バカ田大学 フジオくんとタケイくん
赤塚不二夫――平成14年に脳出血で倒れ、以来こんこんと眠っている。昭和10年生まれだから今年で73歳になるはず。「眠る男」だ。
そうなった人を私は二人知っている。1人は岩波の安江さん、もう一人は河合隼雄さんだ。だが、二人とも結局3年以内に亡くなったから、フジオ先生の眠りは長い。余程内臓が丈夫なのだろうか。
前の二人は明かに持病に過労が重なって起きた事故だが、フジオ氏は長い間アルコール依存症になり緩慢な自殺ともいうべき行動をとってきたから比較にはならないかもしれない。
「もーれつア太郎」に登場するあのタケイ記者が書いた本「赤塚不二夫のことを書いたのだ」(武居俊樹著)を読んでジーンと来た。フジオ先生の出鱈目ぶりも凄いがそれに付き合いそそのかしてきたタケイ記者の放埓、無頼も凄い。互いに許しあった底抜け的友情には、泪チョチョ切れる。
フジオ先生はひばりが好きだった。というより崇拝していた。ひばりの息子がフジオファンだったことから対談することになり、揚げ句新宿ゴールデン街まで出撃してデートまでした。そのとき、息がかかるほどの近さでひばりの「津軽のふるさと」や「悲しき口笛」を聞いたという。ああ、何と言う組み合わせ、フジオ至福の時間にカメラを持ちこむことができたらと、タケイ本を読みながら地団太を踏む。
しかし、フジオ先生はギャグの天才にして、ギャグの人生を生きた。(過去形にするのは文章の成り行き上であって)
まことに純真無垢、というか子どものように邪気に満ちた無邪気ぶりだ。この本で知ったのはギャグを発想する苦難たるや並大抵のことではないということだ。それを、シェーからケムンパス、ウナギネコ、イヌまで思いつくのだから、フジオ才能と支えたスタッフの努力に頭が下がる。
イヌ
バカボンのパパたちが、イヌをからかう。イヌに「おまえはネコだ」と。もしかするとイヌはネコかもしれないと思いはじめる。鳴き声が「ニャーニャー」になる。すると、周りは「おまえは本当はイヌだ」と言い始めると、イヌは迷う。そして鳴く「ニャワン ニャワン」。
どうだ、この馬鹿馬鹿しさは。天才のなすところである。
かくして作家と編集者という固い契りで生きてきた二人が平成14年に別れることになり、その別れはいまだに続いている。タケイ記者はひばりの「悲しき口笛」の一節を引用する。
いつかまた逢う 指切りで 笑いながらに 別れたが
白い小指の いとしさが 忘れられない さびしさを
歌に歌って 祈るこころのいじらしさ
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