異化するまなざし
その町に住む者には意識が自動化していて気にはならないことでも、旅人の目には奇異に留まることがある。
須賀敦子はベネツィアの路地をさ迷っているとき、ある地名で立ち止まった。その名前は水路に付けられていてリオ デリ インクラビル(治る見込みのない人の水路)とあった。おりしも胸に重苦しいものをかかえていた須賀は、まるで内心を見透かされたようにその名前から自らの心境を思い、苦笑する。
そして、須賀はこのフシギな名前は一体何だろうと考え込む。それは3年に及ぶのだ。やがて分かったのはこの水路の近くに「治る見込みのない人の病院」があった。中世以来あったと思われるその施設の正体ははっきりしない。そこから須賀の心の旅が続いてゆく。無意識にこだわった出来事や気になった事柄が3年の月日の中に徐々に布置されてゆくのである。この須賀のたゆたいぶりが鮮やかだ。須賀敦子ワールドの魅力にあふれている。
さて、くだんの病院は梅毒にかかった娼婦たちを収容する病院だということが判明する。中世の頃は病院として使われ近世には少女院として用いられたその施設も、現代では何に使用されているのか分からなくなってしまった。ただ、その施設の名前を刻んだ水路が残されているだけとなった。
住民にとっては別に気にはならない地名が、異邦人(エトランジェ)であるが故に引っかかってしまう。須賀敦子はそういう異化するまなざしをもった人だ。
広島市内を貫流する太田川。繁華街近く原爆ドームの傍に相生橋がある。電車も通る大きな橋だ。川岸と中ノ島の三方から橋は伸びている。上から見るとT字形になっているユニークな橋だ。原爆搭載機エノラゲイは投下目標としてこの橋を使った。
アメリカ人が書いた広島原爆の記録の中に相生橋の説明があって、人と人が出会う橋とあった。私は息を呑んだ。
何気なくアイオイ橋とこれまで呼んで来て、その名前など気にも留めなかったが、そう指摘されればなるほどと思う。
相生は同じところから接して生えることを意味する植生の用語だ。相生は相老いともかけて古来より縁起のいい言葉として使われるようになった。やがて人と人が出会うという意味にもなったのだろう。アメリカ人の作家に相生橋の意味はと聞かれた人物は、太田川相生橋の形状から見ても人の出会いの橋と説明したと、私は推測したくなる。
この平和な橋が、あの瞬間地獄となってしまったことは、丸木位里・俊の「原爆の図」を見れば分かる。この絵のクライマックスは相生橋である。
人と人が出会う場所が、非人道的なものと出会うことになった、広島の悲劇。
来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング