映像のチカラ
友人のH君が、朝日新聞のキャッチコピー「言葉はチカラだ」について長めのブログを書いていた。その考察は、こんな空疎なことはないという否定的論調だった。私も同意見だ。
逆に、映像のチカラを認識した出来事を想起した。「ぼくはヒロシマを知らなかった」を取材しているときのことだ。広島の平和公園の中で、一番最近建てられた施設、追悼館でその出来事は起こった。ここには、膨大な原爆の犠牲になった人々の顔写真が保管されていて、入館者は地域ごとに原爆の犠牲となった人たちの顔と名前を知ることができるようになっている。
そもそもこの建物のコンセプト――顔写真の収集――の元となったのは、中国新聞社が行ってきた爆心地復元のキャンペーンからだ。現在平和公園となっている場所には、かつて4つの町があって広島一の繁華街となっていた。爆心から400mも離れていなかったため、そこにいた人たちはすべて破壊されこの世から消えた。
地域の新聞社としてユニークな活動を続けてきた中国新聞は数年前からこの爆心区域にいた人たちの一人一人の名前と写真もしくは肖像画を探し始めた。そして6,7年かけてそこに住んでいたり働いていたりした人たちのすべての肖像を収集した。担当をした西本記者は、われわれの取材に対して、「この町には一人ひとり名前をもって生きていた人間がいたのです。」とその記憶を留めることの重要性を熱く語ってくれた。
追悼館へ行き、その追悼アルバムコーナーで、あなたもやってみてほしい。名前順であったり居住区域毎であったりして、いかようでも原爆犠牲者の名前が検索できる。同時に、その人物の肖像写真が検索画面に現れるのだ。原爆犠牲者14万人あまりという数に解消されることなく、そこに確かに生きていたその人の顔が浮かび上がるのだ。
その会場で、アメリカ人の若いカップルを見た。検索モニターを一生懸命操作して、顔写真を見ている。若い女の子の顔ばかり続く。どうやら疎開作業に狩り出された県立第2高女の生徒たちの顔を見ているようだ。キイをたたいて顔写真を引っ張り出すアメリカ人女性は顔が強張っている。
パソコン画面に登場するのは今の中学生ほどの年恰好の女の子たちだ。幼いが希望にあふれた夏服の少女たち。その画面をくいこむように見つめるアメリカ女性。マイクを向けた。これを見て、あなたはどう思いますか?と問うた。
「信じられないことです。これほど若い人たちが・・・。」それから、泣きじゃくりながら「SORRY」「SORRY」「SORRY」と謝罪する。出身はどこかと問うと、ペンシルベニアと答えた。アメリカのオトナに広島のことを聞くと、戦争を終わらせるために原爆投下はやむを得なかったと答えることが多いのに、この若いアメリカ人は犠牲となった少女たちの写真を見て、心から日本人に向かって謝罪したのだ。
おそらく、そのペンシルベニアの女学生の胸をうったのは、自分と歳がそれほど違わない少女の犠牲者の明るいほほえみであったろう。パソコンのボタンを押す米女学生の指が震えていた。
一枚の写真がもつチカラ。
この出来事が捉えられている「ぼくはヒロシマを知らなかった」、8月5日にハイビジョンで放送される。ぜひ、見てほしい。
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