この時代を
1995年を境に新しい時代に、日本は突入したのだが、2001年からさらにまた新しくなっている。こういう見方をもつ若い評論家がいる。
宇野常寛という1978年代生まれの人物で、最近『ゼロ年代の想像力』という本を著して話題になっている。
そもそも、ゼロ年代というのが2000年以降に登場した人たちを指すから、30歳以下のおそろしく若い研究者の塊を表すわけか。
このところ、私はサブカルチャーと関わることが多く、東浩紀の言説をかなり参照にしてきたが、宇野に言わせると、それも時代遅れになりはじめているそうだ。東の考察は1995年からの”古い想像力”で、今は2001〜8年までの失われた10年に対応する新しい”現代の想像力”が求められているという。
1995年にオウムの地下鉄サリン事件が起こり、神戸淡路大震災が発生し、バブル崩壊後の不況が始まった。それまで信じられて来た戦後の右肩上がりの経済成長神話が崩壊し、重苦しい時代に入った。この時代に生まれたテレビアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」こそ、この時代の「古い想像力」となると宇野は規定する。がんばっても意味がない、何かを選択すれば誰かを傷つけるから社会的に「引きこもる」という倫理が立ち現れた。
ところが2001年から流れが変わったと宇野は見る。9・11テロやネオリベの跋扈、小泉政権による構造改革。引きこもっていると殺されかねないと、若者に危機感をもたらす状況が生まれた。社会は何もしてくれないというのは分かっていたが、下手をすると踏みつぶされるかもしれないと生き残るために、あえて特定の価値を選択するという「決断」が行われるようになった。これが、多くの若者に支持されている「現代の想像力」と宇野は指摘する。
ここまで読んで来て、ふと最近の風潮を思う。ワイドショーに毒されるつもりはないが、このところ頻々と起きる殺傷行為は、「決断」という攻撃性が浮上しているのだろうか。
いや、そんな単純化するものではないだろう。宇野は現代の「想像力」をとらえようとしているのであって、行為の次元を指してはいない。
だが気になる。
ともかく。この若い評論家の提出する、2001年以降の時代という区分を、今少し検討して、考えてみよう。
明後日の8月3日、ビッグサイトでワンダーフェスティバルが開催される。フィギュアの一日だけの祭典だ。4万人の愛好者が集まるという。取材も兼ねて、若者たちの今を見てこようと考えている。
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