マルさん
夕方、東京新聞を読んでいた。3面の訃報記事で編集者の丸山昭さんの名前を見つけた。
番組で2度ほどお世話になっている人物だ。ひとつは赤塚不二夫の「全身漫画家」というETV特集、もうひとつはGTVの特集「ちばてつや、ありがとうトキワ荘のみんな」。
ちばさんが事故で利き腕の右手に大きな怪我をおったとき、締切間際の原稿をかかえていて立ち往生した。そのとき漫画家たちの梁山泊だったトキワ荘に駆けこんで、助力を得たというエピソードを描いたのが「ありがとうトキワ荘のみんな」だった。このとき、ちばさんをトキワ荘に結び付けてくれたのが、当時少女雑誌「りぼん」の編集者だったマルさんこと丸山昭氏だった。この事件の顛末を丸山さんから語ってもらった。
もうひとつの「全身漫画家」は赤塚の伝記で、彼のトキワ荘時代のエピソードを南長崎の跡地で語ってもらった。晩秋の寒い日だったが、マルさんは嫌な顔ひとつ見せず、赤塚の在りし日の思い出を楽しそうに語ってくれた。
後で、当時を知る漫画家たちに聞くと、人情熱いマルさんは誰からも信頼され慕われていたという。私が取材したときで70代後半だったから、かなりの高齢に達していたのだろう。訃報で享年を確認するのを失念していた。
たしか赤塚不二夫が高校生だった石ノ森章太郎と初めて手塚治虫を訪ねたときも、編集者として別室に控えていたマルさんが仲介の労を果たしてくれたと記憶するが。とにかくマルさんは世話好きで面倒見のいい編集者だった。さぞかし盛大な葬儀になるだろうと予測したが、訃音には親族だけの密葬とあって意外な気がした。
嗚呼、また昭和の漫画史を知る人材が消えた。彼らの声を残したいと20あまりの昭和漫画のドキュメントを制作してきたが、その意義をきちんと果たしただろうかと自戒の思いがこみあげる。皮切りとなる「大伴昌司の番組」が、後年奇禍と遭遇してから私のなかから情熱が失せたのも事実。だがマルさんのような情報通がいなくなったと聞けば、番組制作当時の取材ノートを引っ張り出して、記憶の断片をつなぎたくなるのも事実だ。
マルさんのご冥福を祈る。合掌。
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