老いは端(ハシ)からやって来るか
池内紀の『ことばの引き出し』にこんなことが書いてある。昔からの女友達Aについてのことだ。
《ある日、手を洗っていて、ふと目がとまった。何だろう?手の甲いちめんに黒っぽい筋が走っている。あわてて拭ってみた。墨汁か何かがとんだのかと思ったからだ。しかし、とれない。手を水につけて、入念に洗ってみた。やはりとれない。そのはずだ、目に近づけて気がついた。いちめんにしわが走っている。》
そして、池内は残酷な言葉を記す。老いは端(ハシ)からやって来ると。
昨日と変わらなく今日もあって、これがずっと続いてきたし、これからもそうであろうと思っていたが、ある日、ふと気づくと老化が始まっている。しかも本体ではなくハシッコから知らず知らずのうちに老菌が繁殖をはじめているのだ。
体のしみを見つける前から、うすうす老いはそ知らぬ顔をして、当人の側に坐っている。
物忘れがひどくなる。名前が出てこない。20年前のことは覚えていても3日前のことは忘れている。複数のパソコンを使用していると、パスワードが覚えられなくなる。
フィジカルな現象はより具体的だ。トイレが近くなる。夜中に4度も5度も行きたくなる。
社会的な老いもやって来る。音楽が分からなくなる。流行している曲がいいと思えない。マンガの画が雑に見えてしかたがない。ポストモダンの言説が分からない。
かと言って、今私は老境にあるかというと、そうは思っていない。孫に溺れるわけでなし、医者通いするでなし、況や老人クラブに入るでなし。
時計のデザインには興味があるし、映画はサスペンスとラブストーリーは絶対逃さないし、
洋服はTHEORYが好きだし。
とりとめもない老年談義となった。今は年をとるのが難しい時代なのだ。
夏目漱石にしろ芭蕉にしろ皆私より年少で死んでいる。芭蕉など翁と呼ばれていたのだぞ。
比べて、私などガキだ。馬齢だけ重ねているが、少しも大人になりきれていない。老境なんて当分無理だぁ。
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