定年再出発  


懐かしい空
by yamato-y
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2005年はどんな年

大つごもり(月隠)
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今日で2005年が終わる。振り返ってどんな年だったか――。
私にとって「定年」と「ブログ」の年だったと、言えるのではないか。
57歳の誕生日をむかえた月の末が、私の会社の定年になっている。今年の1月19日に57歳の誕生日をむかえ、その月末の31日に定年退職が発令された。34年間の第1次放送マン人生は終わった。団塊世代は2007年に定年となると言われるから、私の場合同世代より2年早い定年だった。

我武者羅に走ってきただけにこの終わりは私にはこたえるのではないかと、ちらっと不安がかすめた。

だから何か新しいことを始めなくてはと思い、その頃から話題になりはじめていたブログに手を出した。若い友人がエキサイトというブログの会社に入ったことも大きかった。さらに同年でやはり定年となった友人もいっしょにやろうと参加してくれたことも心強かった。友人とは「縄文ドリーム日記」の主人である。
元来、ハイテクに私は弱いのだが見よう見まねで,
定年の翌日2月1日から少しずつ始めた。そのうち夢中になった。

仕事量も激減した私にとってブログは恰好の表現ツールとなった。書くことが好きだったしこれまで書きたいと思っていた事柄をカタチにしてみるのにブログはぴったりだった。

 それでも“中年の危機”はやってきた。夏ごろから体調が落ち精神的にも不安定となった。7月暑い夜、私は出奔した。「トルストイのプチ家出」だ。精神だけではなく体の節々に強い痛みを感じた。病院へ行くと頚椎がヘルニアになっているのではないかと診断された。痛みはますますひどくなり右腕にたえず激痛が走った。一睡も出来ないこともあった。

秋風が吹く頃から落ち着きを取り戻した。その頃に若い仲間(息子の友人)たちと出会い新しいことを構想しようと思い始めた。転換するきっかけが欲しかった。
 スコットランドへ行く旅に誘われ出かけた。8日間の旅はすっかり私を空っぽにしてくれた。この8日間がブログを休んだ最長の期日。それ以外ほぼ毎日ブログの記事を書いた。日に多いときは4本書いた。ブログの依存症かもしれない、と思うほど夢中になった。今日で通算533件のブログ。
 ひょっとすると、今年一番の収穫はこのブログだったかもしれない。

 名古屋で番組を作りはじめた息子が、先月初めて全国放送デビューした。福祉の番組である。重度の障害をもった人たちが人形劇をプロとして活動しているというリポートだった。その番組を見ていてフシギな気がした。18年前、アメリカで施行された「障害者法」などを紹介して障害者の地位向上を呼びかける番組を私は作っていた。私のディレクター人生でも福祉番組は大切な節目であった。その番組枠に息子が取り組んでいるのだ。その頃目指した自立する障害者という目標を体現するような、いきいきした若者たちがその番組には登場していたのだ。むろん、課題はまだ少なくないのだが障害者運動はしっかり前進していると心強く感じたのだ。

 定年再出発――新たな人生、新たな挑戦をと気負って考えていた。が、何も私一人で完結した人生でなくともいいのだ。私がやってきたことは、私以外の息子やその友人らによって反復されて引き継がれていくこともあるのだ。かつて大江さんから教えてもらった、「生の連続性」ということをあらためて認識する出来事であった。

行く年や海からの風いろいろに

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大晦日の空
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by yamato-y | 2005-12-31 11:15 | 登羊亭日乗 | Comments(1)

書棚の掃除

古い詩集たち

年末とて部屋を掃除する。普段使わない書棚の奥まで雑巾をかける。そこに若い頃読んだ詩集や詩論があった。金井直、永瀬清子、石原吉郎、荒地、山家集、石川逸子、吉本隆明…。懐かしくなり手にとる。ちょっとのつもりがいつのまにか読みふけっていた。

石原吉郎―シベリアに抑留され、その体験を見つめ続けた。彼の語句「生きること自体が人間にとって不自然である。」その詩「おれよりも泣きたいやつが/おれのなかにいて/自分の足首を自分の手で/しっかりつかまえて/はなさないのだ」

石川逸子―長く広島、長崎のことを見つめてきた元教師。その詩集「千鳥ケ淵へ行きましたか」を1986年に私は手に入れた。「赤ん坊をあやしていた 中国人のあなたを/妻子に頼られてた 朝鮮人のあなたを/腹を撃たれた マライ人のあなたを/漸くにして想う
千鳥ケ淵で」

