定年再出発  


懐かしい空
by yamato-y
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カテゴリ:センチメンタルな気分で( 7 )

ひとりで酒を飲みながら

ひとりで酒を飲みながら

大磯の家は寒い。一戸建てというのは熱効率が悪いものだ。ガスストーブを2台点けて、電気コタツの電源を入れて、床暖房まで設定しても寒い。
仕方なくワインを口にしながら、久しぶりにこのブログの古い記事を読み返したりしている。
母が倒れたのは2009年8月、なくなったのは12月だから、かれこれ1年になる。早いものだ。このブログを始めたのは2005年の2月。母が死ぬと思っていなかった頃の2007年や2008年の記事を読むと、今更にノーテンキなものだと思う。

京都の大学の帰りに敦賀に寄ったときのことなどが書いてあるのを読んで、なぜあのときもう少し母の話を聞いてやれなかったのかと後悔する。
考えてみれば、この4年ぐらいが、もっとも母と濃密な時間を過ごしていたことになるのか。

寒さを忘れようと、ワインを飲めば飲むほど、頭の芯がさえてくる。
60代の老年のセンチメンタルという「カテゴリー」を新たに設定してみた。このくくりのなかに、私の近年の気分はほとんどすっぽりはまる。

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by yamato-y | 2011-01-29 21:38 | センチメンタルな気分で | Comments(0)

瀑雪の思い出

瀑雪の思い出

今年は北陸の雪が多い。高岡では例年の倍だとテレビが報じていた。
昭和37年、38年、39年の頃雪はとてつもなく降った。なかでも昭和38年はひどかった。毎日雪だった。
青空を見たことがない日が20日以上つづいた。38豪雪という言葉が頭から離れない。

 昭和37年もかなり降った。私は中学校2年生だった。
とにかく町はすっぽり雪のなかに埋もれた。中学校の校庭も1メートルほどの雪で覆われた。校舎のそばは日陰で、おまけに屋根からの雪も重なって特にうずたかく積もった。休み時間になると、よく2階の窓から下の根雪に向かって飛んだ。窓枠に足をかけて、えいっと声をかけて飛び出していく。級友がはやし立てる。高所恐怖症のはずだが、全然怖くなかった。風を切って空中を落下するときわくわくした。そして雪のなかにずぼっと埋まる。両手をついて雪から体を起こすと、ほてった頬に雪が気持ちよかった。

 中学校の教頭はがみがみとうるさい親父だった。怖かった。谷口といったその教頭は、怒ると月形龍之介のような悪相になった。いつも校内をまわって説教を垂れていた。
 廊下で馬跳びをやっていてガラスを割ったことがある。「ガラスが割れました」と職員室に行くと、谷口がすぐ立ち上がって来て、問いただした。「今、何と言った。ガラスが割れたって。」
私は緊張して、うなづいた。
「馬鹿者。ガラスが割れたではなく、ガラスを割りましただろ」といって、頭をごつんとやられた。

 音楽の時間のことだった。授業が始まる前に、やはり2階の音楽室から1階の雪に向かって跳んだ。落下しながら、1階の教室を見ると、そこは教員便所だった。谷口が用をたしていて、私と目があった。
(しまった)と思ったが、もう遅い。雪のなかでもがいていると、谷口がやって来て、「ちょっと、職員室まで来なさい」と声がかかった。
その日、私は音楽の授業に出席することはなかった。職員室で1限中叱られていた。

