定年再出発  


懐かしい空
by yamato-y
カテゴリ
以前の記事
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
2005年 07月
2005年 06月
2005年 05月
2005年 04月
2005年 03月
2005年 02月

最新のコメント

カテゴリ:魂のこと( 198 )

判子の思い出

判子の思い出

 明日、人事異動の内示がある。私は元いた部に戻ることになった。3年ぶりだ。座席が変わるので今使っている机周りの片付けに追われた。
机の両脇には5つの引き出しがついている。一つずつ中身を取り出して段ボールの箱に詰めて行く。なかには要らなくなった番組資料や映像資料などを処分もしなくてはいけない。見る見るゴミ箱は不要品でいっぱいになる。
 一番下の引き出しの奥から、ピルケースが転がり出て来た。蓋をとってなかを取り出すと、「玉置」と刻んだシャチハタの印鑑が出て来た。

 1992年、私は広島局にチーフで赴任した。同時に副部長で移動したのが玉置さんだ。入局は私より1、2年遅かったが年齢は同じである。「明るい農村」などドキュメンタリーを作ってきた人だから気があった。大きな笑い声を好もしく思った。見かけによらず繊細で気配りの人でもあった。
 出身を聞けば、私の実家から遠くない尾張一宮出身で、由緒のあるお寺の次男だということだった。私は相棒として頼りにした。

 赴任から1ヶ月忙しく働いた。前任者の引き継ぎを果たすだけいっぱいで、日々の仕事に追われた。
広島局の宿命として、夏の原爆の日の特集をたえず考えておくことが要求される。私は、隣席の玉置さんと頭をよせあって相談した。お互い家族を東京に置いての単身赴任。夕食を兼ねて二人で居酒屋で盃を交わしながら議論した。
着任して2ヶ月余り、夏が近づいた頃だ。彼は体調を崩した。2、3日会社を休んだ。お互い単身赴任の身だったから、毎朝夕の食事がたいへんだろうなあと同情した。
 会社へ出てきたときにはやつれていた。我慢強い彼が少し弱音を吐いた。「ちょっと広島では治療するには不便なので、申し訳ないのですが東京の自宅へ一旦帰させてくれませんか」と遠慮気味に言った。思った以上に容態はよくないのだなと私は思い、すぐに帰京するよう薦めた。

 そして東京で養生をすること10日。突然、広島へ戻って来た。予期しない言葉を彼は口にした。
「私は癌になりました。進行が早いようです。当分、広島を離れて東京の病院に入院することになりました。」
晴天の霹靂だった。まさか、柔道選手のような頑健な体の持ち主が癌に侵されるなんて。まだ44歳にも満たないのにそんなことがあるだろうか、私は半信半疑だった。
 だが彼の目は真剣だった。(本当に玉置ちゃんは癌にかかったのだ。最悪のことも覚悟しているみたいだ)
 私は何と言っていいかわからず、「きっと早くよくなって、現場に復帰することを約束してくれるね」と気休めのようなことを私は言った。(今でも、なぜあんな言葉しか言えなかったか、自分の愚かさを後悔する)
 いつもサービス精神旺盛な彼は真顔のままぼそりと言った。「約束は難しいかもしれません」 あのときの玉置さんの顔を忘れることがない。普段は人なつこい笑顔の持ち主だが、そのときは白ちゃけた無表情で、私の目をじっと見ていた。あまりのまっすぐな眼差しに私は思わず逸らした。

 その夏の終わり彼は死んだ。広島から彼の故郷尾張一宮まで私は飛んだ。祭壇に向かって手を合わせ、遺影を眺めながら、広島最後の日のことを思い浮かべた。
 退社する前に、彼は自分の印鑑を握って私の前に立った。「何か私関係の決済で必要があったら、この印鑑でお願いします。」といって、小さな判子を私に預けた。

 その判子は彼が亡くなりバタバタしているうちに、ご遺族に返す機会を失った。私の引き出しの奥に留まることになる。
3年後、広島から東京へ転勤になった。その印鑑をもって私は東京の放送センターに移った。「玉置ちゃん、いっしょに帰ろう」と判子を握りながら思った。
 以来15年、その判子は私の引き出しの奥にひっそり眠っていた。

 本日、玉置さんと若い頃同じ部にいたOさんのもとへ届けた。遅くなりましたが奥様にお返ししますと伝えてほしいと託した。

来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング

[PR]
by yamato-y | 2010-06-18 00:07 | 魂のこと | Comments(0)

