ほのぼの雲
本日の発表会は無事終わった。授業に参加した学生たちも終えて緊張が解けたようだ。
半年にわたる番組制作の演習の打ち上げを7時から百万遍交差点近くの韓国料理店で開くことになったが、それまで3時間ほど暇が出来た。
大学の中央図書館に行った。大きい。驚いたのは学生たちがたくさんいてずいぶん勉強していたことだ。当然かもしれないが、最高学府にふさわしい光景だなと感心した。
文学の書棚で小津安二郎全集を見つけた。その第4巻を手にして読みふけった。映画、麦秋のシナリオだ。先日映画を見たばかりなので興味があったのだ。シナリオと映画の間のずれはほとんどないことに仰天した。小津、野田高悟のコンビは撮影以前にかなりのイメージを固めていたのだ。この麦秋を文字で読んでいろいろなことを思った。
初めて知った表現がある。耳に手を添えて聴くことを「耳に手屏風して」という表現をするのだ。鎌倉の江ノ電の踏み切り近くにある石に腰掛ける場面で、その石のことを「捨て石」と小津たちは記していた。む、捨て石か・・・・・。
ヒロインの紀子のすぐ上の兄省治は南方で戦死しているようだ。その高校時代の友人謙吉と最後に結ばれるのだが、その亡兄のことがなにかにつけて話題となる。
省治の母志げはいまだに戦死が信じられずに復員を待っている。その妻のことを夫の周吉は次のように慨嘆するのだ。「毎日、ラジオの尋ね人の聞いてばかりいるのだ」と。その志げは帰って来ない息子を偲んでこんなことをつぶやくのだ。「人間って不思議なもんですねえ、今あったことをすぐ忘れるくせに。省二が元気だった時分の事をはっきり覚えているなんて」
この映画のシナリオは文学として読んでも読みごたえがある。ラストシーンはこうなっていた。
《大和の麦秋 サヤサヤと風にそよぐ麦の穂波》
午後6時半、図書館を出ると高い空に雲が浮かんでいた。
7時からのコンパで、私はこの小津の「麦秋」をぜひ見て欲しいと、学生たちに熱く語ってしまった。
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