いづちに行かん
ライナーのボックス席を占領して、窓外の夜空にかかる眉月を見ながら、私はふと夢想する。人と人の出会いなどということはフシギなものだ。なぜ、このタイミングでこの人と会うことになったのかと。かつは、なぜあの人と別れることになったのかと。
昔、お世話になった叔母さんが3年前に亡くなっていたことを、本日知った。
金沢、小将町にある桐工芸店の御寮さんだった。おなかをいつも空かせた大学生の私はそこへ行ってはうどんとかラーメンとかを食べさせてもらっていた。髪をひっつめにして、いつもエプロンをかけて動き回る働き者の御寮さんだった。
一男三女がいた。その末娘の勉強をみたことがある。中学生だがおませな少女だった。その娘が今は二人の孫をもつという。今日、その人と電話で話をした。おばさんの享年は83だった。癌と診断されて入院したが、自宅に戻り7ヶ月療養して再入院する頃にお迎えが来たそうだ。母思いの末娘は、最後の瞬間に居合わすことができ、きちんと看取ることができてよかったと語った。
梅雨が近づく今頃の金沢の夕景は、美しかった。何重もの雲の波に夕焼けが薄紅く燃えた。暮れなずむ頃、私はチロというコリー犬を連れて材木町から横山町までよく散歩した。臆病な犬でよく吠えたが、動物嫌いの私でもその臆病犬だけは可愛いがっていた。だからなついていた。そのことを今思い出した。
チロと橋場の川通りを歩くと、対岸の観音町から向山にかけての一角が夕焼けに染まっていた。白い屋根瓦の家並が光に映えて美しかった。
――40年前の私のところへ飛んで行って聞いてみたい。そこから、今湘南で暮らしているわたしが見えているかと。轟轟と夜陰を走って行くライナーよ。お前の舳先が過去に向くことはないのだろうかと。
大磯紅葉山の我が家にたどり着くと、懐かしい友から手紙が届いていた。先日、金沢の教会で消息を聞いた友人からのものだった。彼は今浜松に住んで工業大学の准教授をつとめているとか。かつての信仰はすっかり蒸発してしまいましたと、彼は書いていた。定年まで5年を残して田舎で静かに生きている。
こうして、二つの消息を知ることができた。悲しい知らせもあるが、それも人生。
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