向老期
神谷美恵子の『心の旅』に読みふけってしまった。第8章の人生の秋と題された部分はまさに自分のこととして読んだ。
神谷によれば、壮年期は55歳ぐらいで、それからすぐ老年期が来るわけではないという。65歳ぐらいまでは壮年期と同じようなことができるかもしれないが、だがそれは壮年期には属さないのだ。彼女はその時期を「向老期」と呼ぶ。59歳の私はまさにそこにある。
この第8章は熟読玩味していきたいが、今読んだ印象をスケッチだけしておきたい。
向老期の人間の大切なことに、新しい状況に応じて生活のしかたをがらりと変える必要に迫られることがある、との神谷の指摘にギクリとする。
向老期の人間は「社会的時間」の枠が外されてゆくことだ。それまでの仕事や生活でつちかってきた時間感覚を変えてゆかねばならない。超時間的に時間を観ずること。自分の一生の時間は、悠久たる永遠の時間から切り取られた、ごく小さな一部分に過ぎない。
永遠の時間は自分の生まれる前にもあったように、自分が死んだあとにもあるのだろう。
老年に入るということはその永遠の時間に自分を合一する歩みだと、神谷は説く。
この章の締めくくりの言葉が、私の中で雷鳴のように鳴り響いた。
《人間はどれだけしごとを果たしたか、ということよりも、おかれたところに素直に存在する「ありかた」のほうが重要性を帯びてくるだろう。》
今の私を素直に受け入れることができるのだろうか。
もう一つ、神谷のアドバイスを記す。「エポケーの必要」だ。自分の一生をかけるほど仕事、家庭、学問を遂げてきた人ほど、その過去への執着は大きい。だが、死は近づいている。
今こそ、自分の過去についてエポケー(判断停止)が必要とされる。
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