定年再出発  


懐かしい空
by yamato-y
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百日紅

百日紅

 冷たい雨が白金キャンパスに降っている。真ん中にパレットゾーンと呼ばれる中央広場。今は第三限の授業中だから誰もいない。
とそこへ、リュックをしょった幸せ薄そうな女子がとぼとぼと本館に向かって歩いて來る。傘をさしていない。
その姿を5階の演習室の窓から私は見ている。女子は気がついていない。そんなこともあるだろう。誰にも見られていないと無防備になっていることも。実は思わぬ所から見られていることなんて。特にハイポジションは盲点だ。

 キャンパスのパレットゾーンには20本ほどの百日紅(さるすべり)の並木がある。

7月には小ぶりの赤い花をつけた。夏休みに入る前のキャンパスは、はち切れそうな若さで沸騰していた。百日紅の花は何食わぬ顔でさわさわと風に揺れていた。

8月の終わりになると、花が散りはじめた。風が吹くと小さな花びらが粉雪のように舞った。

それでも今年の百日紅の花はひときわ長かった。飽きもせず、私は毎週金曜日百日紅の紅い花を見ていた。

 百日紅可憐なままで秋となり

 夏休みが終わって、秋学期が始まっても花は残っていた。10月に入ってようやく花は散り、青い小さな実が枝先にぶら下がった。
 この頃になって、なんで百日紅という漢字で記すか、分かった。
 花が長いのだ。7月末から9月末まで、およそ百日。百日の間、紅い花が静かに咲いていたのだ。
 こんなことを思いながら、金曜日第3限の演習室に私はひとりで居る。本日は、受講生全員ロケに出ている。ロケの第1日目だ。私はひとりで演習室にいて、みんなの帰りを待っている。

 半袖か長袖にするか秋雨

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by yamato-y | 2017-10-13 23:06 | Comments(0)

ブラームスを聞きながら

ブラームスを聞きながら

今週は、月曜から金曜までの5日間、番組リサーチを行っていた。企画を立ち上げ本撮影に入る前に、そのテーマの概要をゆるやかに把握するのだ。久しぶりに番組作りに関わりいささか興奮した。 といっても作業はきつい。とにかく朝11時から夕方5時まで、休憩なしで一軒の家にあるすべての遺品を調べるのだ。体は動かさないのだが、疲れがひどい。
ひとつひとつの品物の由来、関係などをあたりをつけて検分するのだから、見た目以上に神経を使う。
 東京西南、洗足池のほとりにそのお宅はあり、そこの主は昨年6月に58歳の若さで死去した。魂のヴァイオリニスト若林暢さん。26歳のとき、結婚で渡米し、ジュリアード音楽院に進んだ経歴をもつ。優秀な暢(のぶ)さんは、そこの名物教師ドロシー・ディレイに可愛がられ、めきめき腕を上げる。1年後にニューヨーク国際芸術家コンクールで優勝、その秋にはポーランドで開かれたヴィニエフスキ音楽コンクールで入賞するなどめざましい活躍をする。
 そして、カーネギーホールで初のリサイタルを開くほどになった。ひとも羨む栄光に包まれていた。其の彼女が、10年後に日本へ帰国したが、それほど大きな活躍もせず、評判もとらないまま人生を送ったとされる。
 その存在は一般の人には有名ではなかったが、音楽家のなかではその実力は高く評価されていた。つまり素晴らしい演奏家でありながら、その存在は世間にはほとんど知られずに一生を終えることになったのだ。なぜだろう。其の謎を解いてみたい思いに駆られた。前取材を始めたのだ。

暢さんはライブの演奏を重んじて、レコード録音には消極的な人だったので生涯2枚しかCDを残していない。ロンドンとケルンで収録している。そのひとつ、ロンドンで録音した「ブラームス ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」を本日聴いた。

