定年再出発  


懐かしい空
by yamato-y
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爽やかな夏の朝に

カズオミの死

昨日の朝、新幹線の車中で29日深夜福原一臣が死んだことを知った。ガンとの5年間にわたる壮絶な戦いの果ての死であった。
彼よりも後に発見された妻シスカのガン。にもかかわらず、シスカは昨夏カズオミよりも先に逝った。闘病していたカズオミは妻の死に打ちのめされていたが、それでも1年間生き延びた。その間、芝居の公演を2回うったと聞いている。よく生きたと言ってやりたい。

カズオミが倒れて2回見舞いに行った。一度はシスカの入院のときだ。髪がすっかり抜けたシスカの傍でカズオミはいつもどおりの冗談を言いながら弱弱しく笑っていた。そしてシスカの死。葬式の会場で青ざめた笑いを浮かべているカズオミを見た。

その直後、カズオミが入院したと聞いて、都立駒込病院へアツコさんやカズコさんとともに見舞いに行った。骨折がしやすくなっていると言いながら芝居の稽古に行くなど生きぬく意欲はあった。あれから半年。

気になっていて、時間が出来たら一度見にいこうと思っていたがとうとう行かずじまいで終わった。

クボカクが死んでミヨが死んで、ドピローが倒れて全身不随となり、シスカが死んでカズオミも逝った。
一番年長のミヨですら60代後半だった。クボカクもカズオミも61歳。シスカは56歳で昇天した。それにしてもみんな早すぎる店仕舞だぞ。
私の荻窪時代が消えてゆく。

荻窪の天沼2丁目に住んだのは1974年から1978年にかけて私が26歳のときから31歳までの時期だ。天沼八幡の前にある喫茶店ぽろん亭に出入りするようになって、店主のミヨ、評論家のクボカクとアツコさん。新宿ボロン亭のマスターのドピローとカズコさん、黒テントの役者カズオミとシスカ。ミヨのキューバ時代の友人コーイチとレイコさん。そのほか不良アメリカ人アンディや大学生のモッチャンやココ、キイパンチャーのシズコさん、主婦のセツコさんらを知った。

ぽろん亭が9時に店を閉めると、毎晩のようにそこで酒盛りをした。劇団の製作にいたことのあるミヨや役者のカズオミの話題がいつもあった。政治の季節はまだ続いていたから、日本の保守を酷評しロッキード事件の陰謀をあれこれ推測した。
みな金がなかったから、カンパしてサントリーの白を買って水割りで飲んだ。ときどき、ミヨが炒め物を作ってくれてそれを肴にして飲んだ。キノコの炒めたものが出たときはみな歓声を上げた。食べ終わったあと、ミヨはこのキノコはそこの電柱に生えていたものだと告げた。それって、よく散歩の犬が小便をぶっかけているやつだ。全員、立ち上がって外に吐きに行くのであった。

カズオミの黒テントが芝居をうつと全員で見に行ったものだ。冬の寒い大泉の野原にテントが建てられたときは、簡易便所が2箇所しかなく長い列が出来た。その場所とりにみんなで協力した。そういう連帯はふだんはまったくなく、好き勝手に呑んだくれていた。風邪を引いてアパートで寝ていても、飲む相手をしろとたたき起こされることもあった。明け方まで呑んでしゃべっていた。

この記事を京都からの帰りの車中で書いている。青い夏の空が広がっている。山入端にこぶりの積乱雲が浮かんでいる。
昨日、告別式だったが、私は参列できなかった。まあいい。2回目の見舞いのときにカズオミとは別れの言葉を交わしたような気がしている。

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by yamato-y | 2007-07-31 12:45 | 魂のこと | Comments(0)

立ち往生

立ち往生

小田原の駅で50分間立ち往生した。新幹線が大雨のために一時ストップしたのだ。
9時10分発のひかりに乗車する予定だったが、電車は8時半から全面運休した。
掛川―静岡間で1時間に70ミリという大雨が降って危険域に達したため、運転が止まったのだ。

