定年再出発  


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by yamato-y
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「ホテル・ルワンダ」を見よう

遥かなアフリカ遠いルワンダ

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今、静かな評判になっている映画「ホテル・ルワンダ」を見た。渋谷シアターNの単館上映だが、午後3時の部へ行ってもほぼ満員。6時の観客もずらっと並んでいた。

1994年。ルワンダ共和国の首都キガリ。舞台はベルギー資本の高級ホテルミル・コリン。主人公のポールはそこの有能な支配人だ。彼はフツ族出身のエリートだ。
この国では多数派のフツ族と少数派のツチ族が長年争ってきた。3年間続いた内戦がようやく終息し和平協定が結ばれようとしていた矢先、フツ出身の大統領が暗殺される。犯人は分からないが、いっきにフツ族がツチ族を襲撃しはじめる。フツ族の民兵グループが市内を威圧的に練り歩き、ラジオでも公然とツチ族非難が繰り広げられる。フツ族ではあるが穏健派のポールは民兵たちのやり方を嫌悪しているものの、それを表に出すわけにはいかない。なぜならポールの妻はツチ族だからだ。
やがて虐殺は全土に広がり激しさを増してゆく。フツ族主導の政府が中心となって、わずか3ヶ月間で100万人のツチ族を虐殺へと発展していった。高級ホテルの副支配人ポールは追われるツチ族の人々を自分のホテルにかくまうことになる。その数1268人。ポールは薄氷を踏む思いでその命を必死で守ろうとしてゆく――。

これは実話に基づいている。アウシュビッツのように50年以上「昔」のことではない。わずか10年前の同時代の出来事だ。国連の平和維持軍が進駐していようと、虐殺が進む事実。見てみないふりをする英、仏、米、の大国。リンチもどきの民兵襲撃は映画と知っていても心が凍りつく。ああ、ナチのSSも震災のときの自警団もこういう精神状態にあったのかとまさに心震える。

アウシュビッツは時の遠い彼方にあり人類はその邪悪を克服したかのように錯覚するが、人間はけっして過去に学んでいるとはいえない。同様のことがカタチバショを変えて反復されるのだ。
だからこそ、記憶されねばならない。記憶は表現として刻まれなくてはならない。これは劇映画だが、かつてこの事実をとりあげたNHKスペシャルがあった。優れた作品でたしか国際的な賞を受賞したと思う。この映画に登場するテレビクルーや国連維持軍のなまなましさはけっして他人事ではない。

この映画におおぜいの若者が見に来ていた。当初、日本での上映される予定がなかったのを、若者の呼びかけ署名で、公開されることになったと聞く。今、上映館も次第に増えているという。ここに何か可能性を感じる。
若者はハリーポッターとホラーばかりを見ているわけではないんだ。

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by yamato-y | 2006-01-31 22:14 | 魂のこと | Comments(2)

さよなら、私の仲間たちよ

荻窪、70年代


1974年、大泉の原っぱに黒いテントが禍禍しく建っていた。冬の寒い日で、簡易トイレには長い列ができた。
「阿部定の犬」――ここに出演するから見に来いよとカズオミに誘われて来た。今まで見たことの無い芝居だった。舞台の真中に昭和天皇の肖像がかかり、天皇が死去したというラジオ放送が流れるところから物語は始まる。「東京市、日本晴れ区、安全剃刀町・・・」という口上が、今も聞こえてくる。

私は荻窪に6年住んだことがある。天沼の喫茶店ぽろん亭を中心に、役者、作家、編集者、学生とずいぶんいろいろな人と仲間になった。カズオミとはぽろん亭のミヨを通して知り合った。黒テントの人気役者だった。私のアパートから歩いて5分のバスどおりに面した散髪屋の2階に間借りしていた。妻シスカと生まれたばかりのダイキの3人で暮らしていた。シスカももと劇団の研究生、子どもが生まれて俳優をやめていた。
 役者といっても舞台だけでは喰えず、カズオミはテレビ映画の仕事、その他引越し屋の手伝いなど手広く仕事をやっていた。その町にはフーテンのアメリカ人やその愛人、新宿ボロン亭のマスター、左翼評論家、お茶の水にある大学へ通う学生らと多士済々が住んでいた。何かあると集まって酒盛りをやっていた。恋愛沙汰も3つや4つですまない。

