今夜のNスペを見て
今夜のNHKスペシャルを見た。脳梗塞で倒れた、世界的免疫学者の多田富雄の生き方を追うドキュメンタリーである。
先日訪れた甲州の山荘に住む先輩ディレクターから、この番組を見るといいかもと連絡を受けていた。先輩はかつて多田を取材したことがあり、そのひととなりに敬意をもっていたのだが、当時はバリバリの大学者。病で倒れたことは噂では聞いていたが、はたしてどういう状況か少なからず同病を患った者としても私は関心をもった。
予想にたがわず作品は素晴らしい出来だった。
春先から半年以上追いかけた分厚くディーセントな取材。私のすべてを撮ってくださいと覚悟した多田。両者があいまって高いレベルの作品に仕上げていた。
編集は抑制がきいていて素晴らしかった。 専門的なことだが、一点、広島平和公園で多田が顔面をくしゃくしゃにするのはまったく説明をほどこしていず、どういう作者の意図か気になった。あえてノー説明にしたか。とすれば、先に描いた多田の原爆に対する怒り(科学者の過ちつまり自分への呵責か)を観客自身の理解判断にゆだねたのか。それとも尺的におさまりきらなかったのか。
この番組の中で気になったコメントに、多田が目指す研究とは「寛容で豊かな研究」というのがあった。多田の言葉として感動した。後遺症のため、ままならない肉体を保有しながら、寛容であれと説く多田富雄。
私自身、脳内出血を発症した身として、自分をゆるすことができず他者(ひと)もゆるせなかった。そのことが長く自分の中に「恨みつらみ」として澱のようにたまった。
折にふれて、亡父はイエスの言葉を引き「寛容であれ」と私に言った。自分自身が一番寛容ではないじゃないかと内心反発したものだが、今となっては分かる。私に言うことで自分を戒めようとし、かつ寛容でないことはどれほど自分をさいなむことになるか身をもって知っていたのだろう。二の舞を踏ませたくないからこそ「わが身を顧みず」、寛容であれと教えたのであろう。
ウェーブのかかった多田の白髪を見ていたら、父から聞いた言葉を思い出したというわけだ。
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