定年再出発  


懐かしい空
by yamato-y
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天でまた会えるから

天でまた会えるから

 今はなき居酒屋「たつみ」の人気者だった女将のケイコさんは、まだご主人を失くした悲しみから立ち上がることができないでいる。
やっとの思いで彼女の消息をつかんだ常連客であるわれわれとしては一度会いたいと伝えても、まだそういう気になれないという返事ばかり。心情は理解できるが、なんとなく釈然としない。店が繁盛していた頃、あんなに心安く打ち解けていた仲なのにみずくさいじゃないかという思いがある。さらに、打ちひしがれた彼女を励ましてあげたいと思ってもいるのだが、頑なに心を閉じている。

渡辺一夫が恩師について書いた「わが碧眼の師」というエッセーを読んだ。
聖マリア会の修道士であったアンリ・ベルクロード神父は暁星中学でフランス語の教師として渡辺少年の前に現れた。以後、一高でも東大でも渡辺は教えてもらうことになる。神父は明治41年に来日しおよそ半世紀にわたり司祭として教育者として日本に尽くした人物だ。驕らずいつも謙虚であり続けた師の思い出を、渡辺は(珍しく)熱く語っている。

 師が亡くなった後、その思い出を語り合うために母校を渡辺が訪れた。ベルクロード神父の同僚たちと会食しているとき、渡辺は校舎の壁に卒業生の名前を刻んだ銅板でも掲げて感謝の意を表したいと提案した。すると、老いたグッドレーベン先生が、指を天に向けて、こういった。
「皆また天で会えるのですから・・・・・・」

そうか。今、ここで女将さんと無理をして会うこともないのか。いずれ、私たちは”天で会える”のだから。
この話だけを女将さんにそっと教えてあげよう。
〈ご主人を失った悲痛はとてつもなく深いものでしょう。でもこう考えてください。
 いずれまた天で会えるのですから。〉
渡辺一夫はエッセーの結びで次のように記している。
「銅板などという有形なものを越えたものを信じられることが大切なのである。」

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by yamato-y | 2008-01-31 16:02 | 魂のこと | Comments(0)

同期の新年会

酔余の戯れ

昨夜、赤坂で1970年に同期入社した仲間10人と新年会を行った。38年前、学校を出たばかりで青々としていた者が38星霜経つと白髪交じりの中年の叔父さんに変貌している。
それでも、第1次の定年後は月に一度の例会が開かれて4、5人で集まっている。私はめったに参加しないが久しぶりに出た。新年会ということで10名を越える盛会となった。

その会に珍しい人が現れた。ともに入社して8年後に退社したWさんが姿を見せたのだ。同期のマドンナでもあったので、小さな歓声があがった。彼女は水戸のデパートの令嬢であったが、当時まだ珍しい放送局へ総合職として勤めた。哲学科を卒業した才媛は放送文化研究所の有能なスタッフとして活躍したが、78年に結婚を機に退社した。それ以来会ったことがなかったから実に30年ぶりの再会である。彼女は今は実家の経営する名門ホテルの取締役として働いているとのこと。子育ても終わり、第2の人生をスタートさせている。

そのほかのメンバーも、関連の会社でまだバリバリ働いている。名古屋の大学で教鞭をとっている者も駆けつけてきた。顔がそろうと、やはり38年前に意識はバックする。研修時代の思い出で盛り上がった。9時過ぎお開きとなる。

ほろ酔いのまま、地下鉄で新宿に出る。ケータイに登録されている番号にでたらめに電話して、「驚いた?」なんて馬鹿をやって新宿御苑前をぶらぶら歩く。酔余の戯れ。
またしても「とんぼ」へ行く。珍しく客でいっぱいだ。ワインをやっていると、旧知のNくんがやってきた。広島時代のワル仲間だ。久しぶりに大声で議論をする。詩人田村隆一は素晴らしいということで珍しく意見が一致した。終電の前に席を立つ。 

12時半の新宿駅ホームは混雑している。山手線に乗ったが座らないようにする。ここで座るときっと居眠りして乗り過ごすにきまっている。電車が揺れるたびにつり革のようにふーらふら。深夜の青電車は轟轟と走る。

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by yamato-y | 2008-01-31 11:15 | 登羊亭日乗 | Comments(0)