ーなんてはろばろとした音色か、繊細であでやかで優しい響き。聞くうちに若林暢の世界にすっかり引きづり込まれた。魅了された。こんな素晴らしい才能がなぜスリープすることになったのだろうか。今の私には気になって仕方が無い。

 最後に弁解めくが、若林暢は生前まったく無名であったわけではない。地方の公演を丁寧に廻り、若い高校生の才能を導くことに力を入れたとして知られてはいる。だが、海外で活躍していた暢さんの栄光は、後年の日本ではほとんど省みられず、知る人ぞ知るという状態であった。その人が、死後出したCD「魂のヴァイオリニスト」が今人々の心をとらえてはなさない。

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by yamato-y | 2017-09-15 22:16 | Comments(0)

青春とは貧しくかつ尊いもの

夏の終わりに

 集中講義のため、この1週間は京都にいた。朝から夕刻まで連続の講義が5日間も続く。ほっこりもしたが、学生らのキラキラした眼差しに語ること充実を感じた一週間だった。
 おりしも真夏日が失せて秋風の吹く時期と重なり、過ごしやすい日々が続くことになった。暮れると、美しい半月が東山の上にぽっかり浮かんだ。

 二人の亡き人を偲ぶことになった。一人は12年前に教えたF君。もう一人は40年前職場で机を並べたHさんだ。F君は7月末に34歳の若さでこの世を去った。死因は白血病。鹿児島の高校教師であった彼の葬儀に50名の教え子が参列したと聞いた。寡黙で心優しいF君らしいエピソードを追悼の集いで聞いた。その集いは出町柳の鴨川デルタで行われた。同級生たち5人が仕事を終えた午後6時、京大吉田キャンパスからほど近い鴨川の河原に集まり、F君の在りし日の想い出を語り合うこととなった。穏やかな夜で、鴨川のせせらぎが懐かしく耳に響いた。
 このデルタは、「ドキュメント72時間」にも登場して、そこに集う若者群像を描いて評判になった「聖地」。私らもそれに倣って、デルタの最先端の「剣先」に円陣を組んで、亡くなったF君の冥福を祈った。1分間の黙祷の間、鴨川のせせらぎがやけに大きく響いた。F君の人生を思うと、同じ鹿児島出身で高校教師であった、俳人篠原鳳作の短い一生とその代表句が浮かんで来た。
しんしんと肺碧きまでの海の旅

 もう一人のHさんのご自宅は山科にあるので、講義をすべて終えた土曜日の午前に訪問した。奥様と長女のともちゃんが私を待っていてくれた。78歳になっても頑健でかくしゃくとしていたHさんが、突然この春におなかに痛みを覚えて入院したそうだ。調べてみると膵臓にやっかいな癌が発生したのだ。それから数ヶ月の病と闘って、Hさんは幽冥の境を越えて行った。病と闘ってと記したが、尊厳死協会の幹部でもあったHさんはすべての治療を放棄して、静かな末期を選んだと、奥様から聞く。

 Hさんのお宅を辞去して、京阪電車で三条京阪の駅まで向かう。ここで大阪に住む長女とその連れ合いと待ち合わせて、北白川のお寺を二つ訪ねた。曼殊院と詩仙堂である。両方とも夏の終わりとあって参拝する人が疎らで、実に穏やかで楽しい時間をおくることができた。

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by yamato-y | 2017-09-05 00:53 | Comments(1)

ペタペタを読みながら

ペタペタを読みながら

 昨日の「山の日」も今日の土曜日、明日の日曜日もまったく関係ない。毎日が日曜日の夏休みだと、今何曜日だったか忘れることもしばしば。昼から酒を飲んでも咎められることもなく、ネットサーフィンして不倫記事を読みふけっても文句も言われず、ご大層な身分だ。
 しかし、こんなにホリディが続くとさすがに居心地が悪い。なにかずる休みをしている罪悪感がむくむくと頭をもたげてくる。そんなこと気にするなと言い聞かせても、47年間つちかった勤め人根性は一朝一夕には消えない。

