定年再出発  


懐かしい空
by yamato-y
カテゴリ
以前の記事
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
2005年 07月
2005年 06月
2005年 05月
2005年 04月
2005年 03月
2005年 02月

最新のコメント

<   2007年 05月 ( 48 )   > この月の画像一覧

3人の帰国子女

3人の帰国子女

昨夜から神谷美恵子と須賀敦子を交互に読んで感銘を受けている。
二人に流れるカトリシスム、フマニスム。日本人には少数の考えだが時代を超え空間を越えて伝わるものだ。この二人のうち、須賀さんとは実際にお会いして親しく話しをさせてもらったことがあるが、神谷さんはない。私が物心ついて青春をむかえる頃にはこの世を去っていた。

もう一人の帰国子女も気になる。1年前に亡くなった米原万里だ。亡くなってから彼女の著作が続々と出版されている。この人はロシア語通訳ということで活躍していた頃から、間接的に知っていた。豪快な女性で知的でかつ猥談好きというのは、ロシア語の語学番組の担当者から聞かされていた。
そのうち、エッセーをものして次々に発表をはじめ、挙句文学賞を受賞するにいたる。私は彼女を引っ張り出して番組を作ってみたいと構想しながら、ずるずると機会を失した。私とほぼ同年の彼女がまさか死去するとは思ってもいなかった。

米原さんと須賀さんの共通は大人のユーモアを巧まずしてもっていたことだ。なにげない会話でも途中くすりと笑いたくなるような言葉が二人とも端々にあった。

こういう優れた「現代女性」をとらえるような番組を作ってみたい。
現在メディアに登場する人たちの顔があまりにみすぼらしくて苦しいのだ。

さて、この3人を帰国子女という大雑把な括り方をしたが、若い頃西欧と出会った人格というのはこの国の陰湿なクリマからある意味解放されているのではないだろうか。

この記事を書いて、「文楽」の編集試写で2時間席を外れた。その間に、思い出したことがある。
センター内の書店で、大江健三郎さんの新しい本をみつけて、ある光景をまざまざと思い出したのだ。その本は大江さんのインタビュー集ある。そのなかで、最晩年のサハロフ博士と対談したことを大江さんが語っていた。そのときの通訳が米原さんだと大江さんが覚えていた。米原さんは大江さんの小説の大ファンで盛り上がったことを私も思い出したのだ。

その番組は私が制作を担当した。折りよく大江さんの対話の番組を企画していた最中に、サハロフ博士が来日し急遽収録したのだ。
しかも、この本番から旬日ならずして、博士は急死した。私はすぐスペシャル番組として立ち上げたことを懐かしく思い出す。その編集の際にも米原さんにお世話になっていたのだ。

来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング
[PR]
by yamato-y | 2007-05-31 11:50 | Comments(1)

ひとり酒場で

ひとり酒場で

7時過ぎまで、ドキュメンタリー「文楽」の編集立会いをしていた。終わって局社の外へ出ると糠雨が降っていた。梅雨が近づいているのだろう。

自席に戻ると、同僚の大半は退社していた。ちょうど人事異動で転勤祝いの飲み会などがあちこちで開かれていることだろう。私は30分ほど伝票整理をしてから社を出た。

さきほどまで見ていた「文楽」のさまざまな場面が頭を過って消えない。このまま家へもどっても軽い興奮が続いたままになるだろう。いっそクールダウンさせたほうがいいと思って、「駒形どぜう」の暖簾をくぐった。熱燗と冷奴でいっぱい飲む。
今夜は肌寒いせいか、熱燗がうまい。五臓六腑に染み渡る。

かばんに入れておいた須賀敦子の「どんぐりのたわごと」を取り出して、酒をちびちびやりながら読む。得も言われない時間だ。

酒を飲みながら友人のNくんのことを思った。今年の人事異動で何かうごきがあっただろうか。先日、渋谷の交差点で遠めで彼を見た。ふだん穏やかな彼なのに、怖い顔をしていた。何か苦しいことがあるのじゃないか。

