には障害者のための優れた施設がたくさんある。20年以上前から、滋賀県では障害者と共生するプログラムを実施してきて、今着実に成果をあげている。この運動の先鞭をつけるようなドキュメンタリー映画がある。名作「信楽から吹く風」だ。この映画の監督の西山正啓さんとも昔いっしょに仕事をしたことがあった。彼は今は福岡を中心に活動しているが。
この「信楽から吹く風」の映画に登場していた人たちが、今では滋賀県の運動の中心にあって、このアウトサイダーアートを支援しているそうだ。

私が小学生の頃、母は教会関係者といっしょに滋賀県の養護施設の支援を行っていた。なぜ滋賀なのだろうと、不思議に思ったが、近江八幡を中心として活発な運動が始まっていたのだ。今では、日本だけでなく、世界からも、この地域の取り組みが注目されるようになっている。
このアウトサイダーアートは現在DVDになって5巻出ているそうだ。ちょっと見てみたい。

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by yamato-y | 2009-01-24 10:17 | 新しい番組を構想して | Comments(0)

トランスメディア

トランスメディア

表現はメディアによって、それぞれ違うのは当然だ。だが、メディアを転換させて表現するということは傍目でみるほど簡単でないということを、つくづく感じる。昨年暮れに制作したフィギュアの番組で、造型師ボーメが2次元の漫画を3次元の立体物に”起こす”ということがどれほど大変なことかを知らされた。画では描かれていない部分の表現や、ある角度から見た画ではきれいでも、同じポーズを別の角度から見ればぎこちなさが残った場合、どうやって調整するか、その苦労は並大抵でないと、取材編集を重ねるなか、ボーメの奮闘を見て痛感した。

昨夜、テレビドラマの「クライマーズ・ハイ」を4時間見た。2時間ドラマの前後編である。これまでに見たり読んだりした映画や原作と、どう違っているか興味があった。結論からいうと、映像化については映画のほうがいいと感じた。好みとしては映画をかう。尺の長さはテレビのほうがあるから、物語の説明はテレビのほうがよく分かった。だが、ドラマツルギーでみれば、映画のほうが山場をよく形成していたのではないかと思うのだ。キャスティング(配役)は両者とも悪くない、というかそれぞれいい。主役の佐藤浩市にしろ堤真一にしろ、よく造形化していると思った。他の配役もなるほどと納得した。ただ、怪物社主は映画は山崎努でテレビは杉浦直樹。これは両方とも善戦しているのだが、何か違う気がしてならない。

この原作の小説は、知人から薦められて、昨年の秋に読んだ。どうせ、警察小説のバリアントだろうとタカをくくって読んだのだが、先入観は裏切られて面白かった。新聞製作の現場や人間がよく描けていて感心した。ジャンボ墜落という歴史的事件をよく小説のなかにとりこめていることに作者のなみなみでない力量を思った。原作がしっかりしているからだろう、テレビ化も映画化もけっして凡作ではない。映像化というトランスメディア(メディア置換)はけっして失敗していない。いないのだが、見終わったあとの”読後感”に、すきま風がすーすーと吹いてくるのは、なぜだろう。

話は違うが、やまだないとの話題の漫画「ビアティチュード」を読んだ。トキワ荘時代の赤塚不二夫と石ノ森章太郎の関係をBL(ボーイズラブ)的に描いた作品だ。
むろん、漫画は直接にこの”史実”を描いてはいない。石ノ森章太郎をハナモリショータロー、赤塚不二夫をクボヅカフジオとし、トキワ荘や講談社という固有名詞もそれらしい名前に変換しているモデル漫画ではある。だが、東北から出てきたショータローには病弱の美しい姉がいて、その姉に向けてアパートの住人たちの人となりやドタバタを報告するという設定などは、いかにもあったかのような近似値作品となっている。

まず、赤塚不二夫と石ノ森章太郎の関係をBLというのは、まったく事実ではない。これは、あのトキワ荘伝説から受けたやまだないとの妄想だが、この妄想が実に青春的でいいのだ。キャラクターの造型もフジオは今風の美少年で、ショータローの奥さんのように甲斐甲斐しくおさんどんをこなす。ショータローはスリムでひねこびてはいるがいかにも才気溢れナイーブな年少の漫画家然としている。一番意外なキャラは寺田ヒロオをモデルとするテラさんだ。実際の寺田は背の高い体格のいいスポーツマンタイプだったが,コミックのテラさんは痩せてヒゲをはやして黒いサングラスをかけた不健康な中堅漫画家となっている。役者でいえば藤竜也のイメージ。このほか、紅一点の漫画家水野英子や赤塚の実母やアニメーターの鈴木伸一らのアバター(分身)が登場し、あのトキワ荘物語を架空で推し進めていくのだが、妙に心理的にリアリティがある。
これはいったいどういうことなのだろう。事実をかなり翻案しても、歪形しても、そうだそうに違いないと読者を納得させるものが、この作品にはたしかにあるのだ。

最近のコミックの画はあまり好きでない。読むとすれば、せいぜいちばてつや、浦沢直樹、弘兼 憲史、いわしげ孝あたりだ。近年の若い作家たちの画は線が多く鬱陶しいし、齣割りやネームが複雑で、没入しにくいと感じていて、ずっと敬遠してきた。だが、このやまだないとの作品を読んで、ちょっと自分の無知蒙昧を教えられた気がする。内容が深いのだ。深く表現しているのだ。これは、今まで私が食わず嫌いであったかもしれない。遅ればせながら、やおい漫画にも少し手を出してみるかなと、思い始めている。

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by yamato-y | 2009-01-23 09:22 | 新しい番組を構想して | Comments(0)


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