定年再出発  


懐かしい空
by yamato-y
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愛する人の死①

愛する人の死①

 5年前、向田邦子の恋文を読み解く番組を制作したことがある。
その当時、彼女の若き日の恋についてはまだ知られていなかったのだ。私たちが最初に発見したことになる。それは、茶封筒に入った遺品から解き明かされた。
彼女が台湾で事故死したとき、最後に居住していたマンションの台所の納戸から茶封筒が発見されてはいた。だが、そこに入っていたものがどういう意味をもつのか、二人の妹たちも関心をもたないまま10年近く保管されていた。その存在を私のチームは掴み、その意味を解き明かしたのだ。そこに入っていたのは、向田から愛人Nへの恋文であり、Nの最期の日記であった。

 向田の愛人Nは10歳以上年の離れた、理由(わけ)ありの人だった。そして二人は中断をはさんで8年におよぶ交際を続けたが、昭和39年ある事情からその人は自ら命を絶った。
 向田に深い心の傷を残したことは言うまでもない。彼女は口外しなかった。いっさいを胸に秘めた。
彼女が有名になる前の出来事だったから、ほとんどの人はこの恋については知らない。まして、自殺した彼を最初に発見したのが向田であったという事情など誰も聞かされてはいまい。

 Nの死は唐突だった。
39年2月18日の夜、就寝前いつもの通りNは日記を付けた。その日使った費用、「新聞¥71,支那まん¥100,『古語辞典』¥380」の記事が残っている。夕方から白いものがちらついていたが、東京は夜になって本格的な雪となった。車の音も春の雪に吸収されてゆく。オリンピックのための道路工事は9時過ぎまで続いたが、やがて止む。この頃、まだ東京も暗かった。大きなビルもなく庇の低い家が並ぶ高円寺の街は春の雪の中に沈んでいた。――
 明けて19日、淡雪となって昼には消えた。邦子がN宅を訪れたのは、夕方だった。
合い鍵を持っていた邦子は戸を開けようと玄関に立ったとき、異様な臭いをかいだ。あわてて入るとNは布団から足をはみ出して寝ていた。近づくと息が絶えていた。
 戸や窓にはテープで目張りがしてあって、ガス栓が開いていた。邦子は片手でガスをはらいのけながら急いで栓を閉め、テープを剥がそうとした。バカ丁寧に張り付けられていて、なかなか剥がれない。気が急いて爪を立てると割れて血がにじんだ。かまわずがりがりやると、手の甲が朱に染まった。窓を開け放ち、雨戸を繰った。
――以上のことを、邦子はさる友人に語っている。この通りだったか、誇張されているか分からないが、Nは急死し、邦子が発見したということは事実である。

それから後のことは、妹の和子が記憶していた。荻窪の自宅に戻ってきたのは、夜11時を回っていた。この日あったことを家族に告げることもできず、青い顔をして二階の自分の部屋に入って行く。父も母も妹の和子も異変を感じ取ったが、聞くのがはばかられた。
 この夜のことは、和子の胸につよく残っている。
「夜中にトイレに行こうかなと思って、ふすまを開けようとしたら姉の姿が目にはいりました。あんな姿って見たことなかったんですよ。何かペターンと座って。畳の上にベッドがあるのですが、畳にペターンと座っていた。」
 整理ダンスの引き出しが開いており、そこに手を入れたまま邦子は放心状態で座りこんでいたのだ。
 「私、今まで姉の泣いている姿って見たことがない。だから本当に驚いちゃって――。
でもね、声をかけるというのは、まだその人に余裕があったり隙があったりするから出来ると、私思うのです。
 あまりにも憔悴しきっているような状態を見てしまって、声をかけるとか、見てはいけないとかということよりも、そっとしておいてあげたいと思うのが精一杯でした。
今思うと、彼が亡くなったときだとおもいます。」

このとき、和子ですらNの存在については知らない。私たちが取材を進めていく中で、昭和39年2月の記憶を確かめていったとき、和子ははたとこの事実を思い出したのである。
向田はこの悲しみから立ち上がるのに、おそらく数年を要したと思われる。
 

 
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by yamato-y | 2006-09-30 20:26 | Comments(1)

