定年再出発  


懐かしい空
by yamato-y
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カテゴリ:登羊亭日乗( 610 )

9月3日

9月3日

 久しぶりに多忙な日となっている。
まず本日9月3日は家人の誕生日であり、亡き父の命日でもある。不思議な重なりかただ。
東邦医大の検診の日でもある。10時から、主治医のN先生のもとへ出向いて、この1ヶ月間の体調を調べていただくのだ。
猛暑だったにもかかわらず、おかげさまで体調はなんとか維持できたと思うが、ここ数日多忙が続いたのでドクターの目でチェックしてもらおうと思う。
 さらに、本日夕方に生本番をかかえている。4時50分から5時10分までの「夕どきネットワーク」のなかの「あのときのことを忘れない」というコーナーだ。ディレクターはO君で、ここ2、3日徹夜で編集をしている。私も一昨日から、何度も試写を繰り返して、番組事務局との折衝を重ねて来た。主人公はサッカーの元日本代表、武田修宏さん(43)。彼の半生のなかで、人生の転機となった事象をVTRで浮き彫りにして、その当時の思いをスタジオで聞くというスタイルだ。

 昨夜は、「夕どきネットワーク」のキャスター、番組プロデューサー、デスクらが立ち会うなか、武田さんの経歴を紹介するビデオの試写を行った。数日来繰り返して来た編集の最終の関門となるのだが、毎回ここで紛糾することがあると聞いていたので、久しぶりに緊張した。
運良く、キャスターはスポーツアナウンサー出身で武田さんのことをよく知っていて、私たちが立てた命題にはそれほど大きな異義もなく、およそ1時間でパスすることが出来た。その後、自室にもどって、ナレーションのコメントの最後の直し、テロップの確認を済ませて、オフィスを出たのが10時近くとなっていた。ディレクターはまだ居残って仕上げの作業を続けていた。

 本番である本日は、夕方4時にゲストの武田さんが局にやって来る。それから小1時間で番組の段取り打ち合わせをして、生本番に入って行く。私も病院からすぐ現場に駆けつけて、その対応にあたる。
「夕どきネットワーク」は6時までの生放送で、その後反省会を終えると、仕事のあがりは8時近くになるだろう。

 そのあと、道玄坂の編集室で行われている「清元三味線」の試写に向かうことに私はなっている。
先月24日に国立劇場で行われた「芸の神髄」リサイタルでの模様を中心とした90分のドキュメンタリーを、現在編集している。ディレクターはベテランのF君だ。今年の初めから、主人公の清元延寿太夫と清元梅吉両氏を追いかけて来て、およそ1200時間近い映像が撮影されてある。それを90分にまとめようと奮闘している。26日から編集作業を開始して、本日がまず第一回目の私の試写となる。このあと10回ほど試写が繰り返されることになるが、最初というのは番組の骨格が決まる作業なので、試写を単に行うというより、物語をどう構築するかということを相談する場となる。
 試写は9時から開始して、およそ100分ほどの荒く編集されたものを見るとなると、試写終わりが10時40分過ぎ。それから議論をすると、どんなに早くても深夜0時まではかかるだろう。議論を終え、今後の作業の打ち合わせをして、渋谷駅まで走って行けば、終電にはぎりぎりで間に合う時刻になるだろう。長い1日となる。まあ、明日は休日だから、ゆっくり休もう。

 それにしても、私は40代、50代はこんな仕事のやり方を毎日のように繰り返して来たのだ。これでは、1995年脳出血、2010年胃がんと大病を重ねるのは当然だと、今更に思う。でも止められない。締め切りに追い込まれて、ぎりぎりと編集したりコメントを考えていたりするときが一番燃えるのだから。生きている実感がするのだから。

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by yamato-y | 2010-09-03 07:32 | 登羊亭日乗 | Comments(0)

おーい、後輩

おーい、後輩

大磯の家に戻ると後輩から手紙が届いていた。
今から20年も前になるだろうか。その彼と教育テレビの「ETV8」という番組グループで机を並べていた。そこは、いろいろな番組部、例えば教養部、青少年部、科学部などから古ツワモノが寄せ集められてきた、寄り合い所帯だった。というか、各部では古参となって目障りな存在になったので、一箇所に煩い親父様たちを集めたといった趣だった。格好良く言えば、「独立愚連隊」。
数々の名作をものしてきたテレビ第2世代のツワモノたちが8人ほどいて、ヒラは私と後輩の二人だけだった。おっと、デスクもまだ管理職じゃなかったから、ヒラは3人、管理職のディレクターが8人、プロデューサーが一人という、今では考えられない組み合わせのぐるーぷだった。