酒盛りは店が退けた後のポロン亭で、サントリーの角を回しのみしていた。12時過ぎるとたいてい喧嘩になった。「あんたの考え、間違っているよ」と声がかかれば、なんだ、その言い草はと罵声で応じるのが日常茶飯だった。私も目つきの悪い小柄なシュージローという編集者に喧嘩を売ったことがある。青白い顔して津軽出身の、小説を書く男だった。なんだ、健さんみたいな名前をしやがって(注:「唐獅子牡丹」の主人公は花田秀次郎)、えらそうで気に入らないなと思ってふっかけたのだ。
呑んでますます青白い顔のシュージローは、まあまあと私を止めた。余計腹が立ってつっかかっていった。「あのねえ、俺さあ大学で空手やっていたんだよ」と言いながら、角瓶を鷲掴みしている。シュージローはね、こないだもヤーさんと八幡の境内でやってたよ。あんた負けるから止めなと、ミヨにたしなめられた。

あのミヨも4年前に死んだ。まだ62にもなっていなかった。シュージローは糟糠の妻を置いて、若い女と埼玉へ遁走してしまった。

 そうだ、話題はカズオミのことだった。昨夜、コーイチからカズオミもシスカも癌になったと聞いた。耳を疑った。カズオミは先年胃がんの手術をしたことは知っていたが、シスカまで癌とは思いもよらなかった。カズオミ60歳、シスカ53歳。
2月1日に、駒込の病院へ見舞いに行くつもりだ。
午後から降り出した雨は本降りになった。冷たい冬の雨だ。

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by yamato-y | 2006-01-31 15:04 | 30年の自画像 | Comments(0)

アウシュビッツ証言者、プリーモ・レーヴィ

アウシュビッツで生まれた問い③


プリーモ・レーヴィはイタリア、トリノに生まれたユダヤ人だ。アルプスの麓、高い峰が連なる美しい都トリノ。まもなく開かれる冬季五輪の会場になる地、ここでレーヴィは生まれ育った。山を愛し友と語らった彼が、ユダヤ人狩りにあいアウシュビッツへ送られる。1944年のことだった。

化学の専門家だったプリーモ・レーヴィは、到着後のガス室送りをまぬがれおよそ1年間化学工場で強制労働させられる。死と隣り合わせに生きてきた。およそ、人間として考えられないナチの悪逆にレーヴィはぎりぎりの線で生き延びる。

このプリーモ・レーヴィを追うドキュメンタリーを、徐京植さんのリポートで制作したことがある。徐さんの兄たちは政治犯として韓国軍事裁判にかけられさまざまな拷問を受けた。弟である徐さんは救援の困難に耐えながら、人間を信じることをみつめた体験がある。以来徐さんは人間とは何かということを主題として考えてきた。二十世紀、少数者としてのユダヤ人の悲惨な歴史に無関心ではいられるはずがない。徐さんはプリーモ・レーヴィに関する著書を発表していた。私のチームの優秀なディレクターはそれを番組にしたいと、企画として提案した。2002年のことだ。


徐さんは、著書の中でプリーモ・レーヴィの感動的な逸話を紹介している。同房の囚人に何か詩を読んでくれないかと頼まれて、レーヴィは記憶にあるダンテの一節を口にする。
《「きみたちは自分の生まれを思え。けだもののごとく生きるのでなく、徳と知を求めるため、生をうけたのだ」レーヴィは、みずからこの詩を訳して言葉を発したときのことを、「私もこれをはじめて聞いたような気がした、ラッパの響き、神の声のようだった、一瞬、自分が誰か、どこにいるのか、忘れてしまった」と書いています。》
感動的なエピソードだ。アウシュビッツのけもののような世界にあって、かすかに人間性というものの灯をともした一瞬だ。
アヤカさんが語る、殺す者も殺される者もただ居たとしかいいようがない時間、その時点で奇跡のような出来事があったのだ。そのことや、アウシュビッツであったこと、これが人間かと思われるすべてのことをプリーモ・レーヴィは証言するため、生き延びた。

