滅ぶもの
眉村卓という人は「真面目の熊五郎」と綽名されたほど生真面目だ。が、期せずしてユーモアが滲み出てくる。夜寝る前に音楽のテープを聴きながら眠る習慣なのだが、最近聞こえにくくなって医者に行ったのですよ、と眉村さんは話す。「あんた、普通寝るときは音が小さくなるのでいいんですよ、それを大きくしようとするなんて」と医者が呆れてましたわと眉村さんは笑う。
<長い地球の時間を見てくると、さまざまな種が栄えて滅んだのだから人類もいつかは滅びます。その滅ぶことを前提にしながらしっかり生きたり考えたりすることが大事なのです。ヒューマニズムが最高の価値という考え方はもはや長持ちしないでしょう。これから人類は地球はどうなってゆくのか、自分の責任としてもその行く末を見つめなくてはならないと思います。>これが、今の眉村さんの考え方の基調だ。
10年ほど前、大江健三郎さんからも滅んでゆく人類ということを聞いたことがある。大江さんはそのとき「だが、抵抗しながら滅んでゆこうじゃないか」というフランスの詩人の言葉を付け足して語ったことを思い出す。
眉村さんも大江さんも真面目だ。だが、その真面目な眉村さんですら大江さんほど生真面目に文学を追求しなくてもいいのにと呆れ感心している。そこが今回話をうかがって面白かった。
例えば、植物を移植するのにいくつか方法がある。花だけを切って別の場所で活けるということもあろう。挿し木をして植え替えることもあろう。
または根と土をごっそり抜いて藁(わら)で巻いて移植することもあろう。その際、根はあるていど切り落としながら確保するのだが、大江さんの場合は根毛の一本一本まで見逃さないという真面目さがあるのだ。そこまでしなくてもいいだろうと、私なんかは思うのですがね、と悪戯っぽく眉村さんは語った。
今、大江さんの発言が正確に分かったのでここに記しておこう。
《人間は滅ぶものだ。そうかもしれない。だが、抵抗しながら滅びようではないか。》
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