ふと、18歳の頃に覚えた歌が口をついて出る。「心さわぐ青春の歌」といった。
♪ぼくらにゃ ひとつの仕事があるだけ
自由の国照らす 仕事がひとつ
雪や風 星もとべば
心いつも かなたをめざす

この歌を覚えた頃、大学の先輩井上靖の内灘での詩「北国」を愛唱していた。たしか内灘砂丘に井上と思しき青年がマントにくるまって寝転がっていた。そして天上の星を見ていた。一瞬、ある星が流れた。青年はその星はきっといつか己が額に落ちるだろうと思った、という詩であった。

Nくん、星はまだ落ちていない。いつかきっと君の額を貫くはずだ。もう少しだけ待ちたまえ。

来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング
[PR]
by yamato-y | 2007-05-30 21:23 | 登羊亭日乗 | Comments(0)

植木さんの帽子

形見分け

今朝、比呂公一さんと会った。植木さんが亡くなってからずっと多忙だったので、遠慮していたが、依頼したいことがあったので連絡をとったところ、比呂さんの自宅近くの喫茶店で会うことにした。

代官山の洒落たレストランで会うと比呂さんは紙袋を提げていて、私に呉れた。植木等さんが愛用していた麦わら帽子だ。形見としてとっておいてくださいと言われて、絶句した。
最晩年にわずかにお付き合いしただけの私に、こんな大切なものをいただくなんて。

ありがたくいただいた。植木さんのこの帽子について書かれたものを呉れませんかと、私が頼むと、「できるだけかぶってやってください、そのほうが親父は喜ぶと思うので」と比呂さんは明るく答えた。

比呂さんの車で代官山からセンターまで来た。西口の玄関で別れると、小雨が降り出していた。慌てて、私は帽子の入った紙包みを濡らさないようにかかえて、私のオフィスまで走った。

来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング

c0048132_13362418.jpg

[PR]
by yamato-y | 2007-05-30 13:32 | Comments(1)

情とは何だろう

情とは何だろう

文楽に今どっぷりはまっている。先日行われた「芸の真髄」で竹本住大夫、鶴澤清治の共演をベースにしたドキュメンタリーを現在編集していて、その芝居や文献に耳目を集めているからだ。

住大夫師匠の『文楽の心を語る』をひもとく。文楽の代表的な19演目について、師匠が芸談を語った本だ。これを読むとほとんど無縁であったと思われた文楽が、意外に身近に迫ってくる。

近松門左衛門の「曽根崎心中」。天神森の段、冒頭の語り。
「この世のなごり 夜もなごり 死にに行く身をたとふれば、
  あだしが原の道の霜 一足づつに消えて行く 夢の夢こそあはれなれ
 あれ数ふれば暁の 七つの時が六つ鳴りて 残る一つが今生(こんじょう)の
 鐘の響きの聞き納め 寂滅為楽(じゃくめつ いらく)と響くなり」
これは語りの文章だから、黙読するより声に出してみると、その良さが引き立つ。詠んでいてうっとりする。

 「この世のなごり、夜もなごり」(この世とお別れだ。夜も今夜限りになった)死出の旅立ちだ。お初・徳兵衛の道行から、相愛の男女が死に場所を求めてさまよう、はかない「死の道行」がクライマックスとなる。
あだしが原とは墓地のこと。そこに通じる道に降った霜、「一足づつに消えて行く」――はかない命、人の世をさりげなく示す。 そこへ鐘がなる。「あれ数ふれば」と続く。
 「暁の七つの時が六つ鳴りて、残る一つが今生の鐘の響きの聞き納め」
 暁の七つの時とは今の午前三時ごろ。7つの鐘のうち6つ鳴って、あと一つなれば二人の死ぬ時となる。やがて、徳兵衛は刃をとってお初の喉元へ・・・。