レーヴィは死の国から帰ってきた。アウシュビッツ後を生きる、私やアヤカさんやセキ君たちに聞かせる為にレーヴィは帰還した。われわれはその細い声を聴かなくてはなるまい。
ところが、ところがである。
帰ってから42年経った、1987年。プリーモ・レーヴィは投身自殺する。
最後に残した言葉――「本当に地獄の奥底を見たものは、ついに帰ってこなかった。」
この言葉の意味は何か。なぜ、彼は死んだのか。最後の最後で、彼は非人間的なものにうちのめされたのか。
アウシュビッツで浮かび上がった問は、さらなる問を生み出してゆく。

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by yamato-y | 2006-01-30 16:50 | 魂のこと | Comments(1)

忘れない

アウシュビッツで生まれた問い②

ビルケナウ収容所を見学した後、学生らはびっくりするほど何も感じない自分を発見する。ナチが計画した通り、ここにはまったく何もなかったというふうに消し去られたわけではない。部分であれ遺構はあり遺品もある。だが、訪れたときアウシュビッツは一面白銀の世界だった。冬の極寒を経験してアウシュビッツの凄まじさを知ろうと計画したことが裏目になる。おぞましいと思っていたものが、美しいのだ。

「ここは現世ではないね」とアヤカさんは口にすると、男子学生が「いや、現世だよ」と反論する。反論しながら彼も居心地が悪い。
アヤカさんも自分に言い聞かせる。《そう、現世なのです。あの狂気もこの穏やかさも。
信じられないほどの惨劇は、現実にこの穏やかな世界で起こり、狂って死にそうなほ
どの狂気は、現実にこの日常で確実に「生き」られていたのです。S・Sも、「ユダヤ人」も、殺しながら、殺されながら、確かにそこで生きていたのです。それがすでに正気なのか狂気なのか私には分かりません。》

偶然だろうか。今日、アヤカさんたちのグループとは別の学生セキ君からメールが届いた。彼は休学してひとりで世界を見てきたと報告する。その中にやはりビルケナウで戸惑いを感じていた。彼が訪れたのは雪のない緑の季節だったようだ。
《アウシュビッツとビルケナウも訪れたのですが、のどかな緑と補修され綺麗な建物か
らは直接にはおぞましさは感じられず、当時の悲惨さも想像で補うしかなく、まるで
映画のセットの様だと感じました。かつてビルケナウは湿地帯で衛生状態も最悪だったと聞きますが、現在の綺麗な芝生からはそれは想像できません。
あれほどの悲劇があったのに、その痕跡はどんどん消えてしまうのか、と。》

彼はここ以外にもワルシャワ、ゴラン、ベイルート、など紛争や殺戮のあった場所をめぐっている。そして、歴史を見るという行為自体、記憶する事は、それがたとえどんな大きな出来事だとしても、かなり労力を伴う挑戦だと感じるのだ。
《ゴラン高原も今はもうのどかな緑が広がり、そんな中、瓦礫が草っ原に飲み込まれつ
つ点在している。あと30年、現在のアウシュビッツと同じだけの時間が流れたら、そこには殆ど痕跡は残っていないかもしれない。どんな出来事だろうと、放っておけば完全に消え去ってしまう。どんな悲劇でさえ、語る事と、記録する事。それでしか残せない。そしてその行為は非常に難しい。》

唐突だがヒロシマについて考えたい。世界中でよく知られた日本の都市の名は、東京についで広島だ。被爆の聖地として訪れる外国人は街があまりにきれいなので驚く。
1994年夏,大江健三郎は原爆資料館へ長男の光を伴ってゆく。大江は長く光を連れてゆくことに躊躇いがあった。知的障害をもち、死に対して人一倍敏感な光をそこへ連れ出すことは酷なことであり、無用な混乱を与えるだけだと考えていた。だが、その光も33歳となり作曲家としても独り立ちするようになった。音楽という、彼の「言葉」ももてるようになった。
今なら、光はヒロシマのことを受け止めることができるだろうと大江は考えた。しかしまったくの準備なしで資料館を訪れたわけではない。東京の自宅で大江は数回にわたり光にヒロシマで何が起きたかをレクチャーした。
そのうえでの訪問だったが、やはり光は資料館に入ることを嫌がった。被爆資料が展示されている部屋に入ることを怖がったのだ。おびえる光に「大丈夫だよ。パパもいっしょだよ」と大江は励まして展示室を見て回る。