吉本隆明―1967年に詩集を買った。食わず嫌いだったから好奇心でだ。一篇の詩にひかれた。「ユウジン その未知な人/いまは秋でくらくもえている風景がある/きみのむねの鼓動がそれをしっているであろうとしんずる根拠がある」

富岡多恵子―こんなのが詩でいいのかと訝しく思いつつひかれた。「とりあえず/なにをするべきかと思ってみるに/まあゆっくりオシッコでもして/それから靴下をベッドの下からひっぱりだす/あんた」

田村隆一―カッコウつけていたな。サントリーのCMにも出演していた。「ウイスキーを水でわるように/言葉を意味でわるわけにはいかない」

鷲巣繁男―美術番組を担当する先輩がこの人に私淑していた。知る人ぞ知る人だった。この人を通してイコンを初めて知った。「いたるところに焔が逆立ってゐる。/春の枯草の原、/まぼろしのやうに人人が火をうちすゑてゐる。」

そして書棚の奥にひっそりと黒田三郎があった。

たかが詩人

あなたのお人形ケースにしても
あなたの赤いセータアにしても
あなたが勝手に人にやってしまうには
なんといろいろの都合の悪いことが
この世にはあることだろう
きっとあなたそのものも
あなたが勝手にひとにやってしまうには
お人形ケースやセータアと比べ物にならぬくらい
いろいろの義理や
都合の悪いことがあるのだ
欲しがってはならないものを欲しがった後の
子供のように
僕は夜の道をひとり
風に吹かれて帰ってゆく

新しい航海に出る前に
船は船底についたカキガラをすっかり落すという
僕も一度は船大工になれると思ったのだ
ところが船大工どころか
たかが詩人だった

読みふけっていてふと気がつくと、日が翳って部屋はすっかり薄暗くなっていた。ああ、今日も部屋を最後まで片付けることが出来なかった。

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by yamato-y | 2005-12-30 16:30 | 登羊亭日乗 | Comments(0)

葉祥明さんとのイタリアの旅③

ラヴェルナ修道院の朝

朝の光が美しいだけでなく深いエネルギーを持っているということを教えてくれたのは葉祥明さんだった。
葉さんは旅の間、いつも早起きして朝の光を浴びていた。両手の平を太陽に向け、顔をまっすぐ太陽に向ける。まぶしげだが気持ちよさそうな顔で小一時間浴びる。ラヴェルナで教えてもらって以来ずっと私も朝光浴している。
大磯でも冬の光は格別だ。光の粒が大きく木漏れから落ちてくる日は体を貫く思いがする。

ラヴェルナ修道院で一夜過ごした次の朝、葉さんは5時半に起きて散歩に出た。修道院の裏のぶな林に立ってじっと日の出を待っていた。風がさわさわと吹くとゆっくり太陽が上がってくる。木立から眺めていると朝日はどんどん変化する。
葉さんは詩を作った。
            1998年11月13日
光を見なさい
光が導いてくれ 光が教えてくれる
光の道を歩めば 生命の源に 辿り着ける
光こそ生命そのもの 平和も愛も 全てそこにある
光を求めなさい 生きている限り
生命の限り 

芸術家には独特の霊感がある。この旅を続けながら葉さんは次第に聖フランチェスコと共にいる気分になってきた。どうやら葉さんには彼の存在が見えているらしい。目で見るというより心で見ているというかんじがした。時々葉さんは目を閉じる。しばらくすると目を開けスケッチブックにフランチェスコを描きだすのだった。

追:元旦の朝の光は特にいいということだ。      
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by yamato-y | 2005-12-30 12:45 | ブロギニストのDJ | Comments(0)

冬芽

命のはてのうすあかり
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部屋を掃除した。買い込んだままの本がそこらじゅうに広がり、足の踏み場もない。
一通り片付いたものの十分とはいえない。残りは明日にしよう。
寒いからスコットランドで買ってきたウィスキーをちょっと飲む。五臓六腑に染みとおる。

呑みながら庭を見ると、菊も枯れて冬ざれている。その中に冬の芽を出しているのがいる。たぶんチューリップだろう。頭をきちんと揃えてお行儀よく並んでいる。たったこれだけのことだが嬉しいものだ。