だが、ここの居心地は悪くなかった。くだらないジェラシーや反発がなく、いい番組を作れば年少であろうと褒められ、手を抜いた番組を仕上げれば遠慮なく批判された。裏表がない分、楽といえば楽だった。
私と後輩は、センパイたちの高説(親父様たちはすぐに自慢をしたり、説教を垂れたりした)に隠れて、自分のやりたい企画をどしどしやった。大伴昌司を発見したのもこの時期であるし富士正晴や大江健三郎と出会ったのもこの番組セクションだった。
ただひとりの後輩は科学部出身だったが、人文系の番組をなかなか器用に作りあげていた。むろん、自分の得意分野の科学ネタについては追随を許さないものをいくつもものした。

数年後、後輩はこの会社を退職して、民放の報道へ転身した。30代半ばの転身だから、きっとやりたい新しいジャンルが彼に出来たのだろうと、私は眺めていた。その後、私は広島に転勤し、帰ってきてすぐ脳内出血を発症し、やがて出向となり現在に至ることとなる。
その20年の間に、後輩も大きな病気を患い、仕事においても曲折があったようだ。
彼もそろそろ定年をむかえる時期となった。その節目を間近にしながら、新しい道を探しているという報告が、本日落手した手紙に書いてあった。

彼ともう一度いっしょに仕事をやってみたい気がする。たとえ20年離れていても、あの頃に培ったPD感覚は今も同じだろう。ディレクター魂というか、己の番組を必死で守りぬいて、形に仕上げていくという精神。
私とて今ではゴール間近となり、ばりばり仕事をしているわけでなく、年に数本のドキュメントをこつこつ作るだけだが、それでも自分が立てた企画で世に問う喜びは少しも減退していない。
こういう場で、また相互に批評しながら番組を制作することが出来たらどんなに楽しいことだろう。とにかく、一度会って彼の話を聞きたいものだ。

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by yamato-y | 2010-06-13 20:04 | 登羊亭日乗 | Comments(0)

辛らつな人

辛らつな人

本日4月13日は斎藤緑雨の命日だ、ということを偶然知った。八木福次郎の「目出度き死去」という文章のなかに、斎藤緑雨が明治37年4月13日に死んだと書かれてあって、なんだ今日じゃないかと稍驚き、うれしくなってちょっと書いてみたくなった。

といっても、この人の作品をほとんど読んだことはない。樋口一葉の友人で、彼女を世に出すために努力した人としか知らない。自分も貧乏なくせして、一葉全集の校訂を引き受け、遺族の生活を請け負う一方、彼女の日記を手元にとどめ、死ぬ直前に友人の馬場孤蝶に託した。そういう情の篤い面があるのだが、一方辛らつな批評もたくさん書いたらしい。洒脱な気分もあったらしい。ゲーテ流行を揶揄したあの有名なバレ句は彼の作品だ。「ギョエテとは、おれのことかとゲーテ言ひ」。西洋コンプレックスの同時代人をカラカッテイル。

昨夜は正宗白鳥を寝しなに読んだ。荷風をこき下ろして論争になった件の文章を読んだ。白鳥の文章はきびきびしていて読みやすい。
白鳥は荷風に愛着を感じながら辛口で評しているのだが、荷風はその辛らつな愛情に耐えられない。せっかくの白鳥の「好意」に目をそむけて、抗議までしている。粋をモットーにした荷風の態度が野暮にみえ、無骨な手つきで荷風をいなし可愛がっている白鳥が粋にみえる。それにしても、この辛らつな白鳥大人がキリスト教に信仰をもち、ダンテを愛読していたと知るとあらたな興味も湧いてくる。

斎藤緑雨は1968年、慶応3年(すぐ明治元年)生まれだから、ほとんど私はその作品を読まなかったし、生き方も知らない。でも、なんとなく白鳥のような、辛らつにして情篤い人物ではないかと思われる。私の知る作家の範囲でいえば、大岡昇平のようなウルサイ人物だったのじゃないかと想像する。身近な存在でいえば、私の師匠ともいうべき評論家久保覚もそういう人だった。久保はブレヒトを敬愛し、その友ベンヤミンを愛読し、花田清輝を評価した。これらの人たちも緑雨と同系のタイプ。辛らつにしてやさしき人。

