定年再出発  


懐かしい空
by yamato-y
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レコード資料室にて

 レコード資料室にて

少し時間ができたのでレコード資料室に寄って来た。そこにはCDがどれほどあるだろうか。10万か30万か。洋盤、邦盤、ジャズ、クラシック、ポップス、歌謡曲、など限りない。

マイフェボリットソングを書くときは、いつも音源を聞いて書くことにしている。

今、呼び出したい曲は、西島三重子の「池上線」。荒木一郎の「紅の渚」。
荒木由美の「瞳を閉じて」。ユーミンはこの時期にいい曲をたくさん作っている。
「海を見ていた午後」「中央フリーウェイ」「卒業写真」。どれもいい。松任谷隆のアレンジが洒落ているのだ。
そして、捨てがたいのが歌謡曲、北原謙二の「ふるさとのはなしをしよう」。

音楽って不思議だ。聞くと、その時代、光景が浮かんでくる。たった五分足らずのスノッブな世界だが、私にはかけがえないものだ。三好達治の詩や与謝野蕪村の句と同じほど
荒井由美も西島三重子も私には大切なのだ。次回は「池上線」を紹介しよう。
ここで、少し先乗りして。

池上線
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 古い電車のドアのそば 二人は黙って立っていた
話す言葉をさがしながら すきま風にふるえて
いくつ駅を過ぎたのか 忘れてあなたに聞いたのに
じっと私をみつめながら 「ごめんね」なんて言ったわ
泣いてはだめだと胸にきかせて 白いハンカチを握りしめたの

池上線が走る街に あなたは二度と来ないのね
池上線に揺られながら 今日も帰る私なの


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by yamato-y | 2005-08-31 16:43 | マイ・フェボリット・ソング | Comments(0)

きっぱりと、秋が来た

 きっぱりと秋が来た

今朝、きっぱりと秋が来た。明け方、気温が下がり肌寒いほどだった。

庭に降り立った。夏草の中に秋が混じっていた。雨など降っていないのに露がぐっしょり。
朝からせみ時雨というよりせみシャワー、降るようだ。蝉は最後の命を振り絞っているのだろう。

 テレビは朝から総選挙の話題ばかり。劇場選挙というがそれでも無関心よりいいというわけか。争点となる民営化、年金、どの党首の話を聞いてもいいように聞こえる。
内政ばかり論議されているが、外交はどうなんだろう。内田教授のサイトにも書かれてあったが、アメリカでは日本の評価が下がり始めているという。アジア外交は拙劣だしイラク派遣もうまくいっているとは思えない。この国はステゴザウルスになっていくのか。

通勤の電車は空いていた。明日から学生や勤め人が動き出すのだろうか。
多摩川の鉄橋を越えるとき、河原に青いビニールシーツハウスが何軒も甲羅干ししていた。先日の雨でどの家も大変であったのだろう。
昭和30年代前半まで、上京すると橋の下に家がいくつもあったが、オリンピック以降めっきり減っていた。それがこの数年、雨後のたけのこ状態で増えている。そこに暮らす人もそれほどやつれていない。家はなくても生きるのは難しくない世なのだろうか。

相模川も多摩川も水面をわたる風はめっきり秋。季語の「今朝の秋」か。

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by yamato-y | 2005-08-31 08:47 | ブロギニストのDJ | Comments(0)

トトロと出会う、雨の夜

雨の夜の家路
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夜8時半、新宿発小田原行き湘南ホームライナーに乗車。その直前ににわか雨ですっかり濡れながら歌舞伎町を走りぬけた。
動き始めた列車の車窓に雨滴が一滴二滴とかかる。今から1時間私だけの時間、清張の言う「分離された時間」だ。雨の新宿、渋谷、五反田、を見ながら家路をたどる嬉しさよ。

9時32分、大磯着。雨は上がっていた。あまり暑くないので徒歩で山へ向かう。王城橋を越えたあたりからめっきり暗くなる。まるで「となりのトトロ」の雨の停留所のような光景だ。ここで立ち止まっていると傍らにあのトトロがいそうだ。
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山には薄く霧がかかっていた。にわか雨と急に気温が上がったので霧が発生したのだろう。
口笛をふきながら上がると、遠く平塚、茅ヶ崎の町の灯がうるむ。
こういう体験ができるから、遠くてもこの大磯に住んでいるのだ。
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by yamato-y | 2005-08-30 23:43 | ブロギニストのDJ | Comments(1)

比呂さんと私

 比呂さんと私

比呂公一さんと私は同年の57歳。30年前スタジオで知り合った。
私はしがないAD、比呂さんは駆け出しの作曲家だった。それぞれ現状に不満をもっていて
いつか自分の番組、音楽をやりたいねと語り合っていた。「そのときは比呂さんのお父さんの番組をやらせてよ」と私は頼んでいた。比呂さんはニコニコ笑っていた。父上とは植木等さんである。

当時、比呂さんは父の存在に反発していたのではないだろうか。「親の七光」と思われたくないと、突っ張っていたのだと思う。父の話題を口にすることはほとんどなかった。

その後、私たち二人の道は分かれていく。私はこどもの音楽番組からドキュメンタリーへ転進し、比呂さんは子ども音楽だけでなくCMのヒットメーカーとして華々しく活躍するようになる。「ミツカン、アジポン」や「カップスター」などおなじみの曲がたくさんある。

昨年秋、社員食堂で久しぶりに顔を合わせた。彼も私も大病を体験していた。比呂さんは波瀾に富んだ人生を乗り越えたばかりだった。そんなことを少しも感じさせない、相変わらず淡々としていた。「最近、お父さんはどうですか」と水を向けると、親父とはようやくわだかまりなしで話せるようになりましたよ、と答えた。
私はすかさず植木さんの番組を作りたい、比呂さんの協力が欲しいとお願いした。

それから半年後、比呂さんから連絡があって、4月以降だったらいいみたいだよと、植木さんの予定を教えてくれ、約束をとりつけてくれた。こうして「植木等特番」の取材が始まったのだ。30年間、あたためた企画がようやく動き出したのだ。

比呂さんにも出演していただくことにした。息子であり音楽家の視点から、「植木等」を見つめてもらうのだ。
この日、植木さんが身を寄せていた本郷のお寺を比呂さんは取材した。厳しい修業を10代の植木さんがしたと知る比呂さんはいつも以上に口数が少なかった。思うところがおおいにあるのだろう。
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by yamato-y | 2005-08-30 17:37 | 新しい番組を構想して | Comments(0)

夜の桃

 夜の桃

中年や遠く実れる夜の桃

西東三鬼の句だ。なんとなくエロティックだ。桃というのは性愛を連想させる。
山口百惠も幼い頃にその名前を囃したてられて嫌だったと語っている。

三鬼の人生がドラマになったとき、夜の桃というタイトルでは抵抗があるので
「冬の桃」というものに変えたと、プロデューサーのヤスオさんから聞いた。ドラマのヒロインを演じた三田佳子さんの夫君だ。

冬の桃では季重なりで、おまけに季節が矛盾する。
だがよく考えると、冬の桃は三鬼の人生にふさわしいのかもしれない。
岡山出身の歯科医で、戦前シンガポールで開業し植民者として無頼な生活を送り、
戦時中は俳句弾圧に連座して神戸で亡命者のようにして生き延びた。

女性関係も出入りが激しかったという。晩年の三鬼の肖像を見ると、色悪のにおいがする。
芸術家というより、実業家の風貌でもある。
だが、俳句の切れ味は抜群だった。

算術の少年しのび泣けり夏
これなどは、まさにこの時期の句であろう。夏休みも終わろうとする頃、算数の宿題がやっていなくて途方にくれる男の子。「サザエさん」のカツオのようだ。

水枕ガバリと寒い海がある
私のアドレス名MIZUMAKURAは、ここからいただいた。
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右側が三鬼
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by yamato-y | 2005-08-30 16:14 | ブロギニストのDJ | Comments(0)

アダムの指のように

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それに触ってくれることを望みつつ
 なぜ、ブログを書き込むことにこれほど一生懸命になるのかと、自問することがある。
心に吐き出したいことがあって、パソコン画面に文字を注入するのだろうか。
そうではない。インターネットの広大な海に向かってただ発信すること、まるで虚空に向かって手を差し出すように、キイボードをたたくだけ。

大江さんから教えられた詩がある。ウェールズの詩人R・Sトーマスの「敷居」。

《ミケランジェロのアダムのように未知の空間へ、何も知らない空間に向かって腕を伸ばして、返礼の接触を望むよりほかに》

「敷居」とは、今この世界から違う世界との境界を意味し、そこを超えることを説いている。違う世界に向かって恐る恐る手を差し伸べると、その手に向こうから応じてくれる手が触ってくれる、ちょうどミケランジェロが描いた「天地創造」のアダムように。

美しいイメージだ。この名も知られていない詩人を発見した大江さんの眼力に敬服する。同時に、日本のわたしたちに紹介してくれたことに感謝もする。

このアダムを例えにするのは気がひけるが、私もブログの虚空に向かって手を差し伸べ、指を突き出すと、それにそっと答えてくれる何かがあると予感もし感じるから。せっせと打つ。