ホームにはみどりが停車しているが乗り込むことはできない。この電車が動き出さないと次の電車は入れない。ホームには長い人の列ができた。

そのうちに、小田原上空にも黒雲がたちこめ、ぴかりぴかりと稲妻が走りはじめた。そうこうするうちに凄まじい雷鳴があがる。近在で落ちたようだ。

電車の運行表示に在来線が落雷のため停電ストップと出た。えらいことになった。このまま時間が経過すれば、午後3時からの京都での会合に出席できるか分からない。

大磯の家に電話して、最悪の場合には相手先に連絡をいれてくれるよう頼む。

ケータイが鳴った。出ると、ソウルのホンさんからだ。8月2、3日に有楽町の国際フォーラムで四季シリーズの最終コンサートが行われるという。そこに招待してくれるという電話だった。スケジュールの確認がすぐとれないが、必ず参加すると伝えた。

電車は10時過ぎ出発した。湯河原付近では激しい雨が降っている。無事たどり着くことができるだろうか。その後小康となったが、掛川付近でまたしても土砂降りの雨が襲ってくる。

徐行運転で退屈になった隣りの席のサラリーマンが朝刊を広げる。「自民惨敗」という見出しが紙面に躍っていた。

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by yamato-y | 2007-07-30 23:07 | Comments(0)

今夜は花火大会

夕暮れのもみじ山
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今夜は花火大会
大磯へ戻ってきた。ツヴァイク道に入ると、ひぐらしが合唱していた。
やはりもみじ山は美しい。
家に戻って風を通す。屋上に上がると相模野には陽炎のようなものが揺れている。

日が没する頃小雨がぱらぱらと来た。あれえ、今夜の花火大会はどうなるのだろうと思っていたら6時半を廻ると雨があがった。

今夜は少し資料を読み込もう。明後日、大学生たちに話をすることになっているのだ。
話のモデルは小松左京だ。彼は京大文学部イタリア語科を卒業している。この人の風貌とか関西弁に眩惑されてしまうが、実に知性的な人物だ。この人の生き方を例にとって文学部で学問することはということを語ってみたい。

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by yamato-y | 2007-07-28 18:59 | わが心のシーン | Comments(0)

師と弟子

師と弟子

今朝書いたブログの大学文学部論(?)は中島義道の文章に引っ張られて面白可笑しく仕上げたが、ここ数日ずっと脳裏を占めていたのは師と弟子の関係であって、それへの傾倒を韜晦することもあって、あんな文章になった。四方田犬彦の新著『先生とわたし』の影響と大学という解釈共同体の存在に私の関心が集中していたのだ。

四方田は東大英文学教授の由良君美と自分のことを語りつつ、師と弟子の在り様を人文的教養の再構築のためのよすがにしたいと考え、この本を書いたと記している。感動の出会いから蜜月、離反、師の死、和解までの四方田の筆はたゆむところがなく、感動のうちに読者を最後まで導く。この本を手にとったのは、私の師匠である久保覚のことが言及されているからということだったのも何か縁を感じる。この本から導かれる主題はもう少しゆっくり考えるとして、取り急ぎ「師と弟子」の類型を記録しておこう。

内田樹はレヴィナスの研究者でなく弟子だと自称している。〈ものの考え方のかなりの部分を、私はレヴィナスから学習し、それをたよりとしてすでに二十年近くを生きてきた。〉

四方田は学部生の頃に現われた由良の颯爽に惹かれ、師として慕うようになる。10数年後、四方田は理不尽に由良に腹を殴られて疎遠となる。

作家豊田有恒の師はSFマガジン編集長だった福島正実だ。学生時代にSFコンテストに入賞したことから交流が始まり、福島の指導の下豊田はハードSFを書く。豊田の書いた原稿を福島は独断でいじったりカットしたりしたが、豊田は受け入れるしかなかった。
ある事件が起きて、豊田は福島に抗議をして二人は決別する。やがて福島は47歳で死ぬ。それから二十年も経過して著したエッセーで、豊田は福島への思慕を記す。

私は、といえば、師の久保を畏怖した。私は久保に研究するようにと与えられた主題を、友人と共同で行おうとしたことから久保の逆鱗に触れた。久保は表現することに対して不誠実であるというようなことを言って私を叱った。というより罵倒した。私は尻尾をまいて逃げ出した。数年間、久保の目を畏れて行動していた。数年後いつのまにか交友は戻っていたが和解復元の記憶がない。そのあたりの記憶を私はいまだに抑圧している。