見終わったあとの光は展示された品々に打ちのめされていた。大江は「どうだった?」という呼びかけにもすぐには答えられないほど、光は衝撃を受けていた。
やがて、たった一言「すべて、だめです(し)た」。この返事については、「ゆるやかな絆」で大江はくわしく書いている。

 大江は光にアドバイスする。「見たことは忘れないでしょ」
「忘れないということはとても大事なことなんだよ」と大江は励ます。

この大江の言葉が、今甦ってくる。
「忘れないということはとても大事なことなんだよ」

アヤカさんらも収容所に保管された犠牲者の髪の毛には衝撃を受けるのだが建物場所に違和を感じている。歴史施設として整然と公開されるその建物に違和を感じながら、髪の毛のおぞましさはアヤカさんの内面にざらりと張り付く。張り付いたことは忘れない。


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by yamato-y | 2006-01-30 13:23 | 魂のこと | Comments(0)

団塊は老人か

団塊世代は老人か

先日、ある制作会社の企画書を読んだら、まだまだ元気な団塊世代というのがあった。
そして、その具体例が書かれてあって、主人公の5人の老人は68歳から71歳の人たちだった。
この企画を書いた若い女性ディレクターには団塊は現在70近い年齢層だと誤解していると知りおかしくなったが、いや待てよ世の中は団塊とはそれぐらい年配で現役など無理だと考えているのではないか、あながちこのディレクターを笑えないのではないかと、絶望的な気分になった。

昨夜、浅草の神谷バーをのぞいたら、60代後半の男女であふれていた。今、この世代が交友の場として浅草に出入りしていると噂に聞いていたが、それを裏付けるような光景だった。年寄りあつかいするには、ずいぶん華やいだ雰囲気があった。ここに入れば、団塊はまだひよこで相手にしてもらえない。

今朝は、玄関の前の消えない雪を処理していたら、ハイキングスタイルの老の男女6人が通った。湘南平はこちらでいいでしょうかと、私に尋ねる。よくコースを間違えてもみじ山に入り込むのだ。違うことを伝え、正しい道を教えると、きちんとお辞儀をして去った。この人らも60代後半と見受けた。しわの多い顔のわりには足どりが軽い。

3つのエピソードをどう考えたらいいのか、まだ私にはまとまらないが、老いの道は長くかつまだ働けるのに追いやられると否定的な気分がぐるぐる頭の中でめぐる。

話はがらりと変わるが、秋葉原がオタクの町で渋谷が若者の町で浅草が年寄りの町なら、団塊世代の若年寄の町は、どこかにないかなあ。誰か作らないかな。
60年代のフィルムがかかるションベン臭い映画館があって、ライブハウスがあって、黒テントか紅テントが張られ、ジャズ喫茶があって、屋台があって、トリスバーがあって、指で弾くパチンコ屋があって、八百屋があって、米屋があって、薬屋があって、本屋があって、貸本屋があって、レコード屋があって、切符切りの改札の駅があって、風呂屋があって・・・。
服装はトラッドかサイケ。冬はダッフルコート、夏はバーミューダショーツ。サベージが着ていたストライプのボタンダウンなんかいいな。ブロードサイドフォーの黒沢久男やモデルの赤坂紗里が老けたようなオッサン、オバサンが歩いているような、町。

明日からまたウィークデイが始まるというのに妄想する、団塊の世代。
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by yamato-y | 2006-01-30 00:46 | 登羊亭日乗 | Comments(0)

