師と弟子
今朝書いたブログの大学文学部論(?)は中島義道の文章に引っ張られて面白可笑しく仕上げたが、ここ数日ずっと脳裏を占めていたのは師と弟子の関係であって、それへの傾倒を韜晦することもあって、あんな文章になった。四方田犬彦の新著『先生とわたし』の影響と大学という解釈共同体の存在に私の関心が集中していたのだ。
四方田は東大英文学教授の由良君美と自分のことを語りつつ、師と弟子の在り様を人文的教養の再構築のためのよすがにしたいと考え、この本を書いたと記している。感動の出会いから蜜月、離反、師の死、和解までの四方田の筆はたゆむところがなく、感動のうちに読者を最後まで導く。この本を手にとったのは、私の師匠である久保覚のことが言及されているからということだったのも何か縁を感じる。この本から導かれる主題はもう少しゆっくり考えるとして、取り急ぎ「師と弟子」の類型を記録しておこう。
内田樹はレヴィナスの研究者でなく弟子だと自称している。〈ものの考え方のかなりの部分を、私はレヴィナスから学習し、それをたよりとしてすでに二十年近くを生きてきた。〉
四方田は学部生の頃に現われた由良の颯爽に惹かれ、師として慕うようになる。10数年後、四方田は理不尽に由良に腹を殴られて疎遠となる。
作家豊田有恒の師はSFマガジン編集長だった福島正実だ。学生時代にSFコンテストに入賞したことから交流が始まり、福島の指導の下豊田はハードSFを書く。豊田の書いた原稿を福島は独断でいじったりカットしたりしたが、豊田は受け入れるしかなかった。
ある事件が起きて、豊田は福島に抗議をして二人は決別する。やがて福島は47歳で死ぬ。それから二十年も経過して著したエッセーで、豊田は福島への思慕を記す。
私は、といえば、師の久保を畏怖した。私は久保に研究するようにと与えられた主題を、友人と共同で行おうとしたことから久保の逆鱗に触れた。久保は表現することに対して不誠実であるというようなことを言って私を叱った。というより罵倒した。私は尻尾をまいて逃げ出した。数年間、久保の目を畏れて行動していた。数年後いつのまにか交友は戻っていたが和解復元の記憶がない。そのあたりの記憶を私はいまだに抑圧している。
内田は『レヴィナスと愛の現象学』でこんなことを書いている。
《「弟子になる」、「師に仕える」とは、まず「師を畏怖する」ことを学習することから始まる。》
一方、師はかならずしも道徳的に完璧ではない。ないが、師の位置にある。「完全なる無謬の師」という物語(内田樹)を師は生きている。
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