グェンティ・ホンハウさん

ハウちゃん

ハウちゃんは京都大学の大学院で学んでいる、ベトナム難民の2世だ。彼女は父母たちが逃げてきたこの日本で生まれた。国籍がない。
彼女が学ぶキャンパスで、カメラは不躾に「ハウちゃんは何人ですか」と問う。イタズラっぽく彼女は「えーっ」と驚きながら、その質問は受け付けないですと拒絶する。なぜと重ねて問うと「自分自身にそれを問うことを止めたから、意味ないと思う」と答える。20代のどこにでもいる女性の真意を見せないはぐらかした言い方だ。
だが、ぽろっと一言もらす。「無国籍を共有してくれる人がいなくて、ずっと孤独でした」

彼女の両親が住む栃木県那須烏山。ハウちゃんは帰省していく。一戸建ての立派な家に父と母は住んでいた。12年ほど前に中古を購入。そうするために爪に灯をともして必死で働いたと母は証言する。だが、不況のため、父は突然リストラされ、母も仕事がない。厳しい情況にあっても、父母は笑みを絶やさない。
ベトナムをなぜ出たかと、父に問うことをハウちゃんは好まない。父は、「こどもの将来と自由のため」と答えるに決まっている。父の自由という言葉がハウちゃんにはひっかかる。その自由は、今どこにあるのか。ベトナムを出てやってきたこの日本にその自由はあったのか――

前橋にあるベトナム難民の有志が住むあかつきの村。元は100人ほどの難民が住んでいたがそれぞれ独立して出て行った。その後、日本社会のなかで傷ついた人たちが舞い戻って住んでいる。言葉の問題、重労働、人間関係などで心を病むに至った人たちだ。ハウちゃんは18歳のときからここに通って、村人たちとも顔なじみだ。そのひとりドクさんは新潟の鉄工場で自動車部品を作っていたが、心を病んで村に帰ってきた。病んだ人たちはもの静かで、心優しい人たちだということが画面のうえからも伝わってくる。その人たちとハウちゃんは久闊を叙しながら、ハウちゃんはその人たちを思いやる。その人たちを見るハウちゃんの眼差しは悲しくも優しい。

このリポートの最後に、カメラは再びハウちゃんに質問する。「あなたにとって無国籍って何ですか」質問に直接ハウちゃんは答えず、「これからも、今までどおり生きていきます」口調が強い。
「無国籍のままで?どうして」「国籍が与えられなかったから」カメラを見据えるようにしてハウちゃんは言葉を発する。「今私にあるものが大事。この村もそのひとつ」
そのインタビューの最中に、ドクさんがそっとやって来て苺を差し入れする。ハウちゃんは逆にカメラに「この施設へ来てどう思いましたか」と問い返す。「苺をくれる優しい人たち」とカメラの傍のディレクターは答えた。
「なぜ、そういう(優しい)人たちに社会に居場所がないのですか。なんで社会が受け入れてくれないのか腹が立ちます」と振り絞るようにハウちゃんは語りながら、大粒の泪をぽろっとこぼす。それを振り切るように、ハウちゃんは「でもここが私の居場所。だから国籍などなくっていい。大切な居場所がいっぱいあるから」
華奢で穏やかなハウちゃんが、悲しみに顔を歪める。その怒りのような悲しみが、私の胸深く刺さった。

 海老坂武の文章を立ち読み。モンテーニュは30代40代とずっと死にこだわっていた。だが50代になってからは、死のことを考えるのでなく、今生きていることを考えたほうがいいと考えるようになったというエピソードを海老坂は記している。このエピソードがハウちゃんの悲しみの怒りと私のなかで響きあう。

来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング

[PR]
by yamato-y | 2010-03-17 14:15 | 魂のこと | Comments(0)

無国籍

無国籍

すばらしいドキュメントを「遅れて」見た。昨年3月に放送された「無国籍〜忘れられた人々」というハイビジョン特集だ。
この番組で、日本に、国籍がない人がざっと2000人もいると聞いて驚いたことから始まる。無国籍−−この社会でどうやって生きることができるのだろうというのが、その人たちの存在を知っての最初の驚きのような疑問だった。
その形態はいろいろなものがあるが、本来の国であった所を難民のようにして出て日本にたどり着いた形や、親が亡命のようにして国籍を捨てるかなくすかして日本へやって来て、そこで生まれた子供たちは当然のようにして国籍をもたないというかもてないままにという形などがある。