北の都に秋たけて

北の都に秋たけて

四高(現金沢大学)寮歌「北の都に秋たけて」をかつてよく歌ったものだ。
♪北の都に秋たけて 我ら二十歳(はたち)の夢数う
男女(おのこ・おみな)の住む国に 二八(にはち)に還る術もなし

この歌を放吟していた1968年、パリで五月革命が起きた。ソルボンヌ大学が閉鎖され、学生たちがカルチェラタンに解放区を作ろうとしたのだ。
解放区――なんと、みずみずしい響きだったことか。
ベトナム戦争が泥沼化していて、アメリカでも反戦運動が高まりを見せ始めていた。バークレーでもシットインが行われていた。
中国では紅衛兵が「造反有理」を叫んでいた。

 日本でも、王子の野戦病院阻止闘争が行われ、ベトナム戦争反対の機運が高まっていた。全国の大学で反体制の狼煙が次ぎ次に上がりつつあった。

古都金沢で私は、胎動する世界のスチューデントパワーをうすうす感じながらも、依然「北の都に秋たけて」を放吟していた。

 今から振り返ると、団塊の世代の学園闘争はプチブル左翼の運動でしかなかったと断罪されるのだが、世界史の大きなうねりの中で我々は活動しているのだという、熱い高揚感がたしかにあったと言い張りたい気がする。

政治の季節が終り、経済成長の時代が来ると、団塊世代は“厚かましく”もその路線にちゃっかり乗った。と批判される。たしかにその面はあったであろう。
だが、それほど無節操に「河」を渡ったわけではない。権力によって追い詰められた運動は「連赤事件」や内ゲバという暗黒面に突入し、それによって急速に内側から瓦解していったのだ。

 話はずれるが、昨夜映画「突入せよ!・あさま山荘事件」を見た。大伴昌司の映画製作にあたり誰に監督を依頼するかという、選定の参考に原田眞人監督作品を見ることとなったのだ。私はその映画を最後まで見ることができなかった。あまりに警察権力が善意で描かれていることに苛立ちを押さえることができなかった。

団塊世代が定年を迎えて「病む」ことがおおいというのは、この分裂した思いからであろうか。ベイトソンの「ダブルバインド(二重拘束)」の理論を想起する。
メッセージとメタメッセージの間に論理的な矛盾が内在すると、人間は行動不能になるという、分裂病を説明した原理だ。反体制を標榜しながら体制の安逸を求めたという分裂が、定年という節目に至って露呈しているのだろうか。

 私自身にかぎって言えば、半年前の厭世気分からやや脱してたとはいえ、まだ眼前に紗幕がかかったような気分が続いている。かつて感じた「生命燃ゆ」という感動がほとんどない。まさに、我ら二十歳の夢数う、である。そして二八に還る術もなしと嘆くしかない。

蛇足ながら二八とは、八と八。つまり十六を意味する。十六歳に還る方法が見当たらないということだ。

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by yamato-y | 2006-09-30 13:21 | 登羊亭日乗 | Comments(0)

夕日連絡網

椎名誠の”絵本を旅する”

 椎名誠の絵本好きは本当だった。二人の子供が小さい頃から、自分の膝に入れて絵本を何度も読み聞かせをやったと告白していた。当時の本をまだ大事にもっている。愛用していたことは、その本の破れた箇所に絆創膏で修理していたことでも分かる。その椎名が「絵本を旅する」と題したドキュメンタリーに出演する。その番組制作の最終段階に入っている。

その番組の中で、椎名が好きな絵本、絵本作家をとりあげている。作家は長新太。好きな絵本は「はなをくんくん」とか「ぐりとぐら」。
と聞いて、私は早速「はなをくんくん」を購入した。

 ♪静かに雪の降る森の中、動物たちは体をまるめて冬眠中です。野ねずみも、くまも、ちっちゃなかたつむりも、りすも、山ねずみも、みんな目を閉じてぐっすり……。おや? でも、目を覚ましたようです。そして、ちょっぴり寝ぼけまなこで鼻をくんくん、何かに向かって走り出しました。いったい、何が起きたのでしょう……。
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といって、動物たちが走り出し、そして見つけたのがたんぽぽの黄色い花。風が冷たい早春の森に可憐に咲いていたのだ。(あえて、ネタバラシ)
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なるほど、この物語はページを繰る楽しさに溢れている。次に何が起こるのだろうかと期待が膨らむのだ。椎名の二人のこどもたちはいつも最後の場面で、絵本の動物たちといっしょに「うわあい!」と叫んだそうだ。

