「一応の推定」、広川純著
秋田の児童殺人事件は容疑者の娘が川に転落して死亡したことと関連があるのではないかと言われている。
この死が事件か事故か判然としないまま、容疑者の「誤解」が膨張していってあの不可解な殺人事件に発展したのではないかと、推測されているのだ。川を嫌いな女の子が冬に川遊びに行くだろうか、何かの事件に巻き込まれたのではないだろうか、と母である容疑者は疑心をもち倒錯した憎しみのエネルギーを募らせたと考えられる。警察が事件を否定し事故としたが、母親は納得しなかったのだ。事件と事故の判断とはなんと難しいことか。
今年の松本清張賞を受賞した『一応の推定』は、一人の老人が駅のホームから転落して電車に轢かれるという出来事をめぐっての小説である。その死が事故であるものかそれとも自殺なのか、その謎をベテランの保険調査員村越が追う。村越は数日後に定年をひかえていた。
傷害保険は生命保険と違って、入るのにそれほど難しくはないが、死因が自殺であれば保険金はおりない。事故であれば保険金が給付されるが、自殺という「事件」であれば給付の対象ではなくなるのだ。
電車に轢かれた男性は死亡する3ヶ月前に保険に入ったばかりだった。その身辺を村越が調べてゆくと、彼の工場は倒産しその孫は難病のため多額の費用が必要であることなどが判明してくる。老人が自殺したとしてもおかしくない状況はある。この事案をめぐって村越が足で調査してゆくプロセスを、小説は描いている。
最近にない面白い小説だった。筆力はたいへんなもので、連続殺人も警察も暴力団もいっさい出てこないが,保険をめぐる人間模様だけが素材となる。だから会話が中心で物語が編まれているのだがけっしてスタティックでなく間然するところがない。
一つの事実をどのように見るかという視点の変化によって、事故か事件かに分かれてゆく。
保険調査の方法で興味深いことを主人公は語る。調査に先入観をもつなというのだ。あらかじめ予断をもって仮説を立てれば、皆そのように見えてくるから調査には危険だと村越はいうのだ。言うことに疑いをもたず素直に肯定しながら当事者の話を聞け、そうすれば事実がみえてくる。
「黙って相手の話を聞きながら、頭の中で事故状況を再現する訳です。現場は先に見ているから、見通しとか交通量とか全体が頭に入っている。その中に相手の話す状況を素直に当てはめていくと、それでは事故は起こらないじゃないか」
その話の矛盾したところが事故の原因だというのだ。
なるほど、一つの職業的知恵だ。この方法は私自身の取材にも応用できるなと、つい商売っ気を出して考えてしまった。
ちなみに「一応の推定」とは法理論の概念で、自殺であることを立証することが困難である場合、典型的な自殺の状況を立証すればことが足りるとするものを言う。作者の広川は実際に保険調査会社で仕事をした体験をもつ、私の同年の58歳である。主人公の村越努は作者の分身だろう。
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