 なぜ、教頭が私のなかによく現われるのか忘れていたのだが、今思い出した。私の担任は病気で長く休んでいたのだ。教頭は代理で私のクラスの授業を受け持っていたのだ。
宮本円といった担任は、大学を出て5年ほどの若い教師だった。常宮という古い港の由緒ある神社の次男だった。神主の資格ももっていたと思うが、背が高く、宝田明のような甘い面立ちでスマートな先生だった。学生時代に演劇をやっていたとかで、放送クラブの顧問をやっていた。
あるとき、ラジオドラマを作るから、お前も出てみないかと声をかけられたことがある。お調子者だから、芝居なんてこともむいているとでも思ったのだろう。出ることは出たが、台詞を読むのがえらく気恥ずかしかった。宮本が演技を指導して、私がおずおずとセリフを読むと、声がとんだ。
「違う。もっと剽軽なくだけた調子で」。女生徒の前で演ずるなんてとんでもない。恥ずかしいと下を向いた。
 以来、宮本から声がかかると逃げ回っていた。

 夏休みが終わって、2学期が始まっても、宮本は出て来なかった。悪い病気になって、金沢の大学病院に入院していると聞いた。
野球をやっていて、睾丸にボールが当たり、そこが腫れて悪い病気になったらしいと、クラスメイトが教えてくれた。不運な奴だなあと同情はしたが、それほど危機感もなかった。
 あるとき、クラスのなかから代表を選んで、担任を見舞いに行くことになった。学級委員のほかに、私にも声がかかったが、「オレはいいよ」と固辞した。
 見舞いから帰って来た学級委員に聞くと、担任はやせ衰えて淋しそうだったという。なんだか、心が咎めた。
 その年の冬、大雪が降った。
 春が近づく頃、宮本は死んだ。
 クラス全員で葬式に参加した。葬儀は神式だった。榊を渡されて、亡骸の前の祭壇に供えた。
 「宮本先生のお墓はなく、神社の境内にある大杉にいるのだって」と誰かが噂していた。

 敦賀半島のなかほどにある常宮。海のそばの神社の森を思うと胸が熱くなる。
あの時、私はどうして見舞いに行かなかったのか――。 

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by yamato-y | 2011-01-29 09:15 | センチメンタルな気分で | Comments(0)

故郷の廃家

故郷の廃家

5ヶ月ぶりに敦賀の実家に戻った。京都の大学の帰りである。京都駅を出発するときから怖かった。母が亡くなり誰も住んでいない実家に帰ること。年末以来、悲しみといえるような感情は不思議なことに湧かない日が続いていた。だから、この帰郷でその感情が堰を切ったようにあふれ出るのではないかと怖れたのだ。

午後1時過ぎ、実家に着いた。玄関に落ち葉がかなり溜まっていた。いかにも無人の家だ。引き戸を開けて玄関の式台に荷物を置いたまま、私は掃除を始めた。玄関まわりをきれいにしたかった。庭を見渡したところ雑草はない。庭木も雪折れはないようだ。思った以上に家は傷んでいない。

家に入り、母がいつもいた台所に入る。空気がよどんでいる。窓という窓をすべて開け放って風を通す。小寒いが、そんなことも言っておられない。座敷に行くと、小さな机の上に母の遺影が飾ってある。京都で買ってきただし巻き玉子を墓前に供える。母の写真のそばに父のスナップもあるので並べる。「今、もどりました」と二人向かって手を合わせる。

 再びダイニングキッチンに戻る。壁に去年のカレンダーがかかっている。2009年12月の日付のままになっている。母は12月22日に死んだのだ。テーブルの上には母の使っていた茶碗や急須がそのままある。水道も蛇口をひねれば出るし、ガスも点く。なにもかも母のいたときと変わらない。母がいないだけだ。お湯を沸かした。

 床の間に母の大事にしていた品物が積まれてある。アルバムだ。お茶を飲んでから、アルバムを点検することにした。アルバムに整理された写真以外にも小箱のいくつかにぎっしり古い写真が入っている。父親の兵隊時代の写真、母の女学生時代の写真、孫の幼い頃の写真。数百枚の記念写真やスナップがある。いよいよ、この家が整理されるとなると処分の対象になるだろうから、私に関する写真だけえり分けておく。