斎藤緑雨は西行同様自分の死を悟っていた。死去する2日前に友人の孤蝶を枕元に呼んで、次の句を口述筆記させた。「僕本月本日を以て目出度死去致候間此段広告仕候也四月十三日」その本日にぴたりと死んだ。彼は本所の自宅で大往生した。享年36。早い死と思われるが、当人は目出度きと記している。どこまでも天邪鬼。

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by yamato-y | 2010-04-13 11:58 | 登羊亭日乗 | Comments(0)

思い出すままに

思い出すままに

小泉文夫が、世界の音楽を聴いて回ったがそのなかで清元は最高だと語ったことがある。そんな言葉はずっと忘れていたが、昨夜の酒席でふと思い出した。
今年、その清元をめぐるドキュメンタリーを制作する。願ってもない機会だ。心してその表現造形を観察し、演奏を聞かせていただくという至福を存分に味わおう。

先輩のYさんと病気の話で盛り上がった。中年を過ぎれば健康診断を定期的に受けることは大事だと二人は納得。健診の話題でひとしきり。
私はMRIのマシーンに入るのが苦手だと告白。あの閉鎖空間に押し込められて3分もたなかったと、恥をしのんで告白した。というのは、家族たちから私の振る舞いは臆病ではないかと揶揄されていて口惜しい思いをしているからで、恥の気分をぬぐうのはなかなか難しい。
それを聞いたYさんは即座にアドバイスを呉れた。
「ガガーリンを思えばいいのさ」
1961年に打ち上げられたソ連のボストーク1号に乗り組んだ宇宙飛行士、それがガガーリンだ。人類で最初に宇宙に飛び出た人だ。当時のロケットはまだ不完全で、回収すら運次第というおそろしく危険な乗り物だった。居住スペースなどという概念はなく、操縦席に固定されて身動きがとれない状態に置かれていた。
打ち上げられたのが61年の4月12日の6時7分で、着陸したのが7時55分。1時間8分は座席に釘付けになっていた。いや、出発前から固定されていたから2時間以上は動けなかったわけだ。ガガーリンはこの非人間的な装置に2時間耐えた。
それに比べれば、MRIの10分くらい、というのがYさんの忠告である。なるほど、これからMRI検査を受けるときは、このエピソードを思い出すことにしよう。

コンラッドの題を想起させる、辻原登の新著『闇の奥』。4月に出版されたばかりだ。手にとってぱらぱらとページを繰っているうちに引き込まれた。読みが止らない。文中に啄木の短歌が引用されており、しばし繰る手が止る。
誰が見てもわれをなつかしくなるごとき長き手紙を書きたき夕(ゆうべ)
『一握の砂』に収録されているそうだ。前に読んだときは気にならなかったのに、なぜ今心に留まるのだろうか。

京都の好きな路地に石塀小路がある。夜半、酔余でそのあたりを歩き回る。時雨と出会いながら歩けばさらに陶然とする。風雅を感じる。
これと同じ感覚をイタリア・ペルージャの路地で味わったことがある。初秋の中部イタリアは夜も深々としていた。山吹色の街灯が路地にぼんやり浮かんでいた。『須賀敦子が歩いた道』という写真エッセー集を見ていて、その路地の名前を知った。「極楽通り」―ヴィア・デル・パラディーソ。パラディーソ――パラダイスだから「天国」と訳したい気がするが、須賀は極楽と記している。イタリア語の達人が訳すのだから正しいのだろうが、この言葉は特別の響きをもっている。キリシタンの美しいオラショに私のなかでつながっていく。

♪パライゾの寺にぞ 参ろやなぁ パライゾの寺とは 申するやなぁ 広いな寺とは 申するやなぁ 広いな狭いは 我が胸に 在るぞやなぁ

この歌を、今村昌平の映画「復讐するは我にあり」のなかで三国連太郎が歌っていた。彼の役は五島出身の漁師で潜伏キリシタンの末裔だったのだ。


 
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by yamato-y | 2010-04-07 14:51 | 登羊亭日乗 | Comments(1)