草間弥生的生き方

草間弥生的生き方

昨日、珍しい人が訪れた。フリーディレクターで映画監督の松本貴子さんだ。新作の映画の招待チケットを持参してきてくれた。
映画の主題は世界的アーティストの草間弥生だ。今、話題になっている。昨日の朝日朝刊、文化欄でも大きく取り上げられていた。

松本さんとの付き合いはかれこれ8年前になるか。「世界わが心の旅」で山口小夜子さんを主人公にした番組を作ったときからだ。あの作品は私にも忘れられないもので、山口さんの妖しく不思議な美しさに引き込まれることになった、思い出のドキュメントだ。
そして、番組を制作した松本さんも不思議なディレクターだ。2年ほど前にETV特集で松本さんは草間弥生を取り上げたことがある。それを契機に、この映画を立ち上げたのだ。そのエネルギーに感心する。

かつて、澁澤龍彦の『幻想の回廊から』を愛読していた頃から、芸術家の”病んだ魂”が見事な芸術を作り上げるということは感じていた。ゴッホを始めとして実に多くの例がある。草間も幼い頃から統合失調症を病み、たえず幻覚や幻聴に襲われてきた。そこから逃れるためにその幻覚を逆に描いてきたという。作品を見れば瞭然。
空白を恐怖するごとくびっしりと埋め尽くされた水玉。しかもそれは増殖しつづける。ある作品は微生物を際限なく描き、それぞれに黒い縁取りつまり死の影を貼付けている。
草間弥生はまもなく80歳になろうとしているが、その創作のエネルギーは止まることを知らない。

その映画「草間弥生、大好き」の監督、松本さんと1時間ほど話し込んだ。私のほうから誘い込んだのだ。なにか、話し合っておかなくてはと思った。
まず、去年亡くなった山口小夜子さんのことについて、互いに意見を交換した。
そのあと、今年の正月以来、自分の身の回りでおこったエピソードをあれこれ、私は語った。彼女は遠くを見るような目で話を聞いていた。

聞き終わってから、彼女はある友人の話をした。広告代理店に勤める50代の男性が、草間弥生の映画の試写会を終えて語ったことだ。
「草間さんて、エネルギーが切れませんね、70を過ぎても。男は定年をむかえるあたりから、人生をまとめようとするけど、この人はというか女はというか、まとめることよりも広がり持続していくエネルギーがありますね」

松本さんは楽しいことを教えてくれた。
「これから、きっと楽しいことがはじまりますよ。だって、作らねばならないという企画で作品を作るのでなく、やりたい企画をやっていけるんですから。」「どうか、自分で撮って、映像を作ってみてください。」

おしまいに、松本さんはある女性の最後を教えてくれた。その人は、先に述べた「世界わが心の旅/山口小夜子・モロッコの旅」の編集者だ。
顔が思い出せないが、たしかに、あの番組の編集で苦労したとき、そこでがんばる女性がいたことは覚えている。
その人は数年前に死んだそうだ。肺癌と宣告されて1年間、松本さんはその人の近くにあって、その最期を見届けた。35歳で死んでいったのだが、実に毅然と晩年を生きましたと、松本さんは語った。

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by yamato-y | 2008-01-30 09:08 | 魂のこと | Comments(0)

久保万を読んで

図書室から、久保田万太郎の『心残りの記』を借り出して読んだ。
一人息子とのことを書いている。
息子のことを名前で呼ばずに、「ちょっと」という感じで過ごしたと、淋しい親子だったと書いている。否、息子は二人はテレ性であったからだと述べていて、淋しいのではないと書いている。
息子が物心がついてから二人が交わした会話は、一編の多幕物戯曲にも及ばないそうだ。
息子の母は,彼が中学生のときに亡くなり、その後父は再婚したりして、人生は流れた。
そして37歳の若さで息子は父よりも早く他界する。

久保万の晩年は苦しい日々が続くが、その苦難のなかに、この沈黙の息子のこともあったのかもしれない。垣間見せる人生模様をふまえて、あらためて読むと味わい深い、久保万の句。
湯豆腐やいのちのはてのうすあかり

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by yamato-y | 2008-01-29 01:29 | Comments(0)

こんな日が来るなんて

こんな日が来るなんて


受験シーズンの真っ盛りだ。我が家にも大学受験をするような子供はいなくなった。むろん、私などはあれを経験してから42年も経っている。
今で云う共通一次試験のようなものだが、かつては、国立一期校の受験日は3月3日から5日まであって、金沢は雪が降るというジンクスがあったものだ。
おそらく、今のこの時期は私立の試験が相次いでいるはずだ。