 番組の主人公は、自身が無国籍である一人の女性。彼女が、無国籍の現場を見て回るという仕組みになっている。5つか6つほどの現場が出て来るが、私はあるベトナム難民の子として無国籍になった女子大生の挿話が一番心に残った。

彼女は京都の大学で学んでいる。親は群馬県に住んでいる。京都で彼女にディレクターが質問する。「あなたは何人ですか」すると彼女はそれには答えないと返事する。そんなことをいくら考えても意味がないからと、やや投げやり気味に返事をする。

そして、シーンが切り替わって、彼女は群馬の実家へ帰省していく。そこには両親が家を建てて住んでいた。一見優雅なくらしだ。だが20年ほど前に、ベトナム難民として此の地にやって来て苦労してその暮らしを築いたことが次第に知れてくる。最初は数家族のベトナム人たちが厚生寮のような施設で片寄せあって生きてきた。やがて、独立して一戸建てにそれぞれ暮らすようになるが、元の寮へ舞い戻った人たちもいた。
それは心を病んだ人たちだった。
偏狭な日本社会にあって、差別や偏見のなかで、心を病むことになったベトナムの人たちだ。
そこへ帰っていったときに、くだんの女子大生はそれまでの見せていた皮肉屋の仮面を振り捨てる。必死になって平静をとりつくろうとするが、彼女の美しい瞳から美しい涙が次から次へと溢れてくる。そこで語る言葉のなんという美しさ、凄さ。言葉でまとめることができないほど、映像的な秀逸の表現だ。
この点は、DVDを見たばかりの今の段階では私は語れない。もう少し時間をおいて考えたい。
ただ、シークエンスは久しぶりに映像のもつ力ということをあらためて認識させてくれた。私は最近になく感動した。

来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング

[PR]
by yamato-y | 2010-03-16 23:43 | 魂のこと | Comments(0)

神秘の人びと

神秘の人びと

家の書棚をのぞいていたら、1996年発行の『神秘の人びと』という古井由吉の小説を見つけた。買ってはみたものの頭だけ読んで放っておいた本だ。古井という作家は難解だがなにか気になるところがあって、新刊が出る都度購入だけはしている。

今回、読んでみて分かったのは、この小説を書いたとき、古井は大病を患ったばかりだったのだ。闘病四ヵ月というから、かなり篤いものだったのだろう。当人も死ぬか生きるかの病と記している。その回復期に書かれたという文章は、今の私にとって親しい。つい、夜が更けるのも忘れて読んだ。

神秘思想というのは気になる。この小説の中心には13世紀のドイツの宗教思想家エックハルトの説教をめぐる言説というか、この言説をめぐる筆者の思いのようなものだ。
こんな話がある。ある修道士が神をあきらかに見たので、信仰を失ったという。普通なら神を見れば信仰が深まるわけではないか。なぜ、信仰を失うのか。信仰を失ったからといって背教者になったわけでなく、その人物は聖人になったという。聖なる背理というべきかと古井は書いている。神というはたらきというのは人智で計り知れない。その存在を認知することは常人ではありえない。ところが、歴史上、ときどきその神を見たという人たちが出現する。そういう人々のことに関心をもつ古井がこの書を表した。古井はドイツ語の教師でもあった。実は、私の教養部時代に講師として金沢に赴任していたことがある。そういうこともあって古井に親しみをもつ。

古井はこの作品のテキストとして、エックハルトを選んだ。私も前からこの中世の神秘思想家のことが気になっていたので、この本はジャストミートというところか。読了したところで、この本の感想を書くことにして、冒頭の章のなかで気になった箇所を抜書きしておく。
神を識ることと、神を信ずることは違うという指摘。この箇所にわたしは感じ入り、思わず目からウロコであった。神は見えず、聞こえず、触れずだからこそその存在を“信じる”のだ。見えて、聞こえて、触れて識ることが出来るなら、それは信じることではない。
昨年の母の通夜の折、牧師から教えてもらった東方教会の密教。「人には考えてはならないこともある」という言葉が甦ってくる。

古井が紹介するエピソード。ある労働することに熱心な女の座右の銘。神が語った言葉だと、その女は言ったという。

「病みくるしみほど、そなたはわたしにとって愛しき者となる。
 人から蔑まれるほどに、そなたはわたしに近くなる。
 貧しくなるほどに、そなたはわたしにひとしくなる。」