 面壁5分。「そうだ、月末の集中講義の授業案を再考しよう」と思いついた。8月28日の月曜日から9月1日の金曜日まで京都の大学で開講する映像メディア論。連続5日間にわたって、終日映像メディアをめぐっての議論を展開するのだ。私が一方的に話をするのでなく、学生諸君の反論、批評に期待をしている。このスタイルはもう5年程続けているが、今年はより活気づく議論を引き出したい。どうすれば学生の重い口を開くことができるか、これを角を飲みながら考えることにした。(これをカクウチという)

 去年同講座の実施したノートをなぞるなんてことはしない。むしろ、今年のM大学で講じた映像論をたたき台にしよう。そこで、15回あった授業のそれぞれのサブテーマをペタペタ(ポストイット)に書き出し、ベッドの横の壁に貼付けてみた。
 1、ドキュメンタリー(番組)には作為あり
 2、人間を描くことが最高
 3、死者も主人公だ、ただし映像は過去を描くのが苦手
 4、映像の編集はEDITでなくCUTだ、モンタージュという武器
 5、自分なりのライフワークを作ろう
 6、サブカルチャーも立派な対象(ターゲット)
 7、カメラマンの偉大なチカラ
 8、アートドキュメンタリー/止まった画をどうやって動画に
 9、証言はチカラ、インタビューはタカラ
 10、社会変動・その1 日本人と戦争
 11、社会変動・その2 被爆の苦
 12、社会変動・その3 人災/不条理な被曝 
 13、社会変動・その4 世界の戦争
 14、作為と悪意
 15、まとめ

 授業の一こまは90分あるから、テーマに相応しい見本を一部試写をすることになっている。大半が私自身の作品である。例えば、3は「もう一度、投げたかった」で、主人公は故津田恒美投手。5は大江健三郎の生き方ということで、「響きあう父と子」。6は戦争画で小早川秋聲をとりあげている。私以外の人が作った作品も数本あって、10は若い女性ディレクターの「祖父と鉄砲玉」。12は3・11の名作「ネットワークが作る放射能汚染地図」。

 さて、ここからが思案。もっと大胆に映像の特性を訴える構成ないしは素材はどうしたらいいか。本番まで2週間あるから、ひとつじっくり考えて行こう。

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by yamato-y | 2017-08-12 16:00 | Comments(0)

広島から遠く離れて

広島の日の、次の日(広島から遠く離れて)

 広島局から東京の本部にもどったのが1995年。被爆50年の年だった。あれから22年も経ったのだ。
昨夜のNHKスペシャルは、ビッグデータという新しいツールで原爆死の解明に向かうというチャレンジングなドキュメンタリーだった。たしかに5万とか50万とかいう数字を束ねて見えて来るものがあるのは事実だが、その解析、解説を行うのが、我々も当時お世話になった広島大学の先生たちというところに、今のヒロシマがかかえている問題というか課題が見えた、気がした。それにしても、原爆式典で、核兵器廃絶の国際世論に日本が加わらないことを事上げした市長の言葉、保有国と非保有国の間に立って、両者を結びつける努力をするという首相の言葉。聴くだに空しい。まさか72年も経って、犠牲者にこのようなことしか報告できない状況が来るとは22年前には予想もつかなかったのだが。

 あってほしくはないが、今後の北朝鮮のミサイル騒ぎ。いかなる波紋が波紋を呼んで負の連鎖が臨界まで達したとき・・・。想像するだけでもそら恐ろしい。こういう空想が実現させないためにもヒロシマの日は意味を持つのかもしれない。マッチョな核武装論議などが出ないように、国民ひとりひとりに「8・6」が問うてきているのだ。

 日が明けると、8月7日という日はまったくヒロシマを忘れて「夏休み」「お盆」と夏の風物詩を画にしたような状景に変わる。そのものになる。区民プールも朝から家族づれで溢れかえっている。(それにしても外国人の多いこと)