 さて、この椎名ドキュメンタリーにはいくつも見所がある。山下洋輔とのピアノ対談、茂木健一郎との焚き火対談。それと並んで、五味太郎との絵本対話。

 五味が面白いことを言う。オトナにもときどきコドモの心を取り戻すことがある。例えば、夏の夕立。それに出会うとわくわくしてこないか。外へ出て行って雨にうたれたくならないか、と。

同様に、夕日連絡網というのがある、と五味は言う。
「ほら、美しい夕焼けになると電話がかかってくるでしょう。空を見てご覧、今夕焼けがすごくきれいだよって、友達から夕日連絡網が入るでしょう。」と五味は嬉しそうに語るのであった。

 このシーンを試写していて、私の中で何かがコトンと音をたてた。
「夕日連絡網」・・・。ああ、何かそんな物語を書いてみたい。

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by yamato-y | 2006-09-29 17:26 | Comments(0)

見逃していた映画

「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」


セルジオ・レオーネという監督がいた。マカロニウェスタンの名匠とは聞くが、あまり見たいとは思わなかった。たしか「荒野の用心棒」は黒沢の「用心棒」の剽窃と批評され、さらに黒沢プロダクションから訴えられるなど、なんとなく物真似のB級映画監督だというぐらいにしか、私の中では位置づけされていなかった。

 衛星映画劇場のワタナベ支配人から、「これなかなかいいですよ」と紹介されたのが「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」だ。

1923年、ニューヨークの貧しいユダヤ人街で、ヌードルス、とその友の4人の少年たちはバーを根城に悪いことにうつつを抜かしていた。ヌードルスがひそかにあこがれているのは女優を志しているデボラだ。そんな折、彼らの前にマックスが現れる。彼らはマックスの手引きで禁酒法施行を利用して稼ぐことを知り、儲けた金を共同のものとして駅のロッカーに隠しておく。他の少年ギャングとの抗争中幼い仲間が殺される。怒りに燃えヌードルスは相手のボスを刺し殺し、彼は刑務所に送られる。
6年後、出所したヌードルスを待っていたのはかつてのワル仲間たちだった。ヌードルスもさっそく仲間に引き入れられる。ダイヤモンド店を襲撃したり、多発する労働争議に介入したりして、着々とギャングとしての勢力を拡大していった。しかしヌードルスはどこか心が満たされない。デボラの愛がほしかったのである。・・・

と、このユダヤ少年たちの人生が60歳になるまでの過程が劇的に描かれるのだ。画面が重厚だ。圧倒的存在感のある風景が次々に登場する。その画面すべてをレオーネは掌握している。と思わせるほど緊張感のある画像だ。1984年当時で制作費4000万ドル、半分が町の風景を作り上げるのに費やしたといわれる。
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さらに配役がいい。ヌードルスを演じるロバート・デニーロ、マックス役のジェームス・ウッズは実にうまい。強いて難を言えば、デボラ役の女優がたいしたことはない。デボラの少女を演じたジェニファー・コネリーがいい。そして、エンニオ・モリコーネの音楽がどことなく物憂げで心に沁みる。ポピュラーな「アマポーラ」ですら悲しみに満ちてくるのだ。

レオーネはこの映画を撮るのに10年かけた。そして、完成からほどなくして60歳で早世した。この1本で彼は映画史にその名を残した。もし、この週末退屈だったら、この映画を見ることを薦める。長時間(4時間もある)、酒でも飲みながらゆったり味わうには最高の映画だ。



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by yamato-y | 2006-09-29 11:58 | ブロギニストのDJ | Comments(0)

鷹ひとつ

はせおの愛人

 朝の寒気で身が引き締まる。この厳しさは鷹に通じると思う。加えて、三河では渡りの鷹が現れる10月を尊ぶ。

鷹ひとつ見つけてうれし伊良湖崎

芭蕉の秋の句である。この句は意味深だ。この句を詠んだのは三河の国保美(<ほび>渥美半島南端の渥美町)。そこに弟子の杜国が住んでいた。

杜国――本名坪井庄兵衛。杜国は名古屋御薗町の富裕な米穀商であったが、倉に実物がないのにいかにも有るように見せかけて米を売買する空米売買の詐欺罪(延べ取引きといった)に問われ、貞亨2年8月19日領国追放の身となる。保美の里で流人生活を送ることになる。豪商から罪人へ、すさまじい人生を生きた人だ。

