定年再出発  


懐かしい空
by yamato-y
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カテゴリ:新しい番組を構想して( 108 )

群青色の空があるわけでなく空が群青色になっているだけ

群青色の空があるわけでなく空が群青色になっているだけ


絵の具の性質や使い方を覚えることは大事だと、高山辰雄が最後のエッセー画集で書いている。そのあとに続く言葉に惹かれた。
「だが、それを知ったなら、次はその絵の具の名前を忘れたいのです」
あの空は群青色だと決め付けるのは絵描きとして欠点だという。空は群青でなく、空は空。それをどう表現するかは、決め付けたなかからは生まれてこないというのだ。
たしかに、葉っぱは緑かもしれないが、よく見ると街角の樹木の葉は埃で薄汚れていて、絵の具の緑とはいえない。その木にしかない色があるだけ。そういう先入観でモノを見ないようにしたいと高山は語る。「目は透明でなければと思う」

詩人の吉野弘は、シンとした青空を見て「静」という言葉を思い浮かべた。青が争っているという。たくさんの青が空一面にひしめき争いあっていて、それが空の色を形成していると見たのだ。なるほど、そういう目で見ると、冬の青空などは、まさに小さな青がたくさん重なり合いひしめき合って、あのシンとした凛とした青空になっているような気がしてくる。

画家と詩人のそれぞれの認識。タメニナルナー。

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by yamato-y | 2011-02-23 17:10 | 新しい番組を構想して | Comments(0)

走り回る喜び

走り回る喜び

昨日は3時から横浜に出かけた。上大岡に住む評論家のOさんの話を聞くためだ。Oさんは昨年キャラクターに関する新書を書いた。めっぽう面白い議論で、その詳細をたしかめたかった。
品川に出て、京急線の快速電車を待つ。ラッシュアワー前のざわざわした時間。学校を終えた高校生や主婦の顔が目につく。遅い日が差し込むフォームに立っている自分に、ふっと気がついた。ああ、こうやって取材に走り回ることができる状態まで戻ってきたのだ。

 都内取材は基本的に公共交通機関を利用することにしている。山手線、地下鉄、バスだ。これを乗り継いで現場に出て、人の話を聴いてくる。これが事前取材といわれる前(まえ)リサーチだ。たいてい一人で行く。初対面が多く、最初に名刺交換をしてから、取材目的趣旨などを私のほうから切り出して説明していく。たいていは取材に快く応じてくれるが、なかにはそうではない人物もいる。著名な人に多いが、忙しいのにお前に時間を割いて会ってやるのだぞと、恩着せがましく対応する人も少なくない。そういうときは、出来るだけ下目線に徹する。「すいませんねえ、こんなテレビの番組のために、わざわざお出ましいただいて・・」なんて、歯のうくような台詞。

日頃の私を知っている人なら驚くにちがいない。短気で思い通りにならないとすぐイライラする自分勝手の塊のような性向のくせに、この卑下した態度はなんだと。
 例えそう思われてもそんなことは気にならない。いい話、面白いネタを拾ってこそ意味があることであって、そこしか関心がいかないから、相手の非礼な態度、粗略な扱いなど気にならない。

 ところが、取材が空振りしたときなどは、そのスタイルが崩れる。せっかく膝を折って御意見伺いますとへりくだったのに、なんだ、それだけのことしか考えていないのか、新しい情報はもっていないのかと不満がこみ上げてくる。心が波立ってくる。一応はとりつくろっていても、顔がこわばり、口調もやや荒くなる。

というようなもやもやした気分をかかえながら、帰りの電車のなかでは取材ノートを広げて、一人反省会を行う。質問の仕方が悪かったのだろうか。切り込みが浅かったのだろうか。はたまた、説明しすぎて警戒心を与えたのだろうか。軽い疲れを帯びながら、取材記録をまとめているこの時間こそ、誰にも侵されない私だけの時間だ。失敗であれ成功であれ、取材というブリコラージュ(器用仕事)が私らの仕事のやりかただ。こんなことを40年近く続けてきた。これからも続けるつもりだし続けたい。が、体力がいつまでもつだろう。大寒や酷暑の外回りは、想像以上に大きな負担となるという実感を、年々深めている。
 
