SF版冬のソナタ
必要があってSFの解説や入門書ばかり読んでいる。とくにSFマガジンの初代編集長福島正実の議論は初心者には分かりやすく、その論旨、理路をノートしている。そのなかの一つからある類推をした。
福島が引用していて彼も同意しているSFの定義。
《未来の科学的発見から生ずる人間のドラマ、闘争、冒険を扱った小説》(エンサイクロペディア・ブリタニカ)福島はSFはまずなにより小説であって、合理的な科学知見(予想も含む)に基ずいて書かれたものと考えている。宇宙人が登場しタイムマシンが使用されるのもその可能性が否定できない以上、それらも駆使して空想することもありという考え方がSFという。
そこでふっと思いついた。「冬のソナタ」をSF的に読みなおしてみたらどうなるかと。冬のソナタはSFではないがSF的要素はいくつもある。
例えばチュンサンという謎の転校生は異空間からの出現じゃないか。彼が事故に遭って突然消えることもいろいろ合理的な説明を加えているが、消失とみなすこともできるのじゃないか。そうやって考えて見ると、チュンサンとミニョンは単なる交通事故の記憶喪失による同一人物だという設定も見なおしてもいいのじゃないか。
つまり、交通事故に遭ったチュンサンはいったん異空間に入りこみもどって来たとしたらどうなるか、という仮説だ。むろん、この仮説でも記憶喪失という装置は働くことになるのだが。
SF版にすると、かねてから疑問に思っていた最終話のオリジナルの映像の意味が理解できるのだ。ユジンが留学したパリから戻ってきたとき、よちよち歩きの子どもを追い駆ける場面がある。それを見ているチュンサンの後姿が韓国版にはある。この後ろ姿の存在をどう解釈するかファンの間で長く議論された。非SF的つまりリアリズムの世界ではあってはならないシーンだがSF的であればチュンサンがそこに突然立っていることもありだ。
ユン監督のドラマには「春のワルツ」でも交通事故や難病が大きな契機に成ることが多い。それって、SFで言われる時空間が歪むという装置だと考えるわけにはいかないだろうか。
――などと、この2,3日SF魂を注入された私は四季四部作を再解釈したくなってしまった。
そもそもユン・ソクホという人物自体が2000年代に入った日本に突然現れた謎の人物ではないか。私は冬ソナ現象の最大のキイパーソンはぺ・ヨンジュン氏やチェ・ジウ氏ではなくユン監督だと考えている。
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