大岡昇平の情事
「歩くひとりもの」の著者ツノさんは私より一回り上の世代だが、50過ぎまで独身であったが、女ともだちは少なくない。著書の中にもたびたび女の友人とか女ともだちとか出てきて、めしを食った、酒を飲んだとある。男女の間にぎこちなさがない。私などはそういう付き合いを苦手とした。
これはツノさんが都会育ちで私が田舎者だからなのか、それとも世代的時代的なことなのだろうか。
私のような団塊世代はフリーセックスだ性の解放だと騒いだわりに、意外に生真面目に「一夫一婦」制度にこだわった。平凡パンチに性記事はあってもエロどまり、つまり劣情をかき乱すぐらいだったが、一つ下のシラケ世代が愛読したポパイになると、女の子の性とかその技術をあっけらかんと詳細に解説してあった。
もっとオールド世代となると、男と女の愛憎相姦はすさまじい。
大岡昇平の『花影』を読んだ。まず面白かったと言っておく。その文学の味わいは別の機会に記すことにする。
これはモデル小説だ。主人公の葉子はむうちゃんと呼ばれた坂本睦子。銀座のバーで一時は知られた存在となるが、44歳で自殺している。最後の愛人が大岡だったという話だ。
彼女は銀座に出た初期に直木三十五に女にされる。坂口安吾や編集者とたびたび関係をもち、菊池寛の庇護を受け、小林秀雄と中原中也から求婚される。ところがオリンピック選手と駆け落ちし、工場主とねんごろになる。その後河上徹太郎の愛人となり、昭和23年ごろに大岡昇平と出会うことになるのである。この男たちの系列とは離れて、青山二郎がいた。すさまじい男遍歴だ。
また、小林秀雄、河上徹太郎、中原中也そして大岡昇平の名前が連なって出てきた。
これらの人物は私が大学に入った頃には巨匠で、おごそかに道を示していた。
だが、若い頃は激しいものだ。団塊世代はおよびもつかない。
べつに男女のことが「咎」というつもりはないが、しかしある感慨をもつ。
なかんづく大岡の人生は興味深い。スタンダリアンで「俘虜記」を書いた作家のもうひとつの顔。
彼は44歳のとき大磯へ転居する。ここで、58歳つまり今の私と同じ年に「レイテ戦記」を書き始めるのだが、その9年前に執筆したのが「花影」であった。
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