 私は、先月急性白血病で亡くなった鹿児島の教え子、13年前事故で墜落死した四国の教え子のふたりの人生を朝からずっと考えている。鹿児島は男性でF君、今年33。四国は女性記者でMさん、当時享年26だった。Mさんは今生きていればアラフォーになっているか。
ふたりとも番組制作の仕事を志向していたので、個人的にもあれこれ教える機会が多かった。二人とも熱心だった。
 F君は結局メディアへの就職をあきらめ、故郷に帰って、高校の歴史の教師になった。寡黙だがやさしい人柄で、生徒から慕われたと聴く。去年、結婚してすぐに発症し、闘病の末に、本年7月に永眠した。
 Mさんはキイ局には入れなかったが、信州のテレビ局に入り、放送記者という肩書きで地方の福祉を見つめるドキュメントを作り始めた矢先の2004年の早春。取材中の事故で殉職した。
 この二つの魂を思うと心が異様に昂る。なにか人生が理不尽で不平等な気がしてならない。不適当かもしれないが、まるでヒバクシャの不条理な死と似ていると思えてならない。

 白金の大学の図書館に朝から詰めて、小説を読みあさった。彼らの死を、どう理解すれば良いか指針を探した。大江健三郎の中期の作品はその手がかりをいくつか与えてくれた。午後4時過ぎまで書庫にこもっていたが、さすがに疲れてキャンパス中央にある園庭でぼんやり花を見ていた。園庭には20本ほどのさるすべりの木にぼってりと白い花がついていた。花の終わりらしく、風が吹くごとに白い花びらが細かく舞う。夏の夕暮れ、大学のキャンパス、さるすべりの白い花房・・・。
 
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by yamato-y | 2017-08-07 21:01 | Comments(0)

台地地形の面白さ

台地地形の面白さ

 明治学院大学(MG)は目黒からも五反田からもほぼ同じ距離、品川からもそんなに遠くない。大学の地番は白金台1丁目にあり。庭園美術館が5丁目。庭園美術館あたりが白金台地の上にあって、MGは谷底つまり坂下にある。我が家のある目黒駅前からMGに向かうと、ドンキホーテ白金店の先を右に折れると長い下り坂になっている。もうひとつのルートは上大崎の交差点から五反田に向かい坂を下ってすぐ左に曲がる。そこから坂道をうねうねと下って路地を通りぬけ、池田山公園を右に見ながら坂下に至るとをMGにたどりつく寸法。つまりMGは白金台と高輪台のすり鉢の底にあるのだ。この底の地形がまるで迷路になっており、夕方に歩くとまったく土地勘を失って、文字通り迷子になってしまう。家並みは御殿やお屋敷だけでなく、木造アパートや仕舞た家など変化に富んでいて、まるで江戸川乱歩の世界のようで飽きることがない。
1週間ほど前にこの迷路地形を発見した。迷子になってぐるぐる回りながら、何かわくわくするものを感じた。

 私の育った敦賀は平坦な扇状地の上にあって、坂らしい坂というものはほとんどない。フラットな風景で、明智小五郎シリーズなどを読むと、「この街はつまらん」と不平をこぼしたものだ。話は飛ぶが、あのタモリも故郷がフラットな地形でいつも坂の町に憧れていたとか。博学の丸谷才一が書いていた。
私はいつか、坂の町の迷路に迷い込みたいと願っていたーー。
坂の町、長崎に赴任したときはおおいに期待したが、坂はともかくすり鉢の底は意外にフラットで物足りなかった。

 目黒に住んで5、6年になるが、まさかすぐ傍にこんな地形があるとは思ってもみなかった。たしかに白金台の至る所に名前の付いた坂道は多いことは気づいていたのだが。この谷底の窪地を江戸川乱歩風にS窪とでも呼んでみようかな。大磯のツヴァイクの道に匹敵するぞ。