この二人が心中という手段を選びとらざるをえない事情もまた情だ。何も相愛の感情だけを指すのではない。情とは思いのほか深く広いものだということを、文楽を通じて知った。「情報」という言葉はこのあたりを勘案して成立したのだろうか。住大夫師匠は文楽は情だと幾度も繰り返す。師匠はこんなことを言っている。
「情を伝えようとしたら、声だけでは伝えられません。気持ちを伝えていかなくてはいけません。気持ちを伝えていくためには、やっぱり稽古しかないんです。」

それにしても、この名文句をいい語りと三味線で聴くと、たちまち夢幻の世界に引きこまれてしまう。また国立劇場へ行って聴きたくなった。

来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング
[PR]
by yamato-y | 2007-05-30 10:30 | 新しい番組を構想して | Comments(0)

碩学の言葉

松尾尊兌 先生


今,非常勤で毎月2日映像メディア論というものを京都へ教えに行っている。
私の授業は文学部現代史に所属し、狭い意味で二十世紀学という分野に位置している。
この現代史研究室というのは30年以上の伝統をもつ。その組織を作ったのが松尾尊兌名誉教授だ。先生は現在引退され白川の自宅で悠々と自適されている。

現在、私の映像メディアチームで、この松尾先生の映像の自叙伝を制作中である。松尾先生の人生をロングインタビューして構成する映像の人物史だ。撮影は昨年のうちに済ませてあって、今朝、編集の途中経過をチェックしたが、5時間に及ぶ映像による「聞き書き」は実に面白い。

鳥取出身の先生は高校を卒業後、京都大学に進学する。そこから始まり、大学を出た後京大人文研に職を求める。やがて結核にかかり鳥取で静養後大学に復帰。この間、松尾さんが師と仰いだのが他大学の教師であった北山茂夫だ。北山は立命館大学の教壇に立ち古代史研究で知られた人物だ。
やや奇妙な師弟関係を松尾さんは、意味があったと回顧する。
《北山先生は僕を教室で教えたことはまったくないのです。直接の師弟関係ではなかったのです。私はひそかに自分の先生は大学の外であるということと思っていましてね、教師になった後もその信条は変わりませんでした。いろいろな学生に接触するようになるけど、やはり心のどこかに先生は自分で探すものだというのがあってね。》

自分自身が学外に師を求めたように、後に、教える立場になっても、直接の教え子である京大の文学部学生に対して親切ではなかった、むしろ立命館大とか奈良女子大など他大学から相談に来る人に対してのほうが親身になったというのだ。偏狭な縄張り意識を脱した新鮮な言葉だ。

自分の周辺を身内でかためて「白い巨塔」を立ち上げるのでなく、むしろ外部に「贈与」することで、自分の学恩を社会に返すという松尾先生の考え方。これは松尾先生だけが実行していたわけじゃないと、京大文学部の「伝統」を松尾先生は強調する。井上清にしても津田左右吉にしても、生え抜きという本流意識から解放されているからこそ素晴らしいと、松尾先生は朗かに語るのだ。

先年、松尾先生は退官にともなって回顧録を「世界」で連載したこともあって、立派な伝記『昨日の風~師と友と~』(岩波書店2004年)があるのだが、映像で記録するのは一味違って新鮮だった。今、二人の学生がこの映像を編集作成中である。


来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング
[PR]
by yamato-y | 2007-05-29 17:08 | 登羊亭日乗 | Comments(0)

鎌腹の刃

鎌腹の刃

文楽に耳を傾ける。あの竹本住大夫の名演だ。題して、「義士銘々伝・弥作鎌腹の段」。赤穂浪士の物語外伝。なにげなく聴いていたが、物語が進むにつれてここで語られていることはけっして昔のことではないのじゃないのかと思い始めた。

