定年再出発  


懐かしい空
by yamato-y
カテゴリ
全体
冬のソナタの秘密
シリーズ作品回顧
夏の香りチェック
ブログコミュニケーション
新しい番組を構想して
冬のソナタクイズ
シリーズ世界わが心の旅
2004年度ドキュメンタリーの現場
登羊亭日乗
ふるさとへ
魂のこと
ブロギニストのDJ
マイ・フェボリット・ソング
30年の自画像
賢者の面影
大伴昌司の遺産
テレビって何だろう
わが心のシーン
1ヒト・2ウゴキ・3ジダイ
あしたのジョーの、あの時代
SF幼年期の、終わりに
冬のソナタを考える
少年誌の青春時代
斜陽を考える
人生にジャストミート
センチメンタルな気分で
3・11
未分類
以前の記事
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
2005年 07月
2005年 06月
2005年 05月
2005年 04月
2005年 03月
2005年 02月
お気に入りブログ

最新のコメント

動く画像

没入感

昔からパラパラ漫画のようにすれば、画が動くように見えるということは知られていた。目の網膜の残像効果だ。19世紀の半ば頃から、この残像現象を利用したさまざまな機械が発明・工夫された。

 そして、1878年に走る馬を24枚の“写真”に撮影することに成功すると、急速にこれを映写する技術の開発が欧米の各国で始まった。動く画像(motion picture)つまり映像を一人で見る仕掛けはあったが、大勢で見る技術がいまだなかったのだ。これがフランスのリュミエール兄弟によって実現した。シネマトグラフという映写機を発明したのだ。

 1895年、パリでリュミエール兄弟は初めて映画の上映を大勢の観客の前で行った。「列車の到着」と題されたその映像は数分のものだったが、観客に大きな衝撃を与えた。
 映像の場面は南仏のリヨン駅、カメラはそのホームに据えられて構内をとらえている。すると画面の上手から蒸気機関車が姿を現し下手に向かって走って来るのだ。画面の中で機関車はその姿を次第に大きくなって入線してくるのだ。

観客らは機関車が襲ってくると思って慌てて逃げ出したり避けようとしたりした。大騒ぎになったと映画史には書かれてある。それほど映像はいわゆる写真的画像に比べて迫真力や臨場感があったのだ。

 この現象からテッサ・モーリス・スズキは「没入感」という映像独特の作用を浮かび上がらせる。<すでにルミエール兄弟は、映画が観客をその世界に引き込んでしまうこと、したがって見ている者は自分が現実にいる場所を忘れ、映画の風景に没入することを知っていたのだ。そのほかの映画の先駆者たちもこの没入感をうまく利用することになる。>(『過去は死なない』岩波書店2004年)

 観客という者は日常の時間を離れて、映画の没入感という「継続する現在」にひたりきるものだとスズキは言うのだ。映像の持つ最大の特性と言えようか。これによって映画は商業主義と結びつき、巨大な産業と発展することになる。

一方、これを利用した宣伝効果(プロパガンダ)は国家戦略にまで組み込まれることにもなる。すなわち、観客は作品に対して主体性を失い、あくまで映像を味わう客体の立場に置かれ、作り手によって感情を操作されるという憾みを残したのである。

 書物においては、読者は主体を保つことができる。ページをめくるのは読者が決めることであり、前のページにも戻ることができれば、先を飛ばして読むこともできる。でも、映画は「作者の時間」に囚われたままだ。上映が始まれば、観客の都合で見ることはできない。かつ没入させられる。

これは映像の宿命だと思われてきたが、近年、テクノロジーの急激な発達で変わった。テレビの時代が来て、ビデオとくにホームビデオが出来てからは、巻き戻しや早回し、フリーズという見方が出来るようになったのである。デジタル技術を駆使したDVDはさらに、読み解き能力は増している。映像は読書のように、漫然と見たり見させられたりすることなくしっかり“読む”こともできるようになったのだ。

 この没入感という考えをもつテッサさんにすごく興味をもった。スズキというミドルネームが表すように日本人と結婚してオーストラリアに住んでいる。今年の春に、木村伊兵衛の番組を制作したときにぜひ映像論を聞きたいと、出演を依頼した。

残念ながら直接のインタビューはできなかったが、ネットのチャットを使ったインタビューには応じてくれた。とても新鮮な視点を提供してくれたのだ。
 
来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング
[PR]
by yamato-y | 2006-10-17 08:02 | テレビって何だろう | Comments(0)
<< 秋のドラマ戦争 この道を行く人なしに >>


その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