Oさんの取材はうまくいった。彼が考えているキャラクタービジネス論は実に新鮮な着想だった。帰りに彼の旧著を2冊ほど借りてきた。これらの資料を付き合わせて、企画書をこの週末に書こうと考えた。

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by yamato-y | 2010-05-07 15:01 | 新しい番組を構想して | Comments(0)

清元という文化

清元という文化

詳細は記せないが、秋に清元のドキュメンタリーを世に出すつもりで取材を始めている。
清元2派の合同演奏ということが眼目なのだが、一方で清元という繊細な文化を世に紹介したいという意欲もある。
といっても、当方はまったくのど素人。手探りで、この文化を調べ鑑賞して、その良さ凄みのようなものを発見しようと意気込んでいる。
で、世の清元ファンにいろいろ教えていただきたいことがある。前に、文楽三味線を主題にした「闘う三味線・人間国宝に挑む」を製作したときは、有吉佐和子の『一の糸』をずいぶん参照させてもらった。今度の清元はなかなか参照するものがなくて、いささか困っている。どうか、心ある方がおられたら、このブログの非公開コメントの欄でいいですから教えてほしい。出来れば連絡先も込みで。ミスター晃、よろしく。

 詳細を記せないのは、以前、取材しているネタを記したところ、放送前に書いていいのかという問い合わせがあった。内容について書いているわけでなく、むしろ番組の宣伝になると思って、たまたま知った主題とは別のエピソードなどを書いているつもりだったが、まあそういうふうに誤解されることもあるかと思い、以降自粛するようになっている。

 だから清元ファンのみなさんには物足りない記事かもしれない。放送が終わったらちょっといい話や泣ける話をたっぷりと・・・・。

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by yamato-y | 2010-04-19 17:21 | 新しい番組を構想して | Comments(1)

春のおとずれ

春のおとずれ

彼岸がせまっている。やっと寒さから解放されることになるのだろうか。今年の冬は本当に厳しかった。元来、暑さより寒さに強い早生まれの私なのだが、めっきり寒さに弱くなった。
春のおとずれが待ち遠しい。
もう5年前になるのか、春川を訪ねたのは。早春のちょうど今頃だった。「冬のソナタ」の日本での大ブーム前夜のことだ。ナミソムの公園は人気もなく静かだった。噂に聞いていた韓国の寒さはそのとおりで、早朝のロケは身を切られるようななかで行われたことを思い出す。

このところの寒暖の差にはなかなかついていけない。20度まで上がった翌日が最低気温4度などという乱高下は、病を癒えたばかりの身にはつらい。
世の中が不景気の真っ最中だということは知っているが、そこには耳をかさない、かしたくない。

今朝、洗ったズボンのポケットから千円札が出てきて、得した気分になった。だが考えてみると粗忽なことだ。
ここ3日間は、ニュージャージーに住む人と長いメールの交換をしている。72歳になる人だが精神は若々しい。沖縄の出身の方で、ふるさとを思う気持ちにほだされることが多い。この人と、新しいプロジェクトを立ち上げようとしている。春のおとずれが待ち遠しい。

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by yamato-y | 2010-03-18 11:47 | 新しい番組を構想して | Comments(0)

いい戦争 悪い戦争

いい戦争 悪い戦争

1960年の暮れ、南ベトナム解放戦線が結成された。南北ベトナムの内戦にアメリカが本格的な介入が始る契機となる出来事だ。今年は50年目にあたる。
そのベトナム戦争とは何であったかというドキュメントを作ろうと、現在リサーチしている。私が関心をもつのは、アメリカABCのカメラマンとして活躍した平敷安常さんだ。
去年、著作『キャパになれなかったカメラマン』で大宅賞を受賞している。授賞式で来日したときに一度名刺を交換した。沖縄出身の朴訥な人柄が印象に残った。

平敷さんは現在ニューヨークに住んでいる。ベトナムの女性と結婚し、ベトナム戦後もカメラマンとして世界を駆け回った。あの9.11も撮影している。歴戦のツワモノである。