来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング

[PR]
by yamato-y | 2010-01-29 12:15 | 魂のこと | Comments(0)

朝焼けを見ながら

 朝焼けを見ながら

昨夜、なにげなく点けたテレビで「二本の木」というドキュメンタリーが放映されていた。途中から見始めたのだが、主人公の小沢爽という名前にぴくんと反応して見入った。
私たちの先輩の体験を描いた作品だと、すぐ感じた。先日届いたOB倶楽部の物故者名簿にその名前を見ていたから。
案の定、番組の進みゆきで私の直感が正しかったことを知る。意外なことに彼の癌との闘いがメインでなく、彼の妻が小細胞癌で病んで倒れ、それを介護しているうちに、小沢さん本人も癌であることを知るという展開となっていく。つまり、平成19年の初めに妻が亡くなり、その半年後に夫も他界するという出来事を描いていたのだ。

小沢夫妻は初任地の北見で知り合い結婚したようだ(途中からの視聴なので推測だが)。40年間連れ添って、かつ互いに尊敬しあっているという羨むべき関係。かつ、妻のchioさんは洗礼を受けており洗礼名はルチア(光)。小沢さんは深い知性をもつ教養人。この二人の最期の日々が二人の日記をもとに”再現”される。

 テレビに見入っていると、家人たちからは、「よくこんな重いテーマの番組を見るね」と驚かれながら、身じろぎもせず最後まで見た。

内容については、もっと考えて感想を書くことにしたい。今の私は、このような”英雄的な死”を臨むことができるのだろうかという自問に対して、どう答えたらいいのだろうかと考えることで精一杯だ。
昨年後半に起きた母の死への接近に際しても、母の魂についてしっかり見守っただろうかと問えば否としか答えが出て来ない。病の進捗ばかりに目を奪われ、その対応、対策に汲々としていたとしか言えない。その臨終にも、「明るいほうへ歩んでいきなさい」という英雄的な言葉を母にかけることもなく、ただ死にゆく母の状態を見つめるしかなかった。

もしも私に、小沢さんのような情況が与えられたとして、かくも自分を温容に受け止めることができるだろうか。
この問いに対しても答えは苦い思いを抱えながら今は留保する。

この数年、時間をかけてポストモダンの言説、デリダ、ラカン、バルトなどから遡ってハイデガー、ヘーゲルやカントなどの哲学の解説書を読むことがあった。一方、神谷美恵子や中野孝次、大江健三郎など人生の秘密を知りたいと読む進める一群の本たちがあった。
哲学と宗教の間とは差異とは何か、なかなか分からなかったが、今回の「二本の木」を見ながら、はっと感じるものがある。

人生の仕組みの原理的なことをトータルに分からなくとも、現下の魂の渇きに安らぎと救いを与える言葉があるということ。
なんだか当たり前のことだが、このことを掴んだような気が、「二本の木」を見ながらした。

6時15分に目が覚めて、しばらくベッドのなかで以上のようなことを考えていた。それから起き出してパソコンに向かって書いている。朝のしじまのなかでぼんやりとした頭でぼんやりと考えたことを書いている。ふと気がつくと窓の外に朝焼けが始まっていた。ベランダの窓越しに銀杏の枯れ木がすっくと立っている。そこに雀たちが寄ってくる。さえずりが賑やかになる。
ベッドのそばに鏡があってのぞきこむと、シルエットの私が写っている。顔は見えない。右手を揚げたり下げたりして、おいオレはまだ生きているぞと、合図を送ってみたりもする。

「二本の木」の最後にタイトルロールが出て、制作統括に私と机を並べている同僚の名前が出ていた。なんだ、私の部で制作していたのだ。知らなかった。そういえば、この同僚から賀状が届いていた。今年は賀状を出せない理由があったと詫びるハガキを本日書く予定にしているが、彼にはこの感想を少し書いておこう。

来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング

[PR]
by yamato-y | 2010-01-10 09:14 | 魂のこと | Comments(0)

