長崎の斎藤茂吉
茂吉は長崎の医専に勤めていたことがある。大正6年のことだ。その頃詠んだ歌が今も長崎では語り継がれているが、アララギの同人として長崎の歌人に大きな影響を与えた。
当然のことながら、医専の学生たちにも彼を慕う者は多かった。
その一人の家から、私は茂吉の歌を発見したことがある。大久保仁男という医学生の実家だ。大久保家というのは長崎戸石の名家で代々諫早藩の医者の一族だ。3代前の人物は順天堂大の前身の創立に関与していた。
大久保仁男は医専の短歌会に参加し、日吐男と号していた。在学中から結核を病んでおり茂吉が帰京して3年後にこの世を去っている。その訃報にふれたとき茂吉が彼のために詠んだ歌。
きぞの夜もねむり足はず戸をあけて霜の白きに驚きにけり
この歌のことは遺族も知らなかった。茂吉が歌集「あらたま」を出版したとき、本の扉に書いて大久保家に贈ったらしいのだが誰も本の内側にそういうものがあるとは知らず60年以上経っていた。
ひょんなことでその家の親戚と私は友達になり旧家と聞いて、一度蔵などを拝見させてほしいとお願いしたことからこの僥倖に出会ったのだ。これは一応九州ローカルのニュースにはなったのだが、それほど話題は広がらなかった。ただ医者の中には短歌をする人が多く、専門誌で紹介された。
この歌を私はこう理解した。〈昨夜もねむることが出来ず、ついふらりと立って戸を開けにいった。驚くではないか、霜が降りて白く光っていた〉
秋霜烈日ではないが、厳しさに背筋が伸びるような歌だ。血を吐いて逝った若き弟子に手向けた、茂吉の挽歌だと私は思う。
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