その彼の著作を熟読している。昨夜もテイクノートして深夜3時まで及んだ。1965年春に、戦火のベトナムに平敷さんは入った。最初はABCの契約カメラマンだったが、半年足らずでその力が見込まれ本雇いになる。ヒラシキ・ヤスツネという名前が呼びづらいと、トニイという愛称で呼ばれるようになる。

アメリカ軍に従軍して戦場を行くトニイ。信じられないほどの激戦に飛び込んでいく。戦闘場面を撮影するニュースはバンバンものと言われて、他のカメラマンからも尊敬されるのだが、そのスタイルに彼はすぐ熟達した。結果として彼に命があったのは幸運としかいいようがないのだが、怯んだりおびえたりしなかったことが死神から彼を守ったのではないか。だが、自分で書いているように、けっして勇敢な精神の持ち主だったわけではない。ただ、カメラマンという職業に忠実であっただけだ。

彼は、幾人ものアメリカ人記者とコンビを組む。そのなかには、後に花形キャスターとなるテッド・コッペルもいた。タカ派、ハト派のさまざまなタイプがあったが、思想で仕事を選ぶようなことを、トニイはしない。記者とは親友になる必要はない、理解しあえればいいのだ、と書いている。

当初から、アメリカ人のジャーナリストの間では、この戦争は「わるい戦争」という言葉がささやかれていたようだ。戦争にいいとか悪いとか評価するのは納得いかないと、トニイは書いているが、第2次大戦はいい戦争、ベトナム戦争は悪い戦争ということだった。このデンでいけば、その後のイラク戦争もアフガニスタン戦争もみな悪い戦争になるのではないだろうか。

ベトナムから遠く離れた日本で知る戦争は、解放戦線は正しくアメリカは帝国主義の悪と考えられていたが、トニイが見た兵士たちはみな祖国の正義を信じて闘っていた。875高地で戦った空挺旅団は同士討ちのような形でかなりの犠牲が出た。生き残った兵士のインタビューをしていて、トニイは泪を流したと告白している。

さて、トニイは膨大な記録を残し、かなりの分量を保存していたからこそ、克明な手記を表すことができたのだが、私が番組のストーリーとして何を捕まえればいいか、現在迷っている。この切り口を見つけて、企画書にまとめる期限があと4日しかない。いささか焦る。他に書き上げなくてはならないものが2つあるのだ。こんなブログを書いている暇などないはずだが、逆にこうして離れてみるのも大事なことである。と、勝手に合理化している。

 
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by yamato-y | 2010-02-18 11:46 | 新しい番組を構想して | Comments(0)

明日、土曜日放送

明日、土曜日放送

今、教育フェア2009というキャンペーンが行われている。その一つとして先日来編集してきた対話番組が明日放送となる。題して、

ETV50 「こどもたちへ 宮崎駿・養老孟司の対話」
放送日時:09年10月24日(土) 16:00~16:50(50分) 
   
去る9月下旬に京都の国際マンガミュージアムにて宮崎駿・養老孟司の公開対談が行われたものを中心にこの特集番組は構成されている。雑談だが、ゆるやかな主題は今こどもたちに向かっていいたいこと、こどものためにいいたいこととなっている。
二人はこれまで数年にわたって対談を重ねてきた。虫好きの養老さんの虫眼とアニメ作家のアニ眼の宮崎さんという対話の名手がにこにこ笑いながら、世の中をちくんと刺す。そのユーモアは必見。
ただし、対談ばかりではない。二人のそれぞれの活動も当然数度にわたって紹介される。このなかでも、宮崎さんとこどもたちとの関わりは興味深いものがある。ぜひ、ごらんいただきたい。
        
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by yamato-y | 2009-10-23 14:59 | 新しい番組を構想して | Comments(1)

ATP賞グランプリ2009

ATP賞グランプリ2009

22日、「第26回 ATP賞テレビグランプリ2009」受賞式が六本木のハリウッドボウルで行われた。午後4時から表彰式で、今回優秀賞に選ばれた私たちも参加することとなった。