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by yamato-y | 2017-07-13 16:59 | Comments(0)

夏休み前の学食

学食にて

授業はないが、大学の図書館を利用するため白金のキャンパスに行ったのが12時前。折しも昼飯どきだったから学生食堂に行った。12時25分で午前中の学びの時間は終わり。私が行ったときちょうど終了のチャイムが鳴っていて、学食のチケット販売機の前 には長い列が出来た。

大丸テーブルの端に座ってカツカレーを食す。向かいには4年らしい女性がふたり、サラダを食べながらバイトの体験を語り合っている。大きな声だから否応なく内容が聞こえてくる。聞くともなく聞いていた。デブ子さんがちび子さんに偉そうに職場の心得を説いている。ロッカーは二人で一個使用だから互いに気を遣っていかなくてはいけない。ところが、でぶ子さんの相棒は無口でとっつきが悪い。わずかの間にロッカーに相棒の荷物が増えた。これ以上は無理だと上司に訴えところが、彼女は先月から出勤してこなくなったとか。でぶ子さんが声をひそめて、「最近多いバックれリタイアだよ」と言った。最近の子はすぐ辞める 、「日本もこれからどうなることやら」とでぶ子さんはため息ついた。ふえー

食後にコーヒーを呑む。2階の食堂に場所を変えた。今度はテーブルの相席は男子二人。飯を食い終わったか、皿が傍にあって、無心にスマホをいじっている、二人とも。口をきかない。別に喧嘩をしているわけでもない。じゃあ、なぜ二人でいるのか私には理解出来ない。
午後の授業がまもなくという頃 、口先だけのヘラヘラ男がデブでガタイがいいポリネシアン(黒目がちのどんぐりまなこ) に、「おい、そろそろ行こうぜ。トレイはジャンケン勝負」と言って立ちあがった。ふたりの大男が大げさにジャンケン。3回やってヘラヘラが2つの勝利。ポリネシアンがブツブツ呟くとヘラヘラはピシャンと言った。「ダメダメ
サンマーでも俺が勝つよ」サンマーって何だとポリネシアンが尋ねと、こんなこと知らないのという顔で一言。「8回勝負の早めに3回負けたら終わりを言うの」
フエー、私も初めて聞いた。

なんて見聞を食堂で書いていたら、気がつくと周りから学生が消えていた。3限の授業が始まったようだ。あと一週間ほどで大学は長い 夏休みに入る。

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by yamato-y | 2017-07-12 14:04 | Comments(0)

きさくなピアニスト

きさくな、だがシリアスなピアニスト

 昨日、ニューヨーク在住のピアニストたつみきょうこさんに話を聴いた。昨日は朝からじりじりと気温が高く、とてもじゃないが日向に5分もいられない。取材した場所は経堂のファッションビルのカフェー。
里帰りで一ヶ月の休暇をとっているたつみさん、毎日旧友との再会で多忙とのこと。すこし疲れ気味だったかもしれない。そんななかで、私の要望を聞き入れていただき、親友若林暢について想い出を語ってもらった。その内容はまた別の機会に披露すると思うので、今回はたつみさんのことを記述しておきたい。

 ルーツは東大阪。どうやら千年以上続く旧家の出らしい。聖徳太子の斑鳩から見て辰巳の方向にある、ということで家名が付いたというからすごい。旧家中の旧家だろう。代々地主で庄屋を司っていたという。父君は次男だったため家業を継ぐことなく、上京して音楽産業界に入られた。そういうこともあって、彼女も「家」に縛られることなく、それどころかニューヨークを足場に置いて、長く海外で活躍することになるのだが、不思議な運命を担っておられる。
 開放的できさくなたつみさんは根っこに関西のノリがあって、話していて楽しい。なによりおしゃべり。取材は楽というのは素人のアサハカさで、現実は厳しい。このサービス満点のおしゃべりのペースに巻き込まれると、話題はあっちに飛びこっちにショートして大変なことになる。失礼にも、インタビューの冒頭に、「すみません。お話を途中で止めさせていただくこともありますが、なにとぞご了解ください」とお願いする。分かっているわと、目をくりくりさせて悪戯っぽく答えるところがたつみさんの持ち味。