春は来るとも

春は来るとも

 順調に恢復していることに少し浮かれていたのかもしれない。
今年の冬はひときわ寒さが身にしみるから、春が早く来てほしい、桜を早く見たいと密かに思っていた。昨日の朝、沈丁花の実がまっかになっているのを見て、春はもうすぐと喜んだりしていた。年々歳々花相似たりにばかり心が向かっていた。年々歳々人同じからずという言葉を忘れていた。

 だが、よく考えてみると、春は異動の季節でもある。新しい出会いもあるが、新しい別れもある。この年齢になってみると出会える喜びよりもむしろ別れがつらい。
午前5時半、カラスが騒ぎはじめ夜が白みはじめた。ベッドの上で来し方を思い、別れを考えていると、明けにくい夜はますます明けない。

 大江さんが贈ってくれた、まだ振り返ることをやめよという三好達治の言葉は理解するものの、還暦を過ぎた者には振り返ることのほうが機会としては多くなる。振り返るなかで、親しい人が私のシーンから去っていくのはせつない。

 飛躍するが、高峰秀子という人はこういうセンチメントや名声というものから超然としているそうだ。人生の達人というか、人生のツワモノらしい。映画の盟友であった成瀬巳喜男についてインタビューをさせてほしいという申し出があったときも、「それが、どんな意味があるの」と断ったと、最新の著『高峰秀子の流儀』に書かれてあった。成瀬と高峰の間については、二人が分かっていればいいことであって、別に他人に聞かせる話でもあるまいというのが、高峰の真情らしい。この伊藤一刀斎のような鋭い切れ味を見せつけられると、一言もないが、凡人にはそれほど鮮やかにモノ事を切ることはできない。

 昨夜、新しい別れを聞かされて落ち込んだ。体力も衰え気力も薄まれば、現役を降りることもあるだろう。と頭では理解するものの、いっしょに歩いてきた人がいなくなることは淋しい。年寄りだけではない、若い世代もまた同じところに止まらず、新しいステージへと旅立つこともあろう。同朋がひとりまたひとりと離れて行く。エリオットの言葉を思い出す。「四月は最も残酷な月」(April is the cruelest month)

 ネットニュースを見たら、立松和平さんが急逝していた。私と同年だ。80年代に何度か番組でご一緒した。最後に会ったのは、6年ほど前に沖縄で「課外授業」をロケしたときだ。仕事を終えて、那覇空港の食堂でスタッフと時間待ちしていたとき、隣にいた。久闊を互いに叙して、再び別れたが、そのときも元気があまりなかった。フィールド派だったから、こんなに早く逝くとは思わなかったと関係者のコメントがあるが、私には彼の死は意外ではなかった。
それほど近い人でもないが、それでも同世代としての死はひとつの別れ。

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by yamato-y | 2010-02-10 07:24 | 登羊亭日乗 | Comments(0)

エネルギー交換

エネルギー交換

2時の打ち合わせの企画書を午前中しゃかりきで作成し、会議に臨んだ。
ひとつはマイケル・ジャクソン、もうひとつは遺伝子の企画。両方とも事務局は関心を示してくれたが、いずれも構成要素や切り口のやり直しを求められることになった。
書き直しのことはいつものことだからへこみはしない。むしろ、主題をめぐって意見を丁々発止やりとりすることに充実感をもつ。アドレナリンがどっと出てきて、精神が高揚してくる。

人と会って、話を交わすということだけでも大きなエネルギーの交換をしているのだと痛感する。終わって多少疲れは残るものの、番組のイメージを互いに検討しあうということは実にスリリングで楽しい。

お礼がてら局長室へ行った。局長が私に病院へ行って調べてもらえと忠告してくれたことが、そもそも今回の病発見につながっている。
おかげさまで大事に至らず、無事生還できましたと報告。最近の番組群はいいものが多いですねと褒めると、局長は嬉しそうな表情になった。ETVの日本、朝鮮の1000年の最終回力作でしたと、素直に喜びを表明。

広島の話題になった。原爆ドームが建っている中島町あたりは、戦前は繁華街だった。映画館や風呂屋、シモタヤが軒を連ねる町は原爆で一瞬のうちに消えた。その町をコンピュータ・グラフィックスで復元している映画監督を、局長は会ったらいいですよと紹介してくれた。これまでにない新しい視点の被爆の実相を伝える番組を出来ないですかねえという私の意見に答えてくれたのだ。
「アバター」の世界的大ヒットを仕掛けた、ジェームズ・キャメロン監督は、次のテーマを広島、長崎の悲劇だという話が今起きているとか。ちょっと気になる。