創り手である制作会社のプロデューサーやディレクターが自ら審査委員となって作品を選ぶ、日本で唯一の賞として1984年に創設された。ドラマ部門、ドキュメンタリー部門、情報バラエティ部門の3つのジャンルで作品を募集し、毎年100本を超える応募作品の中から、グランプリ、最優秀賞、優秀賞などが選ばれる。今年は135本となった。

この賞は私にとっても忘れられないもので、今から2年前に「闘う三味線 人間国宝に挑む~文楽 一期一会の舞台~」でドキュメンタリー部門の最優秀賞と総務大臣賞をいただいている。そのときのディレクターと同じ藤田くんが今回もETV特集「全身漫画家~真説・赤塚不二夫論~」で受賞となった。
今年のドキュメンタリーの最優秀は、四川大地震の被災地は今を描いた作品となった。海外取材の肉厚の作品である。私のは、藤田くんと二人だけでこつこつ作って来た手作りものだ。ある意味で、教育テレビの地味な番組にこうして光をあててもらうということは制作者にとって大きな励みである。

表彰式にはプロデューサー、ディレクター、局のプロデューサーの3人が壇上に上がることになっているが、残念ながら局のプロデューサーは生本番があって欠席となった。代わって、赤塚不二夫さんの長女のりえ子さんが登壇してもらうこととなった。受賞のあとのスピーチでりえ子さんは、「昨年、父と母を相次いで失って衝撃を受けたが、この賞でなにか父赤塚不二夫の生き方を認めていただいた気がして本当に嬉しい」と遠慮がちに語っていただいたことが心に残った。

そして、最後に今年のグランプリの投票が行われ、発表。ドラマが選ばれた。仲村トオル主演の「空飛ぶタイヤ」で、放送局はWOWOWであった。受賞スピーチの仲村くんの話がウィットに富んでいてよかった。

終わって、会場からすぐ近くの六本木芋洗坂にある焼き鳥屋へ移動して、赤塚りえ子さんを囲んで仲間うちのささやかな祝勝会となる。

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by yamato-y | 2009-10-23 13:51 | 新しい番組を構想して | Comments(0)

全身写真家、土門拳

全身写真家、土門拳

「土門拳はぶきみである。土門拳のレンズは人や物を底まであばく。」
詩人高村光太郎の評である。1909年、土門は山形県酒田に生まれた。今年は100年目にあたる。彼が写真と出会うのは24歳というから遅い出発だ。それから70歳で倒れて意識不明となり80歳で死ぬことになるが、46年間一環して土門は写真一筋で生きた。全身写真家と呼ぶにふさわしい人生である。

土門は報道写真といわれるドキュメンタリーの分野で、さまざまな試みを行った。原爆から肖像、筑豊、古寺巡礼、文楽まで実に多様な題材をとりあげた。
生前、彼は写真評論家となった娘真魚に語った。「13万コマのネガが残ったが、発表されたのは一部だ。それ以外のものもすべて私の作品である。」恐るべき言葉である。1本も迷いも悔いもないと言っている。

昭和32年(1957)、彼は週刊誌の取材で広島へ向かった。原爆の日が近づく7月末のことである。当時、占領が終わったばかりで、広島の実相というのはほとんど知られていない。取材はABCCという放射線影響研究所を中心とするものであった。そこは、アメリカの放射線の影響を調査する機関で、被爆した人たちを治療する目的をもっていなかった。被爆者はモルモットのようなものであったが、その実体は被爆者には伏せられていた。まだ占領の影響が残っていた。土門はここでは心を動かされない。

そして、同行したライター草柳大蔵から知的障害児の施設「六方学園」の存在を聞いたときから、土門は始動する。そこには、原爆による胎内被爆児たちがいた。やがて、白血病で苦しむ被爆者たちの存在も知り、土門のレンズはそれを追っていく。
結局、土門はこの週刊誌の取材にとどまらず、その年の11月までに広島に5回ほど出向いて5800コマの写真を撮った。
そのときの取材記録として「広島ノート」3冊を、土門は書き残す。これを読むと、彼がいかにして「二人称カメラ」という手法を編み出したか、その生成の過程が分かる。