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by yamato-y | 2005-08-29 23:31 | 魂のこと | Comments(2)

作家の妻

 作家の妻

その作家は若い頃妻をなくし幼い子をかかえて苦労したという。初期の作品には
暗い影を落としている。
《死んだ女房と同じ年頃の女たちがしあわせそうにしているのをみると、気持が尖って押さえられなかったものだ。子どもを抱いて町を歩いている若い夫婦連れなどをみると、自分の顔が険しくなるのがわかった。そして逆に、どこそこの若女房が病気で死んだなどと聞くと、人にこそ言わね、心が安らぐのを感じたのである。》

数年後、今の妻と巡り会い、娘を交えて三人のつつましくも仕合せな人生を送ることになった。後期の作品には、謹直な人柄からは想像できないユーモアさえ漂い、暗い影はすっかり失せた。死後ますます盛名をうたわれるようになっている。

作家の若い頃のエピソードを番組にしたいと未亡人に告げたところ、峻拒された。
「プライベートなことは話したくありません」とにべもない返事。どうしてですかと聞きただすと「有名になることは嬉しいことではありません」

近年、その作家がブームとなり彼の人生を描いた本が相次いで出版された。その中に、先の妻をなくした時代に言及するのがあり、醜聞風に書かれた。本人が故人となった今、真偽のほどを確かめる術もない。ましてや、残された家族は辛い。

その作家の作品は人間を根本から励ますものであった。そういう作風を得たのは後に出会った妻によるところが大きいと、娘も推測している。妻は下町の明るい人だったからだ。
そうして、その作家が人生を安らかに送ることができたのに、励ました妻が悲しい思いをすることになるとは、不条理を思わざるをえない。

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by yamato-y | 2005-08-29 15:42 | 魂のこと | Comments(1)

失われた時

30年の自画像・失われた時

30年の自画像と区切ったのは、どうやらそれ以前に遡りたくないという無意識があったようだ。
今朝、まどろみの中である香りがよみがえり、「失われた時」を呼び戻した。オールドスパイスのトニックだ。34年前、大阪で仕事に就いた頃この整髪剤を使っていた。
理髪はホテル阪神の地下にあるバーバーへ通った。そこで薦められて使いはじめた。安月給だったが、ホテルの店という高級感をたまに味わいたかったのだろう。

大阪にいたわずか3年の間に阪神間を転々とした。
最初は、会社の寮がある八尾に住んだ。3畳ほどの独房だった。ハセガワさんという偏屈な管理人がいた。夏は猛烈に暑く3階立ての3階にいたので耐えられなかった。夏のボーナスでウインドファンといういんちきな冷房機を買った。今でも家電メーカーのCMを見ると嘘つきのくせにと腹立たしい。そこから見える生駒山だけが慰めだった。
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盲腸で緊急入院した。その直後に、立ち直るに10年かかる心の傷(今でいうトラウマか)を負うことになる。
寮を出て奈良の王寺へ行った。王寺からさらに支線の大輪田にある公団の団地に半年だけ住んだ。新興の地だったので、バスは夜7時で終わった。駅から20分いつも歩いた。近くに大和川が流れていて、冬になると濃い霧がでた。さみしい町だった。
そこから帯解まで近かった。三島が自決して1年目、帯解にある円照寺を訪ねたことがある。最後の小説「豊穣の海」の舞台となった門跡寺だ。帰りに、帯解の駅で見た夕暮れの景色が忘れられない。晩秋の寒い日だった。

 神戸の住吉に引っ越した。大学時代の友人がそこに住んでいたし、職場の同僚もいた。下町の気の置けない地だから住みいいぞと、そそのかされた。阪神住吉駅の裏手でごみごみした場所にある下駄履きアパートだった。下は大家が住んでその上に1Kの部屋が3つあり、真中に住んだ。隣りはお寺で朝夕ミュージックサイレンが鳴りうるさかった。風呂がないので近くの共同湯に行った。倶梨伽羅紋々のお兄さんと悪がきが大勢いた。この頃酒を覚えた。毎晩酔っ払った。トラウマはいっこうに消えず狭い6畳でますます鬱屈していた。
 土曜日は半ドンで、仕事を終えると三宮へ行った。センター街をブラブラして「しあんくれーる」というジャズ喫茶にたまった。チック・コリアが流行っていたが、コルトレーンやビル・エバンスが好きだった。最高7時間コーヒー一杯でねばったことがある。古本屋でG・オーウェルの『カタロニア讃歌』を見つけ、つくづくスペインに行きたいと切望していた。