久しぶりに局の廊下を歩いていると、いろいろな人から声がかかる。「元気そうじゃないですか」と挨拶されると少しは痩せたんだぜと、同情を惹きたくなるのは、甘ったれた根性だからか。

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by yamato-y | 2010-02-03 16:34 | 登羊亭日乗 | Comments(0)

雪の朝

雪の朝

昨夜はよく降った。午前0時過ぎには牡丹雪のような大きな粒の雪が吹き降ろしていた。10メートル先が見えないほどであった。
明けて、一転、からりと晴れた。残雪が光っている。まぶしい。ひさしぶりの雪景色となった。7時頃には鳥がせわしくさえずっていたが、8時を回ると聞こえなくなり、やがて高速道路の車音が低く響いてくる。雪による徐行運転だろう。

2月。東京はこれからが雪の季節だ。昭和11年の26日は前夜からかなり積もったと、大伴昌司の母堂四至本アイさんから聞いたことがある。大伴が生まれてまもない時、産院を出て家に戻ろうと思ったら、都心のあちこちで交通止めにあった。アイさんは後で知るのだが、”反乱軍”が交通規制をしていた。2・26事件が勃発したのだ。

私はといえば、この2、3日、食事で往生している。多くは食べられないのだ。体力をつけねばと無理に食べても半分になった胃は処理しきれず食物は塊のまま滞留する。おくびが上がってきて、胸がやけたような不快感がながく残る。加えて、便秘ぎみである。腹筋が弱くなったせいであろうか、スムーズに排出しない。気にかけまいと思っても、厠に行けばつい気にしてしまう。便秘を気にしているのは、先日、次弟が腸閉塞を起こして大騒ぎしたことが影響しているにちがいない。母の葬儀の終わった夜に、救急で運び込まれて開腹手術を受けて弟は一命をとりとめたのだが、その騒動と私の便秘がイメージでつながっているらしい。気にすればするほど、うざいのだが、無意識に居座るイメージはなかなか離れない。人間の体というのは、かなりイメージに左右されるもののようだ。人間の体というのはよく出来ているものだと、体を壊して初めて悟る。
 手術後、体重が3キロ落ちた。腹の肉を削ったこともあるが、絶食の影響であろう。丸かった顎がとがってきた。なんとなく腰が細くなった気がする。このまま体重を65キロまで落としたい気もする。20代の体型に戻るのだ。そうすれば、太って着られなくなった服も活用できるぞ。そんな軽口をたたいたら家人が憤然とした。「周りで看護する人のことも考えなさい」「あまり体重が減少したら、体力が落ちて、別の病を併発することだってあるでしょうが」
こんな大病をして、どうも私はまだ懲りていないようだ。

明日、お試し出社する予定。2月5日に収録される大江さんのインタビューの準備の打ち合わせを、明日行っておこうと考えている。
1ヶ月ぶりの会社なので、他にも連絡事項がいくつかある。それらを今日中に整理しておかなくてはならない。こんな仕事のことを書いたら、幾人かからシゴトモードにすぐに入るなと忠告のコメントをもらった。ゆっくり休養をとれと親切な助言だ。
分かっているが、もうそろそろ限界だ。何もしないで本ばかりを読む生活も辛い。かといって、60代の今後は新しい仕事などそれほど多くないのだから、自戒してスローペースを作らねば、先行き自分が辛くなる。この病気を機会に後期人生の設計を再度見直すべきだと考えてはいるのだが。

朝の瞑想のなかで、高山と神戸の友人が現れた。大学時代の親友である。3人で昭和43年の夏に敦賀で遊んだ。その後高山は故郷に帰って教育者となり、神戸は中退して業界紙の記者となった。卒業してまもなくは親交があったが、30を過ぎたあたりから互いに忙しくなり年賀状のやりとりだけの付き合いとなった。今朝、ふと敦賀湾で舟を浮かべて鯵釣りをしたことが思い出されたのだ。群青の海に向かって釣り糸を垂らして、舟に寝転がって見ていた青空。