受験なんて早く終わってほしいと心底願ったものだ。特に数学と生物が苦手で、いつも参考書を手元から離さなかった。
なんでこんな苦労をしなくてはならないのか恨んだものだ。
これが終われば、楽しい学生生活が待っている、親の束縛から逃れられると期待だけが、支えであった。大学に入ったらギターを買いたいと願っていた。加山雄三の「若大将シリーズ」が人気を集めていて、「君といつまでも」が流行っていた。ヤマハのフォークギター1万6千円が高嶺の花だった。

受験会場へ行くと、ライバルがおおぜいいた。なにせ、私たち団塊の世代は半端じゃないほどの人数だったから。
外は雪だったが、会場は熱気でむんむんしていた。テスト用紙が配られるのを見ながらいつか受験と関係なく人生が送ることができたらいいなと、ぼんやり考えたことを思い出す。

今夢見たその日のなかにいる。
今となっては、その頃に帰りたい。あんなに懸命に勉強をして未来に向かって這い上がっていこうとする意志だけでがむしゃらに走っていた時代に帰りたいと願っているのだ。
あのとき、私の前にはなんと大きな可能性が広がっていたことか。


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by yamato-y | 2008-01-28 09:10 | 30年の自画像 | Comments(0)

春隣り

春隣り
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相模の海は青々と広がる。4時半を回って陽がやや翳ると急にうそ寒くなった。まだ冬だ。春近しとはいかない。だから春はまだ隣にある。

昼過ぎに届いた郵便物は私を喜ばせた。暮れから正月にかけて消息を知った二人の知人へ出した便りの返事が届いたのだ。
一人は、以前ブログにも書いた、エンジニアの故金井清昌の夫人からだ。私が書き送った金井の思い出の記を、今年の正月帰省した娘さんたちに見せて偲んだと、夫人からの手紙であった。キトラ古墳発掘調査で見せた金井の活躍を、家人らは初めて知ったと知らせてきた。私の手紙がそんな役にたったかと思うと、素直に嬉しい。

もう一人は、5年前に職場を突然去った先輩からの手紙だ。暮れに、その人の住所を知ったので久闊を叙しつつ、先年共に仕事をした頃が懐かしいと私は手紙を書いた。その人は職場での軋轢があって辞職したと聞いていたので、よもや返事が来るとは思っていなかった。
そして、手紙で知ったのが退職の真相だった。職場における人間関係もそうではあるが、もっとも大きな要因は胃癌に侵されたことだった。当時、私は聞かされていなかったので、急な退職に不審をいだいたのも事実だ。その病の衝撃もあって私たちときちんとした別れもできないまま去ったことが申し訳ないと、その人は実直な文字で詫びていた。
なにより、当人が安心することになったのは、癌摘出から5年経過して、再発のおそれが消えたことである。

こういうふうに、嬉しいおとづれがやってくる夕暮れ。
春隣夕べの雲の空の色

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by yamato-y | 2008-01-27 16:53 | 登羊亭日乗 | Comments(0)

連れて逃げてよ

連れて逃げてよ

昨夜、「たけしの誰でもピカソ」の”ちあきなおみ”を見た。
伝説の「ねえ、あんた」の歌唱と映像がスクープ扱いで紹介されたが、たしかに凄かった。
沁みるような歌声、劇的な演ずる歌唱、聞く者の心をとらえずにいられないものだった。

ちあきの歌は薄幸な水商売の女の境遇を歌ったものが多い。「紅とんぼ」にしても「ねえ、あんた」も私の好きな「花吹雪」にしても。

「矢切の渡し」は、親の心にそむいて江戸を離れて北へ向かう男と女の物語。二人には添えない事情があった。それでもいっしょになりたい。女は男に切羽つまって懇願する、「連れて逃げてよ」男も心意気を示して「ついておいでよ」と答える。冷たい雨の降る夕暮の矢切の小さな渡し場。小さな舟に隠れるように乗って、何が待つか分からない未知に向かう。
ちあきなおみはこの男と女の不安と喜び、戸惑いと決意が交錯する物語を切々と歌い上げている。
彼女のドラマティックな歌唱力によるものとしても、歌の内容にちあきなおみその人の、人生ともファンは重ねたくなる。