 驚いたのは、たつみさんの少女時代の体験が、名作「岸辺のアルバム」を生み出していたこと。当時、狛江の多摩川沿いに住んでいて、あの水害のときに実家はグランドピアノともう一台のピアノもろとも流されたという辛い体験をたつみさんは持っていた。音大を目指していたたつみさんにとってピアノは命以上のものであったと誰もが思った。ワイドショーのリポーターらも、被害者であるたつみさんにマイクを向けて、「無くされて一番悲しいものは何ですか」と聞いて来た。ピアノという答えを期待していたはずだ。少女たつみきょうこは、頑に「アルバム」としか応えなかった。その真意は何だったのですかと私が問うと、「本当に想い出が消えていくことが悲しかった」とけれんみもなくスッと答えた。この言葉に私の心はもっていかれた。いいな、この人の音楽を聴いてみたいとそのとき思った。
その少女の映像をシナリオ作家山田太一は見ていたにちがいない。彼も少女の無念を知り驚き、そして感動したのだろう。半年後に、「岸辺のアルバム」がTBSで放送され、最終回の名場面が流れた。ドラマであったが、多摩川の氾濫のパートには実写のニュース映像がインサートされていた。

 素顔はいたって関西のノリ。物まねが得意で、若林暢の剽軽な面も演じてくれる。その一方、彼女の心のなかにずっと巣食っていた「さびしさ」というものにも気づいていた。ただし、このさびしさが何処から来るのか今もって分からないそうだ。

 数年前、たつみさんは世界公演を決行したとき、大事な腕を痛めたことがある。今は、ピアノ演奏だけでなく、トークを織り交ぜたレクチャーコンサートが主体になっている。きっと楽しいコンサートに違いない。「お客さんがたくさん来てくれるのよ」と嬉しそうに語る。

 このところクラシックの演奏家に会う機会が増えた。実にさまざまにして強烈な個性が並ぶ。得てして、ソリストは我がまま。そして気分屋が多い。コンサートの会場でいくつもそんな姿を見かけた。そんな人種の中にあって、たつみきょうこさんはまったく普通。気取らない、だけど周りに気遣うことも忘れない。約束の時刻もきちんと守る常識人。すっかりファンになった。
 
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by yamato-y | 2017-07-11 22:10 | Comments(0)

若林暢のヴァイオリン

心奪われる若林暢の音色

21日の夜、銀座王子ホールで開かれた、魂のヴァイオリニスト若林暢(のぶ)を追悼するコンサートに出席した。
昨年、58歳の若さで病死した若林暢と親交のあったウィーンフィル首席奏者のワルター・アウアーと長年伴奏者だったアルバート・ロスの二人が共演したのだが、素晴らしい演奏で久しぶりに心が洗われるような気がした。

 主人公不在のコンサートにもかかわらず、会場には暢さんの思いが充満していた。なぜそんな気になるのか不思議だった。

 今、この女性ヴァイオリニストに夢中である。もともとクラシック音楽には縁遠い私だが、この人のブラームスの録音を聴いて心を鷲掴みされた。とてつもなく深い音色、すばらしい技術、再現芸術の最高レベルと感心感動したのだ。なぜ、こんな人がこれまで知られることがなくスリープしていたのだろう。

 今夜、彼女の演奏を聴くことができる。FM横浜で午後9時から若林暢の特集が放送されるのだ。特別ゲストにさだまさしが登場する。さださんは生前の彼女と親交があったということで、その人柄や演奏について語ってくれるそうだ。
よく考えれば、さださんは若い頃ヴァイオリニストを目指していたのだから、その道にくわしいはずだ。どういう評価をしてくれるのか楽しみ。