私の大学生時代の写真が出てきた。ほとんど写真は残さないのだが、海水浴に出かけた22歳の私がいる。いや、もっと古いものもアルバムのなかにはさまっている。小学校4年生のときの作文まである。一つ一つみたり読んだりしていると、あっという間に時間が経つ。ふと気がつくと、部屋は薄暗くなっていた。午後6時に近い。慌てて、近くのスーパーへ買出しに行く。とんかつ弁当と即席スープを買い込む。帰って風呂をたてた。湯船は汚れていない。15分で沸いた。

 熱いお湯にざぶりと漬かる。縁までいっぱいのお湯がざざーっとこぼれる。こぼれた瞬間、どっとこらえていた熱いものがこみあげてきた。

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by yamato-y | 2010-04-25 17:01 | センチメンタルな気分で | Comments(0)

教室の黒板のような背中

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雲の流れが早い
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教室の黒板のような背中

二人の子どもは成人して家を出て行った。夫婦だけになったら家が広すぎると思うようになった。15年前に大磯もみじ山の上に建てたときは嬉しく、家族も喜んでくれた。子どもたちも中学生、小学生で可愛かった。この山中で二人は自然のフシギに出会えるぞと、父親として期待した。おそらく大江健三郎さんの影響があったと思う。

案に相違して、子どもらはあまり自然をいいと感じなかったようだ。山中の家は不便だとぐらいしか思わなかったようだ。詳しいことは、当時私は仕事にかまけて家庭をほとんど顧みていないから分らない。オトナになった彼らに聞くと、「別に」としか家の感想をもたない。ただ、今も子どもらの部屋には幼い彼らのエネルギーが残っている。だから、この家を見棄てるわけには、少なくとも私にはいかない。

休日の昼下がり、空低く雲が流れる。私は庭に出て、荒れた庭の草むしりを始める。春先に草を刈っておいたが、梅雨を越すと、庭にはどくだみを始め草いちごや夏草でジャングルと化している。

ショートパンツに穿き替え、庭ゲタを履いて草をむしる。この家を俺が守らなくて誰が守ると、夜迷いごとをぶつぶついいながら、一本一本草をむしる。これって、内田樹流にいえば、村上春樹の骨頂である「雪かき仕事」と同じではないだろうか。
誰かがやらなくてはいけない、通りの雪かきをせっせとセンチネル(歩哨)のようにやりとげる仕事。ライ麦畑のつかまえて、だ。
いや、ちょっと違うか。村上にしてもサリンジャーにしても、不特定のためのシャドウワークだ。私は、自分の家のことで、自分の利害がからんでいるか。無償の「雪かき仕事」ではないな。
でも、二人のこどもらには、俺は教室の黒板のような背中をもって、草をむしっているのだぞと、少し言い張りたい。

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by yamato-y | 2009-07-25 16:14 | センチメンタルな気分で | Comments(1)

雨音を聞きながら

雨音を聞きながら

サーという音を夢うつつで聞いていた。ぼんやりした眼で窓を見ると、雨。ああ、雨が降っていたのだ。夢のなかでも雨だったよな。

谷間の夢をみた。40年前の出来事とつながる夢だ。そこに住んだことも行ったこともないが、縁のある人の実家がそこにあった。今は誰も住んでいないようだ。その空き家の前を通り過ぎた。

しばらく行って、共通の友人に会った。あの家はどうなったのかと尋ねると、その人も思い出したらしく、お母さんが一人でいたはずと答える。訪ねてみようか、どうしようかとためらううちに目が覚めた。

窓を開けると、冷気がすべりこんでくる。昨日の暑さとはうって変わった肌寒さ。雨は一本の音となって切れ目がない。
こういう夢をみたときは苦手だ。また、過ぎし日のことが芋づる式につながって出てくるから。その幻想が帯びた気分がずっと、私の身内に止まるから。そういうときは人と話したくない。自分の殻に閉じこもっていたい。

