夏休み
夏休み、夜遅くまで遊んでいると、朝起きるのが辛かった。といっても夜の9時半くらいまで起きていただけだったのだが。
朝の6時半から始まるラジオ体操には、小学生であれば必ず参加しなくてはならなかった。
夏の朝、蚊帳の中から這い出て、ズボンをはいて、出席カードを手にもって会場に向かうのだった。このカードをよくなくした。どこに置いたか忘れて、時間がせまって焦ったことがよくある。
慌てて、走って、会場に行くと、町内別に並んだ子供たちが10列横隊で広がっていた。「ラジオ体操第一」と声がかかって、あのピアノ伴奏が流れて来る。腰に手をあてて胸をぐっと反らせる。青い朝の空がまぶしかった。蝉の声を聞きながら、体をぐるぐる回しぴょんぴょん跳ねた。
終わると、出席カードに判子をもらう。これを皆勤にして夏休み明けに提出することが義務のように思っていた。だから、旅行で他所へ行ったときにはその日の欄が空白になる。そのことをいたく気にした。
すると、叔父が「適当に三文判でも押しておけばいいじゃないか」と、田中とか山本という判を気前よくポンポン押してくれた。
「こうやっておけば、ラジオ体操をさぼってもいいな」と思ったが、やはり朝になると母親からラジオ体操が始まるよと促されて、外へ飛び出す。
体操から帰って来て、出来立ての湯気のあがるみそ汁を飲むと美味しかった。たいしたおかずもない時代だったが、何を食べてもうまかった。
夏休みの間、朝10時までは家から出ずに勉強するというのが町内のルール。その時刻までは、友達の家には行かないようにと決められていた。やりたくもないドリル帳を渋々開いて、2桁のかけ算に頭をひねるのだった。夏の観察記録は何にしたらいいかなあと決めかねているうちに夏休みも半分過ぎていた。
夏休みに病気になったことがあった。夜中に食べた梨か桃で腹痛を起こしたのだ。朝になってもしくしくした痛みは残っていて、外出禁止となった。布団の上でごろごろした。退屈で、窓から見える芭蕉の葉の数を数えた。天井のシミを何かに見立てて空想した。
親の目を盗んで、友達から借りてきた漫画を読んだ。漫画は悪書だった。漫画を読むとバカになると家でも学校でも禁止されていた。でも、「少年画報」や「冒険王」などを回し読みしていた。ビリーパックや少年ジェット、まぼろし探偵がお気に入りだった。その似顔絵をノートの裏や下敷きにせっせと描いた。
夏休みが長く感じられた。一生、続くのかと思うほど長く退屈だった。が、8月10日を過ぎると、夏休みが駆け足で過ぎて行く。宿題がまだかなり残っていて焦った。絵日記はほとんど空白で途方にくれた。
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