ウルトラの星から来た人
今日1月27日は大伴昌司の33回目の命日だ。ちょうど彼が倒れた夕方の時刻に、私は母上に電話をした。
今日は大伴さんの命日ですねと声をかけると、[覚えておいてくださって嬉しいわ,母の私でもこのごろは1月のいつだったか忘れることもあるのよ]と快活に返事された。たしか91歳になっていられるはず、明晰にして気丈な母上だ。
大伴昌司――SFの小説や映画の発展に力を尽くした人。「少年マガジン」の巻頭グラビアをプロデュースし、新しいメディアとしての少年誌を作った人。怪獣博士としても知られウルトラマンに登場する数々の怪獣を創案した。バルタン星人は有名だ。
1973年当時、彼はSF作家クラブの事務局長をしていた。後に大活躍することになる小松左京、筒井康隆ら錚々たるSF作家が集っていた。
といっても、この作家クラブは大阪万博以降ようやく注目されはじめたところだった。うるさい先生がたを相手に、大伴は辣腕をふるっていた。
そして、新年会をやろうと、東西の作家に声をかけ、新橋の中華料理の店新橋亭でにぎにぎしく開かれた。大阪から小松や筒井も来ていた。
宴が始まって1時間もしないうちに、大伴は頭が痛いと言って別室へ入った。それからまもなく彼は亡くなった。37歳だった。日頃からおれは早死にする、40までに死ぬんだと言っていたとおりになった。
大伴の番組を制作しているとき、不思議なことがあった。彼の仕事部屋を撮影していたときだ。愛用の机、映写機、テレビ、ステレオ装置そのプレイヤーをカメラがドリーする。音楽は彼がよく聞いていた「空に星があるように」をプレイヤーにかけて撮影した。同じ撮り方をカメラマンは数回試みた。けげんな顔で私をカメラマンが見る。どうしたと聞くと、変だ、何度やっても最後のレコードにカメラがズームするときに、音楽の同じ箇所が鳴り響いているんだ、こんな偶然ってあるかなとつぶやく。
このエピソードを関係者にぶつけると、何人かが同じような体験をしていた。
今夜だってそうだ。わが社のアニメ制作の担当者が、今夜特撮アニメ「ウー」の制作発表なんですと、夕方私に声をかけてきた。この原作は元々大伴がSF作家たちに呼びかけて作ったものだと、大伴ファンの担当者は言う。
軽く聞き流していたが、担当者は「そういえば、大伴さんは今日亡くなったのではないですか」と言った。・・また、大伴さんが動いた。
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大伴はバルタン星人の父だ