芦屋の打出に、大学時代の女友達が妹と住んでいた。彼女は結婚して山形へ行くことになり、アパートを引き払うことになった。その後を借りた。部屋が3つあり風呂もあった。家賃は少し高いが便利にみえたので、そこへ移ったのだ。相変わらず酔っ払っていて、お屋敷町のど真ん中で放歌して、憂さを晴らしていた。傷口から血がだらだら流れていた。
住んで半年も経たないうちに、東京へ転勤を命ぜられた。

大阪にいた3年は、私の心の奥底に閉じ込められていた。
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住吉にいた頃御影から急行に乗った
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by yamato-y | 2005-08-29 14:15 | 30年の自画像 | Comments(0)

ある日渚に

 マイフェボリットソング・ある日渚に

夕暮れの浜辺を歩いてきた。大磯こゆるぎの浜には人影がまばらだった。
引き潮だったので、水際をはだしで歩いた。歩くと、足裏がここちよい。
夕方の浜風はさやかで潮の香がふわっとする。加山雄三の「夜空をあおいで」を思い出した。
1966~68年は、カヤマユ―ゾーのブームだった。私もギターを覚えたばかりで、新曲が出るとすぐ「平凡パンチ、デラックス版」の楽譜付録を入手して、弾いてみるのだった。加山雄三のペンネームは弾厚作。彼の作詞、作曲で、渚を歌った作品がある。「ある日渚に」だ。珍しく岩谷時子の詩ではなかったが、ちょっと南仏の匂いがした。

 ある日渚に
渚によせる 光る波は
やさし君とぼくの 愛をよぶ しらべ
忘れはしない 可愛ぃ あのえくぼ
なつかしい ほほえみ 胸に抱きしめて

ひとりで ゆうべ見た 君の夢
めざめれば さみしく 
カモメが飛んでいた♪

君まつ船に 今は人もなく
せつなく ぼくは 君の名を呼ぶさ♪♪

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この歌そっくりの風景を、後に私は南フランスの海岸で見た。1980年のことだ。パブロ・ピカソの取材でスペインからフランスへ抜けたとき、フランスの国境の港町、サンジャン・ド・リッツに泊まった。リゾート地だが秋になって、都会の客たちは帰っていて、うら寂しい港町だった。ホテルは海に面していて、朝大きな窓を開けるとそこに浜辺があり、わずかなカップルが静かに散歩しているのが見えた。バーブラ・ストラザイドの「追憶」の1シーンのようだった。
寒くなって窓をしめると、テーブルには焼きたてのクロワッサンとカフェーオレがあった。
その年の日本は冷たい夏で、私はここでその夏初めて泳いだ。

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by yamato-y | 2005-08-28 20:20 | マイ・フェボリット・ソング | Comments(0)

アハハ、夏は終わった

壮絶、檀一雄

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 この半年、日本浪漫派の文学に無性に惹かれる。太宰や坂口を含めている人脈だ。
かつてファシズムに迎合してきたしょうもない人たちだと偏見を抱いたが、近年太宰、檀のすさまじい人生を知り、作品を読むと、頭を垂れるしかない。特に檀一雄にはますます心を奪われる。

檀一雄が亡くなる直前まで20年をかけて完成させた自伝的小説「火宅の人」は、癌末期の病床で檀が口述筆記で作り上げた作品だ。その最終の文言に目が吸い寄せられる。
「アハハ、夏は終わった。さよう、世の有様の、デパート即売式の規格人生は悉くかなぐり捨てた。…ざまを見ろ。これからが私の人生だ。…万歳! これが私の本当の夏」


『火宅の人』を読みとおし、檀一雄の人生を知った上で、この言葉に出会うと万感胸に迫る。
この文言は口述だと書いた。実際にその録音テープが残っており、それを基としたテレビドキュメンタリーが制作されている。番組は、檀一雄が亡くなった10年後、口述筆記の録音テープが見つかったことをきっかけに制作された。
ディレクターは私が尊敬する鬼才片島さん。

故人となった檀がまざまざと立ちあらわれてくるような傑作だった。末期ガンの苦痛に耐えながら口述筆記に取り組む檀一雄の生々しい肉声・・・。
番組中この最後の言葉を発する檀の声が登場する。病床らしく声はかぼそくしわがれているが、語気はたしかだ。ふりしぼるように語る――
「アハハ、夏は終わった」、「これが私の本当の夏」。

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by yamato-y | 2005-08-28 13:38 | 登羊亭日乗 | Comments(1)


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