それにしてもなぜ谷間なのだろう。ひとは谷間で生まれて、またそこへ帰っていく。そういう谷間。イギリスの詩人、ランディ・トーマスの言葉にそういうことを記していたはず。大江さんから教えていただいた。

一昨日、夜の10時に電話があった。金沢の友人たちだ。数人集まってわいわい盛り上がって、私のところへ電話をしてきたのだ。1学年下のメンバーは今年60歳になり定年をむかえた。そのメンバーたちが中心になって8月4日に同窓会をやろうという呼びかけだった。行きたい。40年前の友たちに会いたい。友だちではない、友たちだ。
あの頃、なぜあれほど憎み合ったのだろう。互いに、世の中をよくしたいと考えていたのに、路線が違うからといって対立した。喧嘩をしたまま卒業し、会う機会もないままの友たち。

藤沢周平の本のタイトルにも取られている古川柳「故郷へ廻る六部は気の弱り」。全国を行脚してきた山伏も、年をとってくるとだんだん故郷の周辺ばかりになってくる、という意味だが。

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by yamato-y | 2009-06-24 09:44 | センチメンタルな気分で | Comments(0)

さくらのことなど

さくらのことなど

さくらというのはフシギな木である。
花は下を向いて咲く。だから花見にちょうどいいのだ。その花が咲くときは、葉っぱはない。花だけだから美しさもひととおりではない。しかも、花が散るときは花しかないから散る花びらがさらに強調される。風に吹かれて散るのもいいが、風もないのにしずこころなく散るのもさらにいい。はらはらと、ほろほろと、散っていく。散った花びらが地上で風に追いたてられて転がるさまも捨てがたい。海に散るさくらも川に散りこめていくさくらもいい。水面に花びらが固まって流れていくのを花筏ということを歳時記で知った。咲くときも散るときも桜の花は美しい。花が咲いているときには虫がつかない。花が終わったあとから、毛虫などがつくようになる。さくらの花の条件はすべて花のもとで宴が出来るようになっている。

長い冬を終えて、春がめぐってきたと同時にさくらは咲くから、それをむかえる人々にとっても愛着はひとしおとなるのだろう。
桜守によれば、さくらの木が四方に張り出した枝の先の所まで根っこを張っているという。すなわち、一本のさくらの帝国は、地上も地下も同じ広さをもっている。

さくらの花の一つ一つは白くみえるが、集まってかたまりで遠めで見れば、うす桃色のさくら色になる。
白いさくらもあるが、やはり味気ない。あおい花弁のさくらもあると聞いた。フゲンという品種らしい。

子どもの頃は植物などに関心が向かなかったが、それでもさくらは心に残っている。
今年もさくらの季節が終わっていく。行く春である。暮の春、暮春となる。ここから春は本格的に始まるのだが、さくらが散るということで何かが終わっていく寂しさを残していく。受験生の頃、一番嫌な言葉は「サクラチル」だった。メールもケータイもない時代、大学入試の合否は電報で届いた。サクラチルは敗残と結びつく。だから、長い間、桜が散ることを愛でる気持ちにはなかなかなれなかった。

山中でさくらを見つけると、とても豊かな気分になる。誰かに見せようとして咲くつもりもない桜でありながら、満開ともなれば豪奢に咲く。まして、落花の時期に行きあたればその幸運を喜ぶ。誰にも知られず、ひっそりと咲く山さくら。それが散っていく日。花は他の誰でもなく私のために散ってくれているのだと感謝の念にかられる。何時間も立ち尽くしていたい。

さくらんぼが成るさくらは、花の咲くさくらとは品種が違うが、ちょうど今ごろに実をつける。昨日、目白のお屋敷町で青い小さな実がいっぱいぶらさがっているのを見た。今年はさくらんぼの成り年だそうだ。

花に遭うことを願う人は多い。特に病を得ている人にとって、花に遭うということは切実にちがいない。来年もまた花に遭えたらと、思う。

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by yamato-y | 2009-04-13 10:05 | センチメンタルな気分で | Comments(0)

