定年再出発  


懐かしい空
by yamato-y
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24三昧

24三昧

やっぱりはまって見続けてしまう。例の「24」シーズン6だ。
ご親切で奇特な方が、この連休中暇をつぶすのに大変だろうと、シーズン6のDVD全巻を貸してくれた。そんなもの見ている時間はない、きちんと原爆報道の論文を書き上げようと張り切っていたから、DVDの束はデスクの下に放り出しておいたのだが、夕方、銭湯に行ったことから調子が狂い始めた。

中延の鉱泉の銭湯に行った。沸かし湯だが温泉で、露天風呂もある。1時間たっぷり入った。昼日中からの風呂はすっかり体をリラックスさせた。帰宅しても勤勉な気持ちにならない。だらだらと読書をしているうち、ちょっとだけ見るかと思って、DVDを再生したのが運の尽き。あっと言う間に6話見てしまった。ということは、6時間見続けたことになる。まずいなあ。

シーズン6まで来ると、キャラクターもはっきり立ってくるから、物語のノリにすぐシンクロしてしまう。
しかし、よく出来た物語だ。シナリオもうまいが、撮り方も抜群だ。編集のテンポも目くるめくものだ。

それにしても金がかかったテレビドラマだ。おそらく1本あたり数億円だろう。いや一桁違うかな。

このドラマの難点といえば、主人公のジャック/バウアーの人生観だ。愛する人や子供のためには必死で闘うくせに、敵となると簡単に拷問にかけたり殺したりするところが、ちょっと立ち止まって考えると不自然に思えるが、見ている最中はサスペンスに追われてそれどころじゃない。

超娯楽作品だが、一つだけ感心する。それは、権力の最高に座るものが味わう「重責による恐怖感」だ。
軍を統括し、安全保障を確保しなくてはならない立場にあって、「カルネディアスの板」のような判断を迫られることは多々出てくる。それを決定するということは、どれほど人間としてタフでなくてはならないのか、このアクション映画はよく伝えてくれる。

注:カルネアデスの板
古代のギリシャで、船が難破し、乗組員は全員海に投げ出された。ある男が命からがら、一片の板切れにつかまったが、そこへもう一人、同じ板に掴まろうとする者が現れた。しかし、二人も掴まれば「板が沈んでしまう」と考えたその男は、後から来た者を突き飛ばして、おぼれさせてしまった。男は助かり、この事で裁判にかけられたが、罪には問われなかった。

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by yamato-y | 2008-04-30 09:14 | Comments(0)

書かずにいられない

書かずにいられない

布施明の歌で「恋」というのがあった。

♬会っているときは何ともないが さよならすると涙が出て来ちゃう
会うたびに嬉しくて 会えばまたせつなくて 会えなけりゃ悲しくて
会わずにいられない ・・・

小島政二郎という作家がいる。芥川龍之介,菊池寛や久保田万太郎らと友達だった人だ。経歴的にいうと、万太郎と同じ下町に育ち慶応で学んだ、同じ境遇だ。だが、前の3人に比べて小島の文学はぱっとしなかった。次第に大衆文学というか、通俗小説を書くようになる。きっと、内心忸怩たるものがあっただろう。

龍之介は30代、万太郎も50代で死んだ。政二郎は長生きした。90代まで生きた。生き延びたというか生き残った。
すると、菊池や万太郎のことや文壇の裏話をなんでもかんでも書き始めた。小意地の悪いまなざしで、故人の不都合なことや不具合を書いた。
読者にとっては文豪や文人のウラが割れて面白いが、朋友としていかがなものかと思うほど、あけすけに書いた。
例えば、万太郎の生家の家業は小島と同じような小間物の商いをしていたのだが、ふくろものやとか何とか言って小商売だと言わんばかりの筆致だったと記憶する。ヤツぁたいしたことなんかないんだと言わんばかりだった。菊池には田舎者めというまなざしが確かにあった。芥川だって偉そうにしているけど、こんな些事にぐちゃぐちゃ拘泥してたんですぜとばらす。そのくせ、いつも気になっている人だということで、本の題名は「眼中の人」。