美しい少女のケロイドの植皮手術を、土門は「一人称」つまり患者自身の目となって、当初撮影しようとした。だが、それでは手術の邪魔をするばかりで、きちんとした表現にはならない。土門は悩んだ。挙句、「二人称の目」を獲得するのだ。手術を施して懸命に治そうとする医師や看護士の目となって、その現場を記録した。23枚の組写真として、写真集「ヒロシマ」の冒頭に配置された。

この写真集は、大江健三郎にも大きな衝撃を与えた。特に23枚の写真に。「私はこの少女の一連の写真に、戦後日本でもっとも明確にされた、人間世界の不条理と人間の虚しいが感動的な勇気の劇を見る」
この写真集の記憶を濃く残したまま、1963年夏、大江は広島に向かう。土門が記録した「広島ノート」は大江の「ヒロシマノート」へと受け継がれていくのだ。

昨日、土門拳の伝記を編集しているOさんと会った。彼は土門の最初の写真集について新しい事実を掘り起こしていた。そこに関わる重要な人物は、私にとっても忘れることのできない絵本作家であった、ということだけ書いておこう。ここから先は、まだ秘密事項に属しているので、いずれ、本格的な取材が始まったら報告したい。

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by yamato-y | 2009-07-03 13:08 | 新しい番組を構想して | Comments(1)

山百合

山百合

 横須賀にもどった静江さんは、やがて国民学校の先生となる。トヨダさんの事を忘れようと一心不乱に働いた。やがて、戦局は悪化。昭和20年に入り、父はレイテ沖海戦で戦死を遂げる。横須賀にも空襲が始まり、児童が疎開することになる。同じ神奈川の山間部、海老名である。そこへ小学生百数名を引き連れて数人の先生たちと学童疎開することになる。若い静江さんにも厳しい仕事となった。親を離れて心細く生きている子供を励まし、空腹に耐えさせることは大変なことであった。日々の労働に追われて、トヨダさんのことも忘れることも少しずつふえていた。

 その日も、海老名のお寺の森を抜けながら、トヨダさんとのことはもう終わったのだと自分に言い聞かせていた。新緑が美しい日であった。
子供たちが待つ宿舎に戻り、部屋の片付けをしているとき、来客ですよと声がかかった。誰だろうと訝しんで縁側に出てみると、庭先にトヨダさんが立っていた。北海道の実家へ帰省し、広島へ帰る途中に立ち寄ったという。横須賀の実家にうかがったら、こちらに来ていると聞いてやってきましたと、トヨダさんは静江さんを見つめてはっきりと語った。静江さんは何が起こったか理解できない。つい先ほどまで、諦めようと自分に言い聞かせていたその人が、3年ぶりに、わざわざ疎開先まで訪ねて来てくれるとは。その日何を話したか、はっきりと覚えていない。

 他の先生方や児童もいるということで、二人だけの話は長くはできなかった。帰っていくとき、静江さんは駅まで送った。その道すがらの風景はよく覚えている。

 現在の静江さんは横須賀の山の上で一人暮らしている。趣味は余った布切れを使ってショッピングバッグを作ることだ。前に私が訪ねたときも一つバッグをもらった。今回も帰りがけに青い布地のバッグをプレゼントしてくれた。これは薄くて丈夫で、図書館に行くときに重宝する。そう告げると、静江さんは嬉しそうに笑った。静江さんの庭は6月にふさわしく紫陽花が咲き誇っているが、納屋の陰におおきな山百合が咲いていた。隠れて咲く百合の花は香しく美しかった。

 疎開先にトヨダさんが訪ねてきたのが5月の末。父の死の悲しみもこらえてきた静江さんのなかで、弾けるものがあった。6月、静江さんは一人で広島のトヨダさんを訪ねて行く。戦争末期の混乱のなか、東海道、山陽道をぬけてはるばる広島まで行く。そして、3日間、二人は話あい、婚約をすることにした。広島文理大の恩師に媒酌を頼むことも決めた。そして、静江さんは帰った。最後に広島駅頭で、トヨダさんが「もう、手紙を書かないでね」と静かに言った。その意味は何なのだろうかと静江さんは考えた。でも、こらえきれずに手紙をそれから2度書いた。そして、2通めは8月に入ってから送った。その手紙が広島文理大に届いたのは8月24日。トヨダさんの手に渡らない。

 その朝8月6日、講義の準備をするということで、朝早くから千田町の文理大の教室にトヨダさんはいた。爆心から1.5kmの位置にあった文理大学は原爆によって破壊され、内部は全焼した。丸い特徴的な頭が真っ黒になって焼けこげているのを、同郷の先輩が発見し、遺骨は故郷北海道に送られる。

 この出来事を静江さんは知らない。広島に新型爆弾が投下されたと聞いても、独身のトヨダさんだから生きているだろうと楽観していた。その死を知るのは一月以上経ってからである。その日から、静江さんの心は凍った。
60年以上にわたって、静江さんの心にトヨダさんのことが封印されたままである。60年経っても癒えることのない心の傷とは何だろうということを、私は知りたいと思う。

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by yamato-y | 2009-06-13 16:49 | 新しい番組を構想して | Comments(0)

山アジサイの花

山アジサイの花

朝の雨は上がって、横須賀塩入に到着する頃にはすっかり晴れ上がった。駅前からバスに乗り坂本郵便局前という山の上の町まであがる。この街のさらに坂の上に静江さんは住んでいる。港町横須賀は至るところ坂の町だ。坂から見下ろすと、潜水艦が4隻ほど港に停留していた。潜水艦なんてしろものは普通の港にはない。やはり、ここは米軍第7艦隊の本拠地だということをあらためて思う。

86歳の静江さんは少し足が不自由だが、1人で元気に暮らしている。長年にわたり小学校の先生をしてきたというだけあって、頭脳明晰、記憶もほとんど衰えていない。今回はもう1人ディレクターといっしょの訪問である。

前にも記したが、静江さんはあの20年8月の広島原爆で恋人を奪われている。彼女自身は被爆していない。だが、心に被爆をしている。奪われた恋人のことを60年以上にわたり思い続けてきた。その静江さんの心の軌跡をたどるような番組を作りたいと、私は2度にわたり横須賀を訪れている。
小高い丘の中腹にある静江さんの家は、戦前からの士官の官舎のままの佇まいである。父上は軍人で、横須賀の海軍兵学校で短期現役の学生たちの指導にあたっていた。その教え子のひとりが、静江さんの恋人の豊田さんである。年は7つ離れていた。若い兵隊をよく家に呼んだ父は、休日など自宅で食事をふるまった。初めて、豊田さんが静江さんの家を訪れたとき静江さんは13歳、豊田さんは20歳だった。床柱にもたれてゆったりと話をしている豊田さんの姿をしっかり、静江さんは覚えている。その部屋は60年経っても同じである。

原爆が投下される3ヶ月前、静江さんは1人で豊田さんに会いに広島へ行った。二人の付き合いは長かったが、愛というものを本気で確認することになるのはそのときである。
広島に知人のいない静江さんは、3日3晩、豊田さんの下宿で話し合い、二人は結婚する決意を固める。それから、まもなく原爆が豊田さんを直撃するのだ。静江さんが豊田さんの死を知るのは1ヶ月以上経過してからのことだ。

それから、静江さんの苦しい心の旅が始まるのだ。戦争が終わり、やがて先生に復職する昭和24年まで、静江さんは毎日、泣いてくらした。トヨダ、ヒロシマ、という言葉を耳にするたび涙を流した。夜、床につくと、左の目から涙が鼻柱を越えて右目に入り、そこから頬を伝って枕を濡らす。「涙で枕を濡らすって、本当のことですね」と、86歳のその人は語る。
そういう話をおよそ3時間にわたって聞いた。
夕方、辞去するとき、静江さんが私たちを呼び止めて、珍しい花を見せてくれた。アジサイの一種だが、大きな花と小さな花が並存する山アジサイだ。梅雨が深まるにつれて、白い花弁は薄いピンクに変わるのですよと、嬉しそうに語ってくれた。
60年も思い続けるというのは、どういうことだろう。もっと、静江さんの心を知りたいと思った。

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by yamato-y | 2009-06-11 20:59 | 新しい番組を構想して | Comments(0)


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