碧空

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碧空



ふるさとへ帰って、母と話すことなどない。あるとすれば昔の思い出ばかり。
息子というのは可愛げのないもので、母がはしゃいで話すと白けてぬか返事ばかり。
昔の話をしたとて仕方が無いとテレビばかり見ている。

一人で散歩する。刈り入れの終わった田んぼが白茶けて広がっている。空を仰いだ。青空だ。雲があるから余計に青さが目に沁みる。
タンゴの「碧空」のメロディの一節を思う。アルフレッド・ハウゼの楽団だったのじゃないかな、あのとき流れていたレコードの演奏は。

金沢の橋場町に「橋」という純喫茶があった。地下1階の大きな店内だった。紺の制服を着たウェートレスが3人ほどいた。細長い店内で4人がけの席が縦に並んでいた。酸味のきいたコーヒーは一杯150円だったと思う。その一杯で3時間ほどねばった。友達と何を話したか記憶がないがとりとめもないことをしゃべっていたと思う。ときどきお冷やを頼んでそのときだけしゃべるのを止めて、音楽に耳を傾けた。そこで流れていたのが「碧空」だ。高い空に冷たい風が吹き抜けるような物悲しいメロディだった。

 家にもどり帰省の車中から読み始めたハンナ・アーレントの伝記を手にとる。
ベンヤミンの死に触れた一節に立ち止まる。
1940年、ナチの魔の手を逃れて亡命するためフランスを出国しようとしたところで、ベンヤミンはピレネー山中で逮捕される。前途がないことを知ってベンヤミンはその夜自殺した。彼と交流があったアーレント夫妻はその前に彼から大事な草稿を預かっていた。「歴史哲学テーゼ」である。マルクス主義への共感の後、史的唯物論に対する拒絶を表現したものと伝記作者は記している。えっ。ベンヤミンが最終的に社会主義に幻滅していたことになるのか。迂闊にも(おおいに迂闊)難解なベンヤミンは何度読んでも理解が進まず、印象として反体制、レジスタンスの人というイメージがあったので、社会主義、共産主義の破綻を彼が記しているとは思わなかったのだ。

たしか、この「歴史哲学テーゼ」も20年前に読むには読んだがさっぱり分からなかった。師匠のクボカクの書棚でその本を目にしたので読んだという情けない読書動機だったから浅い読みしかできなかったのだ。家にもどったら晶文社の本を探そう。内田樹によれば読みは人生の成熟とともに深くなるという。そこに期待してみるか。

こよなく晴れた青空を見ているとベンヤミンを思う。白洲正子によれば、感傷と深い悲しみは違うという。青空のベンヤミンは感傷だ。それがなぜ悪いと開き直る。「ベンヤミンの鞄」という本を読んだときからピレネーの宿で自殺するその一夜を映像化したいという思いが生まれた。その思いの根っこはおそらく感傷だと思う。

ふるさとで今話題になっていたのは、12月に上演される「熊谷ホテル」という芝居だ。戦前、敦賀の大島町にあった国際ホテル、熊谷ホテル。昭和20年の空襲で消えたホテルである。昭和初期のそこでの人間模様が描かれる。そのホテルにはユダヤ人のビザで有名な杉原千畝も関わったという。どうやら亡命ユダヤ人が敦賀上陸した顛末などを背景にした演劇らしい。
アーレントは九死に一生を得てアメリカ亡命。ベンヤミンは失敗して自殺。ツヴァイクは半ば成功しつつ自殺。日本へ上陸したユダヤ人はほとんどがアメリカに亡命。アドルノは、ホルクハイマーは、・・・
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敦賀の海。遠い波濤を越えてここまで来たユダヤ人たちがいたのだ。

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by yamato-y | 2007-11-14 14:33 | センチメンタルな気分で | Comments(0)


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