言ってみれば、「後だしじゃん拳」の筆法ではないか。当事者、関係者が物故してからやおら立ち上がって、実はあのときはああだった、こうだったと書いた。死人に口なしだから誰も反論しない。しかも、話としてはよく出来ているというか面白いのだから始末におえない。

最近読んだ、四方田犬彦の文章もそれに近い。彼の師匠の由良君美について書いていた。狷介なこの人物は、当初、東大教授という立派な人格者として著者の前に現れるものの、弟子が成長していくと次第に嫉妬するようになる。そして、ついには嫉妬の苛立ちから感情を抑制できずにその弟子に手を上げてしまうという顛末だ。

由良という人物像が浮き彫りになっていて、話としては面白いのではあるが、そこまで書くのかとツッコミを入れたくもなる。誰かが、後味の悪い書だと批評しているのを読んで、やはりと思った。

小島にしろ四方田にしろ、書かずにいられないタイプだ。黙って墓場までもっていくのができないのだろう。こんな得難い”物語”を闇に葬るなど到底できないと思ってしまうのだろう。しかも、小島も四方田も文章がうまい。

書くたびに嬉しくて 書けばまたせつなくて 書かなけりゃ悲しくて
書かずにいられない ・・・

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by yamato-y | 2008-04-29 18:11 | 登羊亭日乗 | Comments(0)

赤坂サカス

赤坂サカス

赤坂がガラリと変わっていた。TBSがあった場所に赤坂サカスが建ったからだ。
ここ数年、閑古鳥がなくような赤坂だったが、人がもどったというか増えていた。この連休が正念場となるか。

人出で賑わうサカスのTBS本館に鴨下信一さんを訪ねた。TBSを代表する大プロデューサーである。「岸辺のアルバム」や「不揃いの林檎たち」などドラマのTBS全盛期を作った一人だ。
私の「闘う三味線」を感動していただいた方が、鴨下さんとの仲介の労をとってくれたので、好機を逃してなるものかと、本日参上した。これといって用件がなく、ただ尊顔を拝するのみといった訪問にもかかわらず、鴨下さんは磊落に応対していただいた。

文章家でも知られる鴨下さんは、近年、昭和史に注目して、文春新書で『誰も「戦後」を覚えていない』を著している。いきおい、昭和30年代の話題になった。皇太子ご成婚、東京オリンピック、大阪万博という流れにいたく関心をはらっておられる。私も昨年日本のSF取材のおり、大阪万博を調べたことを開帳しながら、対話を楽しんだ。

 10年近く、白石加代子の百物語を演出している。今年もまもなく岩波ホールで行われるということで、練習がはじまっている。その成功を願いつつ辞去した。昨年、胃がんの手術をしたと言っていたが、元気そうだった。

帰りがけに、著書を2冊いただいた。『誰も「戦後」を覚えていない・昭和20年代後半篇』、『会話の日本語読本』。両方とも文春新書だ。帰りの千代田線の車内ですぐ読み始める。
なんだか、むくむくとファイトが湧いてきた。

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by yamato-y | 2008-04-28 18:26 | Comments(1)

後入観

後入観

最近、気になる雑誌は新潮社の季刊誌「考える人」だ。河合隼雄や小津安二郎の特集を組んだり内田樹、佐藤卓巳といった気鋭の筆者を起用したりする点がいいのだ。内容は反時代的といえるか、けっして流行を追っていない(というフリをしていると思う)ので、古いバックナンバーでも読む対象になる。

2006年夏号を手にいれた。創刊4周年特集「戦後日本の『考える人』100人100冊」である。その選出の基準はおおむね妥当だと思う。私の気になっている人物も過半入っている。須賀敦子、澁澤龍彦、神谷美恵子、石原吉郎、吉野源三郎、伊丹十三、檀一雄、舟越安武、手塚治虫などなど。

