秋の日のウンブリア
アッシジへ行ったのは1998年ちょうど今頃の、秋の終わりだった。手前のラヴェルナ修道院で初雪に出会った。アッシジの城砦都市では底冷えする日が幾日か続いた。
モンテ・スバーシオの中腹、標高500メートルにアッシジの町がある。
町は夜ともなれば中世のままの闇が広がっていた。石畳をコツンコツーンと響かせながら歩くと、寒さが地の底から浮き上がってくるような気がした。
ロケの本隊と離れて、私は上の町をだらだらと歩いた。町の中心と思しき広場に異教の神殿ミネルヴァがあった。一説によれば、エトルリアの遺構ともいう。両脇を住宅で挟まれた、ささやかな社であった。
さらに石段を登って行くと、オリーブの精製工場があって、夜中でも忙しそうに働いていた。おりしもオリーブの収穫の季節だった。絞りたてのオリーブオイルを安い料金で分けてもらった。新鮮なオイルというのは本当に香ばしいものだ。
さらにロッカ・マジョーレの頂まで行くと、城の砦が築かれていた。急斜面の台地には芝が生えていて寝転ぶと気持ちがよかった。眼下にはウンブリアの平原が広がっていた。目の前の石垣は白い岩石が組み合わされていた。スバーシオ山で採れる石で、うっすらとピンクが混じった白い石だ。表面を剥がすとぽろりと石の塊りがとれた。
記念にと、その一個を日本へ持ち帰った。今、私の書棚の隅にある。1998・11・10とボールペンで採取の日付が書かれてある。
この石片を眺めていると、アッシジのひんやりした秋の空気を思い出す。
須賀敦子が「ベネツィアの宿」で、父がヨーロッパを恋しがっていることを記している。父豊治郎は生涯に一度だけ半年にわたって西欧を旅した。その思い出を口癖のように須賀に語ったと書いている。
《ウィーンだけは、もういちど行きたい。あの都(まち)だけでいい。ほとんどせつなそうに、そうくりかえしていた。》
ほとんどせつなそう、か。
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