つまらない、おもしろくない

テレビが輝かない

テレビが田舎の我が家に来たのは、皇太子(今の天皇)ご成婚から3年ほど経っていた頃だ。
以来、テレビ好きはずっと続いている。何時間見ていても飽きない。

ララミー牧場、ホームラン教室、シャープさんフラットさん、キイハンター、ぽんぽん大将からトッポジージョ、シャボン玉ホリデー、家族そろって歌合戦、今夜は最高、・・・。
テレビはいつも面白かった。下品で軽薄で涙もろくて、愛嬌があり可愛げがあった。
娯楽なんてない地方の町ではかけがえのない暇つぶしだった。

自分がそのテレビに関わるようになると、ドキュメンタリーや福祉番組など固いジャンルにも目が向くようになった。それなりに面白かった。テレビは時代に先駆けていたし新しいものを教えてくれた。
(ト書き風:ここで音楽が暗転して)

今、テレビは面白くない。週末の番組編成を見たって、各局面白くない。なんでこんないい時間にこんなクイモノやワライやスポーツばかりやっているのか。
この数年、ドラマで夢中になったのは「冬ソナ」のみ。あとは感情移入できない。(昔は、美少女仁科明子が演じた「バラ色の人生」とか吉衛門が凛々しかった「長い坂」とか「ただいま11人」なんていう大家族ユートピアものなどがあった。)
バラエティは80年代からMANZAIブームが来て、以来さまざまな笑いが波状的に押し寄せてきたが、今のわらいの空疎なこと。テレビの笑いの上方化はもううんざり。
ドキュメンタリーも冴えない。(かつて、ぐるっと海道3万キロ、遠くへいきたい、など品がよくしゃれた番組がいろいろあった)

映画はテレビにとってかわられる直前まで、自分の凋落に気がつかなかった。映画人はテレビを電気紙芝居とバカにし、自分らの作品を本編と呼ぶぐらい身の程知らずだった。時代が角を曲がりテレビ時代となると、映画はどさっと落ちた。この逸話が今頭を過ぎる。

大鵬を破った貴乃花が千代の富士に敗れ、千代の富士が貴花田に敗れたように、映画を追ったテレビは、次世代のITに追われていくのだろうか。まだこのニューメディアにはみなぎるエネルギーやオーラを感じないのだが。

なにより、テレビが自分自身に飽きているような気がしてならない。

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by yamato-y | 2006-01-29 21:10 | 新しい番組を構想して | Comments(0)

アキバ

秋葉原
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昨日は、浅草でドラゴンさんを偲ぶ会に参加した。家を早く出たので集合の時刻4時まで時間があまったので、秋葉原で途中下車した。


町は、私が知っていた頃から大きく様変わりしていた。土曜の午後ということもあったのかもしれないが。大勢の若者が繰り出していた。
電器街も3,4軒に1つはDVDやフィギュアを売る「オタク」の店になっている。

中へ入ってみた。アニメやマンガのキャラクターが膨大な種類で並んでいる。こんなにあるのかと呆れた。新しい、私の知らないキャラクターからウルトラマン、仮面ライダーまで
店内所狭しと並べられている。記念に、私もバルタン星人を購入。498円で安い。
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一方、コスプレのコーナーへ行くと、各種セーラー服に混じって例のメイド服もあった。こちらは2万5千円とそれなりに高価だ。それでも注文が多いらしく商品が手に入るのは1ヶ月先と張り紙がしてあった。
同じフロアーに少女のフィギュアが並んでいる。一つ一つをよく見ると、なかなか手の込んだポーズや表情をしている。セーターを脱ぎかける女の子などはよく出来ている。その姿はコケティッシュで、お茶目な顔とマッチして、若い男の子が夢中になるのもなんとなく分かる。生身の女の子より可愛くて裏切らない。ずっと自分のことだけ見ていてくれるという、気持ちにさせるのだろう。
若干はオタクといわれる人の気持ちも理解できるが、ここからあのナボコフの「ロリータ」までかなり距離があると思うのだが。(今、新しく翻訳された「ロリータ」を読んでいる)
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外へ出てみると、アニメやフィギュアの主人公と同じ衣装に身をつつむ子やゴシックといわれるディープなファッションの女の子が目に付く。そして、やはりメイドスタイルもいた。カメラを向けると撮らないでと注意された。

あっという間に時間となった。今度ゆっくり来てみよう。

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by yamato-y | 2006-01-29 12:51 | ブロギニストのDJ | Comments(1)

言葉の寺

土曜日の朝に

吉野弘さんの詩に漢字喜遊曲というシリーズがある。漢字同士の組み合わせに思わぬ類似性を発見するという詩だ。
例えば―― 往と住

 この世を往かねばなりません
 この世に住んだものは誰も 
      
そのシリーズの中の名作「静」
 青空を仰いでごらん 青が争っている
 あのひしめきが 静かさというもの

たしかに青空を見ていると、たくさんの青の断片が集まりひしめきあって、より純粋な青を作り出しているように見える。沈黙のざわめきをたてながら。

詩人とは面白いことを考える人たちだ。篠原資明は、語をさらに分解する「超絶短詩」を編み出した。例えば、「嵐」
 あら                       詩
                         (『物騒ぎ』)
 詩集『物騒ぎ』にはまだ面白いのがある。「ぴー 夏」(ピーナツ)、「おっと 性」(オットセイ) なるほど短い。この篠原は吉野弘と題して―
 「よ      詩の広し」

詩という語は言葉の寺と書く。世間の垢を身につけて色あせた言葉を寺にいったん収容して修業させて新しく出直しさせるから、詩というのかしらむ。

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by yamato-y | 2006-01-28 12:20 | 登羊亭日乗 | Comments(0)

大伴昌司、命日

ウルトラの星から来た人
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今日1月27日は大伴昌司の33回目の命日だ。ちょうど彼が倒れた夕方の時刻に、私は母上に電話をした。
今日は大伴さんの命日ですねと声をかけると、[覚えておいてくださって嬉しいわ,母の私でもこのごろは1月のいつだったか忘れることもあるのよ]と快活に返事された。たしか91歳になっていられるはず、明晰にして気丈な母上だ。

大伴昌司――SFの小説や映画の発展に力を尽くした人。「少年マガジン」の巻頭グラビアをプロデュースし、新しいメディアとしての少年誌を作った人。怪獣博士としても知られウルトラマンに登場する数々の怪獣を創案した。バルタン星人は有名だ。

1973年当時、彼はSF作家クラブの事務局長をしていた。後に大活躍することになる小松左京、筒井康隆ら錚々たるSF作家が集っていた。
といっても、この作家クラブは大阪万博以降ようやく注目されはじめたところだった。うるさい先生がたを相手に、大伴は辣腕をふるっていた。

そして、新年会をやろうと、東西の作家に声をかけ、新橋の中華料理の店新橋亭でにぎにぎしく開かれた。大阪から小松や筒井も来ていた。
宴が始まって1時間もしないうちに、大伴は頭が痛いと言って別室へ入った。それからまもなく彼は亡くなった。37歳だった。日頃からおれは早死にする、40までに死ぬんだと言っていたとおりになった。

大伴の番組を制作しているとき、不思議なことがあった。彼の仕事部屋を撮影していたときだ。愛用の机、映写機、テレビ、ステレオ装置そのプレイヤーをカメラがドリーする。音楽は彼がよく聞いていた「空に星があるように」をプレイヤーにかけて撮影した。同じ撮り方をカメラマンは数回試みた。けげんな顔で私をカメラマンが見る。どうしたと聞くと、変だ、何度やっても最後のレコードにカメラがズームするときに、音楽の同じ箇所が鳴り響いているんだ、こんな偶然ってあるかなとつぶやく。

このエピソードを関係者にぶつけると、何人かが同じような体験をしていた。
今夜だってそうだ。わが社のアニメ制作の担当者が、今夜特撮アニメ「ウー」の制作発表なんですと、夕方私に声をかけてきた。この原作は元々大伴がSF作家たちに呼びかけて作ったものだと、大伴ファンの担当者は言う。
 軽く聞き流していたが、担当者は「そういえば、大伴さんは今日亡くなったのではないですか」と言った。・・また、大伴さんが動いた。

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大伴はバルタン星人の父だ
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by yamato-y | 2006-01-27 23:26 | 魂のこと | Comments(0)

