漫画は悪書か
敗戦後まもなく、大阪を中心とする「赤本」といわれる粗悪な漫画本が大量に出版される。大半は怪奇、スリラー、時代もの、探偵ものの安易なストーリーで、「悪どい絵と文で書きなぐった」漫画だった。手塚治虫の「新宝島」も赤本の一つだが、こんなレベルの高い作品は例外だった。この赤本が貸し本漫画へと育ってゆくのだ。
昭和35年ごろ、貸し本屋が全盛だった。駄菓子屋か玩具屋か文房具屋の一角に大きな本棚があってそこに漫画を中心とする貸し本がずらりと並べられていた。
全盛期には貸し本屋は全国に3万軒あったという。版元は大阪や名古屋の弱小出版社だった。「劇画」というのが生まれたのは大阪の日の丸文庫だというのは有名だ。
私が夢中になった貸し本は佐藤まさあきのハードボイルドタッチの作品だった。暗いじめっとした絵柄で、やたら銃が出てくる「社会派」漫画だった。彼の作品には弱者の恨みや権力を持つものへの反抗が通奏低音として響いていた。貧しい家で生まれた男が殺し屋となり、最後は警官隊と銃撃戦になり殺されていく、という物語りが定番だった。当時流行っていた日活アクション映画のにおいがした。
他の漫画と佐藤のそれが違うのは銃に対するこだわりだった。佐藤はさいとうたかをなどに比べると画はけっしてうまくないが、やたら銃だけはリアルに描いた。彼自身ガンマニアで本物のライフルを数丁所有していた。そのことを貸し本漫画のなかでもとくとくと語っていて、少年である私たちは憧れたのだ。コルト32、ウィンチェスターM73、ブローニング、モーゼルE712、ワルサーP38、などピストルの名称を覚えたのも、佐藤の漫画からだ。蛇足かもしれないが、佐藤の作品を私は漫画ではなく劇画だと当時も今も考えている。
ちょうどガンブームが起きる。私はプラモデルのガンを集めることに夢中になる。そのうちに上野の中田商店から金属製のモデルガンが発売される。欲しくてたまらなかったが、高価で手に入れることはできず、佐藤の漫画本の扉にあるガン写真を切り抜くことだけが喜びとなった。
ところがテキストは貸し本である。自分の本でもないのに切り抜いたものだから、たちまち貸し本屋の親爺に知れるところとなり、我が家へ弁償しろと怒鳴り込んできた。父は留守で母が応対してくれておおごとにならずに済んだが、貧しい家計から母が本代を支払うのを見て、私はひどく心が咎めた。
佐藤まさあきの作品が悪書だとして追放の槍玉にあがるのは1959年秋のことだ。
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