物語――
攝津の国、萱野村に住む百姓弥作の元へ、浅野家に勤めていた弟和助が帰ってくる。主君の刃傷でお家は取り潰しになり、浪人となって帰ってきたのだ。
それを見ていた村役人の七大夫(悪役)が、和助を代官の養子にならないかと話をもちこんでくる。七大夫はごまをすって代官に取り入る魂胆だ。これが悲劇の始まりだった。

和助は兄に養子の話を断ってくれと頼む。理由を聞いても弟は口を割らない。いよいよ尋ねると、吉良邸討ち入りという一大事であった。和助は弟の忠義に打たれ、快く江戸に送リ出すことにした。

数日後―、和助は兄弥作の家を訪ね、念願かなっていよいよ討ち入りが決まったと報告にくる。ところが悪い事態が起きていた。例の村役人の七太夫は代官に口利きをしてすでに結納金を懐に入れていたのだ。しかもちょろまかして私腹をこやしていた。七大夫としては話が壊れては一大事だ。そこで七大夫は兄弥作を脅す。破談になれば武士の義理がたたないから自分は腹を切るが、それでもわしの言うことをきかんのかと脅すのだ。もしそれでも断るなら理由を言えと七大夫は迫る。そして、ついに弥作は討ち入りのことを白状してしまう。それを聞いた七大夫、縁談が駄目なら密告で点を稼ごうと代官所へ走るのであった。それに気づいた弥作は追いかけて、ついに鉄砲で七大夫を撃ち殺すことになる。
役人を殺したからには弥作は生きてはいられない。

腰の脇差で腹を切ろうとするがなかなかうまくいかない。そこで傍らにあった鎌を使って詰め腹を切るのだ。この正直者というか愚直者というか弥作のような人物は、今もいる。
緑資源機構の逮捕された元理事は、ノンキャリアではないか。彼が背任汚職し守ろうとしたのは林野庁からの天下りキャリアーだった。実際に逮捕されたのは元理事だったが、彼は詰め腹を切らされたのじゃないのか、弥作のように。

と思っていたら、もっと上層にあった人物が本当に刃を向けた。本日のニュースはその話題で一色となった。鎌腹を切るという没義道はけっしてなくなったわけじゃない。

来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング
[PR]
by yamato-y | 2007-05-28 22:12 | Comments(0)

たらちねの

たらちねの

故郷へ帰って日曜日、朝寝坊している。まったく静かな日曜日、時折風が雨戸を揺らすほどだ。仏間の隣の部屋で布団を敷いて寝転がる。三田村鳶魚の『徳川の家督争い』という御家騒動のネタ本のようなものを面白がって読む。

三田村鳶魚という人は昭和27年に82歳で亡くなっているが、江戸の研究家として知られている。江戸の風俗を知るにはこの人の著作集が役にたつのだが、昨日百万遍の古書店で彼の文庫本を見つけ読み始めたというわけだ。

冒頭が宇都宮釣天井事件。同僚がその事件の張本人の末裔だということは前にも書いたが、この事件の顛末がめっぽう興味深い。大名の争いも実はジェラシーが原因となっているということがよく分かる。

田舎の家に戻ると食事は老人食一色となる。魚、漬物、ごはん。たらちねの母が作るものは似たようなものばかり。大津で生まれた母には京都は馴染みのある場所で、そこの和菓子やうどんは好物である。肉と名のつくものはいっさい受け付けない。その母の最近の短歌に京都があった。
如月の風も冷たき京の町受験子連れて五条坂を行きし
息子3人を育てた彼女にとって、8年にわたる大学受験がいつも悩みのタネであったのだろう。

そういえば、落語の「たらちね」は八五郎が京のお屋敷者をめとる話だ。最初に自己紹介するときの嫁の口上はいつ聞いても好きだ。
《父はもと京都の産にして、姓は安藤、名は慶三。あだ名を五光。母は千代女と申せしが、三十三歳の折、ある夜、丹頂の夢をみてはらめるが故に、たらちねの体内をいでしときは、鶴女と申せしが、成長の後これを改め「清女」と申しはべるなり。》とこれを聞いて職人の八は感動するというか驚く。これは元々上方落語から由来するようだが、「たらちね」とは母の枕詞。バカ丁寧な物言いを面白がった古典落語だ。

