試写待ち
本日、昼一番に番組の試写を行う。これまで、制作スタッフの中だけで構成などを検討してきた番組が、初めて外部である事務局に見せることになる。いつでもそうだが、この最初の試写というのは緊張するものだ。
これまで取材を重ね、編集を積み上げてきて、自分なりの表現を仕立ててきたつもりだが、果たして他者はこれをどう見てくれるか意図を理解してくれるだろうかと、不安や懸念が浮かび上がってくるものだ。
今回の番組は89分という長丁場だ。おいそれと構成は積みあがらなかったが、それでも92分にまで仕上げてきた。見せる工夫も随所に仕掛けた。これがうまく伝わればいいのだが。
編集中の試写だから、当然まだナレーションもなければテロップもついていない。モニターの側で、ナレーションのコメントを私が肉声で読み上げて見てもらう。試写には、この口張りの未完の作品で勝負をすることになるのだ。
テネシー・ウィリアムスの自伝に書いてあったと記憶するが、芝居の脚本を書いて、初めて上演するときの緊張感に言及していた。観客の反応はどうであったかを知るために、夜明かしでコーヒーショップに止まる。明け方、新聞配達が往来を走り回る。その配達人を呼びとめて新聞を一部購入する。演劇欄を見るためだ。
そうやって、朝出来たてのインクの匂いがする朝刊を開けて、お目当ての演劇批評を探す。心震えながら、新作の評価を読みあげてゆくときの気分。このくだりを読んだとき、私はまことに共感した。
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