吉野があって安江良介がない、手塚があって藤子不二雄Aがない、SF関係者が一人もいない、などといういくつかの不満はあるが、向田邦子もきちんと入っている点では許せる。

向田を評している鈴木理策という人を私は知らないが、小気味のいい台詞廻しをよしとし、彼女は全体を組み立ててから要所に場面をはめこむようにして書いたのではないかと推論している。私も同感だ。向田の短編小説は構成の妙だと常々思っている。その全体構成が決まらないと筆が進まないタイプではなかったか。だから、ディレクターや編集者泣かせの遅筆だった。
こういう私の人物評は、番組で取り上げてリサーチしたことによる。檀にしても手塚にしてもそうだ。ところが、実際にそういう人物の謦咳に接した人と会って話を聞くと違うことがある。檀も手塚もそうだった。先入観を見事に裏切られた。

鈴木理策は、「甘えるのが下手ないい女だったんだろうな」と推定していて、私もそう思うのだが、果たしてどうであろう。

本日、向田ゆかりの放送局である人物と会って、話を聞くことになっている。楽しみだ。私の先入観を肯定してくれるのか否定されるのか。

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by yamato-y | 2008-04-28 09:49 | 登羊亭日乗 | Comments(0)

ツ、ツ、ツ、ツルガのサタ投手

ツ、ツ、ツ、ツルガのサタ投手

庄野潤三のエッセーを読んでいて、意外な言葉に出会った。彼の父は帝塚山学院の初代院長庄野貞一だったと記憶しているが、その父が寝言でよくこんなことを言ったと書いているのだ。
「ツ、ツ、ツ、ツルガのサタ投手」
おりしも、夏の甲子園の時期だったから、面白がって言っていたのだろうと庄野は推測している。ただ、それだけのことしか書いていない。その投手のことには庄野は何もふれていない。そのエッセーのタイトルは「父のいびき」。だが、私にはぴんとくるものがあった。

戦前、敦賀高校の前身である敦賀商業は甲子園で大活躍をしている。後に阪神監督にもなった松木謙二郎がいた当時だ。彼は、プロ野球草創期の大投手沢村栄治(京都商→巨人)の球を打ったこともある人物。さらに、あの張本にバッティングを教えた名コーチでもある。なかなかの理論派だったそうだ。その松木は敦賀商業を卒業後、明治大学に進学して、最後は阪神の選手として活躍する。

庄野の父は、その松木たちが活躍した敦商時代を、夢のなかで見ていたのだろう。
そこで私が思い出した人物がいる。
敦賀高校の先生でサタという人がいたのだ。松木謙二郎らと甲子園で大活躍したと噂されていた。ところが、実際の人物は苦虫をつぶしたような顔で、うるさそうな商業簿記の先生だった。たしか、いつも白い“ズック”をはいていた。そこだけが、スポーツ選手だったことを感じさせたのだが、とにかくウダツの上がらなさそうな謹厳実直な先生だった。

彼の娘が、私たちの1年下に在校していて可愛いと評判だった。仲間うちで噂になるぐらい美人だった。とても、あの先生の子供とは思えないなあと、不良(ワル)たちは体を鍛えることもなく、隠れて煙草を吸いながら当時流行しはじめていたコーラを飲みながら、戯言を言っていた。そんなこともあって、そのサタ投手を記憶していたのだ。
いや、その人物と同一かどうかははっきりしないが、もしそうだったら面白いなあと夢想した。青春の時期、満天下の若者の心を動かすほど活躍した人物が、後にひっそりと田舎教師を務めているというのも、藤沢周平的で楽しいではないか。

蛇足:
スポーツ選手、とりわけ野球選手の末路ということを思う。プロに入団するときの華やかさをいつまで維持していけるのかと、新人の顔ぶれを見て思う。名球会という鼻持ちなら無い野球人の会があるが、あれに所属できるような選手はともかく、怪我や故障で若くして球界を去ってゆく人を見ると、後半生に幸あれと祈りたくなる。

