ブログの効用
年々物忘れがひどくなっている(と言われる)
自分ではそうかなと思う部分とそうではないと疑う部分がある。このあたり自信がない。
昨日や一昨日のことが思い出せない。何を食べたか、何を話したか。
どうやら同じ話を繰り返しているようだ。話し相手が話の途中でまたあの話かという表情にチラッと変わる、それを見て私もやばいと気づく。気づくと話を止める。止めるとどうして聞かれる。(だって、おまえだってそのワケを知っているだろうが)と言いたいが、恥ずかしいし悔しいから言わない。ふて腐れて「もう、いい」としか言いようがない。
年をとるとはだんだん精神が自給自足になっていくのか。面白いことを自分で分泌して自分で楽しむ。それでいい。若い頃のように、無理をしてまで分かってもらおうなんてことは思わない。
かつては“呆ける”ことを恐れていた。津田投手のように脳腫瘍に圧迫されて記憶を失っていことを恐れた。自分が信じたこと、考えたこと、愛したことが消滅するなんて耐えられない、そう思っていた。
今は、恐怖がないことはないが少し違う。呆けた自分を呆けたと認識できなくなった自分も楽かなと思う。まわりは介護でたいへんかもしれないが、本人は自足した世界で遊ぶことができるなら。
だが忘れていることも、ちょっとしたきっかけや記録で甦る。そこでブログ。これは使える。エジンバラの駅、ソウルの匂い、木屋町のミンミン、・・・ブログを読み直すとまざまざと思い出す。ただし、いいことだけにとどめたいが尿意便意を必死でこらえた不快感も連れ立って私を訪ねてくる。
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今朝は晴れた。朝の光が飛び込んでくる。