冬芽という季語はない。ただ日常的に使うのだが、あってもいいのに。歳時記には冬萌えという語があった。冬の暖かい日に思いがけぬ木の芽が萌え出すことを言う。最近、「萌え」という語がオタク的に使われるので、うちはこの言葉、よう好かん。

穏やかな歳末だ。空を仰ぐとゆっくり雲が甲州の方へ流れていく。こういうときに旅仕度する芭蕉という人はどういう人だったのか。やっぱり片雲に誘われてか、そぞろ神がとりついてか。
年くれぬ笠着て草鞋はきながら

年の暮れにふさわしいのは久保田万太郎だろう。生前会っていたらさぞ嫌な親父かと思うが、彼の晩年の句はどれもいい。
すっぽんもふぐもきらひや年の暮れ
蛸と芝居は血をあらす、と万太郎は言ったそうだ。臆病なくせにさびし好き。その人の絶唱はやはりこの句だろう。
湯豆腐や、いのちのはてのうすあかり

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追伸:一昨日、ユン監督がウィーンへ旅立った。いよいよ「春のワルツ」のクライマックスシーンを撮影するためだ。監督は今このことで頭がいっぱいみたいだ。いいなあ。早く見たいな。
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by yamato-y | 2005-12-29 14:08 | ブロギニストのDJ | Comments(2)

格闘技ファンからのメール


業界のプロレス馬鹿たち


 押し迫ったこの時期に以下のようなメールが入ってきた。

《決戦の日まであと3日と迫りました。今年は小川vs吉田を筆頭に、
五味vsマッハ、桜庭vs美濃輪、ダンヘンvsブスタマンチ、シウバvsアローナetc.etc.と、試合内容がとにかく気になる今日この頃です。

ところで、先日「近々、会社内のプロレス・格闘技ファンで集まろう」というご提案がありましたが、早速ですが、年明けにでもいかがでしょう?
年末年始、男祭り、Dynamite!、1.4新日最終ドームなどなど、俺は語りたい!と思いながらも年末年始で話し相手がおらず、溜まっているような状況を吐き出すように。
 
お互い見知った者に声をかけるのはもちろんですが、そこからさらにメール転送などで、私たちが知らない人にも来てもらい、「社内にこんな人材がいたのか~」というような集まりになったら面白いのかも?とか考えております。
横のつながりができれば、映像の貸し借りや観戦ツアー等、何かと便利かもしれませんし。

この集まりのタイトルは、「ヴァーリ・トゥード」の別称、「ノー・ホールズ・バード(制限ナシ)」ならぬ、「(ノー・ホールズ・禁句=禁句ナシ)-1」(仮)
とかいかがでしょうか? オッケーであれば、年明けにば~っと始めましょう。》

このメールをしてきた人物はシリアスなドキュメンタリーを制作するチームのデスクだ。前から格闘技好きだとは知ってはいたが先日業務打ち合わせのあと、この話題を切り出すと盛り上がった。そして、社内の愛好家を参集していこうという話をしてきたばかりだ。その話の再燃というか確認だ。むむ、奴は本気だ。
ならば、ということで応じることにした。そのためには、年末年始目白押しの格闘技中継を見ておく必要がある。ありゃ、番組企画のために資料読み込みを宣言したばかりなのに。

このブログでプロレスのことを今まで書いたことが無かったが、私は30年来のプロレスファンだ。先年、プロレス伝説が私の中で完全崩壊してしまったが、その余燼は格闘技ということで残ってしまった。来年からプロレスについても書こうかな。余談だがサザンの桑田君の歌はプロレスファンならニヤっとすることが多いことをご存知か。

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by yamato-y | 2005-12-28 14:31 | 登羊亭日乗 | Comments(0)

御用納め

机の上を片付けて

今日で仕事は終わり、次に出社するのは年が明けて5日だ。今年がどんな年であったかは大晦日に総括しようと思うが、仕事についてだけはここでまとめておこう。

今年制作した番組は2本。1月1日未明に放送した分をいれると厳密には三本だが、まあ2本と数えるべきだろう。
定年になり、第2の職場という情況の変化。文化番組部から企画開発部という番組以外のことも考えるという部署に異動になったこと。これらが重なり番組の制作が減ったのも故なしとはいえないのだが、それにしても少ない。

