不完全燃焼症候群
「村の船頭さん」という童謡を思い出した。
♪村のはずれの船頭さんは 今年六十のおじいさん
私が子供の頃、六十歳といえばたしかにおじいさんだった。今、その年に迫るのだが自分がおじいさんとは思えない。納得できない。まだいくつか仕残したことがあると思えてならない。このまま隠居なんてことは考えられないのだ。
友人の中には孫もいる者もいる。そういう境遇のものはおじいさんの風貌、考え方に自然と変わっていくようだ。新しいことに関心をもたず、好きな趣味と孫の写真で十分という人がたしかにいる。
私としては、まだ番組作りにしても年少のディレクターなんかに負けない、作品性の高いものをあと10本くらい作ってみせると、見得を切りたいところだ。
だが、先日韓国取材で、老いの現実を見てしまった。意気は軒昂でも体がついていかないのだ。体力がない、持久力が弱る、器官をコントロールできない、こらえ性が減る、など。
ではこの現実を受け入れて、温和しく閑居できるか。できない。
老いてますます読書は増え見聞が広がり智慧がつくようになれば、それを映像化したいと願うのは当然のことと、私にはある。そこが、今の私の悩みだ。頭と体が一致しないのだ。ギャップはますます広がる。
おそらく映像でなければ、文字表現であればこういうことで悩むことはなかったろう。七十八十になっても筆を折らず、錬磨した井伏鱒二のような文豪もいたから。
映像の世界でも、劇映画は高齢でもメガホンを握る人はいる。黒木和雄だって75歳までやっていた。だがドキュメンタリーとなると、大先輩の吉田直哉のような人でも60を境に作らなくなっているのが現実だ。
やりたいけどできない、これが定年世代の悩みとなる。まだ自分の能力を使いきっていないという、不完全燃焼状態にある。
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