9時半過ぎ。陽が翳った。さきほどまで雪が溶けかかっていたのだが、空が曇ってまた生気を雪は取り戻したようだ。静かだ。まるで休日の朝のように物音がしない。

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by yamato-y | 2010-02-02 09:42 | 登羊亭日乗 | Comments(0)

眩しい光のなかで

眩しい光のなかで

ベランダから向かいの空き地に聳える大銀杏を眺める。見事な黄葉だ。黄色の塊が朝の光を浴びて輝いている。逆光が葉を透かして躍る。姿は見えないが、黄色の葉群らのなかから冬鳥の声がしきりにしている。黒い影が動くたびに、銀杏の葉がはらはらと落ちる。いや、そうではない。鳥の影などなくても葉は次々と舞い落ちている。師走になったのだ。
教科書で覚えた銀杏の短歌がのど元まで出掛かっているのだが思い出せない。内容は覚えているのだが、歌そのものが出て来ない。夕日に照らされた銀杏の葉がまるで小鳥のようにしきりと落ちていく、という内容だ。朝日と夕日の違いはあれ、光を浴びた銀杏という美しさを詠んでいた。ちらりほらりと落ちていく様は黄金の小鳥だ。

「寝床のなかで蜜柑を食べるのはやめて下さい」と家人に言われた。
ここ半月、朝、蜜柑を口にほお張りながら、本を読むことが続いた。ローティの解釈学や三谷隆正の『幸福論』、渡辺二郎の『自己を見つめる』といった書は、頭をしっかりさせないとページがなかなか進まない。蜜柑を食べて唾液を出して、頭のなかが動き出すようにして読む。こうしないと、たった1行ですら読みこなせないと感じて、ついつい蜜柑を寝床のなかに持ち込むことが多くなったのだ。
布団をたたむと、蜜柑の皮の切れ端がぽろぽろ零れてくるだけでなく、時にはシーツに黄色い汁のシミまでついているから止めて、と家人は要求する。分かっているが、今朝も小さな蜜柑を枕の上に置いて、高井有一の『半日の放浪』を読んだ。自選短編集だからすぐ読めた。64歳の退職した男の話である。
「私」は自宅の立ち退きをする前日に、一人で銀座にふらりと出かけて、出会った事柄に内心ぶつぶつ言いながら、その夕刻に灯りがともった家に帰りつくまでの話だ。定年前後のサラリーマンの貧しい交友を半ば僻みながら半ば苛立ちながら見つめている筆致に共感した。
 こんな言葉があった。《三人の仲間のうち、一人が落魄していたら必ず割勘にしなくてはいけない。》
《昨日まで私も、あのように同僚と連れ立って食事に出、あのような口ぶりで話をした。どんな取り止めもない話も、どこかで仕事と関わってきたような気がする。》

私の会社で、隣に座る男は弁当を持参している。理由を聞いたら、「あるとき、異動で周りに知っている者が誰もいなくなったことがあってさ、飯をいっしょに食べに行くのがいなくなってね。惨めに思えたから、自分を守ろうと思ってこうしているのだ」と答えた。普段、強気の男だったから意外に思えたと同時に、その寂しさがなんとなく分かった。

そんなことをぼんやり思いながら、蜜柑の皮を剥いて頬張った。小ぶりのその蜜柑は甘かったので得をした気になった。銀杏の黄色と蜜柑の黄色はまた少し違う。


思い出そうとしたのは晶子の作品だった。
「金色の ちひさき鳥のかたちして 銀杏ちるなり夕日の岡に   与謝野晶子」

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by yamato-y | 2009-12-06 10:21 | 登羊亭日乗 | Comments(0)

粗暴さ

粗暴さ

ギリシア的な存在論的哲学の世界――普遍とは何か、永遠や不変の存在とはと問うこと。
ということばかりの世界でもない、この世は。実際に私は隣の他者と話も交わすし共感することも反発することもある。永遠や普遍と無縁にしても日常は動いている。2007年に死んだアメリカの哲学者リチャード・ローティの伝記を読んでいて、下世話の生身の人生の意義のようなことを考え込んだ。