昨年の今頃、毎日新聞のコラム「放送人」で私が取り上げられたとき、現役で最も多く番組を作ってきた男と紹介されたことから考えると隔世の感がある。

ところで、制作した番組は「感動!昭和人物伝・ペルソナα」と「スーダラ伝説・植木等」。
皮肉なことにこの2本は同じころ放送された。直前はてんてこ舞いで多忙を極めた。これが前期1本、後期1本なら丁寧に編集仕上げができたものを――と考えるが、テレビはそうやって作るものではないということは知っている。映画のように余裕をもって作ると、番組の勢いというかオーラが消滅しやすいのだ。だから時期が集中したことは悪材料ではない。
「スーダラ伝説」は30年来あたためてきた企画が実現した。これもひとえに子息の比呂公一さんの尽力による。さらに丁寧に人生の軌跡を取材し描いたディレクターの牛山さんの努力が実った。こうして11月1日に放送され関係者から高い評価を得た。が残念なことにハイビジョンのみの放送だったために広く知られることがなかった。
 だが衛星放送編成が動いてくれた。好評にこたえて衛星第2放送で新春に放送されることになったのだ。1月6日金曜日、夜10時からいっきょ110分全放送される。見ていない方にはぜひとすすめたい。植木等という人格がどれほど時代と伴走してきたかが、分ってもらえるはずだ。ナレーションの国井雅比古アナの読みにも注目して。

「ペルソナα」は10月29日の土曜日、夜7時半から総合テレビで放送された。土曜日のゴールデンアワーという激戦区だ。やや地味で真面目な内容だったが、いつもの視聴率より3ポイントほど高かった。昭和という時代にスポットをあて一生懸命生きた「美しい」日本人という内容に大きな共感を得たのだ。特に私と同じ団塊世代からつよい支持をいただいた。おりしも「3丁目の夕日」などで昭和レトロが起きつつあると時代を読んだこともうまくいった一因かもしれない。
時代がそういう生真面目なことを望んでいるということを証明したことでも、この番組を制作してよかったと、今は思う。この番組はあるコンテストに今エントリー中である。

少ない作品数であったが、それなりに伝えたいメッセージをもって番組を作ることができた。派手ではないが、新しいスタイルを模索することもできた。この線をもう少し続けていきたい。
一方、来年こそハードなドキュメンタリーにも挑戦したい。1つは韓国、もう1つは広島。
そのための資料を整理し今日自宅へもって帰ろう。おそらく、毎日パジャマのままの姿が続くだろう。8日間の休みには怠けないで資料の読み込み、企画ノートを作成することに力を注ごう。

休日だからといって電波は休まない。今日も局の大きなパラボラアンテナは天を高く仰いでいる。
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by yamato-y | 2005-12-28 13:30 | 新しい番組を構想して | Comments(0)

年の暮れの書庫

年末年始の休みの前に
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ボンヘッファーのことを調べようと局の書庫へ行った。
いつもより人が少ない。やはり押し迫ってぼちぼち休暇を取り始めたのだろう。
存外静かな書庫は居心地がいい。文学は800番台で一番奥にコ-ナーがある。
スタンダールとトーマス・マンを探しに行ったのだが、ちょっと日本文学に寄り道した。
古いエッセー本が並ぶ。吉田健一、室生朝子、三好達治、目白三平、安藤鶴夫、内田百閒、深瀬基寛、幸田文、飯田蛇笏、・・・将に垂涎の書ばかり。

本棚にもたれてパラパラページを繰るとあっという間に時間が経つ。安藤鶴夫は活字を通して声が聞こえてくるようだ。しかも独特の江戸っ子表現が出てくる。ためになるなあ。
合口の酒、なんて言葉を初めて知った。今度どこかで使ってみよう。その安鶴の本のタイトルが「おやじの女」。

いつもこの時期は読書を誓うのだが、休みに入るとダラダラテレビを見たりビデオを見たりでいっかな本を手にすることがない。29,30ぐらいはまあ適当に。31は大晦日だ、しんねり読書でもあるまい。明けて1はおめでたい日。2日から読書しようと意気込むと残す日はたった2日。
とこんなことにならないように。

今予定している本。ボンヘッファー、池明観、に関する本は必須読書。
日本文化のナショナリズム、昭和イデオロギー・思想としての文学、木が人になり人が木になる、メディアビジネスの攻防、大統領を葬った男、のうち最低3冊は読了したい。

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by yamato-y | 2005-12-27 17:47 | ブロギニストのDJ | Comments(0)

離れた恋2

焚き火の煙

宗匠が二,三度手紙を書いたが音信なし。何かがあったと思ったが宗匠は確かめる術をもたない。やきもきするうち1年経ち2年経った。

ある日、女房の身内という者から宗匠へ手紙が届いた。長い間、故人と交わりをいただきかたじけない親切に一同感謝していると書かれてあった。
 
思いがけない訃音。宗匠、さらに読みすすめる。――
女房は先年流行病(はやりやまい)のため突然死んだ。若くして未亡人となって以来、一人息子を一生懸命育て上げてきた律義者。ようやく息子も一人前となり、これで肩の荷をおろしこれからが人生と思っていた矢先の不幸だった。さぞやさみしい人生であったと、親戚一同言い合っていた。
先ごろ、3回忌をむかえ追善供養がにぎにぎしく行われた。そのおり、故人が大切にしていた文箱があけられた。中からあなた様のお手紙のみ出てまいりました故、こうしてご連絡申し上げる。というようなことが文面に縷縷述べられていた。

読み終えた宗匠、手紙をもって庭先へ。やおら折りたく柴の中へ手紙を入れ火をつける。うす青い煙りはまっすぐ小春日和に消えてゆく。

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by yamato-y | 2005-12-27 14:10 | 登羊亭日乗 | Comments(0)

はなれた恋1


忍ぶ恋


サラリーマン川柳を読んでいたら、こんな句をみつけた。
ケイタイがないとき君たち何してた?
まったく、老いも若きも男も女もひっきりなしにケイタイをしている。並んで歩いていてもケイタイをしている。これほど絶えず人とコミニュケーションをとっていたいなら、無かった昔はどうしてたのだ、と問うてみたい川柳作者の気持が分る。

江戸俳句についてのエピソードから、こんな話を作ってみた。
江戸の宗匠が俳諧の手ほどきのため、越後へ下ったときのこと。現地で何日かにわたって運座をした。地元の米屋の女房(たしか未亡人だったが)とねんごろになった。といっても清い関係で互いに思いを抱いただけ。だがこういう低温ほど火傷は深い。
 宗匠が江戸にもどっても女房は忘れることできず、宗匠もまた女の面影が焼きついて離れない。お礼かたがた句を添えて越後へ便りを出すと、しばらくして返事が届いた。そこには先の句に付けた句があった。これで十分だったのが昔の恋。

こうして二人は年に1回または2回ほど句をしたためた手紙のやりとりをする。当時はクロネコもサガワもない時代。飛脚を頼むのも物入りだ。何かのついでにその方面に向かう便があれば、それに乗せるとか工夫をしながら細々とやりとりは続いた。
10年たって宗匠は隠居の身となっても相聞歌は続いた。
20年を越えた頃便りが途絶えた。越後の消息が不明となった。
(つづく)

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by yamato-y | 2005-12-27 12:04 | 登羊亭日乗 | Comments(0)

ボンヘッファーを知っていますか

生きる意味を問い続けた人

ドイツの牧師だ。ナチスが台頭してきたときからその危険性を指摘してきた人物である。
ヒトラーとその周辺はたえず彼に警告を与えた。だがけっしてひるむことはなかった。

感動的なエピソードがある。
1938年、故国の窮状を訴えるためにアメリカに彼は赴く。彼をむかえたアメリカの支持者たちはそのまま亡命することをすすめた。
ところが、アメリカ滞在して1ヶ月も経たないうちに彼は苦難のドイツへ帰ることを決意する。死への道しかない国へ。敢然としかも飄然と戻っていったボンヘッファー・・・。

やがて、彼は帰った故国で中心になって告白教会を築いていく。当然、ナチは彼の動きに神経を尖らせ、彼を目の仇にしていく。

そして国軍の中に、ヒトラー暗殺計画が生まれる。直接ではないにしろボンヘッファーはこの企てに関わっていく。目の前の大きな悪に対して、小さな悪をおかすことを義としたのだろうか。もっとボンヘッファーの思想を私たちは研究する余地がある。相手の不寛容を赦す寛容とはあるのか・・・。

この暗殺計画は発覚し首謀者は次々に逮捕される。その一味の日記からボンヘッファーの名前が割れ囚われることになる。
そして、1945年4月、ボンヘッファーは処刑される。ヒトラーが自殺するわずか1ヶ月前のことだ。ボンヘッファー、時に39歳だった。
来る2006年は、ボンヘッファーが生まれて百年にあたる。
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by yamato-y | 2005-12-26 23:32 | 魂のこと | Comments(0)


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