小鳥になった人へ

小鳥になった人へ

♪小鳥(ことり)はとっても 歌(うた)がすき
母(かあ)さん呼(よ)ぶのも 歌でよぶ
ピピピピピ
チチチチチ ピチクリピイ

今夜はこの歌を歌い、心を通わせたい。
この世で会ったときから、ずっと話をしてきた。言葉はいつもそばにあった。
だが、小鳥の言葉になった。懸命に話しても、小鳥語になる。それでいいんだよ。
もう人の言葉を話さなくてもいいのだよ。あなたはけっして傲慢ではない。いつも謙虚に生きた。安らかに、小鳥語を話してください。
「若き日の頬は清らに わずらいの影なく おん身今あでにうるわし されどおもあせても」
あんなに輝いていた日々があったが、今は面も褪せてしまった。
だが、「わが心は変わる日なく おん身をば慕いて」そして、「ひまわりの陽をば恋うごと とこしえに思わん」
ぼくは、嵐の夜に、この歌に満腔の感謝をこめて歌う。

あなたの後ろをやはりまたついて歩いていきますよ。きっとあなたは一番好きな五月の風の中に佇んでいることでしょう。

来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング

[PR]
by yamato-y | 2009-12-11 21:12 | 魂のこと | Comments(2)

エピファニー

エピファニー

1998年に出版された『魂よ、目覚めよ』という書を週末手にしている。表紙を開くと、「道 門脇佳吉恵存」と著者のサインが入っている。この本の前書きに私の名前が登場する。
「未来潮流・哲学者門脇佳吉の魂をめぐる対話」(1997年4月放送)に出演した門脇師は放送後、内容に「不満」だと私にもらした。対話が取材の20分の一にカットされ、門脇師の意図した思想内容が充分表現されていなかったというのだ。
私は積み残したことがあるなら、それを本に書いたらどうかと勧めた。その結果、この書を著すことになったと、まえがきに門脇師は記している。私としては、番組制作者として複雑な気持ちだったので、この書を書棚に置いたまま向かいあうこともなく10年が過ぎていた。

門脇師は上智大学の名誉教授でカトリックの司祭。さらに禅の師家でもある。この書の第一章で、「死と再生」のドラマについて大江健三郎の経験を例に出している。長男光と共生するに至る大江さんの苦難の道のりである。共に生きていこうと決意するときに受けた「一撃」こそ、「顕現(エピファニー)」であったことをおよそ20年かけて大江さんは知ったと、門脇師は書いて、大江の一文を引用している。
《そうだった。自分に障害を持って生まれてきた息子にこそ、顕現としての人間存在の破壊されえぬこと(インディストラクティビリティー)を示されたのだった。》

 この大江さんの体験は実際に私自身もインタビューもしてよく知っていた。だが、本日、そのエピソードのある部分に目が留まり打撃を受けた。「この障害児と共生していけるだろうか、もし、この児と共生して行かねばならないとしたら、小説家でありつづけることは不可能かもしれない、この児を闇に葬って小説を書くことができるなら・・・・・、」

この児を闇に葬って、という文字に釘付けになった。まさに死と再生の「死」である。そういう体験を経て再生へと導かれるというエリアーデの言葉は、頭では理解するものの、たやすいものではない。「一粒の麦」にしてもそうだ。《一粒の麦が落ちて死ねば、多くの実を結ぶ》といわれても、その最初に来る「死」をどうやって受容できよう。受け入れることもできず暗い闇のなかをさ迷うようなもの。

門脇師は、聖書の神は隠れているという。――沈黙の、隠れた神。
この書で門脇と対話する主要な人物が、作家加賀乙彦。彼は、門脇師から洗礼を受けていた。その加賀が「祈り」ということに言及する。
《祈ることがどれほど現代人にとって大事なことか。隠れたところで祈れとイエスが言っているとおりに、誰もいないところでこっそりと、しばしば真っ暗闇のところで祈ります。》

この書の導くところを考えて以上のような文章を書いたものの、読み返してみると、判然としないところが多々ある。私ですらどうしていいのか分からないのだから、ましてやこの文を外から読む人にはもっと理解不能のはずだ。それは分かっている。分かっているが、記しておかずにいられない。この文章を閃いたとき、なぜタイトルを「死と再生」、「祈り」とせず、「エピファニー」としたのかも分からないまま・・・。

来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング

[PR]
by yamato-y | 2009-09-13 12:10 | 魂のこと | Comments(1)

恩寵

恩寵

苦しいことが続いた週末、思いもかけないところから穴が開いた。
しみじみ、社会というのは人のつながりだと思う。一人でやきもきして推測しているときには分からなかった善意がそこにあった。

