ぽろん亭の思い出
一年前、ブログなんてものは瓶に入れて流す手紙のようなものだと書いたことがある。どこへ行き着くか分かったものじゃないと書いたのである。そうでもないと反論のコメントをもらったがなかなか実感することはなかった。
だが昨夜ブログを開いて驚いた。旧知からコメントが届いたのである。
「伝説のCMディレクター」の記事についていた。この話の舞台となった、荻窪ぽろん亭で知り合った人物だ。記事といっしょに添えた写真にあったピエロの絵をよく覚えていると書いてあった。上の写真は初代ぽろん亭だ。立ち退きになってここから数メートル奥へ下がって2代目が現在ある。
読むうちにコメントを呉れたその人のおもかげがゆっくり蘇った。その人はまだ学生だった。当時少なかった女子大生だった。私は社会人5年目ぐらいになっていただろう。番組つくりの面白さを覚えたばかりでいきがっていた。
ぽろん亭を中心に夜遅くまで遊飲み歩いていたな。金がなかったから焼き鳥屋と2番館の映画ばかりだった。カズオミ、シスカ、ドピロー、カズノコさん、クボさん、アツコさん、みよ、シズコさん。みんな若かった。
杉並のあちこちに空き地や緑が残っていた。夜10時過ぎからうろうろ出歩いて、そういう空地でだらだらしゃべってばかりいた。本もあまり読んでいない。今若い人や娘に向って勉強が足らないぞと説教垂れることがあるが、考えてみれば私も何もしていない。むしろ仕事上一生懸命読むようになったのは35歳を過ぎたあたりからだった。金も地位も力もない若い男なんて一番つまらないと年中ぶうぶう言っていた。黒テントの舞台ではつらつと演じ歌い踊るカズオミが羨ましかった。
独身者は裏通りには住んではいけない通りに面したところへ住むべきとカフカが言ったとか、そういう言葉をクボカクから教えてもらったが、内心反発していた。
ああこうして私は20代から30代のはじめ、若さと時間をだらだらと消費しつづけていた。ずっと忘れていたことどもを、昨夜の「コメント」を読んで思い出した。
まもなくロッキード事件が起きる。カクエイよりオサノという人物に興味をもった。そして街角では狭山差別裁判の不当を訴えるビラが配られていた。
来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング