SFとKY
『SFマガジン』の初代編集長、福島正実という人はSFという新興の文学が既成の文壇からバカにされまいと、必死に戦った。少しでも批判されたりバカにされたりすると、目くじらを立てて反論反撃した。まるでヤマアラシのようにトゲを立ててばかりいた、と説明してくれた関係者がいたが、一方その攻撃性は彼自身がナイーブであったことではないかとも言う。
今から50年前、科学空想小説としてSFが読まれはじめたとき、マスコミの多くは荒唐無稽の児戯めいた物語と一段低い存在として扱った。その蔑んだまなざしというのは今では考えられない。その後、日本のSFが小松左京、星新一、筒井康隆、眉村卓、光瀬龍といった才能を育てたのだから。
横浜で開かれる国際SF大会(ワールドコン)に出席するアメリカの作家ディビッド・ブリン氏に昨日インタビューしたが、彼は宮崎アニメなど日本の優れた現代分化を生み出す大きな契機として、小松たちの存在は大きいと、日本のSF作家たちの功績を高く評価していた。
話はまったく違うが、流行語で「KY」というのがある。「K=空気」が「Y=読めない」という意味だそうだ。くだらない言葉だ。まるで、30年ほど前に流行った山本七平の『空気の研究』の再来かと思ってしまう。このKYという言葉は明らかに人を小馬鹿にしたニュアンスがあるのはすぐ分かる。
おそらく、40年か50年前にはSFという言葉にはそういうニュアンスをこめて語られたときがあったのだろう。こういう悪意に取り巻かれていたからこそ、幼年期のSF作家や翻訳家、評論家たちのきづなは強かった。いつも群れていた。仲間だけで気のおけない場にいたときの会話やジョークは抱腹絶倒だ。今回、私たちはその愛すべき対話が一部録音されたものを発見した。未来を語る真面目なテーマだが、対話の端々にジョークが挟まれているのだ。
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