愛を乞うひと
休日の前の日ということで、ビデオをレンタルして見た。平山秀幸監督の「愛を乞うひと」である。
キネマ旬報の80年記念特集で専門家が選ぶ映画名作選の中に、この作品が複数選ばれていて気になった。以前から佳作の誉れは高かったのだが、児童の虐待が主題と聞いて敬遠していたのだ。
案の定、原田美枝子演じる鬼畜の母の虐待は目を覆いたくなるほどだった。その母に苛められる娘は成長につれて4人の俳優が変わってゆく。だがまったく違和感がない。物語の展開は50分過ぎまでノンストップだ。ぐいぐい引きずりこまれる。
この映画のディテールにおいて、身につまされる似たような事実を想起してならなかった。
――山岡照恵(原田美枝子)は、昭和29年に父陳文雄を結核で失う。この父の死後、彼女に待ち受けていたのは壮絶な少女時代であった。父の死後、照恵は施設に預けられたのだが、そこへ引き取りに来たのは、かつて父が別れたはずの母・豊子(原田美枝子/2役)だった。
母は男を転々としながら、照恵とその弟を連れて渡り歩く。やがて母は、ふたりの子供を連れて“引揚者定着所" に住む和知三郎の部屋へ転がり込む。和知は偽の傷痍軍人で生計を立てる男だったが、照恵たちにはやさしかった。ところが、その頃から母は照恵に対して激しい暴力を振るうようになる・・・。やがて中学を卒業した照恵は就職したものの、給料は全て母に取り上げられるという悲惨はつづいていた。そして、照恵はついに母の元から飛び出すのであった。
それから30年以上経った現在、照恵には高校生の一人娘がいる。夫とは早くに死別した。その娘と二人で、亡き父陳文雄の遺骨を捜すため父の故郷である台湾を訪ねるのであった。こうして遺骨の行方を追ってゆくなかで、かつて虐待した母の影が照恵の中で大きくなってゆく。母は生きていたのだ。
雨の日、照恵は娘を連れてその母の元を訪ねることにした。年老いた母は、ある港町で美容院を営んでいた。――
さて、この映画への私の関心は主題である児童虐待に向かう。今、私は児童虐待についてキャンペーンを張るような企画を構想している最中なので、参考としてもこの映画を見たのだ。もちろん、戦後の貧しい社会世相と現代のそれとは大きく異なっていて、虐待という同じ器に載せて計れるものではないと知ってはいるが、その実相をとりあえず見ておきたかったというのが本音だ。そして、目にした光景は見ているうちに胸が苦しくなるものであった。とにかく母が娘しかも小学生ほどの娘を殴り蹴り叩くのを正視するのは苦痛だ。映画と分かっていても怒りが湧いてくる。
映画的なことでいえば、昭和30年当時の町の風景、風俗が実によく描かれているのには感心した。平山監督の年齢はいくつだったかな。たしか私より2つほど若いが同世代だ。この時代を知悉していると思った。先日見た「嫌われ松子の一生」はこういう時代描写がある意味で抽象化されていたり、芝居も様式化されたりしてあったが、この「愛を乞うひと」はリアルな世界の真っ向勝負だった。
前から、平山監督の地力はすごいと噂を聞いていたが、まさに噂は違わずであった。
ただ、物語の収束がどことなく緩い。思わせぶりな芝居が続くものの、その中盤で張り巡らした伏線の回収がうまくいっていると思えなかった。これは脚本の問題かな。でも執筆したのは名手鄭義信のはずだが。
特に、鬼畜の母が生きていて再会する場面は、思わせぶりで、この場面で何を言いたいのかあいまいでメッセージがぼやけていると感じた。ただ、このシーンでの原田美枝子の演技がすごかった。
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