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by yamato-y | 2008-04-27 12:36 | Comments(0)

藤の雨

藤の雨

昨日、二人の友から連絡をもらった。一人は長い付き合いの友、一人は年少の友。おそらく、その前に記したブログ「ひがみ」を見てのことだ。長年の友は、団塊ということと戯れているでしょうと当方を見透かしたように揶揄する調子。年少の友は、「最近ブルーですか」と心配をしてくれた。
さすが長年の友はよく見抜いている。ひがんだことを言いながらめげてなんかいない、どころかそれを楽しんでいたりする私の性格を。年少の友には悪いが、実のところそうです。すいません。ご心配をおかけして。

サイードの遺著『晩年のスタイル』を読み返していて、気になる語に出会った。アドルノが作曲家のシュトラウスを評した言葉だ。《アドルノがシュトラウスに見るのは、退行と技巧の巨匠であり、そこにおいて合体している老齢性と幼児性は、周囲の腐敗した秩序に対する一種の抵抗なのである。》
これはナチズムに加担しないようにしたシュトラウスの戦略だということを言っている箇所だが、そこに引かれたわけではない。「退行」という言葉に私は立ち止まったのだ。

還暦通過後、やたらとセンチになっている、私の「スタイル」は退行ではないかということ。あけすけに言えば、甘ったれているということ。それは、内心分かってはいたが、晩年のスタイルというふうに括られて登場する「退行性」となると、もう少し前向きにそのセンチという「退行性」を活用すべきなのだろうか。とマジに考え込んでみたりもする。

とグダグダ考えていると、午後から雨になった。小ぬか雨だ。
雨の中、散歩がてら、麓の大磯町立図書館に出かけた。連休用の書籍の確保だ。
『太宰治滑稽小説集』(みすず)、『花を旅する』(栗田勇)、『ぐびじん草』(大岡信)
『英雄を謳うまい』(村上春樹訳)、『而今の花』(栗田勇)、『クロッカスの花』(庄野潤三)
『微光の道』(辻邦生)、『奇岩城』(ルブラン)、『本の本』(斎藤美奈子)、『ゾディアック』(グレイスミス)、『現代詩手帖4』(茨木のり子)
いっぱい抱えて、山道を上がる。これからビールでも飲みながら読むぞと思うと、自然顔がほころぶ。

栗田の『花を旅する』の“藤”の一節だけ拾い読みをツヴァイク道でする。5月の数多い草花のなかで栗田は藤を挙げている。公園の藤棚の藤もいいが、なにより山中で見る藤が最高と記す。
《静かな奥深い自然のなかで木にからみつくようになる。その驚きと華やかさ、そこに衝撃をうけた思いは深いということです。》
花のない時期の藤というのはやたら厚かましい樹木だ。他の木というか親木というか、それにからみついて自力で生きているようにみえない。そのくせ、親木以上に元気はつらつと生えている。なんとなく腹立たしい木なのだが、初夏になって花を見せると、とてつもなく清楚なうすムラサキの花を垂れ下げるのだから、たまらない。しかも、木の高い梢にあるので普通目線では気がつかず、ふとした拍子で見上げて、花を知ることになる。その驚きがますます薄紫を情趣深いものにするのだ。

今日はそれに加えて細い銀の雨が降っている。
藤の雨誰にも会わぬ山の道

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by yamato-y | 2008-04-26 17:30 | 魂のこと | Comments(0)