暢さんは芸大を首席で卒業後、渡米してジュリアード音楽院で学び、1986年のポーランド、ヴィニャフスキコンクールで2位を獲得している。2位といっても副賞は総なめで、特に最優秀音楽解釈賞はすばらしい実績だ。ちなみにヴィニャフスキとは近代ポーランドが生んだ名ヴァイオリニストで、この賞は専門家のなかでは高い評価を受けている。翌1987年にはカーネギーホールでリサイタルを開き、ニューヨークタイムスで絶賛された。

 長く欧米で活動していたため日本での知名度は低い。かつ、レコードからCDデジタルに録音技術が変わってから暢さんは録音することを敬遠するようになったため、レコードはたった2枚しかない。それもロンドンとケルンでの作品だ。その希少な音源がソニーミュージックダイレクトによって今回CD復刻された。タイトルは「魂のヴァイオリニスト」。題字はさだまさしとなっている。2枚組で、ひとつは「ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ集」、もうひとつは「ヴァイオリン愛奏曲集」だ。

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by yamato-y | 2017-06-23 07:32 | Comments(0)

寓居にて

元住吉の寓居にて

 1昨日、朝9時半からマイホームの廃棄物の処理を行い、昨日どうしても残したいものだけ、新居の元住吉のアパートに運んだ。運送をやってくれたのはアリさんマークの引っ越しやさん。若い衆が7人、小型トラックが2台で朝11時作業開始。長年住み慣れた家を離れるなどという感傷などまったく入る余地もなく、作業は進み、午後1時前には積み込み完了。アリさんマークの衆は、目的地元住吉に向かいながら、途中で昼食をとり、2時過ぎに現場到着をめざすということ。私はすぐに着替え、家の戸締まりを確認したあと、現地に先回りするべくすぐに大磯駅に向かった。駅に着くや、登りの籠原行きが発車。ここで10分のロスタイムが起きる。やがて来た湘南電車で横浜へ。
午後1時半、JR横浜から東横線に乗り換える。鈍行で日吉の次の元住吉に向かった。
そして、新しい住まいの現場に到着したのは、午後2時。アリさんマークのメンバーはまだ来ていない。よかった、間に合ったのだ。

 今回、大磯の家を手放すにあたって、もっとも悩ましいのは4人分の想い出の品々と生活必需品の処理である。メインの書籍は故郷の図書館に寄贈し、かつブックオフに50箱分の引き取り鑑定をお願いする。洋服がまた山のようにある。時間があればモードオフなどに声をかければいいのだが、間に合わず、エイ、ヤッとはいき処分へ。これが家人全員にショックを与えた。あんなに愛しんで来た洋服の数々が、ガサッと廃棄場の地中に押し込められるのだ。私は見ていないが、見た家人らは言葉を失ったという。歌のわかれならぬ服のわかれであった。

 大磯を出た荷物は二手に分かれた。私が待つ、元住吉の新しい住居と、家人が待つ現在の目黒のアパ−トの二つに荷物を振り分けたのだ。とても2軒の家を1軒にすることなど一気には無理だ。暫定として、もう一軒小さな部屋を2年間借りて、そこでダウンサイジングすることにした。
 私は、東横線元住吉駅の裏、駅から徒歩3分の便利な場所にある1Kのアパートで運送屋さんたちを迎え、新しい部屋に荷物を運び込んだ。
 終わったのが、夕方5時。

 すっかり疲れた。ここ1年でスポーツジムに通って体力がついたと思っていたが、まったくそうはならなかった現実を知った。年には勝てない。
陽もとっぷり暮れた頃、目黒の家にもどったが、まったくボロ雑巾のように草臥れきっていて、風呂に入ってバタンキュー。

 あじさいや家移り騒ぎも吾関せず

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by yamato-y | 2017-06-07 15:50 | Comments(0)


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