一方、彼は発句をよくし、名古屋の蕉門の有力者でもある。芭蕉は特に目を掛けた門人の一人で、(真偽のほどは疑わしいが師弟間に男色説がある)と言われる。名古屋に於ける「冬の日」で歌仙が巻かれたときに参加している。この頭の“良さ”が同じ尾張の商人たちの嫉妬をかって、空米取引のことを讒言されたのではないだろうか。男の嫉妬は性質が悪い。

 芭蕉と杜国の関係は疑われるというより、あからさまなものであったのではないか。
というのは、罪を咎められて流罪になっている杜国を、芭蕉はわざわざ訪ねているのだ。弟子の越人を連れてとはいえ大胆だ。見つかれば芭蕉とて連座の危険が及ぶこと承知なのだ。

 そして鄙びた漁村にわび住まいする杜国を捜し当てた芭蕉は次のように記し、句を詠む。
杜国が不幸を伊良古崎にたづねて、鷹のこゑを折ふし聞て、
  夢よりも現の鷹ぞ頼母しき

夢にまで見ていた杜国と会えたということを、現(うつつ)の鷹と手放しで喜ぶ芭蕉。翌日杜国の案内で芭蕉らは、伊良湖崎に吟行(ぎんこう)の杖(つえ)をはこんだ。名句「鷹(たか)ひとつ見つけてうれし伊良湖崎」は、このとき詠まれたものである。もはや、鷹は誰を指すかは言わずもがなである。

1688年(貞亨五年)2月、杜国は伊勢に芭蕉を訪ね、ともに旅寝をしたいと吉野の花見への同行を申し入れる。本来ならば罪人は流刑地から離れてはいけないのを、あえてご法度を破って、芭蕉と旅をしたいと杜国は申し出てきたのだ。しかも、旅のあいだ自分は万菊丸と童児名を名乗るという。ますます妖しい。男同士二人の旅に風雅を添えたいという杜国の趣向に、「まことにわらべらしき名のさま、いと興あり」と芭蕉も喜んだ。
高野山では、二人でこんな句を詠み会っている。
ちゝはゝのしきりにこひし雉の声 芭蕉
ちる花にたぶさはづかし奥の院 万菊丸

この旅は二人の心に深く残った、と思われる。その後の杜国の消息ははっきりしないが数年後34歳の若さで死んでいる。何か変だ。死が早すぎる。貧窮で追い詰められたとか病を養ったとか諸説あるが、はたしてそうか。自然死だろうか。何かドラマを感じるのだが。

この悲報を京都嵯峨野の去来の庵で聞いた芭蕉は、大粒の涙を落としたと言われる。
嵐山光三郎の「悪党芭蕉」ではないが、芭蕉(はせお)翁、なかなかの狸ではないだろうか。

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by yamato-y | 2006-09-28 15:10 | Comments(0)

あかね雲の下で

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あかね雲の下で
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昨夕、4日ぶりに大磯へもどる。たった4日間の留守だが懐かしい。
木造の大磯駅舎を抜けると、潮の香りがそこはかとなく漂っている。
西の空があかねになっていた。思わず立ち止まり、刻々と変わる空を眺めてしまう。

夕暮れのツヴァイク道をゆっくりゆっくりと登る。森はとっぷり暮れているが、梢の先には青空がまだ残っている。
山道に落ち葉が増えた気がする。歩くたびにかそこそ音をたてる。

家にもどると、すっかり暮れた。カバンの中を手探りで鍵を探す。見つけて鍵穴に差し込もうとするも暗くてうまくいかない。門灯のスイッチを入れると、ぱっと目映い光が走る。

誰もいない家に、「ただいま」と言って入る。

バスに湯をはりながら、読みかけになっていた『わたしを離さないで』をいっきに読む。
読了して、しばし心地よい読後感に浸る。

1時間後、DVD「チャングムの誓い」を見ることにした。ちょっと事情があって、このドラマを全巻見ておかなくてはならない。話題の韓流ドラマであったが、私は見る機会を失していたのだ。
大河ドラマの類だなと、第1話を見て思った。女性を主人公にするアイディアはよく生きているが、これは過半フィクションだろう。大河ドラマとはそういう「伝説」を映像化したものであろうから、その手法において私も異存はない。貴種流離であったり、宮中内陰謀であったり、お決まりのエピソードが並ぶ。