ことばの勉強室

ことばの勉強室

政治学者の山口二郎が「辞書を引くことの意義」を記していた。電子辞書はその言葉の意味だけが簡単に調べられるという便利さだけで成り立っていて、その周辺の言葉に広がっていかないということを不満に思っていることに共感した。たしかに紙の辞書を引くと、その言葉だけを参照するだけでなく、その周辺の語句まで知見が広がる。私が愛用するのは角川の類語国語辞典で、著者は大野晋のやつだ。これは、お目当ての言葉から類似の語群に広がり、読んでいて楽しい。こういう喜びがパソコンという機械の発達でなくなった。当然、辞書を引かず電子辞書に頼る人の言葉のふくらみがなくなったといわれるのも故なしとしない。

新しい言葉を知ると楽しいものだ。今朝、覚えた語句を備忘のため書いておこう。といっても歳時記にある季語だから、一般的でないかもしれないが、日本語とは本当に美しいと思わせる言葉が並んでいた。

「遍路」は春の季語とは初めて知った。たしかに遍路道に咲く菜の花といった風景が浮かんできて、春霞の中をゆくお遍路さんが似合っているのだろう。ただ、晩秋の暮れてゆく道に一人行くお遍路さんも悪くないと思ってもみる。その場合は「秋遍路」とすればいいのだろう。

季節は秋だが、虫の声がある。この言葉のバリエーション。うるさいばかりに虫が鳴いているのは「虫しぐれ」。そんな夜を「虫の夜」。姿は見えないが鳴いているさまは「虫の闇」。
だんだん鳴く声が小さくなっていくのは「すがれ虫」「残る虫」。日本語は豊かだ。

水原秋桜子の俳句の評釈を読むと、ずいぶん言葉に敏感な人だと思わされる。烏頭子の次の句をしっかり見抜いて、いや句の景も情も読み抜いている。
街道のまん中に落つ蛍かな 烏頭子

道の両側に草むらがあって、そこから蛍がふらふらと上がって、あるいは対岸の草原に落ちたり、あるいは道の真ん中に落ちたりという景を詠んでいる。私にはそこまでしか読めないが、秋桜子はこれは月の出ていない暗い夜とみる。
〈星はまたたいているが暗い夜だ。…この句は街道に落ちる蛍火だけを描いて、月なき夏の夜の暗さを遺憾なきまでに現している。〉
たった17文字のなかに宇宙を読み取る俳人というのはすごいものだ。

三井寺の花の散りくる軒端かな  素夕
大きな景のなかから、三井寺と麓の家の軒端、それに落花を配しただけだが、光景が目に浮かぶと秋桜子はほめる。この作品などはきわめて映像的な句だ。軒端に花びらが落ちてくる。これはミディアムなサイズのショットで押さえる。カメラはゆっくりズームバックして画格を大きくしていく。最後まで引ききると、画面の上半分には壮大な三井寺の伽藍がある。下半分には小さな山家がある。春の夕暮れの穏やかな眠くなるような情景だ。
言葉が持つ表象性(representation=再現性)をあらためて思う。

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by yamato-y | 2008-04-25 17:43 | Comments(0)

ふき泥棒

ふき泥棒

ツヴァイクの道を降りようと思って、坂に足を踏み入れると親指ほどの大きさの紫の花弁が散り敷いてあった。おびただしい量だ。空を見上げた。

木の間隠れに美しい藤の花房がみえた。薄紫のその花は可憐で清楚。春はすっかりたけていた。今年も春がゆく。
椿の赤で始まり、桃、桜のつないできた花模様は藤まで来ると黄金週間となる。ケヤキには浅緑の葉がそよぎ、全山新緑となる。やがて初夏だ。

今月に入ってから蕗の葉が少しずつ大きくなりはじめた。もう少し待てば食べごろだと楽しみにしていた。紅葉山はあちこちに空き地があって、この時期はフキの畑のようになる。
ある日、そのフキがすっかり刈り取られてしまった。まだ小ぶりでもう少し成育させるべきものを、その手前で摘み取ったらしい。