内田は『レヴィナスと愛の現象学』でこんなことを書いている。
《「弟子になる」、「師に仕える」とは、まず「師を畏怖する」ことを学習することから始まる。》

一方、師はかならずしも道徳的に完璧ではない。ないが、師の位置にある。「完全なる無謬の師」という物語(内田樹)を師は生きている。


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by yamato-y | 2007-07-28 14:58 | 登羊亭日乗 | Comments(0)

勉強って何の役にたつのか

勉強って何の役にたつのか

算数、数学の類は大嫌いだ。夏休みの宿題で算数のドリルが一番不愉快だった。
数学の問題を解きながら、こんなことは世の中に出てどんな役にたつのかなと、ふて腐れて思ったものだ。三角関数ぐらいなら許せるが、虚数というのは実際に使うようなことはないのだろうと推測したが、あれから半世紀生きてきたが案の定使わなかった。算数は役に立たないと思ったが国語はなんとなく役にたちそうな気がしていた。文学というものを理解するのに有用じゃないかと直感したのだ。

私の今教えている大学についての記事を検索していたら、文学部って何の役に立つんですか、というスレというものが立っていて、同学部の学生や院生と思しき人たちがあれこれ議論していた。それによると、中学の頃私が考えた数学は役に立たないけど国語は役立つという議論とは正反対の論調があった。どうやらこの問題を提起した学生(と思われる)は、理学部や工学部の教えていることは社会に役に立ちそうだが、文学部にはそういうものがないのではと考えたことから始まったようだ。この問いを受けての学生らの意見が面白い。
その例を紹介する――
ア、個々のケースを見れば、役に立つものもあれば、役に立たないものもある。
イ、大学の学問はほとんど実業に役立つものではない。
ウ、海外からの文学(小説等)の紹介者は大概大学教授である。
エ、文学部はその国の文化レベルの高さを他の国に示すためにある。いわば、外交上の理由(歴史、哲学などがまとまっていない国は文化レベルが低いと見られる)。
オ、文学部はなんだかすごい難解なことに悩む人をまとめて収容する救済機関。
カ、面白いから存在する。
キ、自殺に役立つ。
ク、文学研究が思想史をひっくり返すことはままある。
ケ、やりたいことをやる、そのために大学に来たんやろ?
コ、税金の使い道考えてきたわけやないやろ。
サ、文学部がなかったら、中央食堂が男臭くなる。
シ、どうして役に立つ必要があるのか。役に立つ必要はない。

オ、の意見がおかしい。人生不可解なりと悩みぬく人種が集まっているという意味か。こういう人らはキ、のように自殺に向かうというわけか。この大学はかつての国立大学だから税金が投入されているから、それに見合う成果を大学はもたなければならないと生真面目に考えている意見もある。

一方、文学部で教える側は役に立つ立たないにかかわらず、実に快適な空間と謳歌している御仁もいる。これは他大学で哲学というあまり役に立たなさそうな学問を教えている中島義道電通大教授がその人だ。

《学生のころから、私は大学教師になりたかった。それは自分の好きなことをまっとうでき、かつ世間的に尊敬される職業だからである。とりわけ、私の専門の「哲学」においては、哲学をするだけで給料を払ってくれる職業はほとんど大学教師しかない。》
給料は安いがいいことだらけだと先生は語る。
《自分で自由に使える時間が充分あるから。週に4~5コマ(1コマ90分)の授業をこなし、月に2~3度の会議をこなせば、あとの時間はほぼ完全に自由に使える。そのうえ、夏休みと春休みはそれぞれ2ヶ月ある。こんなに暇な職業はないんじゃないかなあ。》

大学が違うが、それでも教えるほうは概ねこういう気持ちではないかな。つまり、学生諸君が悩むほど、先生がたは文学部という存在を疑っておらず、あっけらかんと突き抜けているのではと”安心”もする。 

ただし哲学の語源「知を愛する」ということに触れて中島教授はこんなことも書いている。
《(知を愛する)という態度は、真理を他のなにかのため(例えば社会的な力を得るため、金持ちになるため、幸せになるため)に求めるのでなく、真理であるゆえに求めるという態度である。》

文学部って何の役にたつのですかという問いに対する私の答えも、この中島先生の意見にかなり近いかなと思う。

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by yamato-y | 2007-07-28 10:11 | 登羊亭日乗 | Comments(2)

ブログの効用

ブログの効用

長崎からメールが来た。7月23日は長崎大水害の日だ。今年は無事に終わったとメールは伝えてあったがかつて長崎はあの水害でひどい目にあったことがある。ここ数年、中越地方の地震が話題になることが多いが、かつては西日本の水害の話題が夏になると登場したものだ。

長崎からのたよりは私への忠告だった。ブログを読んでいると忙しそうだが無理をしないようにという内容だ。こんな身を案じていただいてありがたい。これは、毎日のようにブログを書いているからの忠告だろう。知人が読んでいると思うと気が引けるときもあるが、私の行動を知らせる効用は大きい。

昨日のロケバスの会話で、カメラマンからブログを読んでいれば行動がすぐつかめるし、気分の好不調が良く分かると笑っていた。自分の情けない気持ちまですっかり書いていて気恥ずかしいという部分があるのだが、一方、さらしてみたいという欲求も次第に強くなっている。私小説の作家の気持ちが少し分かるような気がする。

今朝、出社すると机の上に『ベタ辞典』という本が置いてあった。先日、ブログでイチローが使ったベタなという表現の正確な意味が分からないと書いたことの反応だろう。私の周囲でブログを読んでいる人が親切にもこの本を貸してくれたのだ。

その本にはべたな人間としての6つの要件が記してあって、その一つに「突然、海が見たくなる」とあった。私じゃないか。ということは、私はベタ人間か。書いていることはやはりベタか。ふむう、この本ちょっと面白そうだ。


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by yamato-y | 2007-07-27 15:53 | 登羊亭日乗 | Comments(0)

 月進日歩

 月進日歩

本日はロケなり。晴れていてよかった。ただいま6時過ぎ、今のうちにブログを書いておこう。

今日のロケは2箇所。一つはSFマガジンの元編集長の世田谷の自宅。もう一つは新宿、山珍居の宴会場だ。山珍居はSF作家クラブがたびたび会合として利用した台湾料理の店である。ここで日本SF作家クラブの旗揚げが行われた。現在の店は当時の場所から少し離れた場所に移転したが、移転後も作家たちはここを根城にして談論を風発したという。

当時を再現する小道具を探した。オープンリールのテープレコーダーである。40年前に作家たちはそれを利用したと記録があるのでイメージとして使いたいと、録音がカセットでなくリールで巻き取る旧式のテープレコーダーを昨日探した。

30年前、私が駆け出しのディレクターだった頃はラジオ番組も隆盛で、取材にはデンスケという小型の録音機を担いで行ったものだ。肩掛けカバンほどの大きさだが重さは20キロほどあったか、一日中担いでいるとすっかり草臥れるという代物だった。そうやって取材してきたテープを編集するための大型録音機が局内のあちこちに置いてあった。ラジオのスタジオにも備えてあってどこにでも見かけたものだ。

その後、録音のシステムはカセットテープになりDATに変わっていった。今の若いディレクターにオープンリールの録音機と言っても通じない。
ロケでその大型の録音機が必要とあって昨日調達に走った。システムが変化したからといって、放送局だからさすがに一つや二つあるのではと聞きまわったが、誰も知らない。年配の者は話を聞くと「そういえば、あれだけあったデッキが今では全然見ないなあ」という返事だ。一番ありふれたものだからこそ今では残っていない。

 ビデオテープもこの20年VHSが隆盛だった。番組の編集には市販のVHSテープを使用したから45分サイズの番組を作るとなると、VHSの60分テープがあっと言う間に50本ほど使用した。そこらじゅうに使用済みのテープが山積していた。ところが、この民生用のVHSテープの生産からメーカーは徐々に撤退している。最近では箱売りのテープがなくなったと聞いた。このままで行くと4年後の地デジ時代に入ると現場はおろか家庭にもTSUTAYAにもVHSのテープが消えるかもしれない。一番ありふれたものが一番珍しくなるというのが鉄則のようだ。まるで恐竜の隆盛と消失のようだ。

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by yamato-y | 2007-07-26 07:18 | 登羊亭日乗 | Comments(0)

熱中症に注意

熱中症に注意

渋谷駅前のスクランブル交差点で、若い女がカードを胸の前に広げていた。その前方に数人のスタッフがいたから何かの番組の撮影らしい。カードには「熱中症に注意しましょう」とあった。

