たたなづく
翠微という美しい言葉がある。薄緑色の山、遠く青くかすむ山々をいう。
京都の大学のキャンパスでいつも感動するのは、7階の踊り場から北山を見晴るかすときだ。遠く青みがかった山々がたたなづいている様はまことに美しい。思い出と似ている。
明け方、40年前の学生時代の夢を久しぶりに見た。
目が覚めてもその余塵がある。瞑想をして朝鳥の声を聞きながら、その青みがかった思い出を幾度も反芻した。
恩師を思い出した。哲学の先生でモジさんと言った。真宗のお坊さんでもあった。時は大学の闘争の時代、その課題をいつも考えていた。テクストに滝沢克己を取り上げて、現代の事としての宗教ということを熱心に追求していた。モジさんは定年を待たずに病死した。今の私より若い。癌の末期で入院したモジさんは機嫌のいいときは、母校の「琵琶湖周遊歌」を口ずさんだと、後で聞いた。
10月10日に発売されたばかりの『おかしな時代 「ワンダーランド」と黒テントの日々』(津野海太郎)を読んだ。津野さんと私は荻窪の床屋仲間である。現在はたしか和光大学の教員だが、かつて黒テントのプロデューサーであり晶文社の名編集者でもあった。その前は新日本文学の編集部にもいた。その頃、私の師匠でもある久保覚と出会っている。当時の様子を知りたくて本書を手にとった。
久保は61歳で98年に死んだ。死んで初めて彼が在日2世であることを私は知った。かつて名編集者として名を馳せ、新日本文学において活躍したということしか知らない私は、この津野さんの本でいろいろなことを知った。講談社から出た花田清輝全集の解題・校訂は、久保一人で行い、「個人書誌の最高峰」と評価されているという。この本を作ったのは、私が住んでいた天沼のアパートの階下の1DKの部屋だ。私がその部屋を斡旋した。そこで資料に埋もれて仕事をしていた。
その久保から、私はテーマとして「崔承喜」を与えられた。戦前活躍したコリアンダンサーだ。彼はこの主題をきわめて重視していたことを、津野さんのこの本で知るが、当時の私は判らなかった。だから、久保がせっかく教示してくれた「崔承喜」をぞんざいに扱い、久保の怒りをかった。
ロッキード事件が起きていた。久保はこのスキャンダルは相当大きな事件に発展するといち早く予想し、日本の政治の流れが変わることを指摘していた。それなのに、総選挙があっても投票に行かないのは不思議だと私は思った。急死して、彼が投票権をもたない在日であったことでその謎が氷解した。
彼から多くのことを習った。ブレヒト、カフカ、ベンヤミン、花田清輝、滝口修造、竹内芳郎などなど。明示的ではなかったが、バフチン、メイエルホリドやマニエリスム、パンソリを知った。金芝河の獄中の動静にはいつも気にしていたから、私も関心をもつ。
後年、私は大江健三郎と金芝河の対談を撮影することになるのも、契機は久保にあったことになる。
私と久保を結びつけたのは、天沼八幡前の喫茶店「ぽろん亭」の女主人ミヨさんだ。彼女が昔演劇活動に関わっていた頃に久保と知り合い、その後、ぽろん亭で再会した。この喫茶店の常連だった私は久保を紹介された。
そのうちに久保の友人の津野さんもこの店に出入りするようになり、月に一度開かれるミヨさんの床屋の客となった。
結婚して、私は荻窪を離れ、久保とは疎遠になった。だから晩年は知らない。ミヨさんとも交流が薄くなった。
そして、10年ほど前、二人は相次いで死んだ。まだ二人とも60代だった。
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