隣家の叔母さんが今朝ぷりぷり怒っていた。どうやら、摘み取ったのはこの山の住人ではないらしい。3年ほど前からフキや竹の子を無断で採りにくるふもとの町のばあさんらしい。今朝、早く犬の散歩に出た人が、その姿を目撃している。かごを背負って、手袋をはめていた。その目撃した人が散歩から戻ってくると、山の入り口の畑はすっかり坊主になっていた。住民はかんかんだ。せっかく、昨秋から育て上げたものを、黙って盗みとったということが許せないらしい。蕗の薹もすっかりやられたらしい。

これ以上、畑を荒らされないために、畑に囲いを作ろうという話になった。今週末に住民総出で垣根つくりをして、来年に備えようということだ。それほど、みんな頭に来ている。

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by yamato-y | 2008-04-25 12:15 | 登羊亭日乗 | Comments(0)

ひがんで悲哀

ひがんで悲哀

同年のアーチストから「あんたも、過去の作品を並べて、それを眺めながら死ぬまで生きていくのね」と嫌味というか皮肉を言われた。
かつて、いっしょにラジオのドキュメンタリーを作ったことがあって、そのときの録音を私は紛失したので、持っているかと聞いたら、こう言われたのだ。
むっとした。「もう電話を切るよ」
「あら、怒ったの、そんなことで。男らしくないわね」

用件があるといって電話をかけてきたのは、そっちじゃないか。その用件の礼を言うことなく玩物喪志と言わんばかりのいやみを言うとは不愉快。
ふだん、男だ女だという発想は差別的だと唱えているくせに、こんなときは「男らしくない」っていうのはどういう了見だ。これ以上問答無用。ガチャン。

因みに、「玩物喪志」とは物をもてあそぶことに夢中になっていると、だんだん「志」が失われていくという、謂。

そのアーチストはここ数年スランプでぱっとしなかった。正月の新聞に取り上げられてから少しずつ仕事が増えているらしい。2年前に電話をしてきたときは暗い声をしていて、「どうせ私なんかマイナーですよ」と僻んでいたくせに。なんだ、ちょっと売れるとこれかいと毒づいてやりたくなる。

 話はずれるけど、テレビ番組の制作なんて、若くないと出来ないものだ。体力勝負、スタミナ、流行性感冒(世の中のはやりすたりばかり気にしていること)、狂想などがそろっていないと難しいものだ。とにかく、時代に関心が薄れると、途端に番組枠が減ってくるものだ。ここ2、3年、制作の本数だけみたら、全盛期の10分の1に低下している。
いきおい、映像よりも言葉のほうへと表現の関心が移る。こういうブログを書くのもその一つだ。

彼女が言う「女々しさ」かもしれないが、先ほどの皮肉も私が30代40代だったら聞き流すこともできたかもしれない。でも60になって言われると、それはジョークにはならない。同じ年なんだから分かるだろうに。

同じ年といえば、都はるみもそうだ。自死した彼女のパートナーも私もみな60歳。「歌い続けていくだけです」と健気なことを発言しているが、内心はどうなのだろう。本当に歌うだけでこれから幾十年も生きていけるのかしらむ。ちあきなおみも同世代、というか一つ上だ。彼女も沈黙して10年以上になる。どうしているのだろう。

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by yamato-y | 2008-04-24 18:12 | Comments(0)

タイムカプセル

卒業アルバム

実家の2階、押入れの隅に3つのダンボール箱があった。それぞれに私、次弟、末弟の名前がフェルトペンで書かれてある。これまでの私らの記録や記念の品が納まっている。
私の箱を開けた。いろいろなものが入っている。通信簿、卒業証書、文集、名札、ゼミで配られた古文書のテキスト。箱の底には小中高の卒業アルバムが3冊きちんとある。