ちあきは俳優郷鍈治と出会ったのは、「矢切の渡し」をレコーディングした頃と思われる。
そして、78年にその郷と夫婦の契りを交わした。二世を誓ったのだ。
郷は役者を降りて、ちあきのプロデューサーのようなマネージャーのような存在になってゆく。郷はそれほどちあきに打ち込んだのだろう。ちあきも郷をすっかりたよる。この結びつきは尋常ではないことは誰の目にもわかった。

ところで、少女時代、転校を繰り返したちあきは幸せの薄い女だった。ちあきは前座歌手をやっていた頃、可愛がってくれた役者がいたそうな。その人は若くして急死したと伝えられる。ちあきは人の死におびえるようになった。不幸には敏感になった。だから、郷との関係をひときわ大切にしたのだろう。

郷といっしょになってからのちあきは、以前にもまして歌がうまくなった。さまざまなジャンルにも挑んでゆく。演歌からジャズ、シャンソン、はてはポルトガルのファドまで、ちあきの歌声は凄みをましてゆく。シャンソンのような物語性のある歌を、船村徹はドラマティック歌謡と呼んだ。「喝采」にしろ「ねえ、あんた」にしても、彼女の歌は聞くものにドラマを幻視させた。
結婚して14年目に悲劇が訪れた。最愛の夫が92年に早世する。ちあきは自分を見失った。有名な逸話がある。郷の棺を閉じるとき、ちあきが「私も一緒に焼いて」と泣きさけんだ。そして、夫が死んでからいっさいの活動を停止したちあきなおみーー。
その人生は彼女の歌う世界とあまりに近い。名曲「喝采」にしても、後から見れば、彼女の夫を失った心境と重なる。

この歌声を聞いていて思い出さずにいられない人たちがある。
その夫婦は渋谷で小さな酒場をやっていたが、どこか理由ありを感じさせた二人だった。親父は寡黙で厨房にたち、女房はせっせと客を世話していた。店は繁盛した。
どうやら亭主は以前結婚していて子供もいたらしい。それと別れて今の女房といっしょになったようだ。二人に子はなかった。睦まじく、休みは東京近郊をよく旅していた。親父は歴史が好きだったから古跡でもめぐっていたらしい。

親父が70を前にして、二人は店をたたんで町を去った。
房総の小さな町で、大工普請の数奇屋に住んで余生を送っていると、噂を聞いた。だが、その平穏は2年も続かなかった。
親父に癌が発見され。北総の大学病院に通うようになったのだ。住まいもその大学に近いところへ移した。という話を聞かされて1年も経たないかのうちに、二人の消息はふっつりと消えた。親父が死んだらしい。女将は悲しみに沈んだ。いっさいの連絡を断って、消えたのだ。
まるで、ちあきなおみと同じではないだろうか。
昨夜、ちあきの歌を聞きながら、あの夫婦のことをずっと思いつづけた。

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by yamato-y | 2008-01-26 21:54 | Comments(0)

マフラーリターン

マフラーリターン

昨日の嵐とうって変わって明るい日となった。
だが、風はつよい。権之助坂の店屋の看板が次々に倒れてゆく。

一昨日、この坂にあるラーメン店「野方ホープ」に入って、野菜塩ラーメンを食べた。
その際、マフラーを忘れた。会社に戻って気がついた。早速電話をして問い合わせると、マフラーは残っていた。

今朝、そのマフラーを回収した。なんだか、得をした気がする。
目黒駅前で、寒風の中自立的ホームレスの人が「ビッグイシュー」を販売していた。1冊購入すると、その叔父さん(といっても、おそらく私と同世代か年少だろう)は嬉しそうな笑顔を見せた。その顔がとてもよかった。思わず、目頭が熱くなった。最近、涙もろい。チャンチャンコ世代になったからだろうか。

今回のビッグイシューは、販売者による「人生相談」だった。その答もさりながら、相談者の悩みにひかれた。職場でいじめにあっている、仕事がむなしい、一人で介護している、高校の友人がいじめにあっている、部屋をかたずけられない、性格を直したい、自信がもてない、など。
葉書一枚一枚に相談者の思いがつまっている。その悲しみ、寂しさに答えるホームレス販売者は誠実だ。「こんな性格やから、死にたいというのは一時的なもんで、ずーっと考えているわけじゃないから。ずーっと考えてたら、それこそ今ごろ死んでるわね。でも、そんな勇気もないし」
新聞の人生相談とは違って、けっして相談者を否定しない。それどころか、自分の悔いを率直に語っている。
この記事を読んでいて、さっきこの雑誌を頒布してくれた叔父さんの笑顔の根拠が少し分かった気がした。

