厳寒のポーランドへ
来月、若い友人たちとアウシュビッツを訪ねてみようかなと考えている。これまでも、プロデューサーとして片手に余るほどホロコーストの番組は制作してきたが、まだ現地に入ったことがない。
いつか、この眼で現認したいと願いつつ定年を迎えてしまった。もはや行くことはないと思っていたら京都で教えている学生たちから声がかかった。
この夏、集中講義で「戦争を映像はいかに描いてきたか」という話をした。広島、長崎と並んでアウシュビッツの重要性を、私は説いた。その話に呼応するように、卒業旅行として行ってみようではないかという機運が学生たちの中でおきた。そして、私にも呼びかけがあった。
経済的なことを私はまず案じた。スコットランドへ行ったばかりだ。大丈夫か。ツーリストに調べてもらったら、ワルシャワ往復で、8万のチケットがあるという。うむ、それぐらいなら貧乏旅行で安く行けるかもしれない。
もし、行くのなら厳寒にしたいと兼ねがね思っていた。プリーモ・レーヴィはこう記述している。
貨物列車に収容されその隙間に出来た氷柱をすくって渇きをしのいだ。立ち牢に放り込まれると、耐えがたい寒さが床から上がってきた。
――こういう状態を例え僅かであれ,自分も体験したいと願っているのだ。
本日、エリ・ヴィーゼルの『たそがれ、遥かに』を読んでいる。ルーマニアに生まれたヴィーゼルは15歳でアウシュビッツに移送され、翌年解放された。その体験を書いたのが代表「夜」という作品だ。そして、1986年、ノーベル平和賞を受賞している。
『たそがれ、遥かに』では、ラファエロが狂気の中を歩む姿は壮絶だ。読み進むにつれ、どうしても現地に立ちたいという思いが,私の中でつよくなっている。
ヴィーゼルはアシュケナジームと呼ばれる東欧ユダヤ人の末裔だ。シャガールの世界にもつながる「神の国」(ツィーヴィタス・デーイ)で生きてきた。その伝統で生き、受難を体験した人たちが、なぜパレスチナの人を圧迫するのか。その難しい問いを、この旅を通じて考えてみたいと願うのだが。
まだ、行くか行かないか、迷っている。
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