昭和37年度卒業と記された中学校のアルバムを開いた。そうか、卒業したのは38年の3月、38豪雪の年だったのだ。ちょうど受験と重なっていたので、地域一斉の除雪作業にはあまり加わわらなかったのだが、あの年の自由時間に雪像コンクールが中学であったことを思い出す。おそらく、就職する子らは解放された気分で、高校受験するものは気晴らしにと、学校側が配慮して企画したのだろう。とにかく、校庭にはどか雪があふれていた。私のクラスは、私の発案で、雪のヌード像を作った。乳頭に雪の塊を置くのをみんな嫌がった。発案したおまえがやれと言われて、私は耳まで真っ赤になりながらスコップに雪を載せて、ポイントに貼り付けた。まわりがドッと笑った。

 ―私は3年7組にいた。卒業アルバムの集合写真の右上に欠席者の顔だけ別に貼ってある。寺沢くんだ。隣の8組のページをめくると、欠席写真欄には山本くんがいた。二人とも私には忘れられない友達だ。小学校時代に味わった恐怖の当事者でもある。

5年生の頃だったか、私は休み時間の終わりかけたときに山本くんと言い争いになったことがある。授業開始のベルが鳴っていたが、山本くんが私を校庭の朝礼台の裏に来いと呼び出しをかけた。怖かったけど逃げるのは悔しいから、私は「決闘」場所に赴いた。

 指定された場所に行ってみると山本くんと寺沢くんの二人がいた。2対1かと思って私はひるんだ。すると、寺沢くんが、「ワシがおまえらの勝負に立ち会う。好きなだけやれ、そやけど卑怯なマネはするな」と偉そうに言った。
私は寺沢くんの意見に感服した。普段は、勉強はからきしで、青洟をいつも垂らしている寺沢くんが道理を語ったからだ。そのとき、私には寺沢くんは大前田英五郎のような大親分にみえた。

その後の記憶がない。殴り合いにならなかったと思う。互いに言い争って、その後、寺沢くんが私と山本くんの手を合わせて、その上に自分の手を重ねて、「ええか、これで終わりやど。もう余計なことを言うな」とか言って解散したはずだ。それぞれ、授業が始まった教室にもどっていった。
むろん、もどった教室で担任からはどこへ行っていたのかと叱られたが、私はなんだかいい気分だった。正々堂々と”闘った”という満足感があったのだ。

このときのことを思い出すと少し悲しい。山本くんと言い争いになったのは、私が彼の貧しさを冷やかしからだったと思うからだ。たしか、2年上に山本くんのお兄さんがいて、そのお下がりを着ているというようなことを言ったので、山本くんは憤然としたはずだ。

山本くんの家は目抜き通りにある靴屋さんで、お父さんがいつも修理をしているのがガラス戸を通して下校途中に見ていた。その仕事ぶりも冷やかしたのかもしれない。とにかく、事の原因は私だったと思う。そういう私自身、貧しい身なりであったのだが。

 私の通学カバンは親戚の叔父さんのお下がりだった。ランドセルから肩掛けカバンに変わっていく4年生の終わり、親に買ってくれと頼むと、弟二人のカバンを買わなくてはならないから、あんたはお下がりにしたと母から言われたときの悲しさは忘れない。今もあのときの自分の姿を思い浮かべると辛い。
叔父さんのカバンといっても兵隊時代に使ったというカーキ色の「兵嚢」だった。ポケットはベルトではなく紐を結ぶものだった。戦争が終わって10年も経っているのに、そんなものを使うということが苦痛だった。私は恥ずかしかったから、通学中は形が外から見えないようにして、いつもカバンを抱えて走っていったものだ。

そんな境遇にいたくせに、山本くんの継(ツギ)のあたった小倉の学生服を私は揶揄したのだろう。本当に嫌な奴だったと自分でも思う。

卒業アルバムをよく見ると、山本くんはきりっとしていてなかなかハンサムだ。寺沢くんはぬぼーっとしていて高木ブーを細くしたかんじだ。この二人は今はどうなったのかな。私たちがオトナになる頃から高度成長が始まり、人々はみな故郷から切り離されていった。おそらく、この二人とも遠い他国に行って行方は知れないだろう。

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by yamato-y | 2008-04-22 13:23 | Comments(0)


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