このところ、三谷隆正の『幸福論』でオーセンティックな考えに心が占められていたから、ローティのアカデミックな粗暴さが新鮮に思えたのだろう。

人生的な粗暴さに、最近次々と遭遇する。
昨日、私が関係していたラジオ番組が潰えた。年末特集の類例のない番組を作るべく動いていた人たちを私は支援していた。そのネタ自体この1年ほどあたためてきたものだから、大事に取り扱ってきた。一応、素材も準備が出来、出演者も決定し、対外広報の段取りも終えていた。いよいよ来週に本番収録となる手はずで進んでいた。
それが、あるお調子者のくだらない軽口で、あっと言う間に消えたのだ。その話を聞いたとき、一瞬耳を疑った。そんな馬鹿なことをやるものだろうか、表現なんてことに関わっているような人間がそんな不用意な発言をするものだろうか、と半信半疑だった。
だが、実際にそういう粗暴さがあったのだ。

話は飛躍するが、民主党の動きを見ていても、歴史の粗暴さを感じる。当初から分かっていたこととはいえ、首相の政治献金の問題噴出や普天間基地、核密約問題など、難問が船出して巡航に入ろうとするこの段階で起きてくるという事実。

このところ、先週放送された立花隆のNスペが話題となっている。自身の癌を見つめて、思索を深めていくこの物語は、大人たちに感動を与えた。
そこで語られていたことは、癌はヒトの存在そのものと深く結びついたものではないかという知見。癌をめぐる人間の粗暴的存在。

土曜日の朝、寝床で書いているこの記事は、ひょっとすると壮大な勘違いの上のことかもしれない。ローティの伝記の副題「リベラル・アイロニスト」という語に刺激されて書いたのだから。このアイロニーと粗暴とは別個のものかもしれないが、今朝の私にはどうしても分かつことができない衝動がある。

それにしてもローティという人物の少年時代は興味深い。両親がトロツキーの支援者であったというのだ。トロツキーの秘書を匿ってもいた。最初はアメリカ共産党の機関紙「ニューマッセズ」の愛読者であったがスターリンの「革命」に幻滅し、その後ネオ保守主義に転じていったというローティ一族の流れ。
だが、2007年に死去したローティは晩年にブッシュの愚かさを痛烈に批判している。

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by yamato-y | 2009-11-28 10:46 | 登羊亭日乗 | Comments(0)

句会から離れて

句会から離れて

先週の22日に句会があったのだが参加できなかった。つい、母のことで足が重くなり投句することもままならない。
ときどき、書店で俳句の本を見つけると思わず手にとるのだが、作る衝動までいかない。
今朝は暖かい。田園都市線に揺られて、病院まで行った。朝早いこともあって、電車は混んでいた。

昨日は武蔵野を歩き、夕方には東銀座に出た。
歌舞伎座で行われていた忠臣蔵の千秋楽だった。清元延寿太夫さんが出演している。楽日だったが、番組決定の報告にあがった。
4時過ぎ、幕が下りて楽屋に延寿太夫さんがもどってきた。周りには御付の方がおおぜい取り巻いている。そこを分け入って御挨拶すると、丁寧に返礼していただいた。

夕方の銀座をぶらぶら。師走が近づいている。町を行く人たちがなんとなく足早だ。今年の御酉様は3だろうか4だろうか。歌舞伎座、築地、御酉様、と並べれば、なんとなく万太郎か真砂女を思い出す。

帰りの地下鉄では、柄にもなく経済学の新書を読む。『生きるための経済学~〈選択の自由〉からの脱却』。ついぞ、眼にしたことがない経済の術語に四苦八苦しながら、それでも2章読みきった。なにしろ、この本にはフロムの「自由からの逃走」が登場するのだ。懐かしい名前である。今から40年前、大学に入った頃話題になっていた本だ。40年隔てて、やっとフロムの言う自由からの逃走が分かったような気になる。

帰りついて、社のデスクの上に新刊が数冊届いていた。なかに、「思想地図」があり、今回のテーマは「想像力」となっている。面白そうだが、まず現在読んでいるものから片付けないと。この経済本の延長にマイケル・ジャクソンの企画が横たわっている、という触れ込みで読んでいるのだ。

他に届いていた本は、研究仲間の山口誠さんの『「地球の歩き方」の歩き方』。うまいタイトルだなあ。装丁も「地球の歩き方」の味わいたっぷり。もう一つは、『革命をプロデュースした日本人』。梅屋庄吉の孫である小坂文乃さんの労作だ。

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by yamato-y | 2009-11-26 13:17 | 登羊亭日乗 | Comments(1)


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