このところ、窮境ということともに大江さんの生き方を思うことが多い。光さんが障害をもって生まれたとき、その死を思って(願っていたという意味ではないか)退廃していた。私が学んできたフランスユマニスムはそういうものではないということではなかったかと、あるとき大江さんは気がつく。そして、悔い改めて光さんと共生していく道を選ぶ。

数年後、脳に障害をもち話すこともままならない光さんを連れて、北軽井沢の別荘の近くの池まで散歩に出かけた。夏の終りの夕暮れだった。ダケカンバのなかでくいなが鳴いた。ふだんは物をほとんど言わない光さんが「クイナです」とアナウンサー口調でいった。最初にその声を聞いたとき、大江さんは偶然そう言っただけだろうと思い過ごすつもりでいた。その一方、もしかすると偶然でないかもしれない、もし偶然でないとすれば、光のなかに思いもかけない可能性があることになる。偶然でなく、本当に認識して光は語ったということを顕示してくださいと、大江さんは祈った。信仰をもたないものの祈りである。それから、次のクイナが鳴くまで大江さんは渾身から祈った。後に、あれほど祈ったことはないと、大江さんは述懐している。

―-そして、クイナが鳴いた。「クイナです」と再び光さんは言った。

この出来事を「恩寵」だと、大江さんは考えている。
この恩寵に近い出来事に、今日、ついさきほど出会った。あらためて、今朝までの私は退廃のなかにあったとつぶやくしかない。

来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング

[PR]
by yamato-y | 2009-09-07 16:32 | 魂のこと | Comments(0)

女ひとり大地を行く

女ひとり大地を行く

娘が来て、DVDを見るというので、そばで見た。ヴィムヴェンダースの「アメリカ家族のいる風景」だ。ご相伴で見始めたのだが、この映画は私の映画だと思った。
サム・シェハードの主演する60前後のB級西部劇映画スター、ハワード。若い頃は好きなことをやりつづけてきたくせに、人生の終わりが見えてきた途端に人生が分からなくなり、仕事の現場であるロケ地から逃亡する。そして、生まれ故郷に帰り、30年も会わなかった母親と再会。
そこで、意外な事実を知らされる。彼が放埓な映画スターだった頃、西部劇のロケ地モンタナで知り合った女との間に息子がいると、母親から知らされるのだ。

この60前後の男が故郷へ帰って、母から叱られる光景は、ここ数年京都の帰りに立ち寄ったふるさとで、母と対話したものと似ていて、身につまされる。
好き勝手なことをやってきた60歳の男が、死ぬということがみえてきた段階で人生に悔いを持ち始めるというストーリー。こんなに格好いいものではないが、番組作りに打ち込み、家族や親のことなどお構いなしに走って来て、定年と同時に自分を見失ったという私。・・・娘の映画ではなく私の映画だと言ったのはそのことだ。

映画の物語は、まだ見ぬ息子を探していく旅となっていく。西部のうらぶれた中都市、そこに昔の女はいた。今はウェイトレスになって店を任せられている女ドリーン。この役を中年となってさらに味わい深くなっているジェシカ・ラングが演じている。ドリーンは30年前に映画スターのお手つきにあって子供を身籠り、そして生んだ。子供が生まれたときだけ、ハワードの母に連絡してきたが、その後は、未婚の母でありながら、息子をよく育て、人生を誇り高く生きている。そこへハワードはのこのこ顔を出し、おまけに彼女にいっしょに暮らそうかと言う。それに対するジェシカの反撃がいい。
今更なんだ、自分が逃げたくなると利用しようとする根性。ハワードでなくカワード(卑怯者)だと罵倒する。
―そして、別れ際に、男に寄って、最後の口付けを与える。そして、未練もなくさっと振り切っていく。この未婚の母の誇り。人間としての勝利。

ここで、私は太田静子、治子の母子を思い出した。戦時下に太宰治と出会い、戦後まもなく結ばれた静子と太宰。そして、子早い女はこどもを身籠った。それを知ったときから太宰は静子を遠ざけていく。邪険な態度をとられても、静子は毅然と治子を生み、育てていくことを決意したのだ。
私はドリーンの美しい生き方に感動した。同様に、太田静子の選んだ生き方にも感動する。
あとで、調べてみると、主演のサム・シェハードとジェシカ・ラングは本当の夫婦だという。さすがだ。見事な演技であるし、サムもジェシカも最高の知性だ。