アウシュビッツ・美しい白銀の世界

アウシュビッツで生まれた問い①


 先日、ポーランドから帰ってきた学生たちの簡単な報告をしたが、実のところはそう明快ですっきりした内容ではなかった。一人の学生が長い報告と説明してくれたので、それをテキストに少しずつ考えてみよう。まず、以下アヤカさんの報告の前半を引用する。

《アウシュビッツについて報告することはなかなか難しいものがあります。理由は二つあります。一つ目はその惨劇が想像を超えすぎているということ、二つ目はビルケナウも第一収容所も今はあまりに穏やかであるということです。

アウシュビッツでは中谷さんという日本人のガイドさんについて来てもらったのです
が、中谷さんの解説と博物館と化した第一収容所にある展示物に、当時そこで起こっ
たことのあまりのおぞましさに鳥肌と吐き気が収まりませんでした。特にそこに収容
された人々の、今や白髪と化した刈り取られた髪の毛や、靴、義手や義足が山のよう
に積まれた展示物。これが人間の所業なのかと、眩暈がするほど気持ち悪くて涙が溢
れそうでした。それは確かです。
確かなのですが、何と言ったらいいのでしょうか。しっくりこない気持ちがありました。
大きく育ったポプラの木と、映画でよく見る第一収容所の建物、「働けば楽になる」
と書かれた門。広大なビルケナウ。雪に閉ざされ、見渡す限りの景色が白くシンプルに広がった未完成の第二収容所。綺麗なのです。特にビルケナウ。あまりに広くて、その白い土地は私たちを幻想の世界へと導きます。夕日をたたえた空は美しくグラデーションし、うっすらと白い月がぽっかり浮かんで、その近くを飛行機雲が横切っていきます。遠くに見える箱のようなレンガの建物が、とても静かに穏やかに佇んでいます。
異世界だと思いました。あまりに広大で見渡す限りの雪景色。あまりに綺麗で、そこで起こった惨劇と釣り合わないのです。》

アウシュビッツとヒロシマは惨劇の場であって、(われわれは)そこで痛苦を感じなくてはならない、と思い込んでいるもしくは思えなかったら良識をもった人間とはいえないという価値を帯びた知識を予め織り込んでいるのではないだろうか。メロドラマと聞いて泣くつもりで見に行ったのに泣けなかったという話を参考にしてほしい。
そのつもりで行って出会う髪の毛や靴は無残、残酷,喪失の象を担っている。これは予想どおりということで納得できる。ところが風景は負の表象を背負っていない。日本の都会の薄汚れた環境から見ればビルケナウはむしろ美しいといえるだろう。ここでわれわれが織り込んでいたテキストと実際が不釣合いになってしまうのだ。目前の風景よりプリーモ・レーヴィやアラン・レネやアガンベンが証言し表現した風景のほうがわれわれには近いのだ。賢明なアヤカさんはこれを忘却の「穴」そのものだと考えた。そうかもしれないが、もう少しゆっくり考てみよう。

美しい風景の奥に惨劇を読み取るというふうに「想像力」を働かせるべきなのだろうか。ここに60年という時間が流れたことを加えて認識するべきなのだろうか。シラケテ見えるだけにその出来事はやはりわれわれの「外部」のことと規定しておくべきか。でも、そうすることはなんとなく居心地の悪さを感じる。

 風景論をもう少し脱線してみる。
夏草や兵が夢の跡 という有名な句がある。国破れて山河あり城春にして草木深しという漢詩もある。いずれも、かつてここで酸鼻な戦があったが今や往昔茫々と、目前の風景を詠んでいる。ここでよもやあれほどの酷い戦いや悲劇があったのにという、懐旧の情が働く瞬間である。
アヤカさんの見たアウシュビッツやヒロシマと義経や玄宗の戦いがいっしょになるわけないと思われるかもしれないが、話の筋道を立てる一つの材料として挙げてみた。

 この問題についてもう少しアヤカさんたちの意見を聞いてみたい。いや他の人の意見も聞いてみたい。が、歴史哲学的論議に深入りはしないつもりだ。私はメディアを長くやってきた人間として、映像で表現するとは何かという問題へと関心を向けてはいきたいのだが。


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by yamato-y | 2006-01-27 16:01 | 魂のこと | Comments(1)


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