長塚節の短歌を思い出した。
たらちねの母がつりたる青蚊帳(あおがや)をすがしといねつたるみたれども

来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング
 
[PR]
by yamato-y | 2007-05-27 10:56 | ふるさとへ | Comments(0)

東山三十六峰静かに眠る丑三つ時

東山三十六峰静かに眠る丑三つ時

むくりと起きた。喉が渇いた。ミネラルウォーターで喉を潤す。ついでにシャワーでも浴びよう。

すっきりした。目が冴えた。花の金曜日の続きの丑三つ時、予想以上に騒音がない。ここは木屋町のホテル秀仙閣、とにかく安いビジネスホテルだ。内部が少し古いから値段が安いのか、連泊してもたいした金額にならない。北大のT先生の定宿ということで、今回初めて利用したが悪くない。なんと朝食300円。

昨夜、例によって主任教授のS先生と会食。先生はアルコールは弱いので私一人独酌で、京料理に舌鼓をうつ。およそ2時間、またとりとめもないマンガや歴史の話でおおいに語り合った。大伴昌司の著作物の保管を今後京大文学部に寄託する。S先生はせっかくだから大伴に代表される日本の「おたく文化」の研究を二十世紀学研究室としても取り組んでいきたいと、熱心に語ってくれるのだ。嬉しくなってくる。

日中から夕暮れまで土砂降りだったが、天気予報どおり宵の口にはあがった。町のネオンがキラキラしている。9時半過ぎ、先生と別れて高瀬川のほとりをぶらぶら歩きながら帰っていった。そして、そのままシャワーも浴びずにベッドに潜り込んだのだ。

窓を開けて夜空を見上げると、星が2つかすかに光っていた。どこからか風呂の湯の臭いがした。ちょっと、今から四条大橋まで散歩してこよう。カメラを忘れないようにして。
暫時中断

うう、寒かった。Tシャツ一枚で四条大橋まで出たが、川風はさすがに冷たい。橋上には人影はないが、河原には若者たちがうごめいている。
さすがに京都一の繁華街なので客待ちのタクシーがずらりと並んでいる。街角には若者の姿が多い。何をするでなく角角に群れて立っている。阪急の入り口のところに路上ミュージシャンがいて、ハーモニカとギターを鳴らして恋歌を歌っていた。
c0048132_2244429.jpg
c0048132_225055.jpg
c0048132_2251240.jpg



来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング
 
[PR]
by yamato-y | 2007-05-26 01:49 | Comments(0)

雨の百万遍

c0048132_2232326.jpg
雨の百万遍
c0048132_2233350.jpg


久しぶりの雨の京都。しっとりと美しい。河原町のホテルからバスで百万遍に向かう。
東山、吉田山の万緑の中、京大のキャンパスが眠るようにある。

生協ルネで書籍を漁る。と面白い本を見つけた。『俳景~洛中洛外・地球科学と俳句の風景』(宝塚出版)。理学部地球物理の尾池和夫教授が書いた本だ。理系の人が俳句を好むことは水原秋桜子や平畑静塔らの例で分かるとおりだ。尾池先生も脳を柔らかくする効能もあって俳句に親しんでいる。先生は地震、活断層の大家だ。

京都盆地というのは、活断層面の上下のずれで落ち込んだ岩盤が出来ている。断層運動で隆起する周囲の山地から土砂が流れ込んで出来たのが京都盆地。その中を北から南まで一本の大きな川カモガワが流れている。北から出町柳までを賀茂川と称し、出町柳から市内を貫いて桂川と会うまでを鴨川と地元の人は呼ぶ。
鴨川の岐れてよりの種物屋 金久美智子