4話まで見て寝る。ここまでは少女時代が続く。まだ宮中料理が始まらない。

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by yamato-y | 2006-09-28 07:32 | 登羊亭日乗 | Comments(0)

カズオ・イシグロの世界

今年最高の傑作「わたしを離さないで」
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 カズオ イシグロの新作『わたしを離さないで』を読んだ。この本は今年最大の収穫であった。原語のタイトル「Never Let Me Go」。
映画「日の名残り」を見て、気に入らなかったのでイシグロの著書を読むのを敬遠していたが、若い友人がこの本を薦めてくれたので読んだら、たまげた。すばらしい文学であった。 

 物語の本当に荒い筋だけ記そう。優秀な介護人キャシー・Hは、提供者と呼ばれる 人々を12年間世話をしている。
彼女がそもそも生まれ育ったのはヘールシャムという施設であった。そこの子供たちは保護官の指導を受けて、最高の教育を受けるのではあるがどこか奇妙な施設であった。 ヘールシャムという場はまったく日常にあるにもかかわらず、強い違和を読むものに残してゆく。肉親という存在がまったく希薄というところに、このなぞの根源があるのだが。

その施設で過ごしたキャシーの青春が、みずみずしい。かけがえのない友人としてのルース。その恋人であるトミー。ルースの死後、二人は結びつくのではあるが。

彼らの境涯は謎に満ちていて、そのなぞが彼らの話し合いの中から解かれてゆく。施設の秘密が次第に明らかとなり、彼らの「生」も明るみに出てくる。誰かがこの作品の評価としてある種のミステリーと書いていたが、それはお門違いであろう。作家はけっして通俗化しない。

提供者とは何か、介護者とは誰か。読み始めると、目が活字を渇望してゆく。そして現出する世界はまるでジョージ・オーウェルを思わせる近未来だ。この点において、この小説をSFとカテゴライズする慌て者がいる、だがそうでもあるまい。今読了したばかりで、感想がまとまらないのだが、何かを書き残しておきたかったのだ。

この本のコピーは、「2005年に発売された英語圏の小説でもっとも話題になった一冊。謎の全寮制施設に生まれ育った若者たちの痛切なる青春の日々と数奇な運命を感動的に描くブッカー賞作家の長編。」

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by yamato-y | 2006-09-27 19:38 | Comments(0)

 焚き火と絵本

 焚き火と絵本

辻邦生が「野生と文明」というルポルタージュのシリーズを構想していたと書いている。
技術化された近代文明の人間の意味を、野生社会と接して生きている部族社会の人生をみつめて問い直そうとしていた。このシリーズは結局未完になったが、その試みは今も有効ではないだろうか。

砂漠地方へ行くと、頭に水がめを載せた女たちの列を見かける。長い道のりを歩いて水を汲み運ぶのだ。われわれの眼から見ると、何と不便なことかと呆れてしまうが、はたしてそうか。泉に水汲みに行く喜びというものがそこにはあって、われわれはそこから遠く離れてしまった。

辻は風呂のことを例にあげている。今では水道をひねれば水は出るし、湯を沸かすのも容易だ。便利ではあるが、風呂たきという「情趣深い営み」を現代人は追放してしまったというのだ。

風呂焚きどころか、銭湯すら私たちの生活圏から追放した現在、便利と引き換えにずいぶんいろいろなものを失っていると思えてならない。

来月放送予定で、「絵本」の番組を制作している。ナビゲーターは椎名誠。NHKのテレビには久しぶりの登場である。意外なことに椎名さんは絵本に昔から関心をもっていた。子供が小さかった頃、よく読み聞かせをしたという。この絵本について、脳学者の茂木健一郎氏と椎名さんは対話する。それが焚き火対談だ。焚き火をしながら、絵本について語ろうという趣旨である。茂木氏の持論は、絵本は焚き火である、だ。どんな議論が出てくるのやら楽しみだ。
放送は10月14日、土曜日夜10時から。
ETV特集「椎名誠の“絵本を旅する”」

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by yamato-y | 2006-09-27 11:06 | 新しい番組を構想して | Comments(0)



