雨中で電話を受けた
駅に向かって山を下っているとケータイが鳴った。放っておいたがいっこうに鳴り止まない。
取ると、息子の転勤の話だった。定期異動で現在の名古屋から福井に変わったそうだ。聞いて驚いた。
福井は私の故郷だ。当人は川崎生まれの大磯育ちだから何の所縁もないが、私との関係でいえば、故郷人事のようなものだ。
偶然か、それともそういうことを知っていてやったのか分からない。多分偶然だろう。春先まで それらしい噂も話もなかったので当人には寝耳に水だったというから。おそらく中部北陸管内の人事案が、何かがあってアナがあいて急遽振り向けられたのだろう。よくあることだ。
私の場合も最初金沢だったのが、突然長崎に行く予定の人が行けなくなり私が派遣されることになったと、後で上司から聞かされたことがある。
昭和57年7月、長崎へ転勤と辞令を受けたときはとまどった。九州にまったく土地鑑がなかったし知人もいなかった。恐る恐る赴任していくことになるが、そこが私にとってディレクターとしての運命を決める地になる。その年にちょうど長崎大水害が発生し未曾有の混乱(長崎はその前に原爆投下ということがあるが)にあった。そこで、被災後の現場を見て回り取材の仕方、構成の仕組みを学んだのだ。
最大の被災地、本河内奥山には30回以上現地調査を行った。休日の日でも、2歳の息子を連れて写真を撮って歩いた。
放送局に勤務すれば、転勤は覚悟のこと。辞令一枚でどこへでも行くことになる。都落ちといって嘆く者もあれば未知の場所を体験できると勇む者もいる。どちらを選ぶほうが幸せかはすぐ分かるはずだ。
独身のときの転勤は楽しいが、家族をもつとそういう簡単にはことはすすまない。特に子供が学齢に達すると、転校したらいじめられないかと、親として心配するものだ。
そうやって、息子よ、おまえを育てたし、私は勇んで転勤していったのだ。
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