顔
最近、人の顔が覚えられない。
道端ですれちがって会釈されることがある。もしくは微笑みを送られることがある。
どきっとして、慌ててあいさつを返す。だが自分には記憶がない。心当たりがない。
もしかして、以前に仕事で付き合った人なのか、名刺を交換した人なのか、私と知遇があるのだろう。だからエールが送られるのだが、自分としては思い当たることがないのだ。
怖い。そろそろあれが始まったのか。MRIで私の脳を輪切りにすると、乳白色の部分が増えつつあるのだろうか。脳内がスカスカになっているのでは。
だが顔とは一体何か。頭脳をくるむ皮膚のある表面部分に凸凹が起きただけのものだが、人間のコミニュケーションにとってはかなり重大な意味をもつ。顔はその人物を表すアイコンであるから。
最近の会った人の顔は忘れているが、昔の顔は覚えている。というより、あるきっかけでまざまざと思い出すことがある。特徴のある目つき、顔つき、癖で、目の前の赤の他人から過去のある人物を思い出すということがある。もうすっかり忘れていた人物、事件が突然ぽかりと意識の海に浮かび上がるのだ。
親子なのに全然似ていないと思っていた小学校の同級生。現在の渋谷の町で見かけた他人の中にある特徴を発見した。その特徴は似ていないと思われた親子に共通にあったことを思い出す。ああ、あの親子はあの点でやはり似ていたのだと、40年も経って気づく。
他人の顔の特徴を媒介にして、似ていない親子の共通部分をあらためて意識したのだ。
日本人の顔って本当に多様だなと、繁華街を歩いて思う。イラン人のような濃い顔、フィリピン人のようにどんぐり眼、韓国人のようにのっぺりした顔、イギリス人のように尊大な顔、・・・。
一方、フィリピン人を見ると、誰も同じように見える。タイ人もバングラディッシュ人もそうだ。われわれには外国の人を識別する能力が弱い。だから、多様と国内では思っている日本人の顔も、外から見ると、皆同じようにしか見えないことがある。
アメリカの友人が言ったことがある。「日本人と韓国人と中国人の区別がつかない」
文学、絵画、映画、テレビなど表現の作品にも顔がある。タイトルだ。タイトルが作品のアイコンとなる。だから、タイトルをつけるということは重大な案件にもかかわらず、安易なものを見ると、その作者の生き方を疑りたくなる。
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