最近、人の顔が覚えられない。
道端ですれちがって会釈されることがある。もしくは微笑みを送られることがある。

どきっとして、慌ててあいさつを返す。だが自分には記憶がない。心当たりがない。
もしかして、以前に仕事で付き合った人なのか、名刺を交換した人なのか、私と知遇があるのだろう。だからエールが送られるのだが、自分としては思い当たることがないのだ。

 怖い。そろそろあれが始まったのか。MRIで私の脳を輪切りにすると、乳白色の部分が増えつつあるのだろうか。脳内がスカスカになっているのでは。

 だが顔とは一体何か。頭脳をくるむ皮膚のある表面部分に凸凹が起きただけのものだが、人間のコミニュケーションにとってはかなり重大な意味をもつ。顔はその人物を表すアイコンであるから。

最近の会った人の顔は忘れているが、昔の顔は覚えている。というより、あるきっかけでまざまざと思い出すことがある。特徴のある目つき、顔つき、癖で、目の前の赤の他人から過去のある人物を思い出すということがある。もうすっかり忘れていた人物、事件が突然ぽかりと意識の海に浮かび上がるのだ。

 親子なのに全然似ていないと思っていた小学校の同級生。現在の渋谷の町で見かけた他人の中にある特徴を発見した。その特徴は似ていないと思われた親子に共通にあったことを思い出す。ああ、あの親子はあの点でやはり似ていたのだと、40年も経って気づく。

他人の顔の特徴を媒介にして、似ていない親子の共通部分をあらためて意識したのだ。

日本人の顔って本当に多様だなと、繁華街を歩いて思う。イラン人のような濃い顔、フィリピン人のようにどんぐり眼、韓国人のようにのっぺりした顔、イギリス人のように尊大な顔、・・・。

一方、フィリピン人を見ると、誰も同じように見える。タイ人もバングラディッシュ人もそうだ。われわれには外国の人を識別する能力が弱い。だから、多様と国内では思っている日本人の顔も、外から見ると、皆同じようにしか見えないことがある。
アメリカの友人が言ったことがある。「日本人と韓国人と中国人の区別がつかない」

文学、絵画、映画、テレビなど表現の作品にも顔がある。タイトルだ。タイトルが作品のアイコンとなる。だから、タイトルをつけるということは重大な案件にもかかわらず、安易なものを見ると、その作者の生き方を疑りたくなる。

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by yamato-y | 2006-09-26 11:35 | テレビって何だろう | Comments(0)

駅頭にて

駅頭にて

7時7分、新潟発特急「朱鷺」に乗った。東京行きの始発新幹線だ。通勤電車のようで、途中の駅からも多数乗り込んできた。新潟平野を一直線で突っ走り、山間に入り、浦佐を過ぎると山霧がたちこめていた。冬が近づいている。

東京駅に着いたのは9時37分。駅は朝のラッシュが残っていた。
降りた5号車の出口の脇に黒い群れがあった。そこだけ町の光景と合っていない。階段に向かって歩いてゆくと、彼らのそばを通る。近づくと、彼ら4人が皆つながっていた。腕に光るものがはまっている。

はっとした。ドラマでは見たことがあるが、現実の護送される風景というのは初めて見た。
 先頭の大きな男は傲然と天井を見ている。凶暴なものを目に宿していた。後尾の小太りの男はおどおどしていた。恥ずかしさで消え入りそうな風情だ。泳いだ視線が私に向けられた。一瞬目が合った。

 全員、年のころは30前後か。髪は短く黒いシャツか白い上着を着けている。いかにも暴力団風のスタイルだ。

 罪を犯した者ということは知ったうえで、なぜか彼らが哀れに見えた。囚われることの屈辱、自由を奪われた悲しみ。傲慢な男にも気の弱そうな男にも励ましてやりたくなった。どんな経歴を重ねてここに至ったかは分からないが、その罪はすべて彼らの責任であるのだろうか。止むに止まれぬ事情でここまで来たのではないか。私は勝手に彼らの境遇を思いやっていた。
なぜか、そのとき私は永山則夫のことを考えていた。私の目は父親のそれになっていた。

車中で、カズオ・イシグロの『私を離さないで』を夢中で読んでいたからだろうか。

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by yamato-y | 2006-09-25 10:59 | 登羊亭日乗 | Comments(0)


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