缶ビールを片手にこの文章を書いているから支離滅裂となってきた。だが、今も昔も、未婚の母を生きぬく困難は並大抵ではないはずだ。未婚の母という体験ではないが、アグネス・スメドレーという女性もまた独立的(インディペンデント)に生きた人だ。彼女の著書に「女ひとり大地を行く」があった。この映画、そして太田静子の生き方を思っていると、この本のタイトルが頭に浮かんだ。

この映画の原題は「Don't come knocking」。英語は苦手だが「ノックしに来ないで」とでもいう意味だろうか。これってドーリーのセリフにちがいない。ところで、この映画にはもうひとり魅力的な女性が登場する。それはもうひとりの隠し子の娘スカイだ。

来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング

[PR]
by yamato-y | 2009-08-30 14:55 | 魂のこと | Comments(1)

大気がある星で

大気がある星で

 下町の住む人からリクェストされたことが心に響いた。母の詠んだ短歌が、私以外にも感じてもらえることがあるということを、私ははじめて知った。
歌の背景や環境、事情が分からない人には、この歌が伝えようとしているところなど見えてこないだろうと、私は思い込んでいた。

 文学というのものは普遍的なものをもっているということは、文学理論を勉強してきた者として知ってはいたが、まさか母の短歌がそれにあたるとは到底思えなかったから、そんな大それたことは考えてもいなかった。

 高度な表現を備えておらず、身の回りのことしか詠んではいない。それでも、雪の日のクリスマスのことや、遺影に向かう夏帽子のことなどを、わがことのように感じとっていただけることがあるのだということを今回知った。それを知ったときは驚きであり喜びともなった。この出来事を早く母に伝えてやりたい。下町の人、ありがとうございます。よかったら渋谷神山町までご連絡ください。

 元気だった頃に短歌について母に聞いたことがある。あんたはどんな歌が好きなのか。ちょっと思案してから母は言った。
「斎藤史さんのような短歌は立派だと思うけれど、私はやはり石川啄木のような分かりやすい短歌が好きだし、そういう歌を詠みたい」斎藤さんは現代を代表する歌人で、高い教育を受けた女性らしく人生の深淵を詠んだ歌が多い。2.26事件にも関わったことがあり高い調子の歌が特徴である。母はそういう短歌は尊敬するが好きではないということだった。
今、まとめて母の歌を読むと、たしかに調べがよく分かりやすい歌が多いことに気がつく。

 前にも書いたが、ダンテの「神曲」には天国と地獄と煉獄が出て来る。地獄には大気がなく業火が燃え盛ったままだが、煉獄には大気があって雨が降り風が吹く。だから緑がある。
私たちが生きている此の世界にも大気がある。夏の暑い日差しがあって汗をだらだら流し、秋風が吹いてくしゃみをする。憎らしげに夾竹桃の赤い花が咲き誇る。こんな何気ないことでも、生きているということにつながっていく。

 この数日、テレビを見ても映像がしっかり入ってこない。町を歩いていても、ときどき昔の思い出がフラッシュバックして顕われる。昨日もりんかい線に乗ってお台場のほうへ向かっているとき、揺れる電車のつり革越しに少年時代のラジオ体操の姿が浮かんだ。私ということではなく、こどもたちが体操をしている早朝という光景のようなものを見た、というか感じた。

 残暑がきびしいせいもあるかもしれないが食欲がない。これといって食べたいものはない。昨夜は仕事仲間と久しぶりに焼き肉を食べるには食べたが、酒もそれほど呑まなかった。これから、ETV特集「太宰治」の最後の正念場にさしかかるのだが、いつものような闘志がわいてこない。来月の集中講義のためのノート作りも身がはいらない。奮い立たせなくてはと自分に言い聞かせているのだが、どこか他人事のように思えてしまう。
 
 昨日の朝、藤沢駅で人身事故が発生し、電車のなかに50分閉じ込められた。走行時間も含むと2時間電車に乗っていた。冷房がきつかったので、途中から下腹がしくしくした。我慢していると冷たい汗が流れた。窓の外の線路脇の夏草が風に揺れていた。
このとき、妙にはっきりと、私は生きていると実感した。

来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング

[PR]
by yamato-y | 2009-08-28 10:19 | 魂のこと | Comments(2)


その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