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by yamato-y | 2008-01-24 12:43 | Comments(0)

ちょっと照れくさいが嬉しい

ちょっと照れくさいが嬉しい

20日で終わった「ウルトラマン大博覧会」のことだが、一応所期の目標はクリアした。
共催である円谷プロからも私たちの仕事に対して高い評価をいただいた。

いっしょに参加した同僚のOプロデューサーから、このプロジェクトがわが社の社長表彰を受けることになったと昨日告げられた。これまでにないカルチャーイベント(つまりオタク文化の)に取り組んで、事業として立ち上げ、それを成功に導いたことを評価するというのがその理由だ。大伴昌司―ウルトラマンという番組事業展開が社内的に認知されたわけだ。
 1次定年した身の上で、今さら表彰されるのもちょっと照れくさいが有難いことと受けとめる。社内の表彰とはいえ、専門外の催事(イベント)で評価されるとは思いもよらぬことであった。

このことを大伴昌司のお母さんに伝えたところ、とても喜んでいただいた。お母さんは、会期中、もし展覧会が不調に終わり、負債が残ったらどうしようと気をもんでいたらしい。負債どころか、今回のウルトラマン展に特別に製作したグッズの売れ行きは大変なものだった。ポストカードなど廉価な商品はほぼ完売した。

そして、さきほど円谷プロのモリシマ社長から連絡が入ったとき、その表彰のことを話したらとても喜んでくれた。「これで、世界への進出も夢なくなりましたね。もっと世界が広がりますね」と声が1オクターブ上がっていた。

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by yamato-y | 2008-01-23 13:57 | 大伴昌司の遺産 | Comments(0)

股火鉢

股火鉢

沈丁花の実が赤く膨らんでいた。今朝、ツヴァイク道を降りながら天空からこぼれてくる冬の陽を手のひらに受けて駅に向かった。

地球温暖化などとおおげさなことではないが、たしかに冬は昔より暖かくなっている。雪は降るが霜はない。大寒の頃ともなれば霜柱が通学の道に立ったものだ。アスファルトで土が消えたにしろ霜を踏み砕くようなことは減った。というか、ここ数年ない。

暖房も昔に比べて便利になり、部屋の気密性も高くなった。隙間風もなくなったしセントラルヒーティングで部屋もすぐ暖まる。冬がしのぎよくなったといえばそうだが、一月生まれの私としては物足りない。歯をくいしばって寒さに耐えるほうが好きだ。

かつては部屋の暖房といえば火鉢しかなかった。山代温泉郷で住職を営む友人の寺に、冬に泊まったことがある。大きな庫裏に火鉢が一つの部屋で酒を呑んだ。外套を脱がずの宴会となった。あまりの寒さに一人の友は股火鉢をした。いまどき、こんな言葉は分かるまい。火鉢にまたがって暖をとることだ。行儀は悪いが瞬間的に暖をとれる。そのとき放歌した戯れ歌を思い出したから書き留めておく。

♪この部屋に涙なんかあるものか 笑って歌おう、我が友よ
楽しさは酒の中から湧いてくる ドントドントドント 湧いてくる

なんでも、戦前の四高生がコンパのときに放吟した歌だそうだ。私はお茶の師匠から教えてもらった。

『俳句の評釈』(昭和21年刊)を読んだ。そこで水原秋桜子が推薦している冬の句がよかった。
押し撫て(おしなでて)大きく丸(まろ)き火鉢かな  温亭

秋桜子の解釈。
《寒い中を夜ふけて帰ってきた自分をいとしく思って、火鉢に火をおこした。さうして火鉢に身をふせて暖をとった。やうやく身体が温まるにつれて、この自分の独居生活の友である火鉢が、さながら生あるものの如くなつかしかった。》
秋桜子は作者の境遇を独り者と見ている。無人の冬の部屋とは本当に寒々しいものだ。そこですぐ火をおこして、しみじみ火鉢の手すりを撫でまわすものの心ね。今や、ほとんど味わうことのない冬の景ではないだろうか。

北陸の1月は雪が多く、鬱陶しい日が続く。だが、部屋の中は火鉢を囲んで笑う姿があったことが忘れられない。炭火に灰をかけて埋火にしたり、五徳にヤカンをかけて加湿器代わりにしたものだ。

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by yamato-y | 2008-01-22 13:50 | Comments(0)


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