二つの星
漫画の原作というシステムをいち早く実践したひとりが梶原一騎であろう。梶原は元来、小説を書くことを目指していた。だからマガジン、サンデー以前の少年月刊誌で絵物語の原作を担当していた。
50年代後半、週刊誌になった少年誌に、漫画という「映像」が活躍を始めたとき、マガジンの内田編集長は原作を別に立てて効率よくかつ質のいいストーリー漫画を作っていきたいと考えて、梶原に漫画原作を懇願したのだ。このとき内田は口説き文句として使ったのが、戦前の「少年倶楽部」で活躍した佐藤紅緑だ。「嗚呼玉杯に花うけて」など熱血少年小説の大家のような作家になってほしいと口説いたのだ。
「チャンピオン太」や「巨人の星」で頭角を現した梶原に、マガジン編集部は次の
大きな手をうった。60年代後半のことだ。担当の宮原は梶原に売れっ子で力のあるちばてつやを充てたいとコンビを構想した。当時、ちばは「紫電改のタカ」とか「ちかいの魔球」で大家となっていた。筆力が冴え渡っていた。
当時はちばのほうが格上。暴れん坊のイメージがある梶原は、原作の字句を直すことは他の作家であれば許さないが、ちばだけは許した。手塚治虫とちばてつやだけは別だと語っている。
それでも「あしたのジョー」の冒頭の場面から変更されたのには激怒し、梶原はこんなことなら俺はもうやらないと決裂寸前となる。宮原らの必死の説得で元の鞘に戻ることになるが、こういうアクシデントがいくつも重なって、ちばと梶原は仲が悪いという噂が立つようになった。
この冒頭の場面。梶原案はリング上の戦いから始まっていた。ちばはこれでは「あしたのジョー」の“あした”というものが浮かび上がる伏線にはならないと考えた。ジョーの出自から始めるべきだと思い、下町の吹き溜まりのようなドヤ街にジョーが現われるところから始めたのだ。この改変は成功した。
文章の梶原からイマジネーションを焚き付けられて、ちばは映像的な物語を紡ぐ。この原作、漫画というシステムは実に弁証法的に機能し、作品を高いレベルに押し上げてゆく。
今回、わがチームが発見した「あしたのジョー」の梶原原稿を見てびっくりした。まったく小説スタイルではないのだ。シナリオともちがう。その中間といっていいか、文章とせりふだけの箇条書き風にきちんと書き込まれていた。その原稿を読むだけで熱いものがこみあげてくるように書かれていた。これが、ちばてつやの魂を揺さぶりの渾身の画を描かせていったのだ。
ラストシーンもちばが変更した。
梶原案では、メンドーサとの激しい戦いから数日を経たある日、ジョーは白木葉子と縁側で日向ぼっこしている・・・・・。
これをちばは一旦画にするが、納得がゆかず変更を申し出る。当時、人気作家となって超多忙であった梶原は「好きなように」と言って、ちばに譲る。
まかせられたちばはメンドーサの戦いのまま終わることにする。試合が終わり判定が下ったあとのジョー。コーナーの椅子にこしかけて「真っ白に燃え尽きたジョー」。あの名場面となる。
先の梶原案のラストシーンをちばはエンピツ画で描いた。その画は封筒に入れて残しておいたがと、先日の取材でちばは語った。
驚いたわがチームは、ちばさんのプロダクションの社長に頼んで工房を調べてもらった。だが膨大すぎる資料のため見つからなかった。
だが私は諦めていない。
さて、仲が悪いといわれたちば・梶原コンビだが、真相は違う。同じ西武沿線に住んでいたこともあって、よく会って酒を飲んだよとちばさんは語っていた。噂なんて、ほんとうにいい加減なものだ。
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