ウルトラ星に旅立った人⑥
大伴昌司は2月3日にお茶の水の病院で産声をあげた。彼が生まれた昭和11年は、東京によく雪が降った。この日も雪催いとなった。
当時自宅出産が多いのだが、富裕な両親は大学病院で出産することを望んだ。
3日から降り始めた雪は4日になると本格的になった。見舞いに来た父四至本八郎は積もらないうちにと早々に帰って行った。中央線で自宅のある中野駅に帰り着いたときはすっかり吹雪になっていた。1メートル先も見えない。父は這う這うの体で中野富士見町の自宅へもどったと、後々まで父は大伴誕生秘話として語っていた。
当時、病院で出産すると産後の肥立ちのため3週間入院させた。母アイさんと大伴が自宅へ帰ったのは(大伴は初めてだから、自宅へ行ったという表現になるかも)2月25日のことだった。
明けて、2月26日、帝都は大雪となった。もし大伴母子がこの日までお茶の水にいたら中野へは戻れなかっただろう。雪だけのせいではない。反乱が起きたのだ。陸軍の一部青年将校らが政治の変革を唱えて部隊を引き連れて決起したのである。世に言う、2・26事件だ。都内には戒厳令が敷かれ交通機関もストップした。
この日から数日間、緊張した空気が都内に流れるが、四至本家の新生児は暖衣飽食のうちにあった。
それにしても東京に大雪が降るときとは何か起きるときだ、桜田門外も赤穂浪士もそうだったなと、アイさんは思う。アイさんの記憶でも昭和11年と昭和20年の大雪は鮮明だ。敗戦となるあの20年の冬は雪が激しく防空壕の中まで吹き込んだことを覚えている。
雪の多い昭和11年に生まれたこの乳児の人生は波乱に富んだことになるかもしれないと、母だけはひそかに思うのであった。
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