京大のキャンパスはその賀茂川付近の花折断層系に属する。この上に曼殊院、詩仙堂、金福寺らが載っていて、白川が流れる。御影石の層から出来ているので白川の流れは清い。
落花行く疎水と速を等しうし 山口誓子

この花折断層系が運動して隆起したのが、有名な東山三十六峰。とまあ京都の地形をこの本によって教えられ、かつ俳句の味わい方も教えてもらった。
地震知らぬ春の夕の仮寝かな 河東碧梧桐

これまで京、その周辺ではいくつも大きな地震があったそうだ。1995年の神戸淡路震災を起点として70年ほどは西南日本は地震の活動期に入った。実は、秀吉の時代もそういう活動期でたびたび大地震が発生している。そのため伏見の隠居城がぶっ潰れた。その廃墟は長くあったようだ。江戸時代前期の俳人去来がこんな句を作っている。
月見せん伏見の城の捨郭 向井去来

来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング
 
[PR]
by yamato-y | 2007-05-25 22:03 | 登羊亭日乗 | Comments(0)

生活習慣病

生活習慣病

3月から続いた繁忙期が去った。この間学んだことは昔ほど無理がきかないということだ。
昨日の内視鏡検査で見つかった腸の炎症は、多忙から来るものだと推定された。3月初旬から先週の「後藤新平」オンエアーまで5本の番組が複合して続いたことに起因するのであろう。

番組制作とは、企画を別とすれば〈リサーチ、撮影、編集、追加撮影、仕上げ〉と作業が切れ目なく続く。ディレクターであれば当該の作品1本に向き合っていけばいいが、プロデューサーは数本をかけもちする。すると、先述の作業がいくつも重なり合うことになる。
リサーチ、撮影、リサーチ、編集、追加撮影、撮影、仕上げ編集、追加撮影、仕上げといった塩梅だ。2本重ねてでもこうだが、私の場合、全盛期は8本重なっていた。それぞれ違うネタである。読む資料も思考もその都度切り換えるという芸当が必要とされた。編集、仕上げという段階では半徹夜という日が続いた。 

多忙を極めるが、それをやり終えたときの達成感は格別だった。だから、この複合的番組制作は「生活習慣化」した。その挙句、47歳のとき過労からくる脳内出血を起こすことになる。

入院騒ぎがあって2年ほどはおとなしくしていた。が、50歳前後から海外取材の番組が増えてまた懲りずに仕事人間に戻っていった。私はプロデューサーのくせにロケの現場にまで出かけることが常態化した。例の作業の流れが5重6重になっていった。あの生活習慣が復活したのだ。それから1次定年の57歳まで疾走した。特に1年前の56歳のとき、「冬のソナタ」と出会い、それまで関わりのなかったドラマの世界にまで深入りした。

定年で身分が変わり業務量が大きく減った。それにショックを受け気持ちが落ち込んだ。およそ半年は鬱々とした。他ジャンルの若い人たちと新しいことでも始めようと思い、およそ1年プライベートな会を運営してきた。その拠点としてきた公的施設が今年の3月に閉鎖。その時期に、今回の私の多忙業務が始まったこともあって、再び「生活習慣」にのめりこんでいった。
そして、昨日の検査の結果である。昔なら難なくこなした仕事量が、体に変化を与えるほどになっていた。つまり、「老い」たということか。

今朝、寝床の中で思った。今かかえている仕事は6月24日放送の「文楽」1本だけだ。これが終われば当面企画はない。さてどうしよう。新しい企画を3つ4つ考えるか。それとも、今度こそ悪しき「生活習慣」を断ち切るべきか。

だが止めたとして、私に他に何が楽しみとなる。生きるはりとなる。仮に続けたとしても、もはや体力が追いついていかないことも明白になった。自問自答を繰り返す。

来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング
 
[PR]
by yamato-y | 2007-05-24 21:33 | 魂のこと | Comments(0)


その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