ひばり、伝説の東京ドーム②
年が改まった63年それまで順調だった体調が崩れた。不安を感じたひばりは63年2月、検査のため福岡済生会病院を訪ねた。検査結果は思わしくなかった。小川医師から見て基本的に快復に向かっているとは言いがたい。病状は少し良くなったぐらいとしか見えなかった。歌手活動を再開することについては慎重であってほしいと進言した。「私は東京ドームとか、活動は難しいと思いました。普通の家庭の主婦のようなくらしにしてほしいとお願いしましたね」
だが、ドームの準備はちゃくちゃくと進んでいた。衣装は森英恵に依頼したところ不死鳥のイメージにふさわしい華麗なデザインが上がってきた。仮縫いも済ませた。当日歌われる全39曲のアレンジも4人の編曲家に依頼した。チケットも5万枚以上売れていた。空前の大コンサートに向かって歯車はゆっくりしかし確実に動いていった。
息子の和也は悩んでいた。「健康を考えてドームをやめてほしい」と口にしても返ってくる答えが予想できた。ひばり自身はやりたいというのに決まっている。
「固かったですよね。あのまんま終わりたくなかったのでしょう。」実行することは危険があると感じていたが、もう一花咲かせたいという歌手ひばりの気持も理解できた。
和也自身は仕事を辞めて長生きすることに専念してほしいのだが、さりとて歌手をやめてこの人はこの先幸せに生きていけるのだろうか、という懸念もあり、二つの感情の間で揺れていたのだ。
結局、実施する方向に和也は傾く。歌うことを宿命にしてきた母の想いを無視することはできなかったのだ。
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