一瞬、今の私を注意しているのかと眩暈がした。このところ、休日出勤が続き毎夜遅くまで構成や資料映像のリサーチにかかっている。20数年ぶりのディレクターということで張り切るというより緊張しているのだ。ついつい無理をしている。それに対する警告に思えたのだ。「熱中症に注意しましょう」

よく考えれば学校は夏休みに入っているのだ。子供たちも野外で遊ぶ機会が増えている。ついつい夢中になって遊んでいるうちに夏の太陽に打ちのめされることになる。そうならないためのキャンペーンが「熱中症に注意しましょう」だった。

私の子供の頃は熱中症とは言わず日射病といった。夏の日に出かけるときは母が「帽子をかぶらないと日射病になるから」と注意したものだ。だが夏時間に襲ってくるのは太陽だけでなく外気の温度もだ。だから太陽熱だけじゃないという意味で熱中症という表現になったのだろう。

私には「熱中症に注意しましょう」という標語は耳が痛い。別に仕事が好きだというだけで熱中するのでなく、取材相手との関係、制作スケジュールの制限などがからまってつい業務に過剰にのめりこむのだ。友人からのアドバイス。「あんたが一生懸命仕事をして倒れたって、誰も褒めてくれない」
分かっている。分かっちゃいるけど辞められない。

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by yamato-y | 2007-07-25 09:59 | Comments(0)

奇想の系譜

奇想の系譜


昔から不思議なことを考える人はいたもんだ。「稲生物怪録」という妖怪を描いた江戸時代の本があると知ったのは15年ほど前のことだ。たしか鳥取藩の旧家に眠っていて、これを番組にしたいと若いディレクターが話を持ちかけてきたことがあった。

その資料を見ると、まるで水木しげるの妖怪の図録そのものだ。北斎が描いた漫画にもありそうな図もある。これは明治以降に造られた紛い本ではないかとわたしは疑った。だからその企画は採用しなかった。

数年後、「太陽」だったか名前は失念したがグラフィック雑誌にその「稲生物怪録」が山陰のタカラとして紹介されたのを見たとき自分の不明を恥じることになる。たしか、この図録の解説を荒俣宏氏が書いていた。荒俣氏の師匠は大伴昌司だ。大伴さんもこういうものを好んだ人だ。少年マガジンの図解でも水木しげるさんと組んで「日本の妖怪」などという特集を制作している。

「往生要集」にも地獄の図がある。この奇想はどうやって生まれたのか気になってしかたがない。一方、西洋だってある。ウィリアム・ブレイクの絵などは不思議だらけだ。

こういう図像を描く人たちにはそういうものを幻視する能力があるのか。奇想の系譜なんて大袈裟な題をつけたが、今朝読んでいた由良君美の著作の題から思いついただけだ。

先日、インタビューした筒井康隆氏が若い頃学んだシュールレアリズムが自分の作品にとっても意味が大きいというようなことを語っていた。わたしも昔からシュールレアリズムやマニエリスムの絵が気になってしかたがない。

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by yamato-y | 2007-07-25 08:07 | Comments(0)

ささやかだけど嬉しい再放送

ささやかだけど嬉しい再放送

これまで制作した私の番組が夏にかけて次々に出てゆく。
大半がハイビジョン放送だから少し残念だが、それでも自分が関わった番組が世に再び出てゆくことはやはり嬉しい。
○今週土曜日、7月28日、午後1時半から衛星第2放送
 「闘う三味線 人間国宝に挑む」・・・主人公の鶴澤清治さんは本放送の直後に人間国宝に決まった。再び、あの名演奏の裏側を見て欲しい。

○同じく今週金曜日、午後11時35分から衛星第2放送
追悼河合隼雄さん「世界わが心の旅~アメリカ・大地に響く癒しの笛~」河合さんのアメリカの先住者の村を訪ねる美しい物語。

○8月5日(日)深夜0時10分から ハイビジョン放送
「ぼくはヒロシマを知らなかった」。去年制作した番組です。

○8月26日 午前7時からハイビジョン放送
「世界わが心の旅」作家の太田治子さんのレンブラントの旅です。

このところ訃報とともに私の旧作が再放送されることが多かったが、夏に流れる作品は好きな作品ばかりだ。機会があったらぜひ見て欲しい。

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by yamato-y | 2007-07-24 18:53 | Comments(0)


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